おっさんが願うもの

猫の手

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王都編 〜演奏会〜

146.おっさん、音楽を聴く

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 俺とキース、護衛のオスカーとジャニスで王家の馬車に乗り、瑠璃宮を出発した。
「ショーヘイさん、ギル様からいただいた指輪、つけてきましたか?」
「ああ。ぬかりなく」
 そう言って、左手の小指に嵌められた金色の細い指輪を見せた。
「それが起動しないことを祈るばかりだな」
 オスカーが苦笑する。
「あー…演奏聴いて寝ないようにしないと…」
 元の世界の聞き慣れた音楽なら寝ることはないだろうが、クラシック系の音楽は、睡魔を引き寄せてしまう。
「あはは。それね。私もどうも聴くだけっていうのは無理だわ」
 ジャニスも俺に同意した。

 この世界に来てから、何度か音楽は聴いている。
 旅をしている時は酒場で、お祭りで、夜会ではワルツのような音楽に合わせて踊った。
 音楽のジャンルには全く詳しくなく、こちらの世界の音楽はすべてクラシック音楽に聞こえていた。

 


 馬車が貴族街を走り、王城から30分ほどでブルーノ邸に到着した。
 邸宅前まで進んだ馬車が玄関前で停まると、待ち構えていたブルーノ邸の執事が馬車のドアを開けた。
 すかさずオスカーが先に降り、続けてジャニス、キースと順に降り、最後にキースのエスコートで俺が降りる。
「聖女様」
 歩きにくいローブを気にしてしっかりと足元を見ながら慎重に馬車を降りたところで、聞き覚えのある声がした。
「ヴィンス様」
 声のした方を見て、ニコリと笑顔を向ける。
「聖女様、ようこそお越しくださいました」
 正面から、俺の胸くらいまでしかない背の高さのダミアンが進み出ると、丁寧に俺に向かってお辞儀した。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
 対貴族用の笑顔を満面に浮かべ、こちらも丁寧に挨拶した。
「中で皆様お待ちです」
 ダミアンが俺の手を取ると、ヴィンスが少しだけ顔を顰めた。
 約束の時間よりは早く着いたのだが、それでも俺が一番最後だったらしい。
 背の低いダミアンに手を引かれる形で邸宅の中に入ると、そのまま奥へ連れて行かれる。
 俺の後ろにはキースがピタリと張り付き、オスカーとジャニスが騎士の顔で周囲へ警戒した表情を向ける。
「聖女様、起こしいただき本当にありがとうございます。
 今日の演奏者達は本当に幸せ者だ。
 まさか聖女様の前で演奏出来るなんて」
 ヴィンスが小走りで俺に近寄ると、早口で喋った。その様子から興奮しているのがわかる。
「本当に。王の前で演奏するのと等しいですよ」
 ダミアンもまたヴィンスと同じように興奮しているのか、俺を振り返ってニコニコと話す。
 俺はただニコニコと笑顔を向けるだけで、返事はしなかった。
 というか、返す言葉が見つからない。

 本邸を抜け、渡り廊下のような通路を進むと、本邸よりも2回りほど小さな二階建ての洋館へ進んだ。
 中に入ると、吹き抜けになった広い玄関ホールが今回の会場だった。
 ソファやテーブルが並べられ、奥の方に演奏者の椅子や譜面台が置かれている。
「これはこれは聖女様」
 玄関に入るや否や、目の前の3人掛けソファに1人で悠々と座っていたジェロームが立ち上がり、すぐに大股で俺に近付いてきた。
「このような場所に足をお運びになるとは。全く、聖女様にはもっと相応しい場所があるでしょうに」
 この邸宅の住人であるダミアンの前で、ものすごく失礼な言い方をするジェロームに微笑む。
「ご機嫌よう、侯爵様」
 言いながらお辞儀をし、顔を上げた瞬間、いきなり手を掴まれた。
「ささ、聖女様はこちらに」
 そう言って俺を自分が座っていたソファに連れて行こうとする。
「お、お待ちください。まずは皆まさにご挨拶を」
 ジェロームが我先に俺に声をかけたため、会の主催者達が、黙って立ち尽くすことになってしまった。
 現侯爵と、爵位のない子息達では、圧倒的に身分の差があり、ジェロームに苦言を呈することも出来ない。
「ああ?」
 ジェロームが面倒くさそうに、周囲を見渡し、ウォルターを始めとするメンバーや、同じく招待されていた、他の貴族達を一瞥すると、流石に全員の視線に居心地が悪くなったのか、俺の手を離した。
 俺はすぐにジェロームから離れ、そのままウォルターやヴァージル、会のメンバーに向き直る。
「改めまして。本日はご招待いただき、誠にありがとうございます」
 ゆっくり丁寧に頭を下げ挨拶すると、ウォルターが一歩前に出て、俺の手を取ると、静かに口付ける。
「夜会で一度ご挨拶させていただいたきりでしたね。
 本日はようこそお越しくださいました。会を代表して感謝申し上げます」
 優しげな笑みで言われ、俺も微笑み返す。
「聖女様、どうぞごゆっくりお楽しみください」
 ヴァージルも俺の手に口付けし、微笑むが、犬そのものの顔に、ついつい本当に笑顔になってしまう。
 メンバーに挨拶が終わると、招待されていた貴族達も俺に近付き、次々に挨拶された。

 チェルニー伯爵家次男デズモンド。お茶会で出会ったブリアナの弟。
 オールストン男爵家次男ドミニク。夜会で俺に花をくれた5歳の男の子の兄。
 ワグナー子爵家長男ドナルド。
 ガルシア子爵家長男エミル。
 この2人はそれぞれ後継のはずだ。

 それぞれに手に口付けされつつ、彼らの素性を必死に思い出していた。


 見事にヤローばっかりじゃねーか。


 むさ苦しいと、笑顔の裏で毒付いた。
「終わったかね。そろそろ初めてはいかがかな」
 1人ソファに居たジェロームが苛立ちを隠さずに言う。
「そうですね」
 ウォルターがそんなジェロームの横柄な態度にも表情を変えずに言う。
「聖女はここに座りたまえ」
 その言葉にムッとしつつも、黙って従った。
 3人掛けのソファの右端に座ると、ジェロームが座り直すフリをして、わざと俺に近寄ってくる。
 俺の背後で、キースが額に青筋を立てているのがモロわかりで、玄関付近にいるオスカーとジャニスが苦笑した。
「飲み物はないのか。聖女はシャルダーニでよろしいかな?」
「はい」
 シャルダーニ、こちらの世界の果実酒を言われ普通に答える。
「早くせんか」
 ジェロームがホストであるダミアンを顎で使い、ダミアンは小走り気味に果実酒のグラスを俺とジェロームに渡す。

 本当にこいつ、クソだな。

 心の中でジェロームを罵倒しつつ、ジェロームに微笑むと、その顔が紅潮し、醜い顔がさらに醜く歪む。
 その顔に鳥肌が立ってしまった。






 演奏会は予定通りに進み、弾き語りや四重奏、歌などを披露され、意外にも眠くなることなく、聴くことが出来た。
 それも音楽が楽しいから、という理由ではなく、隣にいるジェロームが演奏の合間に、少しづつ俺に近寄り密着されたからだった。
 しかも、演奏会終盤あたりでは、俺の足に手を置き、置くだけではなく撫でられた。
 しかも、ローブのサイドスリットから手を入れられ、弄るように足を撫でられ、さらに内腿にまでその手が侵入した。
 股間にまで手を伸ばしてくる寸前で、最後の曲が終わり、全員が一斉に拍手したため、ジェロームも手を離し仕方なく拍手していた。

 助かった…。

 ホッと胸を撫で下ろしつつ、触っていたジェロームを見て、わざと恥じらうような仕草をしてみる。
 自分でも吐き気をもよおす行動だったが、これがジェロームには効果覿面だったらしい。
 俺が照れていると勘違いし、鼻息が荒くなり、興奮しているのが手に取るようにわかる。
 心の中で目いっぱい罵倒しつつ、俺の演技もなかなか通用するものだと考えていた。





 演奏会終了後、演奏家達と少し話をした。
 聞けば、皆地方出身者で、楽器一つ持って王都にやってきたという。
 酒場や路上で音楽を披露し、稼いでいたそうだが、たまたま通りかかった会のメンバーに拾われて、今は援助を受けながら修行を重ねているという。
「本当にウォルター様を始め、会の皆様には感謝しております」
「それは、日々の皆さんの努力があってこそです。どうかこれからも頑張ってくださいね」
 ニコリと微笑むと、演奏家達は丁寧なお辞儀をして会場を出て行った。

「いかがでしたか」
 ダミアンが頬を紅潮させながら、期待の目を俺に向ける。
「大変素晴らしかったです。とても有意義な時間を過ごすことが出来ました」
 ジェロームに痴漢されてそれどころではなかったが、当たり障りなく返事すると、ダミアンは嬉しそうに笑った。
「もしよろしければ、こちらを差し上げてもよろしいですか?」
 ダミアンが小さな小箱を俺に差し出した。
「これは?」
「開けてみてください」
 言われた通り、手のひらサイズの小箱の箱を開けると、音楽が流れた。

 オルゴールみたいだ。

 その音色に微笑む。
「ありがとうございます。部屋で聴かせていただきますね」
 これは本当に嬉しいと思った。
 優しい音色と曲調に癒されそうだ、と本心から笑顔になる。
 ダミアンも、俺が喜んだことで嬉しくなったのか、子供のような笑顔になった。

 招待されていた貴族達は、演奏会終了後に帰宅し、会のメンバーとジェロームが残る。
「もしお時間がございましたら、少しお話し致しませんか」
「はい」
 本来の目的を果たすため、即答した。
 なぜかジェロームもくっついてくるのには辟易したが。


 会場だった玄関ホールからすぐ隣の談話室に移動する。
 キースとジャニスが一緒に談話室に入り、オスカーは外でドア前に控えた。
 さすがに、そこには1人掛けのソファしかなく、ジェロームが隣に座ることはないだろうと、内心ホッとする。

 それぞれがソファに座り、ダミアンがメイドに飲み物と軽食を運ぶように伝えた。
 俺の正面にウォルターが座り、その隣にダミアン、ヴィンスと続き、輪から離れたソファにジェロームが座る。
 その位置に、ジェロームは何しに来たんだと思った。
 だが、それよりもヴァージルがいつのまにかいなくなっている。
 どこに行ったのか、と考えつつ、ヴィンスとダミアンの会話に相槌を打つ。2人とも、まさに芸術バカ。先ほどの演奏で、ここが良かった、あの技術が、と語り合っていた。
 時折り俺にも話を振って来られるので、差し障りのない程度に返答する。

「本当に芸術を愛しておいでなんですね」
 会話が一区切りついた所で、俺が話を振った。
 ヴィンスとダミアンは、はい、と即答したが、ウォルターは少し言い淀む。
「私は…、自分が癒やされるものであれば、なんでもいいのです」
「癒やされるもの、ですか?」
「ええ。音楽や演劇、絵画なんかもその一つです。
 美しいもの見て、聴いて、自分を癒しているのです」
「確かに、そうかもしれませんね。綺麗なものは何度も見たいと思いますし」
「ええ…聖女様を見ていても、とても癒やされます」
 正面のウォルターにニコリと微笑まれ、じっと俺を見られた。
「私が…、癒しですか?
 私は人を癒しますが、それは魔法で…」
「とてもお美しい…」
 俺の言葉に被せるようにウォルターが言った。そのあまりにも恥ずかしいセリフに意識せずとも赤面してしまった。
「確かに聖女様は気品があって、所作も大変美しい」
 ヴィンスが頬を赤らめて続ける。
「美しいものを見ると、とても幸せな気分になります」
 ウォルターもさらに続ける。
「私は毎日が苦痛で」
「ヒューに毎日こき使われておるんだろう。出来の悪い兄の尻拭いばかりさせられて」
 突然ジェロームが声を出す。
 話の流れが探りを入れる方向を向いていなかったので、思わず心の中でジェロームに感謝した。
「ヒュー様、ですか?」
「こいつの兄はな、人に言われたことしか出来ない大馬鹿者でな、なのに自分でやろうとして失敗する。それを部下や弟に押し付けておるのだ」
 さも自分が物知りだとドヤ顔で話すが、その内容は褒めたものではなかった。

 お前はもっと何も出来ないだろ。

 と突っ込みたいのを我慢する。
「そうですね…。ですが、あれでも父の後を継いで環境局局長になる人です。
 周りが支えてやらねば」
「代わりに仕事をする、の間違いだろう」
 自分のことを棚に上げてよく言えるなこいつ、と呆れるが、そのジェロームに便乗して、ウォルターに探りを入れる。
「あの…、私はあまり貴族様や内政のことはわからないのですが…。親子でお仕事を引き継がれるのが当たり前なのですか?」
「…あぁ、そうでしたね。聖女様は記憶がないんでしたね」
「この国では、世襲制度がありまして、親の職業を長子の子が引き継ぐことになっているのです」
 ヴィンスが説明してくれる。
「我々は長子ではありませんので、一応局勤めではありますが、それ以上の位につくことはありません」
 ダミアンが続け、俺は頷きながら知らなかったフリをする。
「侯爵様の今のお話しだと、ウォルター様の方が優秀でらっしゃるような口ぶりでしたが…」
「ワシはそうだと聞いておる。
 だがな、聖女よ。
 この国では血筋が絶対なのだ。侯爵の爵位は長子のビバリーが継ぐが、局長は継がん。だから、次の子に引き継がれるのが決まりなのだよ」
「では、ウォルター様は…」
「ウォルターが聖女を手に入れれば…」
「侯爵様」
 ジェロームの言葉をウォルターが遮った。
「申し訳ありません、聖女様。今の話は忘れてください」
「…、つまり、私という後ろ盾があれば…?」
 ウォルターが苦笑する。
「私は、そこまでして上を目指すつもりはありません。
 貴方を利用してまで、兄を蹴落とすつもりもないのです」
 ウォルターが真っ直ぐ俺を見る。
 その言葉が本心かどうかはわからない。
「でも…、正直言って貴方をそばに置きたいという気持ちはあります…」
 ウォルターが苦笑しながら言った。
「貴方は美しい。
 そばにいるだけで癒やされる。それは本心です。
 夜会で貴方を一目見て、その笑顔に心を打たれました。
 生まれて初めて絵画を見た時に受けた衝撃と同じ気持ちが私の中に起こったのです。
 貴方は芸術品に等しい」
 早口で捲し立てるように言い、俺を芸術品扱いにしたウォルターに呆気に取られてしまった。
「はははは。ウォルターは聖女に惚れたのか。身の程も弁えず、なんと愚かな」
 ジェロームがおかしそうに笑う。
 だが、笑っているのはジェロームだけで、ダミアンもヴィンスも口を結び、顔を顰めていた。
「なんとでも言ってください。
 私は1人の男として聖女様にそばにいてもらいたい。
 貴方のためなら、この地位を捨ててもいいとすら思っています」
「ほう。そこまで言うか」
 ジェロームがバカにしたように笑う。
「今、公爵という地位が一つ空いている。
 聖女を手に入れて、兄も父も、見返したいと、微塵も思っとらんとは思えんな」
 ジェロームが真顔になった。
「後継でもないお前がそこまで聖女に執心する理由はそこにあるんだろうが。
 お前が自分の思い通りにならない芸術家を潰してきたのを知ってるぞ?」
 ウォルターの顔が、ジェロームの言葉に反応する。
「どういう意味ですか」
「言った通りだ。
 聖女を自分の意のままに操りたいのだろう?
 お前が抱えている愛人達のように支配したいのだろう」
 フンと鼻で笑うジェロームに、ウォルターが強く手を握りしめ、細かく震える。
「聖女よ。こんな男に騙されるなよ。
 こいつはお前を支配して、人形のように操りたいだけだ。
 利用価値がなくなったら、すぐに捨てられるぞ。
 この間の観劇でシュウ役の俳優がいただろう。あれはな、あの後降板させられた。こいつに逆らったからだ」
 次から次へと出てくる話に、探りを入れる所の話ではなくなっていた。
 ジェロームが勝手に喋り、ウォルターを煽り続ける。
「ウォルター様、本当ですか?」
 ヴィンスが驚いた表情でウォルターを見る。
「本当だとも。
 あの俳優、暴行を受けて顔に大きな傷をつけられ治療院にいる。
 もう俳優としては再起不能だろうよ」
「ウォルター様!」
 ヴィンスが叫んだ。
 ウォルターの体が震え、怒りなのか、バラされたことへの焦りなのか、顔が真っ白くなり何も言葉を出せなくなっていた。
「ウォルター様」
 キースが静かに声をかける。
「侯爵様のお話は本当ですか」
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「わ、私は…」
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「……」
 ウォルターの唇が僅かに動き、何かを呟いたが、誰にも聞き取れなかった。
「貴様が!!!」
「ひい!!」
 次の瞬間、ウォルターの体が動き、ジェロームに飛びかかり、ジェロームは短い悲鳴を上げたのを聞いた。
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 それと同様に、ジャニスも瞬時に抜刀し、その長剣がウォルターの首の後ろで寸止めされていた。

 ゴクリと唾を飲み込む。
 1、2秒の出来事に一才身動きが取れず全身が拘束されたかのように固まってしまった。

「ひいぃ!こ、殺される!」
 バタンとジェロームが椅子ごと後ろにひっくり返り、その音が俺の体の硬直を解く。
「ウォルター様…」
 ダミアンもヴィンスも全く動けず、俺と同じように硬直したまま、ウォルターを呼ぶ。
「貴様に、何がわかる。貴様ようなクズに、俺の何がわかる!!!」
 ウォルターが悲鳴のように叫んだ。
「わからんよ。誰にもな」
 いつのまに入って来たのか、オスカーがキースとジャニスに刃を突きつけられたウォルターの両手を掴み、後ろ手に拘束した。
 2人が刃をすぐにしまい、キースは俺を支えるように立たせ、ジャニスはひっくり返ったジェロームを助け起こした。
「ここからは俺たちの管轄だ。
 ダミアン、自警団に連絡を入れてくれ。ヴィンスはこのまま帰宅しろ。ヴァージルにもそう伝えてくれ」
 オスカーが指示を出し、ウォルターに拘束魔法をかける。
 ダミアンは慌てて立ち上がると、足がもつれ転びながら談話室を小走りで出て行った。
「俺はここに残るから、戻ってくれ」
「わかりました。お願いします」
 キースが答え、動揺しまくっている俺の肩を抱くと部屋から連れ出してくれる。
 ジャニスもジェロームを支えつつ歩くが、かなり重たいジェロームに苦痛の表情を浮かべていた。


 談話室を出ると、すでに状況が伝わったのか、執事やメイドがバタバタしている。
「聖女様」
 微かに震える声で、ヴィンスが後ろから声をかけてきた。
「申し訳ございません…。まさか…、あんな…」
 ウォルターの事を信用し切っていたヴィンスが、青白い顔で謝罪してくる。
 ジェロームの言った事が信じられず、だが、ウォルターの行動で真実だとわかり、かつ聖女を支配し利用する目的があったとわかって全身が震えていた。
「ヴィンス様、貴方は悪くありません」
 キースが答える。
「聖女様はショックを受けておいでです。出来ればそっとしておいていただけますか」
「は、はい…。
 本当に…、本当に申し訳ありません…」
 ヴィンスは泣いていた。
 か細いで声で何度も謝罪し、その場に崩れ落ちる。
 それに同情の気持ちが起こるが、そのままヴィンスを置いて玄関へ向かった。



「もう大丈夫。ありがとう」
 玄関でダミアンが何度も何度も頭を下げ見送りをしてくれた後、俺はキースの支えから自立して立つ。
「驚いて動揺しちゃっただけだから」
 実際にそうだった。
 あまりにも急変した事態に思考が停止し、体が硬直してしまっただけで、キースが言ったようにショックを受けたわけではなかった。
「本当に大丈夫ですか?」
 キースが心から心配した目を向けてくる。
「大丈夫大丈夫」
 ニコリと微笑み、キースの肩をポンポンと両手で叩く。
「ショーヘーちゃんなら大丈夫よ。王都に来るまでもいっぱい大変なことあったんだもの。あのくらいは平気よね?」
「ああ、鉄鎖兵団の時に比べれば、あのくらい」
 あははと笑い、キースが苦笑する。
「それ、聞いてないんですけど」
「そうだっけ?今度話すよ」
 すっかり緊張が解けて元に戻り、だが、あの事態に興奮したように気分が高揚していた。
 戦いは男の本能の一つだと聞いたことがあるが、俺もやっぱり男なんだな、としみじみ思う。
「帰りましょう」
「うん」
 馬車に乗ろうとした時、どすどすとジェロームが駆け寄ってくる。
「せ!聖女よ!待ってくれ!」
 ジャニスがシギアーノ家の馬車まで送り届け、乗ったことも確認したのだが、また降りて近づいてきたことに身構えつつ、ハニートラップ用聖女へ意識を切り替える。
「侯爵様」
 ニコリと微笑み、彼がそばに来るのをじっと待った。
 出来れば、何もされたくないが、逃げるのをグッと我慢する。
「こ、これを!これを!受け取ってくれ!」
 どすどすと走りながら、手に小さな紙袋を持っていた。
 そしてはぁはぁと息を切らしながら膝に両手をついて息を整える。
 たった30mほどの距離なのに、そこまで息を切らせるか?と心の中で馬鹿にした。
「聖女に、会った時、渡そうと、思って」
 息が荒いまま紙袋を差し出してきた。
「私に?」
 それを受け取り、わざとものすごく嬉しそうに微笑む。
「聖女よ、災難で、あったな。
 ワシが、いなかったら、あれに、騙され、るところ…、はぁはぁ」
 まだまともに話せないジェロームに呆れる。
「開けても、よろしいですか?」
 どうせならこの場で開けて、中身に大袈裟に喜んでやろうと思った。
「おお、開けよ、開けよ」
 そう言われ、ガサガサと紙袋から包みを取り出すと、包装を取った。
「あ…」
 その出てきた中身に目を丸くし、そして、本当に嬉しくて思い切り笑顔になった。
「ジェローム様、ありがとうございます!」
 名前を呼ばれたことと、頬を染めて満面の笑顔を向けた翔平に驚き、そしてニヤァと笑った。
「そうか、気に入ってくれたか」
 ジェロームが俺の腕に触れる。
「ワシなら望みの物を何でも与えてやれるぞ。ワシにはそれだけの力も金もある」
 ドヤ顔をしながら、俺に近づき、その太い指で俺の頬に触れる。
 今が夜で良かったと思う。
 出なければ、鳥肌が立っている事がバレていただろう。
「聖女よ、其方は美しい」
 そう言いながら、俺を抱きしめてきた。
 奥歯を食いしばり、必死に悲鳴を抑え、手が出そうになるのを堪えた。
 ジェロームの手が背中を撫で、そして尻を撫で回され、揉まれた。
「聖女様、お時間が」
 すかさず、キースが助け舟を出す。
「おお、引き留めてすまなかったな」
「ジェローム様、本当にありがとうございます」
 気持ち悪さで肌の表面がざわついてしまい、手で自分の腕を撫でながら言った。
 その仕草を見て、ジェロームは俺が恥じらっていると勘違いしたらしい。
 鼻息荒くしながら俺の手を取ると、ベチョッと音がしそうな勢いでキスをされ、俯いて顔を見ていないのをいいことに思い切り嫌な顔をしてしまった。



 馬車に乗り込み、必死にクリーン魔法を何度もかける。
「気持ち悪い!気色悪い!」
 クリーンをかけながら何度も触れられた箇所を拭うように擦る。
「何度殺そうと思ったか…」
 キースがふつふつと怒りを露わにする。額にピキピキと青筋が立ち、今にも戻って殺しに行きそうな勢いだった。
「よく我慢出来たわね」
「ほんとそれ。自分で自分を褒めてやりたいよ」
 触られた感触がだいぶ払拭されてだいぶ落ち着くと、ガサガサと貰った物を取り出す。
「何を貰ったの?」
「んー?」
 箱から取り出して、綺麗な青い小箱を取り出す。
「あら可愛い」
「小物入れ、ですか?」
「ああ。こないだのデートでな」
 デートの時欲しいと思ったが、買ってくれると言ったディーを断ったと教えた。
「シェリーも一緒に見てたから、覚えていたんだろうな」
 嬉しそうに小物入れを見つめる。


 帰ったら、ペアピアスをこれに入れて、大切にしまおう。
 そっと小箱を撫で、嬉しそうに笑った。





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