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王都編 〜聖女争奪戦〜
おっさん、緊張する
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カーテンを大きく開けられて朝日がベッドまで届き、その光と人の気配で目が覚めた。
「おはようございます。今日もいい天気ですよ」
キースが空気の入れ替えのために窓を開け、爽やかな涼しい風が意識をはっきりさせた。
「おはようございます」
ベッドから起き立ち上がると大きく伸びをした。
「まずはお顔を」
促されてバスルームへ行き、用意されていたぬるま湯で顔を洗うと、すぐにキースがタオルを差し出してくる。
「ありがとうございます」
「この後すぐに準備が始まりますので、寝夜着のままでご朝食をおとりください」
部屋に戻ると円卓の椅子を引かれて座らされ、すぐに目の前に朝食が並べられた。
「この後の予定ですが、すぐにマーサ様達がいらっしゃいます。
支度が終わりましたら、会場である館に馬車へ移動し、そちらで軽食を取りつつ待機となります」
キースが今日の流れをスラスラと教えてくれる。
これが執事というものなのか、と大企業の社長になったような気分を味わう。
でも…、慣れない。
生まれついての小市民のせいなのか、至れり尽くせりの対応に、逆に恐縮して疲れてしまう。
朝食を済ませ、キースが絶妙なタイミングで美味しいお茶を淹れてくれる。
本当に美味しくて、ほぅと息をつく。
「あのー…、キース」
「はい」
「お願いがあるんだけど…」
「何でしょうか」
キースが食器をトロリーワゴンに片付ける手を止めて向き直る。
「キースが執事で、それが仕事っていうのは理解してるんだけど、2人でいる時はなるべく…、出来れば友人のように接してもらえると…」
「申し訳ありませんが、それは出来ません」
俺のセリフに被せるようにキースが即答した。
「え…」
俺はそれに少しショックを受ける。
「ショーヘイ様は私の主人で、私はお仕えする使用人です。立場が違います」
「それは…わかってる…けど…」
怒られたような気分になって気持ちが凹む。若干悲しくもなった。
「キースは俺がジュノーだって知ってるよな?」
「はい」
「俺は、元の世界でこんな扱いを受けるような生活をしていなかった。
ずっと1人だったし、全部自分でやってた。誰かに何かをしてもらうってことが慣れなくてさ」
どうしてもキースの態度を変えたくて、真剣に話す。
「キースが俺の世話をすることも仕事だっていうのはわかってる。
だけど、俺はそれを望んでない。
それはわかってもらえる?」
「…はい」
キースは表情を変えない。でも、口調が複雑そうだった。
「それでは、ショーヘイ様は私に何を望まれますか?」
「俺が出来ないことのサポートと、わからないことへ助言してもらいたい。
俺の相談役って感じかな。
この世界に来てまだ4ヶ月ちょっとだから、わかってないこともまだまだ多くてさ」
「それでは執事として…」
キースのウサ耳が少し垂れ下がる。その様子から、彼が困っているのがわかる。
「ごめん。キースの仕事に不満があるわけじゃないよ。むしろ完璧すぎて感激してるくらい」
一生懸命キースに語りかける。
「世話をするなって言ってるわけじゃなくて、もう少し砕けた関係になりたいっていうか、もっとフレンドリーに…」
適当な言葉を考えて伝えようとするが、なかなかいい言葉が見つからず悩む。
「少し…考えさせていただけますか?」
キースが俺の言いたいことを理解してくれたようで、返事をもらう。
「考えて、必ず答えを出しますので、お待ちいただけますか?
私もそのように言われたのは初めてでして…」
「ありがとう」
その真面目な返事にニコリと笑う。
昨日初めてキースに出会って、たった1日だが、彼の仕事ぶり、痒いところに手が届くような細かい気配りに感銘を受けた。
仕事としてやっているのはわかるが、彼がこの仕事に真摯に向き合い、誇りを持っているのがよくわかる。
友人になりたい。
出会ってたった1日だが、心からそう思った。
朝食の片付けをしに行ったキースがマーサ達をともなって戻ってくる。
その大所帯に唖然とした。
いつも、俺を聖女へと変身させている3人の女性以外にも、さらに3人の男女が追加され、カートに乗せたたくさんの道具類、さらに、執事が抱えたドレスのような衣装に呆然とした。
「こ、これ着るんですか…?」
どう着たって引きずる長さのローブにただただ唖然とする。
「今日は国民の皆様へのお披露目です。
遠くからも見えるように華やかに致しませんと」
マーサが言いつつ、衣装をラックにかけつつパッパと皺を伸ばす。
「さあさあ、皆さん、始めますよ」
パンパンとマーサが手を叩き、肩を押されてまずはバスルームへ連れて行かれる。
湯浴みから始まり、ヘアメイク、着替えと、たっぷり2時間程かけて聖女への変身が完了する。
聖女になった自分の姿を鏡で見せられ、その出来栄えに怖くなった。自分にではなく、彼女達の腕前にだ。
「すげぇ…」
思わずそう呟いた。
「お美しいですわ…」
女性達が仕上がりに満足そうにうっとりと俺を見るが、はははと乾いた笑いしか出ない。
「出発まであと10分です」
キースが声をかけ、マーサが裾に広がるローブとベールをかき集めるように腕に抱くと、簡単に歩き方を教えてくれた。
ズボンを履いているとはいえ、ロングドレスのようなローブは邪魔になる。
前に進む時は、前の布を蹴り上げるように進むよう言われ、実際に歩いてみると、ボールを蹴りながら歩いているようで思わず笑ってしまった。
「ディーゼル殿下がいらっしゃいました」
ドアの前にいつもの騎士服ではなく、もっと派手にした礼服のような騎士服を着たディーゼルが待っていた。
俺を見て頬を染めながら微笑む。
「綺麗ですよ。ショーヘイさん」
「俺じゃなくて、彼女達の腕前を褒めてやってくれ」
そう言い、差し出された右腕に左手を添える。
だいぶこの形のエスコートにも慣れた。
「では参りましょう、聖女様」
ディーの綺麗な顔で微笑まれ、そのイケメンっぷりに俺も顔を赤くした。
部屋を出て、ゆっくりと歩き始める。
後ろで、長く引きずるローブとベールの裾をキースが持ち、歩くのを手助けしてくれるが、生地が多くてかなり重たく感じた。
こんなものを普段着ているこの世界の貴族女性がすごいと心から思った。
だが、なんとなく自分の姿が結婚式に向かう花嫁のようで、恥ずかしさと勝手に感じる気まずさに苦笑する。
王宮の大階段から降りて、玄関に向かう。
そしてその外には、専属護衛になったロイ、グレイ、オスカー、ジャニス、アビゲイルが騎士の礼服姿で待っていた。
「ショーヘー、可愛い~」
「綺麗よぉ~ショーヘーちゃん」
出てきた俺を見て、ロイとジャニスが声を出す。
見れば、ジャニスとアビゲイルはしっかりと化粧をしており、2人ともいつも以上に綺麗になっていた。
「ジャニスもアビーも綺麗だ」
そう微笑むと、2人が嬉しそうに笑う。
「ショーヘーの晴れ舞台だものね。私たちも気合入るわよ」
アビゲイルが笑い、栗色の緩やかに巻いた長い髪をサラッと払う。
大人っぽい色気のある女性騎士に、本当に美人だと、うっとりした。
「では、いざ出陣」
無精髭を整え、バサバサだった髪を縛ったイケオジのオスカーが馬車のドアを開け手を差し出す。
「戦場に行くみたいだ」
オスカーの言葉に笑いつつ、馬車に乗り込んだ。
王宮から会場になっている広場の館まではたった7、8分程度で到着する。
その館は王族が国民へ姿を見せる時に使われるものだと聞いた。
日本における参賀のようなものか、と脳内で想像しながら、馬車に揺られる。
昨日の資料では、だだっ広いバルコニーの中央に立ち、その後ろに護衛騎士達が並ぶ。俺のすぐ後ろにはロイとディーが立ち、ヒールを使った後、気絶するであろう俺を支える役割を与えられていた。
資料によると、今日広場に集められた怪我人は総勢384人。その内重傷者は10人弱で瀕死の者は1人もいない。
初めてヒールを使った時は300人くらいで瀕死や重傷者が数十人いた。それを治療して2日間寝込んだのだから、人数は増えても、2日も寝込むことはないと思った。
それに大量の魔力を一度に消費することに、体もだいぶ慣れてきている。
おそらく寝込んでも1日くらいかな、と予測はしていた。
館に到着すると馬車を降りる。
すかさずキースが背後に周り、長いローブとベールを抱えて歩き、ディーのエスコートで館に入った。
館っていうか、城だろ、これ。
4階建の立派な洋館に、心の中で呟きつつ、整列した騎士達の間を通って中へ進む。
広場が近いせいで、すでに聖女様、聖女様、という歓声が聞こえてきていた。
その歓声を聞いて、嫌が応にも緊張が高まってくる。
バルコニーがある4階にあがり、すぐ側の控室に入ってすぐにレイブン達もやってきた。
「ショーヘー、今日はよろしく頼む」
王らしい、真紅の豪華なローブに王冠をつけたレイブンが俺に近寄るとギュッと抱きしめてくる。
「父上」
ディーがムッとしてレイブンを睨むと、レイブンは怖い怖いと笑いながら手を離す。
「ケチくさいな。少しくらいいいではないか」
王らしい格好をしていても中身はそのままで、ガハハと豪快に笑った。
「ショーヘー、流れは頭に入ってるか?」
サイファーが俺に尋ね、優秀な執事のおかげで完璧です、と答えると、キースをチラリと見て破顔した。
アランとキースが揃った所を見るのは初めてで、なんとなくアランを見てしまう。
やはり、アランの視線はキースへ向いており、表情は真剣そのものだが、誰かと話しても、時折キースをチラリと見る姿に、ニヤついてしまった。
キースと言えば、アランに見られているにも関わらず、全く気にせず、ソファに座った俺の背後に立ち、微動だにしなかった。
フワフワのピンク色のドレスを着たユリアが俺の隣に座り、和やかに会話する。
ユリアが聖女に変身した俺を見て、何度も綺麗だ綺麗だと言ってくるので、正直ものすごく照れてしまう。
ユリアもすごく可愛いと言うと、頬をピンク色に染めて恥ずかしがる彼女が可愛くて、思い切りデレてしまった。
妹、いいなぁ。可愛いなぁと顔が自然にニヤけてしまい、ロイに顔が変と突っ込まれてしまった。
「時間です」
キースが時計を見て、全員に声をかける。
全員で廊下を進み、バルコニーへ繋がる大きな部屋へ入ると、企画書の通り、ファンファーレが鳴り響き、まずはディーを含めて王族が先にバルコニーへ出て行った。
その瞬間、湧き上がる大歓声にビクッと体をすくませる。
「大丈夫です。ゆっくり深呼吸を」
俺が緊張でカチコチになっているのをほぐすようにキースが話しかけてくれる。
「ショーヘー、チューするか?」
ロイが軽口を叩く。
「しねーよ」
笑いながら答え、レイブンがバルコニーから国民に向かって話す言葉を聞いた。
「愛する我が民たちよ。
伝説と謳われた聖女が我が国に参られた。
数々の伝説あれど、我が国に来られた聖女は人々を癒す力を持つ。
負傷した体に鞭打ち、この場まで来させたことをまずは謝罪する。
だが、聖女のその力は間違いなく皆を癒し回復へと導くであろう」
レイブンの声が拡声器によって広場中に響き渡る。
その声は俺にも届き、どんどんと気分が高揚して行き、比例して緊張も高まり体が震えた。
そんな俺に気付いてロイが俺の手を握ってくれる。
「紹介しよう。
聖女ショーヘイ様だ」
一際大きな大歓声があがり、俺はピークに達した緊張から吐きそうになるのを必死に堪える。
ロイの手にエスコートされながら、ゆっくり足元のローブを前に蹴り出し、絶対に転ばないようにと注意しながら前へ進む。
バルコニーの入口に立ち、俺の姿が見えた観衆からさらに大きな声が上がり、ビクッと体が固まる。
思わずすがるようにロイの手をギュッと握り締めてしまい、ロイが破顔する。
たった数歩の距離なのに、ものすごく長く遠く感じた。
指定された立ち位置に来ると、目の前に広がる大観衆と空気を震わせるような大歓声に目が回って気を失いそうになる。
恥ずかしい。
帰りたい。
逃げたい。
クラクラするような光景に、心の中で何度も呟いた。
「ショーヘー。みんなお前のヒールを待ってる」
ロイが俺を見ず、まっすぐ前を見て語りかけてきた。
その言葉にハッとして、広場の中をよく見ると、その中に包帯を巻いた怪我人が至る所にいるのが見えた。
中には歩けずに、担架に乗せられて運ばれてきた怪我人もいて、俺が今ここにいる理由を思い出す。
ゆっくりと深呼吸する。
2、3度深く吸い込み、ゆっくりと吐き出し、緊張をほぐすと、大観衆に向かって、丁寧にお辞儀した。
そして、深呼吸を繰り返しながら目を閉じる。
治す。
みんなの怪我を、痛みを、消し去り、元の元気な姿へ。
祈りに近い願いを、魔力へ込める。
ギュッと握っていた手を開き、ゆっくり、慎重に魔力を解放していく。
自分を中心に、魔力が広がっていくのを感じる。
柔らかな風が巻き起こり、着ていたローブやベールをはためかせる。
静かに両腕を広げ、胸の高さまで上げたとき、広場を、さらにその先の街中まで包み込む巨大な金色の魔法陣が地面に浮き上がった。
広場のいた人々がその光景に己の周囲を見渡し、大きなざわめきが起こった。
聖女様、聖女様と、口々に言い、その光景に感動し泣いているものもいる。
魔法陣から白い光が湧き上がり、同時に金色の粒がキラキラと舞い上がった。
巨大な光の柱が完成し、翔平は両腕をさらに高く、魔力を持ち上げるように頭上まで上げた。
魔法陣に身体中から魔力がごっそりと持っていかれるのがわかる。
次第に息が上がる。
体の中を抉られるような気持ち悪さも感じ、吐き気をもよおすが必死に耐える。
魔力をコントロールし、放出し続ける。
大丈夫だ。
まだいける。
閉じていた目を開け、天に向かって詠唱した。
ヒール
拡声器も何も使っていないのに、魔法陣の中に俺の言葉が反響する。
その瞬間、さらに発光が強くなり、光の粒が怪我人を優しく包み込む。
怪我をしていない人にも、その粒が触れ、その暖かさを伝えた。
やがて光が弱まり、魔法陣が地面からふわりと浮き上がると、泡が弾けるように霧散し、小さな光の粒だけになると、静かに消えていった。
次の瞬間、大歓声が起こる。
奇跡、聖女様、という言葉が叫ばれ、怪我で動けなかった人が起き上がり、自分を運んできてくれた人と抱き合い、涙する。
両腕を下げ、荒くなった呼吸を整えながら、全員治せたんだろうか、と周囲を見渡す。
そして、全身を襲う疲労感に立っていることがままならなくなり、がっくりと膝を折る。
そんな俺を、ロイとディーが素早く支えてくれた。
下から見上げていた国民が、翔平が崩れ落ちるように倒れるのを目撃し、所々で悲鳴が上がり、不安な声が広がっていく。
「お疲れさん」
ロイが笑顔で優しく声をかける。
ディーがゼーゼーと肩を上下させて呼吸を繰り返す俺の背中をさすり、自分へもたれかけさせ、楽な姿勢をとらせてくれる。
「無事に終わりましたよ」
ディーに微笑まれ、上手くいったと確信することが出来て笑顔になると、静かに目を閉じてそのままディーの腕の中で意識を手放した。
レイブンが意識を失った翔平に近付くと、片膝をついて、ダラリと落ちた手を握る。
「ありがとう」
その目が潤んでいた。
レイブンがディーとロイに目配せすると、ディーが意識のない翔平を抱き上げ、国民にその状態を示す。
国民が抱き上げられた翔平を見てざわめき、心配そうに下から翔平を見上げていた。
レイブンも立ち上がり、再び国民に語りかける。
「民達よ、聖女がここに、この国に参られたことを感謝しよう。
今まさに意識を失うまでヒールを行使し、ここに集まった皆を癒すという奇跡を起こされた。
聖女は、この国に身を捧げてくださると明言し、それを今ここで実行された。
だが、これほどの治癒魔法は頻繁に使用出来ないということも理解してもらいたい。
聖女の魔力は無限ではない。
だが、一度使えば確実に癒しを与える力がある。
聖女がこの国を守ってくださるのであれば、我らも聖女をお守りしようではないか。
聖女の奇跡に感謝を!」
レイブンの言葉を受け止めた国民が一斉に声を上げる。
聖女様!聖女様を守れ!
湧き起こる歓声と感謝の言葉に広場が包まれる中、バルコニーから退場する。
「お見事でございました」
キースが素早く翔平に駆け寄り、眠る翔平に声をかける。
「すぐに王宮へ」
レイブンが言い、ディーが翔平を抱いたまま護衛騎士とともに馬車へ運ぶ。
「すごかったわぁ…」
「本当にね。私、鳥肌立っちゃった」
馬車へ移動する最中、ジャニスとアビゲイルが会話する。
「すげぇだろ、ショーヘーは」
「なんでお前がドヤ顔すんだ」
ロイの言葉にオスカーが突っ込む。
翔平を馬車に乗せるとすぐに王宮へ出発する。
到着した後はロイが部屋まで運び、待ち受けていたマーサ達が手早く衣装を脱がせ、化粧を落とし、クリーンをかけ寝夜着へ着替えさせた。
その間もこんこんと眠り続ける翔平を、全員が優しく見守る。
ベッドへ寝かせ、片付け終わったマーサ達や、オスカー達も退出すると、ロイ、ディー、グレイ、キースだけが部屋に残った。
「本当にお疲れ様でした」
ディーが翔平の額にキスを落とし、優しく頭を撫でる。
ロイも手を取りキスをする。
「愛してるよ、ショーヘー」
「愛してます、ショーヘイさん」
2人がほぼ同時に眠る翔平に呟く。
グレイも微笑みながら翔平を見つめていた。
「キース、今日はもういいぞ。ショーヘーはしばらく目を覚さないしな」
ロイにそう言われるが、思わずここにいたいと、翔平のそばにいたいと思ってしまった。
何故そう思ったのかはわからないが、それを気取られないように口を閉じたまま歯を食い縛る。
「それでは私はこれで失礼致します」
3人に丁寧に頭を下げると部屋を出た。
「キース」
廊下に出てすぐアランに声をかけられる。
「アラン様」
すぐにさっとお辞儀する。
「ショーヘーは?」
「おやすみになっておいでです。ロイ様がしばらく目を覚さないだろうと」
「そうか」
アランがキースに近寄ると、その手を取って歩き始める。
「アラン様」
手を引っ張るアランに抗議しつつも抵抗せずに廊下を進む。
そしてその突き当たり、大きな花瓶に活けられた花の影に隠れるように、キースを壁に押し付け、壁に手をついて自分の体とはさみこむ。
「キース…」
「おやめください」
少し上からアランに見つめられ、その体を押し返そうとするが、鍛えられた体はピクリともしない。
「キース」
アランの顔がキスしようと近付くが、キースは顔を背ける。
だが、アランの唇はキースの頬に触れチュウッとキスを落とした。
「キース」
一度離れたアランが逃げた唇を追って反対側に唇を寄せる。
だが、再び顔を背けられて反対側の頬にキスをした。
「キース」
アランが何度も名を呼ぶ。
そしてアランの手がキースの顎を捉え、今度こそ唇が重なった。
重ねられるだけの長いキスの後、呼吸するために薄く開いたキースの口内にアランの舌が入り込む。
舌を絡め取られ、優しく吸われると、キースの背筋にビリッと電流が走り、小さな白い尻尾がピクピクと揺れた。
キースの腕がアランを抱きしめようと上がるが、途中で動きを止め、ギュッと拳を握るとゆっくりと下ろされた。
「キース、好きだ。愛してる」
アランが何度も口付ける。
「頼む。結婚してくれ」
何十回、何百回言われただろう。
「愛してる、キース」
何度も何度もキスを繰り返し、アランが呟く。
「アラン様…」
キースの顔が一瞬歪むが、すぐに元の表情に戻る。
アランがうっとりとキースを眺め、その手を掴むとグイグイ引っ張り、そのままアランの部屋まで連れて行かれた。
「キース」
そのままベッドに押し倒され、執事服を脱がされる。
「ん」
アランの舌が指がキースを追い上げていく。
キースも一切抵抗はしない。
だが、キースからアランに触れることはない。
アランが与える刺激に反応はする。ペニスは天を向き、その鈴口からはトロトロと蜜をこぼす。だが快感から呼吸も荒くなるが、声は出ない。
「キース、キース…」
指と舌でほぐしたアナルにアランのペニスが飲み込まれても、キースは声を出さず、短い呼吸を繰り返すだけだった。
「愛してる、キース。好きだ。お前が好きだ」
キースを突き上げながら、アランが何度も告白する。
キースは口を結んだまま歯を食い縛る。
アランが中を抉りながら、キースのペニスを扱くと中がうねってアランを締め付けた。
「ん!」
キースの中に欲望を放ち、キースもまた中に感じる熱に射精した。
「キース…キース」
アランが何度も名前を呼ぶ。
だがキースの表情は変わらない。
行為によって頬は紅潮しているが、じっと無表情でアランを見つめるだけだった。
その表情を見たアランの顔が歪む。
「好きだ…愛してる。お願いだ。俺を受け入れてくれ…」
アランの目からポロッと涙が溢れた。
キースが俯いたアランへ手を伸ばして頭に触れようとしたが、その手を止め、ぎゅっと握りしめ、元に戻す。
「避けていただけますか」
自分に乗っているアランへ声をかけ、アランが静かに避けるとベッドから降り、素早く自身へクリーンをかけるとささっと執事服を身に纏う。
「アラン様。私は貴方の好意を受け入れる資格がございません」
「キース!」
アランが顔を上げてその言葉に抗議しようとした時には、もうドアが閉まるところだった。
「キース…」
残されたアランはがっくりと肩を落とす。
何故、どうして、と思考を巡らせる。
だが考えてもわからない。
諦めるものか。
絶対に諦めない。
項垂れたアランがその目に光を宿すまで、さほど時間はかからなかった。
絶対にうんと言わせてやる。
何年、何十年かかっても、必ず。
部屋を出たキースは、そのまま使用人控室には戻らず、まっすぐ使用人官舎の自室へ戻った。
途中、他の使用人達とすれ違い声をかけられる。
皆、翔平のヒールに感動し、専属執事になったキースを羨ましいと言ってきた。
「聖女様はどんな方ですか?」
「やはりお優しいのでしょう?」
口々に普段の翔平ついて聞かれるが、まだお仕えして1日やそこらで、何もわからないと答えるしか出来なかった。
自室のベッドに執事服のまま倒れ込む。
先ほどのアランとの情事の熱がいまだに体に残り、アランが自分を呼ぶ熱を持った声を思い出しゾクゾクとした快感を呼び覚ます。
アランに恋をしている。
アランを愛している。
そんなのとっくの昔に気付いている。
むしろ、恋に落ちたのは自分の方が先だ。
それでも彼の愛に応えることは出来ない。
キースの目から涙が溢れた。
「おはようございます。今日もいい天気ですよ」
キースが空気の入れ替えのために窓を開け、爽やかな涼しい風が意識をはっきりさせた。
「おはようございます」
ベッドから起き立ち上がると大きく伸びをした。
「まずはお顔を」
促されてバスルームへ行き、用意されていたぬるま湯で顔を洗うと、すぐにキースがタオルを差し出してくる。
「ありがとうございます」
「この後すぐに準備が始まりますので、寝夜着のままでご朝食をおとりください」
部屋に戻ると円卓の椅子を引かれて座らされ、すぐに目の前に朝食が並べられた。
「この後の予定ですが、すぐにマーサ様達がいらっしゃいます。
支度が終わりましたら、会場である館に馬車へ移動し、そちらで軽食を取りつつ待機となります」
キースが今日の流れをスラスラと教えてくれる。
これが執事というものなのか、と大企業の社長になったような気分を味わう。
でも…、慣れない。
生まれついての小市民のせいなのか、至れり尽くせりの対応に、逆に恐縮して疲れてしまう。
朝食を済ませ、キースが絶妙なタイミングで美味しいお茶を淹れてくれる。
本当に美味しくて、ほぅと息をつく。
「あのー…、キース」
「はい」
「お願いがあるんだけど…」
「何でしょうか」
キースが食器をトロリーワゴンに片付ける手を止めて向き直る。
「キースが執事で、それが仕事っていうのは理解してるんだけど、2人でいる時はなるべく…、出来れば友人のように接してもらえると…」
「申し訳ありませんが、それは出来ません」
俺のセリフに被せるようにキースが即答した。
「え…」
俺はそれに少しショックを受ける。
「ショーヘイ様は私の主人で、私はお仕えする使用人です。立場が違います」
「それは…わかってる…けど…」
怒られたような気分になって気持ちが凹む。若干悲しくもなった。
「キースは俺がジュノーだって知ってるよな?」
「はい」
「俺は、元の世界でこんな扱いを受けるような生活をしていなかった。
ずっと1人だったし、全部自分でやってた。誰かに何かをしてもらうってことが慣れなくてさ」
どうしてもキースの態度を変えたくて、真剣に話す。
「キースが俺の世話をすることも仕事だっていうのはわかってる。
だけど、俺はそれを望んでない。
それはわかってもらえる?」
「…はい」
キースは表情を変えない。でも、口調が複雑そうだった。
「それでは、ショーヘイ様は私に何を望まれますか?」
「俺が出来ないことのサポートと、わからないことへ助言してもらいたい。
俺の相談役って感じかな。
この世界に来てまだ4ヶ月ちょっとだから、わかってないこともまだまだ多くてさ」
「それでは執事として…」
キースのウサ耳が少し垂れ下がる。その様子から、彼が困っているのがわかる。
「ごめん。キースの仕事に不満があるわけじゃないよ。むしろ完璧すぎて感激してるくらい」
一生懸命キースに語りかける。
「世話をするなって言ってるわけじゃなくて、もう少し砕けた関係になりたいっていうか、もっとフレンドリーに…」
適当な言葉を考えて伝えようとするが、なかなかいい言葉が見つからず悩む。
「少し…考えさせていただけますか?」
キースが俺の言いたいことを理解してくれたようで、返事をもらう。
「考えて、必ず答えを出しますので、お待ちいただけますか?
私もそのように言われたのは初めてでして…」
「ありがとう」
その真面目な返事にニコリと笑う。
昨日初めてキースに出会って、たった1日だが、彼の仕事ぶり、痒いところに手が届くような細かい気配りに感銘を受けた。
仕事としてやっているのはわかるが、彼がこの仕事に真摯に向き合い、誇りを持っているのがよくわかる。
友人になりたい。
出会ってたった1日だが、心からそう思った。
朝食の片付けをしに行ったキースがマーサ達をともなって戻ってくる。
その大所帯に唖然とした。
いつも、俺を聖女へと変身させている3人の女性以外にも、さらに3人の男女が追加され、カートに乗せたたくさんの道具類、さらに、執事が抱えたドレスのような衣装に呆然とした。
「こ、これ着るんですか…?」
どう着たって引きずる長さのローブにただただ唖然とする。
「今日は国民の皆様へのお披露目です。
遠くからも見えるように華やかに致しませんと」
マーサが言いつつ、衣装をラックにかけつつパッパと皺を伸ばす。
「さあさあ、皆さん、始めますよ」
パンパンとマーサが手を叩き、肩を押されてまずはバスルームへ連れて行かれる。
湯浴みから始まり、ヘアメイク、着替えと、たっぷり2時間程かけて聖女への変身が完了する。
聖女になった自分の姿を鏡で見せられ、その出来栄えに怖くなった。自分にではなく、彼女達の腕前にだ。
「すげぇ…」
思わずそう呟いた。
「お美しいですわ…」
女性達が仕上がりに満足そうにうっとりと俺を見るが、はははと乾いた笑いしか出ない。
「出発まであと10分です」
キースが声をかけ、マーサが裾に広がるローブとベールをかき集めるように腕に抱くと、簡単に歩き方を教えてくれた。
ズボンを履いているとはいえ、ロングドレスのようなローブは邪魔になる。
前に進む時は、前の布を蹴り上げるように進むよう言われ、実際に歩いてみると、ボールを蹴りながら歩いているようで思わず笑ってしまった。
「ディーゼル殿下がいらっしゃいました」
ドアの前にいつもの騎士服ではなく、もっと派手にした礼服のような騎士服を着たディーゼルが待っていた。
俺を見て頬を染めながら微笑む。
「綺麗ですよ。ショーヘイさん」
「俺じゃなくて、彼女達の腕前を褒めてやってくれ」
そう言い、差し出された右腕に左手を添える。
だいぶこの形のエスコートにも慣れた。
「では参りましょう、聖女様」
ディーの綺麗な顔で微笑まれ、そのイケメンっぷりに俺も顔を赤くした。
部屋を出て、ゆっくりと歩き始める。
後ろで、長く引きずるローブとベールの裾をキースが持ち、歩くのを手助けしてくれるが、生地が多くてかなり重たく感じた。
こんなものを普段着ているこの世界の貴族女性がすごいと心から思った。
だが、なんとなく自分の姿が結婚式に向かう花嫁のようで、恥ずかしさと勝手に感じる気まずさに苦笑する。
王宮の大階段から降りて、玄関に向かう。
そしてその外には、専属護衛になったロイ、グレイ、オスカー、ジャニス、アビゲイルが騎士の礼服姿で待っていた。
「ショーヘー、可愛い~」
「綺麗よぉ~ショーヘーちゃん」
出てきた俺を見て、ロイとジャニスが声を出す。
見れば、ジャニスとアビゲイルはしっかりと化粧をしており、2人ともいつも以上に綺麗になっていた。
「ジャニスもアビーも綺麗だ」
そう微笑むと、2人が嬉しそうに笑う。
「ショーヘーの晴れ舞台だものね。私たちも気合入るわよ」
アビゲイルが笑い、栗色の緩やかに巻いた長い髪をサラッと払う。
大人っぽい色気のある女性騎士に、本当に美人だと、うっとりした。
「では、いざ出陣」
無精髭を整え、バサバサだった髪を縛ったイケオジのオスカーが馬車のドアを開け手を差し出す。
「戦場に行くみたいだ」
オスカーの言葉に笑いつつ、馬車に乗り込んだ。
王宮から会場になっている広場の館まではたった7、8分程度で到着する。
その館は王族が国民へ姿を見せる時に使われるものだと聞いた。
日本における参賀のようなものか、と脳内で想像しながら、馬車に揺られる。
昨日の資料では、だだっ広いバルコニーの中央に立ち、その後ろに護衛騎士達が並ぶ。俺のすぐ後ろにはロイとディーが立ち、ヒールを使った後、気絶するであろう俺を支える役割を与えられていた。
資料によると、今日広場に集められた怪我人は総勢384人。その内重傷者は10人弱で瀕死の者は1人もいない。
初めてヒールを使った時は300人くらいで瀕死や重傷者が数十人いた。それを治療して2日間寝込んだのだから、人数は増えても、2日も寝込むことはないと思った。
それに大量の魔力を一度に消費することに、体もだいぶ慣れてきている。
おそらく寝込んでも1日くらいかな、と予測はしていた。
館に到着すると馬車を降りる。
すかさずキースが背後に周り、長いローブとベールを抱えて歩き、ディーのエスコートで館に入った。
館っていうか、城だろ、これ。
4階建の立派な洋館に、心の中で呟きつつ、整列した騎士達の間を通って中へ進む。
広場が近いせいで、すでに聖女様、聖女様、という歓声が聞こえてきていた。
その歓声を聞いて、嫌が応にも緊張が高まってくる。
バルコニーがある4階にあがり、すぐ側の控室に入ってすぐにレイブン達もやってきた。
「ショーヘー、今日はよろしく頼む」
王らしい、真紅の豪華なローブに王冠をつけたレイブンが俺に近寄るとギュッと抱きしめてくる。
「父上」
ディーがムッとしてレイブンを睨むと、レイブンは怖い怖いと笑いながら手を離す。
「ケチくさいな。少しくらいいいではないか」
王らしい格好をしていても中身はそのままで、ガハハと豪快に笑った。
「ショーヘー、流れは頭に入ってるか?」
サイファーが俺に尋ね、優秀な執事のおかげで完璧です、と答えると、キースをチラリと見て破顔した。
アランとキースが揃った所を見るのは初めてで、なんとなくアランを見てしまう。
やはり、アランの視線はキースへ向いており、表情は真剣そのものだが、誰かと話しても、時折キースをチラリと見る姿に、ニヤついてしまった。
キースと言えば、アランに見られているにも関わらず、全く気にせず、ソファに座った俺の背後に立ち、微動だにしなかった。
フワフワのピンク色のドレスを着たユリアが俺の隣に座り、和やかに会話する。
ユリアが聖女に変身した俺を見て、何度も綺麗だ綺麗だと言ってくるので、正直ものすごく照れてしまう。
ユリアもすごく可愛いと言うと、頬をピンク色に染めて恥ずかしがる彼女が可愛くて、思い切りデレてしまった。
妹、いいなぁ。可愛いなぁと顔が自然にニヤけてしまい、ロイに顔が変と突っ込まれてしまった。
「時間です」
キースが時計を見て、全員に声をかける。
全員で廊下を進み、バルコニーへ繋がる大きな部屋へ入ると、企画書の通り、ファンファーレが鳴り響き、まずはディーを含めて王族が先にバルコニーへ出て行った。
その瞬間、湧き上がる大歓声にビクッと体をすくませる。
「大丈夫です。ゆっくり深呼吸を」
俺が緊張でカチコチになっているのをほぐすようにキースが話しかけてくれる。
「ショーヘー、チューするか?」
ロイが軽口を叩く。
「しねーよ」
笑いながら答え、レイブンがバルコニーから国民に向かって話す言葉を聞いた。
「愛する我が民たちよ。
伝説と謳われた聖女が我が国に参られた。
数々の伝説あれど、我が国に来られた聖女は人々を癒す力を持つ。
負傷した体に鞭打ち、この場まで来させたことをまずは謝罪する。
だが、聖女のその力は間違いなく皆を癒し回復へと導くであろう」
レイブンの声が拡声器によって広場中に響き渡る。
その声は俺にも届き、どんどんと気分が高揚して行き、比例して緊張も高まり体が震えた。
そんな俺に気付いてロイが俺の手を握ってくれる。
「紹介しよう。
聖女ショーヘイ様だ」
一際大きな大歓声があがり、俺はピークに達した緊張から吐きそうになるのを必死に堪える。
ロイの手にエスコートされながら、ゆっくり足元のローブを前に蹴り出し、絶対に転ばないようにと注意しながら前へ進む。
バルコニーの入口に立ち、俺の姿が見えた観衆からさらに大きな声が上がり、ビクッと体が固まる。
思わずすがるようにロイの手をギュッと握り締めてしまい、ロイが破顔する。
たった数歩の距離なのに、ものすごく長く遠く感じた。
指定された立ち位置に来ると、目の前に広がる大観衆と空気を震わせるような大歓声に目が回って気を失いそうになる。
恥ずかしい。
帰りたい。
逃げたい。
クラクラするような光景に、心の中で何度も呟いた。
「ショーヘー。みんなお前のヒールを待ってる」
ロイが俺を見ず、まっすぐ前を見て語りかけてきた。
その言葉にハッとして、広場の中をよく見ると、その中に包帯を巻いた怪我人が至る所にいるのが見えた。
中には歩けずに、担架に乗せられて運ばれてきた怪我人もいて、俺が今ここにいる理由を思い出す。
ゆっくりと深呼吸する。
2、3度深く吸い込み、ゆっくりと吐き出し、緊張をほぐすと、大観衆に向かって、丁寧にお辞儀した。
そして、深呼吸を繰り返しながら目を閉じる。
治す。
みんなの怪我を、痛みを、消し去り、元の元気な姿へ。
祈りに近い願いを、魔力へ込める。
ギュッと握っていた手を開き、ゆっくり、慎重に魔力を解放していく。
自分を中心に、魔力が広がっていくのを感じる。
柔らかな風が巻き起こり、着ていたローブやベールをはためかせる。
静かに両腕を広げ、胸の高さまで上げたとき、広場を、さらにその先の街中まで包み込む巨大な金色の魔法陣が地面に浮き上がった。
広場のいた人々がその光景に己の周囲を見渡し、大きなざわめきが起こった。
聖女様、聖女様と、口々に言い、その光景に感動し泣いているものもいる。
魔法陣から白い光が湧き上がり、同時に金色の粒がキラキラと舞い上がった。
巨大な光の柱が完成し、翔平は両腕をさらに高く、魔力を持ち上げるように頭上まで上げた。
魔法陣に身体中から魔力がごっそりと持っていかれるのがわかる。
次第に息が上がる。
体の中を抉られるような気持ち悪さも感じ、吐き気をもよおすが必死に耐える。
魔力をコントロールし、放出し続ける。
大丈夫だ。
まだいける。
閉じていた目を開け、天に向かって詠唱した。
ヒール
拡声器も何も使っていないのに、魔法陣の中に俺の言葉が反響する。
その瞬間、さらに発光が強くなり、光の粒が怪我人を優しく包み込む。
怪我をしていない人にも、その粒が触れ、その暖かさを伝えた。
やがて光が弱まり、魔法陣が地面からふわりと浮き上がると、泡が弾けるように霧散し、小さな光の粒だけになると、静かに消えていった。
次の瞬間、大歓声が起こる。
奇跡、聖女様、という言葉が叫ばれ、怪我で動けなかった人が起き上がり、自分を運んできてくれた人と抱き合い、涙する。
両腕を下げ、荒くなった呼吸を整えながら、全員治せたんだろうか、と周囲を見渡す。
そして、全身を襲う疲労感に立っていることがままならなくなり、がっくりと膝を折る。
そんな俺を、ロイとディーが素早く支えてくれた。
下から見上げていた国民が、翔平が崩れ落ちるように倒れるのを目撃し、所々で悲鳴が上がり、不安な声が広がっていく。
「お疲れさん」
ロイが笑顔で優しく声をかける。
ディーがゼーゼーと肩を上下させて呼吸を繰り返す俺の背中をさすり、自分へもたれかけさせ、楽な姿勢をとらせてくれる。
「無事に終わりましたよ」
ディーに微笑まれ、上手くいったと確信することが出来て笑顔になると、静かに目を閉じてそのままディーの腕の中で意識を手放した。
レイブンが意識を失った翔平に近付くと、片膝をついて、ダラリと落ちた手を握る。
「ありがとう」
その目が潤んでいた。
レイブンがディーとロイに目配せすると、ディーが意識のない翔平を抱き上げ、国民にその状態を示す。
国民が抱き上げられた翔平を見てざわめき、心配そうに下から翔平を見上げていた。
レイブンも立ち上がり、再び国民に語りかける。
「民達よ、聖女がここに、この国に参られたことを感謝しよう。
今まさに意識を失うまでヒールを行使し、ここに集まった皆を癒すという奇跡を起こされた。
聖女は、この国に身を捧げてくださると明言し、それを今ここで実行された。
だが、これほどの治癒魔法は頻繁に使用出来ないということも理解してもらいたい。
聖女の魔力は無限ではない。
だが、一度使えば確実に癒しを与える力がある。
聖女がこの国を守ってくださるのであれば、我らも聖女をお守りしようではないか。
聖女の奇跡に感謝を!」
レイブンの言葉を受け止めた国民が一斉に声を上げる。
聖女様!聖女様を守れ!
湧き起こる歓声と感謝の言葉に広場が包まれる中、バルコニーから退場する。
「お見事でございました」
キースが素早く翔平に駆け寄り、眠る翔平に声をかける。
「すぐに王宮へ」
レイブンが言い、ディーが翔平を抱いたまま護衛騎士とともに馬車へ運ぶ。
「すごかったわぁ…」
「本当にね。私、鳥肌立っちゃった」
馬車へ移動する最中、ジャニスとアビゲイルが会話する。
「すげぇだろ、ショーヘーは」
「なんでお前がドヤ顔すんだ」
ロイの言葉にオスカーが突っ込む。
翔平を馬車に乗せるとすぐに王宮へ出発する。
到着した後はロイが部屋まで運び、待ち受けていたマーサ達が手早く衣装を脱がせ、化粧を落とし、クリーンをかけ寝夜着へ着替えさせた。
その間もこんこんと眠り続ける翔平を、全員が優しく見守る。
ベッドへ寝かせ、片付け終わったマーサ達や、オスカー達も退出すると、ロイ、ディー、グレイ、キースだけが部屋に残った。
「本当にお疲れ様でした」
ディーが翔平の額にキスを落とし、優しく頭を撫でる。
ロイも手を取りキスをする。
「愛してるよ、ショーヘー」
「愛してます、ショーヘイさん」
2人がほぼ同時に眠る翔平に呟く。
グレイも微笑みながら翔平を見つめていた。
「キース、今日はもういいぞ。ショーヘーはしばらく目を覚さないしな」
ロイにそう言われるが、思わずここにいたいと、翔平のそばにいたいと思ってしまった。
何故そう思ったのかはわからないが、それを気取られないように口を閉じたまま歯を食い縛る。
「それでは私はこれで失礼致します」
3人に丁寧に頭を下げると部屋を出た。
「キース」
廊下に出てすぐアランに声をかけられる。
「アラン様」
すぐにさっとお辞儀する。
「ショーヘーは?」
「おやすみになっておいでです。ロイ様がしばらく目を覚さないだろうと」
「そうか」
アランがキースに近寄ると、その手を取って歩き始める。
「アラン様」
手を引っ張るアランに抗議しつつも抵抗せずに廊下を進む。
そしてその突き当たり、大きな花瓶に活けられた花の影に隠れるように、キースを壁に押し付け、壁に手をついて自分の体とはさみこむ。
「キース…」
「おやめください」
少し上からアランに見つめられ、その体を押し返そうとするが、鍛えられた体はピクリともしない。
「キース」
アランの顔がキスしようと近付くが、キースは顔を背ける。
だが、アランの唇はキースの頬に触れチュウッとキスを落とした。
「キース」
一度離れたアランが逃げた唇を追って反対側に唇を寄せる。
だが、再び顔を背けられて反対側の頬にキスをした。
「キース」
アランが何度も名を呼ぶ。
そしてアランの手がキースの顎を捉え、今度こそ唇が重なった。
重ねられるだけの長いキスの後、呼吸するために薄く開いたキースの口内にアランの舌が入り込む。
舌を絡め取られ、優しく吸われると、キースの背筋にビリッと電流が走り、小さな白い尻尾がピクピクと揺れた。
キースの腕がアランを抱きしめようと上がるが、途中で動きを止め、ギュッと拳を握るとゆっくりと下ろされた。
「キース、好きだ。愛してる」
アランが何度も口付ける。
「頼む。結婚してくれ」
何十回、何百回言われただろう。
「愛してる、キース」
何度も何度もキスを繰り返し、アランが呟く。
「アラン様…」
キースの顔が一瞬歪むが、すぐに元の表情に戻る。
アランがうっとりとキースを眺め、その手を掴むとグイグイ引っ張り、そのままアランの部屋まで連れて行かれた。
「キース」
そのままベッドに押し倒され、執事服を脱がされる。
「ん」
アランの舌が指がキースを追い上げていく。
キースも一切抵抗はしない。
だが、キースからアランに触れることはない。
アランが与える刺激に反応はする。ペニスは天を向き、その鈴口からはトロトロと蜜をこぼす。だが快感から呼吸も荒くなるが、声は出ない。
「キース、キース…」
指と舌でほぐしたアナルにアランのペニスが飲み込まれても、キースは声を出さず、短い呼吸を繰り返すだけだった。
「愛してる、キース。好きだ。お前が好きだ」
キースを突き上げながら、アランが何度も告白する。
キースは口を結んだまま歯を食い縛る。
アランが中を抉りながら、キースのペニスを扱くと中がうねってアランを締め付けた。
「ん!」
キースの中に欲望を放ち、キースもまた中に感じる熱に射精した。
「キース…キース」
アランが何度も名前を呼ぶ。
だがキースの表情は変わらない。
行為によって頬は紅潮しているが、じっと無表情でアランを見つめるだけだった。
その表情を見たアランの顔が歪む。
「好きだ…愛してる。お願いだ。俺を受け入れてくれ…」
アランの目からポロッと涙が溢れた。
キースが俯いたアランへ手を伸ばして頭に触れようとしたが、その手を止め、ぎゅっと握りしめ、元に戻す。
「避けていただけますか」
自分に乗っているアランへ声をかけ、アランが静かに避けるとベッドから降り、素早く自身へクリーンをかけるとささっと執事服を身に纏う。
「アラン様。私は貴方の好意を受け入れる資格がございません」
「キース!」
アランが顔を上げてその言葉に抗議しようとした時には、もうドアが閉まるところだった。
「キース…」
残されたアランはがっくりと肩を落とす。
何故、どうして、と思考を巡らせる。
だが考えてもわからない。
諦めるものか。
絶対に諦めない。
項垂れたアランがその目に光を宿すまで、さほど時間はかからなかった。
絶対にうんと言わせてやる。
何年、何十年かかっても、必ず。
部屋を出たキースは、そのまま使用人控室には戻らず、まっすぐ使用人官舎の自室へ戻った。
途中、他の使用人達とすれ違い声をかけられる。
皆、翔平のヒールに感動し、専属執事になったキースを羨ましいと言ってきた。
「聖女様はどんな方ですか?」
「やはりお優しいのでしょう?」
口々に普段の翔平ついて聞かれるが、まだお仕えして1日やそこらで、何もわからないと答えるしか出来なかった。
自室のベッドに執事服のまま倒れ込む。
先ほどのアランとの情事の熱がいまだに体に残り、アランが自分を呼ぶ熱を持った声を思い出しゾクゾクとした快感を呼び覚ます。
アランに恋をしている。
アランを愛している。
そんなのとっくの昔に気付いている。
むしろ、恋に落ちたのは自分の方が先だ。
それでも彼の愛に応えることは出来ない。
キースの目から涙が溢れた。
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