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王都への旅路 〜イグリットお家騒動〜
40.おっさん、出陣する
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一通り、明日の最終確認をした後、明日に備えて早々に各自部屋に戻った。
当初の予定通り、領主交代の手続きをする。それに合わせてデニスが待ったをかけてくるはずだが、果たして上手くいくだろうか。
最後に聞いた執事の呟きが、デニスがまんまと偽情報を信じ込んでいると、教えてくれた。
デニスがジュリアの狂言をネタに断罪してくるのは、まず間違いないと言えるだろう。
タイミングも予測した通りになる可能性は高い。
だが、デニスの動きよりも、どうしてもベネットの挙動が気になる。
自分達よりも先に領主に会っていたことがどうしても気になっていた。
高位貴族の立場であり続けるには、それ相応の根回しや立ち回りは必要なんだろう。
先に領主に会っていたなら、確実に何か根回しをしたはずだ。それが何か。ずっと考えていた。
自分がベネットの立場なら、と考えても、それは全くの無意味だ。環境も立場も違いすぎる。
ならどう考えるべきか。
うーん…と考え込んで、ゴロゴロとベットの上で転がりまくる。
「まぁだ何か考えてんのか?」
「まあね。腹黒狐がどうしても気になる」
「それなー」
ロイが自分の横に寝転んできた。
「あんまり考えると禿げるぞ」
そう言われて、禿げるかよ、と両手を投げ出しバフッとうつ伏せになって脱力した。
ロイがそんな自分をヨイショと抱え上げ、いつもと逆の、自分がロイの上に重なった体勢になった。
ロイの胸に頭を預けて、んーとまだ考える。
「それにしても、嬢ちゃんの親父、無茶苦茶腹立つな」
「それな」
あの無気力さは何なんだ。
娘が会いに来たというのに、シッシと追い払う仕草や、話をしている最中に欠伸をするなんて、いい大人のする態度じゃない。
「能無しとは良く言ったもんだ。あれでよく今までこの領地が潰れなかったもんだ」
「そーだな…」
と、頭の中で小さく警鐘がなった気がした。
領主アーノルド。
能無し。
隣にいたベネット。
頭の中でぐるぐると見た記憶が反復される。
もしかしたら、最初から間違っていたかも。
というか、思い込み過ぎたかも。
頭に浮かんだ考えに、さらにぐるぐると悩む。
「大丈夫か?」
ピクリとも動かなくなった自分に、ロイが頭を撫でてから上を向かされた。
「ん、大丈夫」
頭の中の考えを話そうかどうか迷った。
もう時間がない。これでまた余計な憶測を取り入れたら、現在進行形の筋書きが大幅に狂う。
あれもこれも対処することなんて出来ない。ましてやただの憶測。正解かどうかもかなり怪しいことを話して、みんなを惑わせるわけにもいかない。
「何とかなるって」
キュッと抱きしめられる。
「ああ、何とかなるよな」
目を閉じて、ロイの鼓動を聞く。
ロイの呼吸に合わせて、ゆっくりと上下に揺れる胸の上で、ゆりかごのような心地よさと暖かさに、静かに眠りに落ちた。
次の日、早めに起きて準備をする。
ロイ、ディー、グレイが同じ黒の騎士服を纏い、自分は真っ白な無駄に生地が余っている、修道女のような服を着る。ジュリアは自警団のものだろう、深緑の騎士服だった。
「聖女様、お綺麗です」
ジュリアが、おそらく心から誉めてくれているんだろう、ニコニコしながら言ってくる。
出来れば騎士服が着たいです。俺もかっこいいと言われたい。
そう思いつつ、とほほ、と微妙な笑顔を作った。
馬車で領主の館に向かう。
馬車の中でベールを被り、いざ戦闘準備万端となった。
領主の館に到着すると、予測した通り、自分たちの馬車以外がすでに何両も館前に停められていた。
その周囲に従者であろう人たちがたくさんいる。
「予想通り、デニスも準備してきましたね」
ディーがフフンと不敵に笑う。停留してある馬車にある家紋を見て、その名前を次々に上げていく。
「王都からもベネットの取り巻きが来ているようです。ここまでの移動距離を考えると、領主交代ありきの脱獄だったってことですね」
王都からここまで馬車で2週間。転移魔法陣が使えないので、全員がわざわざ馬車移動してきたことがわかる。デニスが脱獄をする前に、すでに王都を出立していたということだ。
ロイが馬から降りると、その立ち姿に他家の従者達がぼーっとロイを見た。頬を染めている者までいる。
確かにマントをはためかせて凛々しい表情をしているロイの姿は誰が見てもカッコいい。それは恋人の贔屓目ではないはずだ。
ロイにエスコートされて馬車を降りると、
「聖女様…」
という呟きが、あちこちから聞こえた。
「参りましょう」
ジュリアとその部下4名が前を歩き、その後に自分が、そして後ろにはマントをはためかせて3人が歩く。
それを見た従者達がざわめき、視線を送ってきた。
執事が無表情で出迎え、そして昨日の大広間へ案内された。
その扉が開かれる。
さあ、茶番の始まりだ。
緊張に、アドレナリンが出まくって、興奮状態になっていく自分を抑えた。
大広間は、中央の赤い絨毯を挟んで左右に大勢の来客が詰めかけていた。貴族や正装を身にまとった商人の重役達が集まっている。
ほぼデニス側の賛同者ではあるが、その中には、少数ではあるがジュリア側の賛同者もいる。
カーライドで打ち合わせをした後すぐに、ジュリアが賛同者へ書簡を送り、間に合ったものがこの場所へ駆けつけたのだ。
それでもデニス側から比べれば1割にも満たない。
ザワザワと小声で「聖女」という単語が聞こえてくる。
ベールの中で視線を動かして、人数やその姿を確認する。
ざっと7、80人。だが、ほとんどが貴族達の伴侶やその側近であることが、装いや立ち振舞いからわかる。本当に昔のヨーロッパ社交界のようなドレスといった衣装に思わずフンと鼻で笑った。
実際の賛同者達は20人といったところだろう。
赤い絨毯を進み、昨日と同じように椅子にだらしなく座っている領主の前に来ると一礼する。
「お前はバカなのか」
領主の隣にふんぞり返っているデニスが、挨拶もそこそこにジュリアに向かって罵倒した。
「このような場を設けて、全く立場をわきまえておらん。これだから騎士もどきは」
「謹んで申し上げます。
この度、こちらの聖女様がカミロ村でのモンスターブレイクを打ち破り、お救いくださいました」
デニスのセリフに思い切り被せてジュリアが大きく通る声で話始める。
「その際に負傷した村の者数百名を癒し、さらにはカーライドにおいても、100名余りの怪我人を、ただ一度の治癒魔法で癒されました」
「それは聞いた」
領主が面倒くさそうに顔を顰める。
周囲からボソボソと囁き合う言葉が聞こえてくる。
「我が領地は、ご存じの通り治癒師もポーションの数も足りず、領民達が怪我に苦しんでいる状況下にあります。
私は聖女様にお願いをし、説得を重ね、我が領地に留まり、守護者としてお守りいただく約束を致しました」
周囲のザワメキが大きくなる。
「それがどうした。領民が怪我をしようが、それはただの自業自得ではないか。何を訳のわからんことを」
デニスが唾を撒き散らして反論する。
「伝説の聖女様が我が領に降臨されたことは、まさに暁光にございます」
「で、何か褒美をと言うのだろう?何が欲しいのか」
早く話を終わらせたいのか、苛立ちを隠さない声で言う。
「その座を譲っていただきたい」
ジュリアの声にざわめきが大きくなる。
「は!お前バカか」
デニスが声を張り上げる。
「聖女様は、私の考えに賛同してくださった。私がこの地を治めるのであれば、守護者になろうとおっしゃってくださったのです」
デニスが、プルプルと震えて真っ赤なっている。
「ジュリア嬢、それは少し傲慢ではないか」
左の群衆の中から、静かにベネットが前に出る。
「聖女を味方につけたから領主の座を寄越せとは…あまりにも早計ではないかね?」
「そ、そうだ!騎士もどきのお前に領主が務まるか!」
デニスがベネットの尻馬に乗ってくる。
「少なくとも、私は父のように領民を無視したり、兄のように立場を利用して領民に危害を加えるようなことは致しません」
はっきりと父と兄を批判した。
「な、何を言うか!私がいつ危害を」
「領民を脅し、金品を巻き上げ、妙齢の男女を襲い、楯突けば投獄、死罪。全部貴方がやってきたことではありませんか。だから貴方は逮捕され、収監された。一体どうやって脱獄したのか」
スラスラと悪事を並べ立てる。そして、この群衆の中の誰かがデニスを脱獄させたと暗に言い放ち、ジロッと周囲を見渡した。
そのジュリアの視線に誰か彼もが目を逸らした。
デニスがさらに顔を真っ赤にする。
「貴様が私のやる事に口を挟むな!
あいつらは次期領主の私の命令に背いたのだ!領主命令に背くのは死罪に値して当然だろうが!!」
まだ領主ではないのに領主命令も何もあったものじゃない。
あまりにも稚拙で浅はかな思考に脱力さえ覚える。
「さらに父上はそんな兄の犯罪を知っても全て無視した。領民を守るべき領主にとってあるまじき行為だ」
さらに領主をも断罪する。
「ジュリア嬢、勘違いしてもらっては困るよ。我々が守るべきは領民ではなく領地だ。領民はただそこに間借りしているだけにすぎんよ」
ベネットが鼻で笑う。
とんだ賎民思考だ。
「まあ、デニス君は少しやんちゃをし過ぎたかもしれんがね」
人に危害を加え、あまつさえ死に追い込むことのどこが少しのやんちゃなのか。
「まあだからこそ、私が後見人となってデニス君を放免したのだがね」
ベネットが自らデニスを脱獄させたと白状する。
「それこそ貴方には関係のない話だ。他領の問題に口を挟まないでいただきたい」
ジュリアはそうベネットに言い放つ。
「デニス君には少し領主としての自覚が足りない。だからこそアーノルドに頼まれて彼を預かるのだ」
「そうだ!私には何の落ち度もない。これからベネット卿の元…で…え?」
デニスが尻馬に乗ろうとしたが、セリフの途中で自分の立場の変化に気付いたようだ。
「私はね、ジュリア嬢」
ベネットがさらに目に出る。
「今のデニス君には領主は無理だと思っているよ。勿論、君にもね」
そうニッコリと笑う。
そう来たか。
黙って話を聞いていて、ベネットの言葉に口角を上げた。
昨日、1人で考え至ったベネットの企み。
ベネットは、今回の領主交代におけるお家騒動を利用して、完全にイグリット領を手中に納める気でいる、と考えた。
ジュリアもデニスも領主にはまだ早い、若すぎる、こんな騒動を起こすほどイグリット家は問題がある、そういうことを表向きの理由にして取り込むつもりだと。
ただ、結末だけはどうしても思いつかなかった。
どちらへも領主交代はさせない。
じゃあそのまま現領主を続行させるのか。
それだと今までと変わらない。
そして、ベネットの口から答えが出た。
次期領主であるデニスを教育するという名目で後見人の座を手にした。
今すぐではないが、早い段階でデニスはアーノルドの次の傀儡として送り込まれるだろう。アーノルドとデニスの共通点は「能無し」だ。傀儡にするにはちょうどいい。
昨日、自分たちよりも早く領主と面会し、根回ししていたのはこれだったんだ、と正解がわかってフンと笑った。
「糞ジジィが」
誰にも聞こえない声で呟く。
さてどう動こうか。
体が緊張で強張る。
みんなにはこの話はしていない。
でも、朝出発前に3人には約束を取り付けた。
ジュリアが馬車の最終チェックをしている間に、3人に話をした。
「お願いがある」
真剣な顔でそう言いと、状況が状況だけに、みんな真剣に聞いてくれた。
「屋敷に行ったら、俺が合図するまで、絶対に動かないで欲しい」
「何だそれ」
「多分、というか確実に俺はデニスに暴行を受ける」
「それで動くなっていうのか」
「ああ、素振りくらいはしてもいいけど助けるな。絶対にこれは守って欲しい」
「無理だな。ショーヘーが殴られるのを黙って見てろって言うのか。俺たちは護衛だぞ」
怒り口調で言われる。
「ロイ。ジュリアさんが領主になるためだ。我慢してくれ」
「何か考えがあるんですね」
相変わらずディーは察してくれる。その言葉に頷いた。
「もし約束を破ったら、俺はこの旅をやめる。王都へも行かない。ジュノーであることを隠して、どこかでひっそりと暮らすよ」
自分の言葉にロイが言葉を詰まらせる。
「耐えろって言うのか」
「耐えてくれ、ロイ。怪我をしても自分ですぐに治すから。大丈夫」
ロイがグゥっと歯を食い縛る。
「もし…もしも…お前が致命傷を負うようなことがあったら、俺はきっと…」
暴れ狂う。
最後まで言わなくても言いたいことはわかった。
「あのクソデブにそんなこと出来ると思うか?」
その自分の言葉にディーとグレイが苦笑する。
「いいか、約束したからな。ただ、合図したら思いっきり暴れていいから」
そう言ってニッコリと笑った。
自分達が計画していた筋書きが少しだけズレてしまっている。まずは、それを元の軌道に戻さなければ。さてどうしようと考え始めた。
「ベネット卿!話が違うではないか!」
「何がだね?私は君を領主するとは一言も言っていない。ただ後見人になると言っただけだ」
「それは私を領主にする後押しをしてくれるということではないのか!?
今ここで領主交代を!」
デニスがパニックを起こして、ベネットの元へ駆け寄る。
「さっきも言ったが、お前はまだ領主の器ではない」
傀儡の器の間違いじゃねーのか、と心の中で突っ込む。
言われたデニスは、自分の思惑が完全に打ち砕かれた怒りにワナワナと体を震わせた。
「全部…」
ボソリと呟く。
「全部お前が余計なことをするからだ!」
その瞬間、自分の妹であるジュリアに向かって殴りかかってくる。
おそらくは、そんなヘナチョコパンチ、ジュリアならすぐにかわせるだろう。かわすどころか返り討ちにすると思う。
でも、自分にとってはナイスタイミングだった。
ガツッと鈍い音が響く。
デニスが殴りかかると同時に、自分は自警団の4人を押し抜けて、ジュリアを突き飛ばしてデニスの拳を頭に受けた。
さすがオークの血を引くだけある。
まるで鍛えていない拳でも、結構頭に衝撃があった。
しかもその指にじゃらじゃらとつけていた指輪が自分の額に傷をつける。
ロイが思わず飛び出そうとしたが、ディーがサッと腕を真横に伸ばして制した。ゆっくりと首を振って、ロイに我慢しろと目で訴える。
「お痛がすぎませんか、デニス様」
ボタボタと血が落ち、真っ白いベールと服を赤く染めていく。
「聖女様!」
突き飛ばされて転んだジュリアが叫んで、怒りで長剣に手をかけたジュリアに、右手を向けてその動きを制した。
「は!?聖女!?」
デニスがベールを掴むと、バッと取り払う。そして、額から血を流す自分の顔を見て一瞬ギョッとしたが、怯むことはなくさらに罵ってきた。
「貴様が聖女なら俺は神だ!
たかだかヒールを使えるだけで、そこのあばずれに利用された偽物のくせに!」
デニスの言葉に周囲がざわめくが、その中の数人は口角上げて薄ら笑っていた。
自警団がジュリアを助け起こし、自分を守ろうと前に出ようとしたが、それも必要ないと自分から止めた。
「偽物?」
静かにデニスに尋ねる。
「ああ、そうだ。お前はそこの騎士もどきがでっち上げた偽聖女だろうが!!」
その言葉を黙って聞き、左手で切れた額に手をかざすと、一瞬で傷を消し去る。
ヒールという詠唱もなく、一瞬で治癒した自分にデニスがほんの少しだけ狼狽えた。
「お、お前達!!」
デニスが叫ぶ。
すると、大広間の壁の方で待機していた私兵が自分を達を取り囲み、剣を抜いた。
「聖女の名を騙る不届きものめ!私がその正体を暴いてやるわ!!」
少し首を傾げ、冷めた目でデニスを見る。そして、その視線をベネットに向けた。
「ベネット卿も私を偽物だとお思いですか?」
静かにそう尋ねる。
「さあ、どうだろうね。それは私には関係のないことだよ。偽物だという情報は入っているがね」
ベネットがバカにするような口調で言う。だが、本物だとも偽物だとも明言はしなかった。
聖女に関しては、自分は蚊帳の外だというつもりなんだろう。
ここで思惑が外れたことに残念に思う。ベネットも自分を偽物だと断罪してくれれば、ベネットにも何かしらの報復が出来たのに。
狸め、あ、狐か。
と心の中で呟く。
「私が偽物なら、デニス様はどうするおつもりですか?」
うっすらと微笑みながら聞いた。
「捕えるに決まっておろう。この領地において、領民はいざ知らず、貴族である私を謀ろうとしたのだからな!」
唾を飛ばしながらそう言い、その後、嫌な笑みを浮かべた。
「どこの馬の骨かは知らんが、徹底的に調べ尽くしてやる」
ゲヘヘといやらしい笑みを浮かべ、自分の体を見てくる。何を想像しているのかは、すぐにわかった。
アホか、と表情に出した。
「私を偽物というなら、もう結構。この地から去りましょう。本来は私も王都へ向かう予定でしたので。
ジュリア様がこの地を統治なされないのであれば、ここに留まる理由はありません」
そう言った瞬間、その足で腹を蹴られた。
「ッグ…」
「バカめ、不敬だぞ。貴族に対して不敬を働くとどうなるのか、思い知らせてくれる」
腹を抑えて体をくの字に曲げた自分の髪を掴み、思い切り引っ張られ、デニスの足元に放り投げられる。
ロイがそれを見て、一歩前に出る。
「ロイ」
グレイが名前を呼んで止める。
「貴族を、俺を、馬鹿に、した罪」
喋りながら、倒れ込んだ自分を無茶苦茶に蹴り、踏みつけた。
ロイが歯を食い縛り過ぎて、その口から血が流れる。両手の拳もあまりにも強く握ったせいで、爪が手の平に食い込んで同じく血を流した。
「お前ら、動くなよ!」
ジュリアも自警団も、自分を助けようと動こうとするが、その前をデニスの私兵の刃先によって遮られる。
ドスッとデニスのつま先が脇腹に刺さり、メキッと音を立てた。
その激痛に、肋骨いったかな、と人ごとのように考えた。
「ワハハハハ!治してみろ!聖女なら一瞬で治せるだろ!」
デニスが自分の髪を鷲掴んで上へ引き上げる。
その瞬間、ヒールと一言だけ呟いた。
瞬く間に白く発光する自分の魔力と金色の粒が自分を包み込み、一瞬で怪我を治した。
「お望み通り、治しましたよ」
驚いたデニスが髪を離したので、スクッと立ち上がると、汚れた服の埃をパンパンと手で叩いて払い、掴まれて乱れた髪を整えた。
それを見た仲間達が、ホッと胸を撫で下ろす。
「な…」
「まだ続けますか?」
そうニッコリと微笑む。
顔を真っ赤にしたデニスがガクガクと震え、おもむろにポケットに手を突っ込むと、小さな笛を出し、思い切り吹き鳴らした。
その瞬間、大広間の扉がバンッと開け放たれ、外から数十人の自警団が入り込んでくる。
ジュリアの部下たちではなく、同じ格好をしているが、完全にデニスの私兵だった。
「こ、こいつらを捕えろ!!」
デニスが叫ぶ。
「ロイ!ディー!グレイ!!やれ!!!」
自分も負けじと大声で叫んで合図を出す。
その瞬間、待ってましたと言わんばかりに自分たちに剣を向けていた、近くにいた私兵を3人が一瞬でのした。
自分にも側にいた私兵が襲ってきたので、火の玉で次々と吹っ飛ばす。
「デニス!貴様!!」
ジュリアも立ち上がり、周りにいた自警団も私兵に立ち向かっていく。
乱闘が始まった。
大広間に居た他の貴族達が口々に悲鳴を上げて、大慌てで我先に逃げようとするが、デニスの私兵が次々と貴族達にも襲いかかっていた。
「なんだありゃ」
それを見たグレイが声をあげる。
「自警団の制服着てるでしょ!」
ディーが次々と襲ってくる私兵を薙ぎ倒していく。
「ジュリアのせいにしようとしてるんですよ!!」
「…はぁ!?」
グレイが変な声を上げた。
「領主交代出来なかったジュリアが払いせに襲った、っていう筋書きなんだろうよ!!」
ロイが襲ってきた私兵の1人を掴むと、思い切り振り回してぶん投げ、ボーリングのようにぶつけられた私兵が、周囲に居た貴族もろともバタバタと倒れていく。
「くっそムカつく!!!」
グレイが怒鳴り声を上げて、ロイと同じように両方の手で私兵を鷲掴みすると、グルングルンと振り回して放り投げた。
「あ、あぅ…」
ロイ達3人の圧倒的な強さを見て、ガクガクと震える足を引き摺るように、四つん這いになって逃げようとするデニスの前にジュリアが立ち塞がる。
「何処に行かれるんですか?兄さん」
ピキピキと額に青筋を立てたジュリアに見下ろされ、こともあろうかその場で失禁した。
ジュリアのつま先が、その顎にクリーンヒットし、その一撃だけでデニスは失神した。
「お見事です」
ニコニコしながら後ろからジュリアに声をかける。
「聖女様…」
ジュリアが自分を振り向いた直後、自分の後ろから剣を振り下ろそうとする私兵に気付いて咄嗟に庇おうとするが、自分は首だけを後ろに向け、その顔面に火の玉を勢い良く放った。
変な声を上げて吹っ飛んだ私兵に、フンと鼻で笑う。
「本当にお強いんですね…」
「強くなったんです」
ニッコリと笑う。
そして、いつのまにか領主がその椅子にいないことに気付いた。
「あの、クソ親父」
「行ってください」
そう促すと、ジュリアは自分の部下4人を連れて、父親を探しに大広間から出て行った。
「さて…、どうやって収拾しようかな」
目の前で繰り広げられる大乱闘。というか、3人が一方的に暴れているだけの光景に、そこまで考えていなかったな、と小さくため息をついた。
当初の予定通り、領主交代の手続きをする。それに合わせてデニスが待ったをかけてくるはずだが、果たして上手くいくだろうか。
最後に聞いた執事の呟きが、デニスがまんまと偽情報を信じ込んでいると、教えてくれた。
デニスがジュリアの狂言をネタに断罪してくるのは、まず間違いないと言えるだろう。
タイミングも予測した通りになる可能性は高い。
だが、デニスの動きよりも、どうしてもベネットの挙動が気になる。
自分達よりも先に領主に会っていたことがどうしても気になっていた。
高位貴族の立場であり続けるには、それ相応の根回しや立ち回りは必要なんだろう。
先に領主に会っていたなら、確実に何か根回しをしたはずだ。それが何か。ずっと考えていた。
自分がベネットの立場なら、と考えても、それは全くの無意味だ。環境も立場も違いすぎる。
ならどう考えるべきか。
うーん…と考え込んで、ゴロゴロとベットの上で転がりまくる。
「まぁだ何か考えてんのか?」
「まあね。腹黒狐がどうしても気になる」
「それなー」
ロイが自分の横に寝転んできた。
「あんまり考えると禿げるぞ」
そう言われて、禿げるかよ、と両手を投げ出しバフッとうつ伏せになって脱力した。
ロイがそんな自分をヨイショと抱え上げ、いつもと逆の、自分がロイの上に重なった体勢になった。
ロイの胸に頭を預けて、んーとまだ考える。
「それにしても、嬢ちゃんの親父、無茶苦茶腹立つな」
「それな」
あの無気力さは何なんだ。
娘が会いに来たというのに、シッシと追い払う仕草や、話をしている最中に欠伸をするなんて、いい大人のする態度じゃない。
「能無しとは良く言ったもんだ。あれでよく今までこの領地が潰れなかったもんだ」
「そーだな…」
と、頭の中で小さく警鐘がなった気がした。
領主アーノルド。
能無し。
隣にいたベネット。
頭の中でぐるぐると見た記憶が反復される。
もしかしたら、最初から間違っていたかも。
というか、思い込み過ぎたかも。
頭に浮かんだ考えに、さらにぐるぐると悩む。
「大丈夫か?」
ピクリとも動かなくなった自分に、ロイが頭を撫でてから上を向かされた。
「ん、大丈夫」
頭の中の考えを話そうかどうか迷った。
もう時間がない。これでまた余計な憶測を取り入れたら、現在進行形の筋書きが大幅に狂う。
あれもこれも対処することなんて出来ない。ましてやただの憶測。正解かどうかもかなり怪しいことを話して、みんなを惑わせるわけにもいかない。
「何とかなるって」
キュッと抱きしめられる。
「ああ、何とかなるよな」
目を閉じて、ロイの鼓動を聞く。
ロイの呼吸に合わせて、ゆっくりと上下に揺れる胸の上で、ゆりかごのような心地よさと暖かさに、静かに眠りに落ちた。
次の日、早めに起きて準備をする。
ロイ、ディー、グレイが同じ黒の騎士服を纏い、自分は真っ白な無駄に生地が余っている、修道女のような服を着る。ジュリアは自警団のものだろう、深緑の騎士服だった。
「聖女様、お綺麗です」
ジュリアが、おそらく心から誉めてくれているんだろう、ニコニコしながら言ってくる。
出来れば騎士服が着たいです。俺もかっこいいと言われたい。
そう思いつつ、とほほ、と微妙な笑顔を作った。
馬車で領主の館に向かう。
馬車の中でベールを被り、いざ戦闘準備万端となった。
領主の館に到着すると、予測した通り、自分たちの馬車以外がすでに何両も館前に停められていた。
その周囲に従者であろう人たちがたくさんいる。
「予想通り、デニスも準備してきましたね」
ディーがフフンと不敵に笑う。停留してある馬車にある家紋を見て、その名前を次々に上げていく。
「王都からもベネットの取り巻きが来ているようです。ここまでの移動距離を考えると、領主交代ありきの脱獄だったってことですね」
王都からここまで馬車で2週間。転移魔法陣が使えないので、全員がわざわざ馬車移動してきたことがわかる。デニスが脱獄をする前に、すでに王都を出立していたということだ。
ロイが馬から降りると、その立ち姿に他家の従者達がぼーっとロイを見た。頬を染めている者までいる。
確かにマントをはためかせて凛々しい表情をしているロイの姿は誰が見てもカッコいい。それは恋人の贔屓目ではないはずだ。
ロイにエスコートされて馬車を降りると、
「聖女様…」
という呟きが、あちこちから聞こえた。
「参りましょう」
ジュリアとその部下4名が前を歩き、その後に自分が、そして後ろにはマントをはためかせて3人が歩く。
それを見た従者達がざわめき、視線を送ってきた。
執事が無表情で出迎え、そして昨日の大広間へ案内された。
その扉が開かれる。
さあ、茶番の始まりだ。
緊張に、アドレナリンが出まくって、興奮状態になっていく自分を抑えた。
大広間は、中央の赤い絨毯を挟んで左右に大勢の来客が詰めかけていた。貴族や正装を身にまとった商人の重役達が集まっている。
ほぼデニス側の賛同者ではあるが、その中には、少数ではあるがジュリア側の賛同者もいる。
カーライドで打ち合わせをした後すぐに、ジュリアが賛同者へ書簡を送り、間に合ったものがこの場所へ駆けつけたのだ。
それでもデニス側から比べれば1割にも満たない。
ザワザワと小声で「聖女」という単語が聞こえてくる。
ベールの中で視線を動かして、人数やその姿を確認する。
ざっと7、80人。だが、ほとんどが貴族達の伴侶やその側近であることが、装いや立ち振舞いからわかる。本当に昔のヨーロッパ社交界のようなドレスといった衣装に思わずフンと鼻で笑った。
実際の賛同者達は20人といったところだろう。
赤い絨毯を進み、昨日と同じように椅子にだらしなく座っている領主の前に来ると一礼する。
「お前はバカなのか」
領主の隣にふんぞり返っているデニスが、挨拶もそこそこにジュリアに向かって罵倒した。
「このような場を設けて、全く立場をわきまえておらん。これだから騎士もどきは」
「謹んで申し上げます。
この度、こちらの聖女様がカミロ村でのモンスターブレイクを打ち破り、お救いくださいました」
デニスのセリフに思い切り被せてジュリアが大きく通る声で話始める。
「その際に負傷した村の者数百名を癒し、さらにはカーライドにおいても、100名余りの怪我人を、ただ一度の治癒魔法で癒されました」
「それは聞いた」
領主が面倒くさそうに顔を顰める。
周囲からボソボソと囁き合う言葉が聞こえてくる。
「我が領地は、ご存じの通り治癒師もポーションの数も足りず、領民達が怪我に苦しんでいる状況下にあります。
私は聖女様にお願いをし、説得を重ね、我が領地に留まり、守護者としてお守りいただく約束を致しました」
周囲のザワメキが大きくなる。
「それがどうした。領民が怪我をしようが、それはただの自業自得ではないか。何を訳のわからんことを」
デニスが唾を撒き散らして反論する。
「伝説の聖女様が我が領に降臨されたことは、まさに暁光にございます」
「で、何か褒美をと言うのだろう?何が欲しいのか」
早く話を終わらせたいのか、苛立ちを隠さない声で言う。
「その座を譲っていただきたい」
ジュリアの声にざわめきが大きくなる。
「は!お前バカか」
デニスが声を張り上げる。
「聖女様は、私の考えに賛同してくださった。私がこの地を治めるのであれば、守護者になろうとおっしゃってくださったのです」
デニスが、プルプルと震えて真っ赤なっている。
「ジュリア嬢、それは少し傲慢ではないか」
左の群衆の中から、静かにベネットが前に出る。
「聖女を味方につけたから領主の座を寄越せとは…あまりにも早計ではないかね?」
「そ、そうだ!騎士もどきのお前に領主が務まるか!」
デニスがベネットの尻馬に乗ってくる。
「少なくとも、私は父のように領民を無視したり、兄のように立場を利用して領民に危害を加えるようなことは致しません」
はっきりと父と兄を批判した。
「な、何を言うか!私がいつ危害を」
「領民を脅し、金品を巻き上げ、妙齢の男女を襲い、楯突けば投獄、死罪。全部貴方がやってきたことではありませんか。だから貴方は逮捕され、収監された。一体どうやって脱獄したのか」
スラスラと悪事を並べ立てる。そして、この群衆の中の誰かがデニスを脱獄させたと暗に言い放ち、ジロッと周囲を見渡した。
そのジュリアの視線に誰か彼もが目を逸らした。
デニスがさらに顔を真っ赤にする。
「貴様が私のやる事に口を挟むな!
あいつらは次期領主の私の命令に背いたのだ!領主命令に背くのは死罪に値して当然だろうが!!」
まだ領主ではないのに領主命令も何もあったものじゃない。
あまりにも稚拙で浅はかな思考に脱力さえ覚える。
「さらに父上はそんな兄の犯罪を知っても全て無視した。領民を守るべき領主にとってあるまじき行為だ」
さらに領主をも断罪する。
「ジュリア嬢、勘違いしてもらっては困るよ。我々が守るべきは領民ではなく領地だ。領民はただそこに間借りしているだけにすぎんよ」
ベネットが鼻で笑う。
とんだ賎民思考だ。
「まあ、デニス君は少しやんちゃをし過ぎたかもしれんがね」
人に危害を加え、あまつさえ死に追い込むことのどこが少しのやんちゃなのか。
「まあだからこそ、私が後見人となってデニス君を放免したのだがね」
ベネットが自らデニスを脱獄させたと白状する。
「それこそ貴方には関係のない話だ。他領の問題に口を挟まないでいただきたい」
ジュリアはそうベネットに言い放つ。
「デニス君には少し領主としての自覚が足りない。だからこそアーノルドに頼まれて彼を預かるのだ」
「そうだ!私には何の落ち度もない。これからベネット卿の元…で…え?」
デニスが尻馬に乗ろうとしたが、セリフの途中で自分の立場の変化に気付いたようだ。
「私はね、ジュリア嬢」
ベネットがさらに目に出る。
「今のデニス君には領主は無理だと思っているよ。勿論、君にもね」
そうニッコリと笑う。
そう来たか。
黙って話を聞いていて、ベネットの言葉に口角を上げた。
昨日、1人で考え至ったベネットの企み。
ベネットは、今回の領主交代におけるお家騒動を利用して、完全にイグリット領を手中に納める気でいる、と考えた。
ジュリアもデニスも領主にはまだ早い、若すぎる、こんな騒動を起こすほどイグリット家は問題がある、そういうことを表向きの理由にして取り込むつもりだと。
ただ、結末だけはどうしても思いつかなかった。
どちらへも領主交代はさせない。
じゃあそのまま現領主を続行させるのか。
それだと今までと変わらない。
そして、ベネットの口から答えが出た。
次期領主であるデニスを教育するという名目で後見人の座を手にした。
今すぐではないが、早い段階でデニスはアーノルドの次の傀儡として送り込まれるだろう。アーノルドとデニスの共通点は「能無し」だ。傀儡にするにはちょうどいい。
昨日、自分たちよりも早く領主と面会し、根回ししていたのはこれだったんだ、と正解がわかってフンと笑った。
「糞ジジィが」
誰にも聞こえない声で呟く。
さてどう動こうか。
体が緊張で強張る。
みんなにはこの話はしていない。
でも、朝出発前に3人には約束を取り付けた。
ジュリアが馬車の最終チェックをしている間に、3人に話をした。
「お願いがある」
真剣な顔でそう言いと、状況が状況だけに、みんな真剣に聞いてくれた。
「屋敷に行ったら、俺が合図するまで、絶対に動かないで欲しい」
「何だそれ」
「多分、というか確実に俺はデニスに暴行を受ける」
「それで動くなっていうのか」
「ああ、素振りくらいはしてもいいけど助けるな。絶対にこれは守って欲しい」
「無理だな。ショーヘーが殴られるのを黙って見てろって言うのか。俺たちは護衛だぞ」
怒り口調で言われる。
「ロイ。ジュリアさんが領主になるためだ。我慢してくれ」
「何か考えがあるんですね」
相変わらずディーは察してくれる。その言葉に頷いた。
「もし約束を破ったら、俺はこの旅をやめる。王都へも行かない。ジュノーであることを隠して、どこかでひっそりと暮らすよ」
自分の言葉にロイが言葉を詰まらせる。
「耐えろって言うのか」
「耐えてくれ、ロイ。怪我をしても自分ですぐに治すから。大丈夫」
ロイがグゥっと歯を食い縛る。
「もし…もしも…お前が致命傷を負うようなことがあったら、俺はきっと…」
暴れ狂う。
最後まで言わなくても言いたいことはわかった。
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その自分の言葉にディーとグレイが苦笑する。
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そう言ってニッコリと笑った。
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「ベネット卿!話が違うではないか!」
「何がだね?私は君を領主するとは一言も言っていない。ただ後見人になると言っただけだ」
「それは私を領主にする後押しをしてくれるということではないのか!?
今ここで領主交代を!」
デニスがパニックを起こして、ベネットの元へ駆け寄る。
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傀儡の器の間違いじゃねーのか、と心の中で突っ込む。
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静かにデニスに尋ねる。
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「お、お前達!!」
デニスが叫ぶ。
すると、大広間の壁の方で待機していた私兵が自分を達を取り囲み、剣を抜いた。
「聖女の名を騙る不届きものめ!私がその正体を暴いてやるわ!!」
少し首を傾げ、冷めた目でデニスを見る。そして、その視線をベネットに向けた。
「ベネット卿も私を偽物だとお思いですか?」
静かにそう尋ねる。
「さあ、どうだろうね。それは私には関係のないことだよ。偽物だという情報は入っているがね」
ベネットがバカにするような口調で言う。だが、本物だとも偽物だとも明言はしなかった。
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うっすらと微笑みながら聞いた。
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唾を飛ばしながらそう言い、その後、嫌な笑みを浮かべた。
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ロイが歯を食い縛り過ぎて、その口から血が流れる。両手の拳もあまりにも強く握ったせいで、爪が手の平に食い込んで同じく血を流した。
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ジュリアも自警団も、自分を助けようと動こうとするが、その前をデニスの私兵の刃先によって遮られる。
ドスッとデニスのつま先が脇腹に刺さり、メキッと音を立てた。
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デニスが自分の髪を鷲掴んで上へ引き上げる。
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そうニッコリと微笑む。
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「こ、こいつらを捕えろ!!」
デニスが叫ぶ。
「ロイ!ディー!グレイ!!やれ!!!」
自分も負けじと大声で叫んで合図を出す。
その瞬間、待ってましたと言わんばかりに自分たちに剣を向けていた、近くにいた私兵を3人が一瞬でのした。
自分にも側にいた私兵が襲ってきたので、火の玉で次々と吹っ飛ばす。
「デニス!貴様!!」
ジュリアも立ち上がり、周りにいた自警団も私兵に立ち向かっていく。
乱闘が始まった。
大広間に居た他の貴族達が口々に悲鳴を上げて、大慌てで我先に逃げようとするが、デニスの私兵が次々と貴族達にも襲いかかっていた。
「なんだありゃ」
それを見たグレイが声をあげる。
「自警団の制服着てるでしょ!」
ディーが次々と襲ってくる私兵を薙ぎ倒していく。
「ジュリアのせいにしようとしてるんですよ!!」
「…はぁ!?」
グレイが変な声を上げた。
「領主交代出来なかったジュリアが払いせに襲った、っていう筋書きなんだろうよ!!」
ロイが襲ってきた私兵の1人を掴むと、思い切り振り回してぶん投げ、ボーリングのようにぶつけられた私兵が、周囲に居た貴族もろともバタバタと倒れていく。
「くっそムカつく!!!」
グレイが怒鳴り声を上げて、ロイと同じように両方の手で私兵を鷲掴みすると、グルングルンと振り回して放り投げた。
「あ、あぅ…」
ロイ達3人の圧倒的な強さを見て、ガクガクと震える足を引き摺るように、四つん這いになって逃げようとするデニスの前にジュリアが立ち塞がる。
「何処に行かれるんですか?兄さん」
ピキピキと額に青筋を立てたジュリアに見下ろされ、こともあろうかその場で失禁した。
ジュリアのつま先が、その顎にクリーンヒットし、その一撃だけでデニスは失神した。
「お見事です」
ニコニコしながら後ろからジュリアに声をかける。
「聖女様…」
ジュリアが自分を振り向いた直後、自分の後ろから剣を振り下ろそうとする私兵に気付いて咄嗟に庇おうとするが、自分は首だけを後ろに向け、その顔面に火の玉を勢い良く放った。
変な声を上げて吹っ飛んだ私兵に、フンと鼻で笑う。
「本当にお強いんですね…」
「強くなったんです」
ニッコリと笑う。
そして、いつのまにか領主がその椅子にいないことに気付いた。
「あの、クソ親父」
「行ってください」
そう促すと、ジュリアは自分の部下4人を連れて、父親を探しに大広間から出て行った。
「さて…、どうやって収拾しようかな」
目の前で繰り広げられる大乱闘。というか、3人が一方的に暴れているだけの光景に、そこまで考えていなかったな、と小さくため息をついた。
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