おっさんが願うもの

猫の手

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異世界へ

6. おっさん、押し倒される

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 開いた口が塞がらないというのはこういうことを言うんだろう。
 何かを言わなきゃならないが、何を言っていいのか思いつかない。わからない。
「落ち着いて」
 また、男がそっと頭を撫でてくる。

 それ止めろー!

 途端に気恥ずかしくなって、男を睨むが、紅潮した頬とまだ整わない呼吸のせいで全く伝わらず、男は微笑んだままキョトンとしている。
「混乱するのは無理ないさ。ジュノーなんだから」
 老婆が羊皮紙をクルクルと巻いて元に戻すと、棚へしまう。
 
 またジュノー。ジュノーってなんだ。

 わからないことが多すぎる。
 初めて見たり聞いたり体験することがあまりにも多すぎて混乱しっぱなしだ。落ち着けっていうのが無理な話だ。

「名前、教えてくれるかい?」
 そう聞かれて、まだまだ目下混乱中ではあるが、まずは名乗ることにする。言葉が通じるようになったし、色々としてくれたお礼もしなければ。
「島田翔平と申します。この度は助けていただき本当にありがとうございます。」
 椅子から降りて姿勢を正すと、45度に腰から真っ直ぐに曲げた礼をする。16年の営業スキルがここで発揮された。
「あたしはロマだよ。そっちは」
「俺はロイ!ロイって呼んでくれ!」
 老婆、ロマのセリフに被せ気味に男が身を乗り出して手をあげ、でかい声で名乗りをあげた。
「シマダショーヘーって長い名前だね」
 ロマがうるさそうにロイに顔を顰めながら呟く。
「あ、いや、島田は名字で、名前は翔平です」
「ああ、そういうことかい。そっちでは苗字があるのかい。じゃ、ショーヘイでいいね」
 苗字があることがおかしいのだろうか。それにそっちってどういうことだろう。
 ああ、そういえば遥か昔は日本でも苗字って公家とか貴族とかそういう人種にしかない時代もあったっけ。ヨーロッパでは確かレオナルド・ダ・ヴィンチも苗字じゃなくてヴィンチ村のレオナルドさんという意味だと、学生の時に歴史の授業でうんちくを垂れていた教師を思い出した。
「ショーヘー」
 ロイに呼ばれて彼を見ると、ただ笑っているだけ。ひっきりなしに白い尻尾がバッサバッサと揺れている。どうも名前を言いたかっただけらしく、ただ微笑みを返すしか出来なかった。
「ああ、あれは気にしなくていいよ」
 ロマが呆れたように、ロイに向かってシッシと手を振る。
「昨日今日と色々あって疲れたろう? まずはゆっくりするといい。ロイ、案内しておやり。あたしは市場に行ってくるから」
 ロマが椅子から立ち上がり、出掛ける支度を始め、ロイが嬉々として近寄ってくると俺の右手を握る。

 いやいや、別に手は繋がなくても…

 と思ったが、ロイの嬉しそうな表情と揺れる尻尾を見て、もうどうでもいいや、好きにさせようと思った。

 ロマを見送った後、ロイは先ほどロマが出てきたドアの奥へ俺を連れていく。
 家の中をくまなく案内され、説明された。驚いたのは、トイレが洋式トイレのような座る形で、しかも水洗だったことだ。何となくものすごい違和感を覚える。
 最後に一番奥にある部屋へ通される。8畳ほどの部屋に、クローゼット、机、ベッドが置いてある。飾りがあるわけではなく、ただ家具があるだけだ。
「ここが俺の部屋」
 そう言われ、ロマはもちろんだが、ロイもこの家の住人だと知る。なぜ向こうの塀で囲まれた村の中ではないのかが不思議だったが、今はあれこれ考えても答えが出ないため、疑問を放置することにする。
 部屋に入り、とりあえずベッドに座るように言われて大人しく従うと、ロイはクローゼットを開けて中の服を物色し始める。
「俺のじゃ大きいかな。まあ、とりあえず着替えてよ」
 シャツとズボンを渡されて、お礼を言うと、早速ワイシャツのボタンに手をかけた。
「……着替えたいんだけど」
 ロイが正面に立ち、ニマニマしながら俺を見ていることに気付いて手を止める。
「どうぞ」
 ロイは何も悪びれず答える。

 いや、同性だし、別にいいんだけど、なんか…。
 
 なんか恥ずかしい。
 お姫様抱っことか、頭を撫でるとか、抱きしめるとか、手を繋ぐとか。
 思い過ごしだと思うが、どうも38歳のおっさんにする行動ではないし、小さい子供か女性に対する対応だと感じていたから、彼の前で着替えをすることがすごく恥ずかしくなった。
 それでも、出て行ってくれなんて部屋の主人に言いづらいし、言ってしまったら、同姓なのに意識していると思われるのも癪に触り、何とか平然を装ってワイシャツとスラックスを脱いでトランクス1枚の姿になると、彼の服を手に取る。
 だが、その腕を掴まれて彼の正面に体を向けられた。
「な、何!?」
 予期せぬ行動に心臓が跳ね上がる。
「クリーン」
 すごく不思議な響きでロイが言った。その瞬間俺の周囲にふわりと風が湧き上がったと思うと、キラキラとした光の粒が渦を巻いて俺を取り囲む。
 時間にして2、3秒だったが、風も光も消え去ると、埃っぽかった体が綺麗さっぱりとお風呂上がりのような状態になっていた。

 魔法だ!すげえエエェえ!

 顔や頭を触り、すっかり綺麗になった体と、再び体験した魔法に感激する。
「これで良し」
 ニカッとロイが笑う。その笑顔を見て変な意識をしてしまった自分が恥ずかしくなった。急ぎ目にロイの服を着て、余った袖やズボンの裾を折る。
 身長差もそうだが、完全に体格で負けている。
 俺だって元の世界では背の高い方だし体型には気を使っていたから、細マッチョの部類だと思っている。だがロイに並ぶと自分がすごく貧弱に見えて、何となく舌打ちをしたくなる。自分のちっぽけなプライドが少し傷ついた。
「ショーヘー」
 袖の折り目をいじって長さを調節していると名前を呼ばれる。
「何…?」
 自然にロイの方を見たが、彼の顔があったところにそれはなく、一瞬焦点が合わなかった。すぐに目の前に迫ってきているロイの顔に驚いて、後退りする。だが後ろはベッドの縁。当然足が引っかかって体勢が崩れベッドに倒れ込んだ。
「何す…」
 ロイが上に乗ってくる。
 見下ろされる形で、白く長い髪が俺の顔の真横に降りてくると、それと同時にロイの真顔が段々と近づいてくる。
 迫ってくる綺麗な顔に、筋肉ムキムキの男だとはわかっていても、勝手に心拍数が上がり顔が紅潮する。
「ロ、ロイさん?」
 明らかに上擦った声に動揺が現れる。
 さらにロイの顔が近づき、止めることも出来ないまま、何をされるのかドキドキと緊張し、目をギュッと瞑る。頬同士が触れたと思った瞬間、スゥーッとロイが息を吸い込むのが聞こえた。
 何度も何度も、俺の耳に近い首筋に鼻を押し付けてスーハースーハーと鼻呼吸を繰り返している音が聞こえる。
「やっぱり…すげ~いい匂い…」
「…匂い?」
「うん。すごくいい匂いがするんだ。だからショーヘーを見つけられた」
 ロイが耳のそばで首筋に顔を埋めたまま喋るので、すごくくすぐったい。
「ずっと嗅いでたい」
 クンクンと匂いを嗅ぎながら、とろけるような声を出す。

 ……犬だ……

 緊張して損した。
 何故かそう思った。
 自分で自分の匂いなんてわからないが、ロイにとっては何かが匂っているらしい。
 犬っぽいが、猫のようにゴロゴロと喉を鳴らしそうな勢いで俺の首元にすりすりしてくる。
 大型犬にすごくすごーく懐かれた感じがする。小さい頃、近所にいたゴールデンレトリーバーに同じようなことをされた記憶を思い出し、ハハハっと脱力しながら乾いた笑いを漏らす。
「はいはい、もういいだろ?」
 ロイの背中をポンポンと叩き、もうお終いと伝えたが、ロイは俺の上から退こうとしない。
「おーい」
 反応を返さず、まだクンクンと匂いを嗅ぎ続けるロイに呆れながら、その体を押し返そうと腕に力を込めたがビクリともしない。
 すると、突然ゾクゾクゾクッと背筋に電撃が走る。
 ロイが首筋から耳かけて、ツーッと舌を這わせたのだ。
「っちょっ…」
 流石にそれは予想外で、構えていなかったせいもあって、もろに背筋をくすぐったさに似た快感が走る。だが、今度は舌先でなぞるような舐め方ではなく、思い切り舌の腹を押し当ててベロリと、しかもゆっくりと舐める。そのまま耳まで舌を這わせると、耳の形を確かめるように、耳の周りから裏側にまで舌を這わせてくる。
「んん…!」
 ゾクゾクと快感が背筋を伝い、思わず声が漏れる。
「匂いが、強くなった」
 ロイが小さい声で言うが、耳に唇が触れた状態で囁かれたため、その吐息と低いロイの声の振動にさらに快感が増し、体が震えた。

 こいつ…!

 何とかやめさせようと動く範囲で体を動かし、ジタバタと暴れるが、ロイが完全に自分の上に体重をかけたため、自由に動かせるのは両手足だけになる。
 だがそれも両手首を掴まれてベッドに押し付けられ、足も絡められて抑え込まれ、完全に身動きを封じられた。
「もっと…」
 ロイが更に囁き、舌がさらに首や耳を這い回る。
「う…ん…」
 歯を食いしばって何とか快感を紛らわそうとするが、一度感じてしまった快感は中々治ろうとしない。

 こんのバカ犬!

 舌が動くたびにビクビクと体が反応し困惑する。感じたくないのに、生理的な反応を示してしまう。
 心の中で悪態をつきながら、何とか動こうとするが押さえ込まれた体は少しも動かない。
 このままじゃやばい。
 焦りが出始めたその時、遠くでバタンというドアが閉まる音がした。
 途端に俺を拘束していた力が解け、ロイが体を起こして部屋のドアの方を見る。
 ロマが戻ったらしい。
「離してくれるか…」
 ドアを見ていたロイがハッと俺にと向き直る。そして、おれの手首を掴んでベッドへ押し付けている状況にやっと気付いたようで、ババッと手を離して俺の上から慌てて退いた。
 ロイ本人もかなり驚いているらしい。
「ご、ごごごごごめん」
 ゆっくり起き上がり、押さえつけられいた手首をさする。どれだけ強い力で押さえつけられていたのか、うっすらと痣が出来ていた。

 ヤバかった…

 平然とした表情を取り繕ってはいたが、内心はかなり焦っていた。あのまま続けられていれば、その…下半身の方にも反応が出てしまいそうだった。
「ごめん、ごめんなさい」
 ロイが何度も謝ってオロオロしている姿を見ると、何だか怒る気も失せてしまい、苦笑いしてロイの腕をポンポンと軽く叩いて許した。

 何だったんだろう、ロイ自身も驚いて?戸惑ってるみたいだし…。

 押し倒す直前までは普通だったロイが、匂いを嗅ぎ始めた後、何か変わった。

 そんなに匂いするかな。

 ロイについて部屋を出た後、ロイが嗅いでいた方の自分の肩あたりの匂いを嗅いでみる。
 当然、何も匂いはしなかった。

 先ほどの玄関からすぐの部屋に戻ると、ロマがカゴから色々なものをテーブルに並べていた。
 先ほどから美味そうな匂いがしている。その匂いを感じた瞬間、グウゥゥとお腹がなって、そういえば昨日ロイに貰ったジャーキーを食べただけだったことを思い出した。
 人間色々あると空腹も忘れるんだな、と他人事のように思った。




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