おっさんが願うもの

猫の手

文字の大きさ
上 下
6 / 176
異世界へ

おっさん、押し倒される

しおりを挟む
 開いた口が塞がらないというのはこういうことを言うんだろう。
 何かを言わなきゃならないが、何を言っていいのか思いつかない。わからない。
「落ち着いて」
 また、男がそっと頭を撫でてくる。

 それ止めろー!

 途端に気恥ずかしくなって、男を睨むが、紅潮した頬とまだ整わない呼吸のせいで全く伝わらず、男は微笑んだままキョトンとしている。
「混乱するのは無理ないさ。ジュノーなんだから」
 老婆が羊皮紙をクルクルと巻いて元に戻すと、棚へしまう。
 
 またジュノー。ジュノーってなんだ。

 わからないことが多すぎる。
 初めて見たり聞いたり体験することがあまりにも多すぎて混乱しっぱなしだ。落ち着けっていうのが無理な話だ。

「名前、教えてくれるかい?」
 そう聞かれて、まだまだ目下混乱中ではあるが、まずは名乗ることにする。言葉が通じるようになったし、色々としてくれたお礼もしなければ。
「島田翔平と申します。この度は助けていただき本当にありがとうございます。」
 椅子から降りて姿勢を正すと、45度に腰から真っ直ぐに曲げた礼をする。16年の営業スキルがここで発揮された。
「あたしはロマだよ。そっちは」
「俺はロイ!ロイって呼んでくれ!」
 老婆、ロマのセリフに被せ気味に男が身を乗り出して手をあげ、でかい声で名乗りをあげた。
「シマダショーヘーって長い名前だね」
 ロマがうるさそうにロイに顔を顰めながら呟く。
「あ、いや、島田は名字で、名前は翔平です」
「ああ、そういうことかい。そっちでは苗字があるのかい。じゃ、ショーヘイでいいね」
 苗字があることがおかしいのだろうか。それにそっちってどういうことだろう。
 ああ、そういえば遥か昔は日本でも苗字って公家とか貴族とかそういう人種にしかない時代もあったっけ。ヨーロッパでは確かレオナルド・ダ・ヴィンチも苗字じゃなくてヴィンチ村のレオナルドさんという意味だと、学生の時に歴史の授業でうんちくを垂れていた教師を思い出した。
「ショーヘー」
 ロイに呼ばれて彼を見ると、ただ笑っているだけ。ひっきりなしに白い尻尾がバッサバッサと揺れている。どうも名前を言いたかっただけらしく、ただ微笑みを返すしか出来なかった。
「ああ、あれは気にしなくていいよ」
 ロマが呆れたように、ロイに向かってシッシと手を振る。
「昨日今日と色々あって疲れたろう? まずはゆっくりするといい。ロイ、案内しておやり。あたしは市場に行ってくるから」
 ロマが椅子から立ち上がり、出掛ける支度を始め、ロイが嬉々として近寄ってくると俺の右手を握る。

 いやいや、別に手は繋がなくても…

 と思ったが、ロイの嬉しそうな表情と揺れる尻尾を見て、もうどうでもいいや、好きにさせようと思った。

 ロマを見送った後、ロイは先ほどロマが出てきたドアの奥へ俺を連れていく。
 家の中をくまなく案内され、説明された。驚いたのは、トイレが洋式トイレのような座る形で、しかも水洗だったことだ。何となくものすごい違和感を覚える。
 最後に一番奥にある部屋へ通される。8畳ほどの部屋に、クローゼット、机、ベッドが置いてある。飾りがあるわけではなく、ただ家具があるだけだ。
「ここが俺の部屋」
 そう言われ、ロマはもちろんだが、ロイもこの家の住人だと知る。なぜ向こうの塀で囲まれた村の中ではないのかが不思議だったが、今はあれこれ考えても答えが出ないため、疑問を放置することにする。
 部屋に入り、とりあえずベッドに座るように言われて大人しく従うと、ロイはクローゼットを開けて中の服を物色し始める。
「俺のじゃ大きいかな。まあ、とりあえず着替えてよ」
 シャツとズボンを渡されて、お礼を言うと、早速ワイシャツのボタンに手をかけた。
「……着替えたいんだけど」
 ロイが正面に立ち、ニマニマしながら俺を見ていることに気付いて手を止める。
「どうぞ」
 ロイは何も悪びれず答える。

 いや、同性だし、別にいいんだけど、なんか…。
 
 なんか恥ずかしい。
 お姫様抱っことか、頭を撫でるとか、抱きしめるとか、手を繋ぐとか。
 思い過ごしだと思うが、どうも38歳のおっさんにする行動ではないし、小さい子供か女性に対する対応だと感じていたから、彼の前で着替えをすることがすごく恥ずかしくなった。
 それでも、出て行ってくれなんて部屋の主人に言いづらいし、言ってしまったら、同姓なのに意識していると思われるのも癪に触り、何とか平然を装ってワイシャツとスラックスを脱いでトランクス1枚の姿になると、彼の服を手に取る。
 だが、その腕を掴まれて彼の正面に体を向けられた。
「な、何!?」
 予期せぬ行動に心臓が跳ね上がる。
「クリーン」
 すごく不思議な響きでロイが言った。その瞬間俺の周囲にふわりと風が湧き上がったと思うと、キラキラとした光の粒が渦を巻いて俺を取り囲む。
 時間にして2、3秒だったが、風も光も消え去ると、埃っぽかった体が綺麗さっぱりとお風呂上がりのような状態になっていた。

 魔法だ!すげえエエェえ!

 顔や頭を触り、すっかり綺麗になった体と、再び体験した魔法に感激する。
「これで良し」
 ニカッとロイが笑う。その笑顔を見て変な意識をしてしまった自分が恥ずかしくなった。急ぎ目にロイの服を着て、余った袖やズボンの裾を折る。
 身長差もそうだが、完全に体格で負けている。
 俺だって元の世界では背の高い方だし体型には気を使っていたから、細マッチョの部類だと思っている。だがロイに並ぶと自分がすごく貧弱に見えて、何となく舌打ちをしたくなる。自分のちっぽけなプライドが少し傷ついた。
「ショーヘー」
 袖の折り目をいじって長さを調節していると名前を呼ばれる。
「何…?」
 自然にロイの方を見たが、彼の顔があったところにそれはなく、一瞬焦点が合わなかった。すぐに目の前に迫ってきているロイの顔に驚いて、後退りする。だが後ろはベッドの縁。当然足が引っかかって体勢が崩れベッドに倒れ込んだ。
「何す…」
 ロイが上に乗ってくる。
 見下ろされる形で、白く長い髪が俺の顔の真横に降りてくると、それと同時にロイの真顔が段々と近づいてくる。
 迫ってくる綺麗な顔に、筋肉ムキムキの男だとはわかっていても、勝手に心拍数が上がり顔が紅潮する。
「ロ、ロイさん?」
 明らかに上擦った声に動揺が現れる。
 さらにロイの顔が近づき、止めることも出来ないまま、何をされるのかドキドキと緊張し、目をギュッと瞑る。頬同士が触れたと思った瞬間、スゥーッとロイが息を吸い込むのが聞こえた。
 何度も何度も、俺の耳に近い首筋に鼻を押し付けてスーハースーハーと鼻呼吸を繰り返している音が聞こえる。
「やっぱり…すげ~いい匂い…」
「…匂い?」
「うん。すごくいい匂いがするんだ。だからショーヘーを見つけられた」
 ロイが耳のそばで首筋に顔を埋めたまま喋るので、すごくくすぐったい。
「ずっと嗅いでたい」
 クンクンと匂いを嗅ぎながら、とろけるような声を出す。

 ……犬だ……

 緊張して損した。
 何故かそう思った。
 自分で自分の匂いなんてわからないが、ロイにとっては何かが匂っているらしい。
 犬っぽいが、猫のようにゴロゴロと喉を鳴らしそうな勢いで俺の首元にすりすりしてくる。
 大型犬にすごくすごーく懐かれた感じがする。小さい頃、近所にいたゴールデンレトリーバーに同じようなことをされた記憶を思い出し、ハハハっと脱力しながら乾いた笑いを漏らす。
「はいはい、もういいだろ?」
 ロイの背中をポンポンと叩き、もうお終いと伝えたが、ロイは俺の上から退こうとしない。
「おーい」
 反応を返さず、まだクンクンと匂いを嗅ぎ続けるロイに呆れながら、その体を押し返そうと腕に力を込めたがビクリともしない。
 すると、突然ゾクゾクゾクッと背筋に電撃が走る。
 ロイが首筋から耳かけて、ツーッと舌を這わせたのだ。
「っちょっ…」
 流石にそれは予想外で、構えていなかったせいもあって、もろに背筋をくすぐったさに似た快感が走る。だが、今度は舌先でなぞるような舐め方ではなく、思い切り舌の腹を押し当ててベロリと、しかもゆっくりと舐める。そのまま耳まで舌を這わせると、耳の形を確かめるように、耳の周りから裏側にまで舌を這わせてくる。
「んん…!」
 ゾクゾクと快感が背筋を伝い、思わず声が漏れる。
「匂いが、強くなった」
 ロイが小さい声で言うが、耳に唇が触れた状態で囁かれたため、その吐息と低いロイの声の振動にさらに快感が増し、体が震えた。

 こいつ…!

 何とかやめさせようと動く範囲で体を動かし、ジタバタと暴れるが、ロイが完全に自分の上に体重をかけたため、自由に動かせるのは両手足だけになる。
 だがそれも両手首を掴まれてベッドに押し付けられ、足も絡められて抑え込まれ、完全に身動きを封じられた。
「もっと…」
 ロイが更に囁き、舌がさらに首や耳を這い回る。
「う…ん…」
 歯を食いしばって何とか快感を紛らわそうとするが、一度感じてしまった快感は中々治ろうとしない。

 こんのバカ犬!

 舌が動くたびにビクビクと体が反応し困惑する。感じたくないのに、生理的な反応を示してしまう。
 心の中で悪態をつきながら、何とか動こうとするが押さえ込まれた体は少しも動かない。
 このままじゃやばい。
 焦りが出始めたその時、遠くでバタンというドアが閉まる音がした。
 途端に俺を拘束していた力が解け、ロイが体を起こして部屋のドアの方を見る。
 ロマが戻ったらしい。
「離してくれるか…」
 ドアを見ていたロイがハッと俺にと向き直る。そして、おれの手首を掴んでベッドへ押し付けている状況にやっと気付いたようで、ババッと手を離して俺の上から慌てて退いた。
 ロイ本人もかなり驚いているらしい。
「ご、ごごごごごめん」
 ゆっくり起き上がり、押さえつけられいた手首をさする。どれだけ強い力で押さえつけられていたのか、うっすらと痣が出来ていた。

 ヤバかった…

 平然とした表情を取り繕ってはいたが、内心はかなり焦っていた。あのまま続けられていれば、その…下半身の方にも反応が出てしまいそうだった。
「ごめん、ごめんなさい」
 ロイが何度も謝ってオロオロしている姿を見ると、何だか怒る気も失せてしまい、苦笑いしてロイの腕をポンポンと軽く叩いて許した。

 何だったんだろう、ロイ自身も驚いて?戸惑ってるみたいだし…。

 押し倒す直前までは普通だったロイが、匂いを嗅ぎ始めた後、何か変わった。

 そんなに匂いするかな。

 ロイについて部屋を出た後、ロイが嗅いでいた方の自分の肩あたりの匂いを嗅いでみる。
 当然、何も匂いはしなかった。

 先ほどの玄関からすぐの部屋に戻ると、ロマがカゴから色々なものをテーブルに並べていた。
 先ほどから美味そうな匂いがしている。その匂いを感じた瞬間、グウゥゥとお腹がなって、そういえば昨日ロイに貰ったジャーキーを食べただけだったことを思い出した。
 人間色々あると空腹も忘れるんだな、と他人事のように思った。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

そばかす糸目はのんびりしたい

楢山幕府
BL
由緒ある名家の末っ子として生まれたユージン。 母親が後妻で、眉目秀麗な直系の遺伝を受け継がなかったことから、一族からは空気として扱われていた。 ただ一人、溺愛してくる老いた父親を除いて。 ユージンは、のんびりするのが好きだった。 いつでも、のんびりしたいと思っている。 でも何故か忙しい。 ひとたび出張へ出れば、冒険者に囲まれる始末。 いつになったら、のんびりできるのか。もう開き直って、のんびりしていいのか。 果たして、そばかす糸目はのんびりできるのか。 懐かれ体質が好きな方向けです。今のところ主人公は、のんびり重視の恋愛未満です。 全17話、約6万文字。

俺の義兄弟が凄いんだが

kogyoku
BL
母親の再婚で俺に兄弟ができたんだがそれがどいつもこいつもハイスペックで、その上転校することになって俺の平凡な日常はいったいどこへ・・・ 初投稿です。感想などお待ちしています。

無愛想な彼に可愛い婚約者ができたようなので潔く身を引いたら逆に執着されるようになりました

かるぼん
BL
もうまさにタイトル通りな内容です。 ↓↓↓ 無愛想な彼。 でもそれは、ほんとは主人公のことが好きすぎるあまり手も出せない顔も見れないという不器用なやつ、というよくあるやつです。 それで誤解されてしまい、別れを告げられたら本性現し執着まっしぐら。 「私から離れるなんて許さないよ」 見切り発車で書いたものなので、いろいろ細かい設定すっ飛ばしてます。 需要あるのかこれ、と思いつつ、とりあえず書いたところまでは投稿供養しておきます。

強制結婚させられた相手がすきすぎる

よる
BL
ご感想をいただけたらめちゃくちゃ喜びます! ※妊娠表現、性行為の描写を含みます。

美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました

SEKISUI
BL
 ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた  見た目は勝ち組  中身は社畜  斜めな思考の持ち主  なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う  そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される    

俺は北国の王子の失脚を狙う悪の側近に転生したらしいが、寒いのは苦手なのでトンズラします

椿谷あずる
BL
ここはとある北の国。綺麗な金髪碧眼のイケメン王子様の側近に転生した俺は、どうやら彼を失脚させようと陰謀を張り巡らせていたらしい……。いやいや一切興味がないし!寒いところ嫌いだし!よし、やめよう! こうして俺は逃亡することに決めた。

嫁側男子になんかなりたくない! 絶対に女性のお嫁さんを貰ってみせる!!

棚から現ナマ
BL
リュールが転生した世界は女性が少なく男性同士の結婚が当たりまえ。そのうえ全ての人間には魔力があり、魔力量が少ないと嫁側男子にされてしまう。10歳の誕生日に魔力検査をすると魔力量はレベル3。滅茶苦茶少ない! このままでは嫁側男子にされてしまう。家出してでも嫁側男子になんかなりたくない。それなのにリュールは公爵家の息子だから第2王子のお茶会に婚約者候補として呼ばれてしまう……どうする俺! 魔力量が少ないけど女性と結婚したいと頑張るリュールと、リュールが好きすぎて自分の婚約者にどうしてもしたい第1王子と第2王子のお話。頑張って長編予定。他にも投稿しています。

処理中です...