おっさんが願うもの

猫の手

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異世界へ

5. おっさん、言葉がわかる

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 男は森の中をどんどん進む。
 そして、急に森が開けたと思ったら、昨日のキャンプ地のような広場に出た。昨日と違うのは、さらに広いことと、真ん中にログハウスが建っていることだ。

 もしかして、この人の家?
 村の中の家に住んでないのか?

 背負われた状態で、緊張と恐怖が混ざってガチガチに体をこわばらせた。
 男は俺を背負ったまま目の前のログハウスの入口を呼び鈴もなしにバンッと音を立てて開け放ち、
「ロマ!」
 と大きな声で叫んだ。はっきりとそう聞こえた。その後も叫んだが、それ以降はわからない。
 小屋の中は綺麗に整頓されて、棚が壁一面に並んでいる。棚には瓶や箱が整然と並び、壁際にはドライフラワーが無数にぶら下がっていた。ハーブ的な匂いが充満しているが、嫌な匂いじゃない。

 薬屋っぽい

 直感でそう思った。
 怪我をしているから、村に入る前に連れてきてくれたのだろうか。
 男は俺をそっと床に下ろすと、小屋の奥にあるテーブルの椅子に座らせてくれた。
「ロマ!」
 男がさらに叫ぶ。
 すると、部屋の奥の扉が静かに開き、薄緑色のローブを着て長い杖を持った老婆が現れた。
 杖を持っているが足が悪いわけでなくて、いわゆる魔女的な長い杖だ。ローブといい、杖といい、老婆という姿といい、絵本に出てくる魔女そのものだ。
 老婆は持っていた杖で男の腕や肩を叩きまくる。何やら怒っているような言葉も一緒にだ。男は叩かれながら言い訳のような感じで返事をし、俺を指さした。そこで初めて老婆が自分に気付く。
 一瞬目を丸くして、何か喋っている男を無視して俺の近くへくると、ものすごい近い距離でマジマジと頭から足の先まで見られ、なんなら着ていた男の上着も剥ぎ取られた。
 間近で見た老婆の顔を見て、その通った鼻筋や長いまつ毛、皺はあるがシミひとつない肌に、さぞや若い頃は美しかっただろうと思った。
 老婆が男に早口で何かを伝えると、男はドヤ顔?な表情で嬉しそうに話をする。だが、老婆はそんな男を無視して、再び俺に向き直ると、手当してあった右のこめかみあたりに触れ、ゆっくりと貼ってあった布を剥がしていく。左足も同じように布を取り払って怪我の様子を確認される。
 老婆は一度離れてテーブルの向こう側にある棚から一本の瓶を持ってくると、まずは額の傷口に瓶の中の液体をチョロチョロと丁寧にかけた。
 液体をかけられた瞬間、じんわりと熱がこもり、今までズキズキとしていた痛みが引いてくる。
 さらに左足を持ち上げられて傷口に直接液体をかけられたが、同じように熱を持った瞬間から、ジュワジュワと音を立てるように、液体が勝手に傷口を覆い、小さな気泡を幾つも作ったかと思えば自然と蒸発する。そして蒸発した後はうっすらと赤い筋が残る程度で、刺された傷口が綺麗に塞がっていた。

 おおお!ポーションか!?ポーションというやつか!?

 傷が治っていく様を目の当たりにして、俺は心の中でかなり興奮した。
 手でこめかみを触っても、痛みもなければ傷があったこともわからない。足も同じようにすっかり治ってしまっていた。

 異世界すげえ

 感動と興奮が入り混じって、さっきからドキドキが止まらない。この歳になってこんなにワクワクするなんて思わなかった。
 老婆はただニコリと微笑み、今度は後ろの棚から巻物を一本取り出すと俺の目の前に広げた。
 羊皮紙というのだろうか、紙ではない巻物に複雑に重なった円や文字がびっしりと書き込まれている。映画やアニメで見たことのある魔法陣のようなものだ。
 老婆が手振り身振りで、その魔法陣の上に手を置くように言っているのがわかり、素直に右手を魔法陣の上に置いた。

 何が起こるのだろうか。
 奴隷印が刻まれるとか、そういうことじゃなきゃいいけど。

 いつか見たアニメのシーンを思い出し、悪い方向に考えてしまうが、ここで抵抗しても多分無駄だろうと素直に従う。
 手を置いてからじっといていたが、1分ほど経っても特にこれといって何も起こらない。
 すると、老婆は隣の男に何かを言った。男は頷いて、そっと俺の背中に手を添えてきた。その男の行動も気になったが、さらにじっとして、黙って魔法陣と自分の手を見ていると、徐々に背中の方からじんわりと温かさが伝わってくるのがわかった。
 カイロみたいに温かくて、気持ちいいなんて思っていたのだが、その温かい何かがゾロリと動いた気がして、驚いてグゥッと唸ってしまった。
 男が何か言って立ち上がり、背中の手はそのままに、もう片方の手で頭を撫でてきた。まるで慰めているかのようだ。
 背中の男の手から伝わる温かい何かはどんどん熱を帯び、ズルッズルッとゆっくりと俺の体内に入ってくる感覚に襲われる。
 いや、間違いなく何かが体に入ってきているのだ。
 熱くてドロドロした何かが、ジワジワと皮膚の下、さらに筋肉の内側まで入ってくる異様な感覚に、ゾクゾクと悪寒が走り、思わず歯を食いしばった。
「ん…うぅ…」
 ついつい声が漏れる。背中を中心に全身に広がるように侵入してきた何かは、体全部を包み込むように広がっていき、とうとう指先にも足先までも満ちていく。
「ぁ…」
 腰が抜けそうになる気怠い感覚、身体中を弄られる様なくすぐったい感覚、ゾクゾクと襲ってくる快感に似た感覚。かといえば体内に虫が這い回っているような不快感。
 様々な感覚に顔が紅潮して息が荒くなり、ガクガクと体が震えるのがわかる。じんわりと全身に汗が噴き出す。
 そしてそれは唐突に起こる。
 魔法陣に乗せた右の手のひらが熱を持ち始めた。
「あっつっっ」
 思わず右手を引っ込めてその場から逃げようとしたが、頭を撫でていた男の手が、今度は俺の右手首を掴んで、魔法陣から手を離すことを許さなかった。
「熱い」
 手のひらが焼けるように熱い。
 顔を顰めて歯を食い縛る。ギュッと目を瞑って耐えつつ、片目をうっすら開けて右手を見ると、魔法陣が青白く光り輝いていた。その光が自分の手のひらに吸い込まれていく感覚が、先ほどの背中からの感覚に似ていて、ただ熱いのか、くすぐったいのか、気持ちいいのか、気持ち悪いのか、わけがわからない。
 やがて青白い光が徐々に弱くなり、手のひらにどんどん吸い込まれていくのを見ながら、意識が飛びそうになった。
 そして光が完全に消えたのと同時に、先ほどまで感じていた感覚が全て消えさり、元の普通の状態に戻る。
 呼吸はまだ乱れて、短時間で襲ってきた感じたことのない色々な感覚に呆然としていたが、不意に頭を撫でられてハッと気付く。
 いつのまにか男が俺をしっかりと抱きしめて、椅子から転げ落ちないようにしてくれていたらしい。俺もその男の腕の中にスッポリと収まって全体重を預けてしまっていた。しかも左手は男の胸元の服をしっかりと握り込んでいた。
「ご、ごめん」
 慌てて手も体も離す。
「いえいえ」
 男がニッコリと微笑む。
 恥ずかしいと素直に思った。カーッと顔が熱くなって男から視線を逸らした。
「終わったね。どうだい?」
 老婆が聞いてくる。
「何が…?」
 今の衝撃的な感覚のオンパレードの余韻にまだ混乱がおさまらず、聞かれても返事をする余裕がない。ただ、右手をグーパーとしながら、手のひら見て、あんなに熱かったのに何の跡も残っていないことを確認する。
「えっと…今のは…」
 と聞き返そうとして、はたと気付く。
 パクパクと口を開け閉めして、老婆と男を交互に見る。
「言葉、わかるだろう?」
 プチパニックを起こす俺の様子に可笑しそうに老婆が聞いてくる。それに対してコクコクと首を縦に振って頷くだけしか出来ない。
 もう何が何だか、初めての経験が、見たこともない現象に理解が全く追いつくことができなかった。
 ただ事実として、2人の言葉が俺の知っている日本語として聞こえていた。



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