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侍 シズカ・トモエ

侍 シズカ・トモエ(8)

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「さて、それではわたくしのお話ではなく、
 アジムさんのお話をいたしましょうか……と、その前に」

 シズカは自分の荷物から竹の皮で包んだものを取り出した。包みを開くとアジムの拳ほどもある大きなおにぎりが四つも転がり出てくる。シズカはそのうちの一つをアジムに差し出した。

「お腹が空きましたものね。
 どうぞ」
「ありがとうございます。
 いただきます」

 アジムは差し出されたそれを受け取って、改めて手を合わせて「いただきます」と声を出すと、つやつやした米にかじりついた。竹の皮で包まれていた飯はほどよい湿り気と固さを保って噛み応えを返してくる。わずかな塩気と合わさって、炊き立ての米とは違うおにぎりだけがもつ旨さが口いっぱいに広がる。ゲーム内でも米が食べられるとは思っていなかったアジムは大きなおにぎりに夢中になっていたが、ふと気が付くと前に座っていたはずのシズカの姿が消えていた。
 訝しく思ったアジムが視線を巡らせると、シズカの姿は炉を組んで網を乗せたたき火の前にあった。何をしているのかと思う間もなく、日本人のDNAを直撃する香ばしい香りが漂ってくる。
 シズカは手元に残した3つのおにぎりに、いつの間にやら荷物から取り出していたらしい味噌を塗って、たき火で炙っていたのだ。わずかに焦げ目のついた味噌を塗った焼きおにぎりに、ちょいちょい、と白ごまを振って差し出してくれる。アジムは白米の握り飯を食い終わって空いた手で、ほかほかと湯気を上げる焼きおにぎりを礼を言いながら受け取ってかじりつく。味噌が米と合わないはずもなく、頬張った口に旨味が溢れる。
 思わず満足の息が零れたアジムを、シズカは自分の分の焼きおにぎりをかじりながらほほえましく思いつつ見ていたが、土下座した後からずっと地面に正座したままのアジムの姿を見てふと言葉を漏らした。

「アジムさん、姿勢が綺麗ねぇ」

 シズカは焼きおにぎりを頬張りながら、視線を向けてくるアジムを改めて見直す。その背はぴんと伸びて天に向かい、腰がどっしりと地についている。特別に気を張った様子もなく、ごく自然にそうあるのを見て取って、シズカは感嘆の息を漏らした。

「背筋が伸びているのは見ていて気持ちがいいわ。
 武道か舞踊か、何かやってらっしゃるの?」
「……少しだけ、ですが」
 
 アジムは何をやっているのかを口に出さなかった。
 意識してかどうかはわからなかったが、そこにアジムの拒絶を感じたシズカはどう話題を転じようか考えを巡らせながら、黙って最後のおにぎりをアジムに差し出した。差し出されたアジムはおにぎりを受け取ろうと手を伸ばしかけたが、途中でその手を引っ込めた。

「シズカさん、1つしか食べてないんじゃ?」
「私にはこの大きさなおにぎりを二つも食べるのは無理ですよ。
 遠慮なく食べてしまってくださいね」
「あー……では、ありがたくいただきます」

 アジムは軽く頭を下げておにぎりを受け取ると、表情には出さないものの、うきうきとした気配が隠し切れずにおにぎりに噛り付く。シズカはたき火にかけたままの鍋からカップに湯を注いで、白湯を口にしながらアジムが嬉しそうに焼きおにぎりを食べきるのを待った。

「ご馳走様でした」
「はい、よろしゅうおあがり」

 アジムはシズカの返事を聞いて、わずかに目を見開く。そんなアジムの反応に、シズカは苦笑を浮かべた。

「あら、ごめんなさい。
 お粗末様でした、のほうがよかったかしら」
「いえ、祖母がそう言って返してくれていたので、懐かしくて」

 アジムが嬉しそうに目を細めるのを見て、シズカの笑みも自然と柔らかなものになる。アジムが自分もカップを用意して白湯を注ぐ。その間にシズカは使った小さな味噌の壺を自分の背負い袋に片づけた。

「ゲーム内でも味噌やご飯を食べられるとは思いませんでした……。
 ありがとうございました。美味しかったです」
「喜んでいただけたならよかったわ」
「この米や味噌は簡単に手に入るんですか?」
「お米はこのあたりで栽培されているお米を工夫して炊いたら
 日本のお米っぽく炊けるの。
 お味噌はほかのプレイヤーさんが作るお味噌だから、
 ちょっとお値段が高くなるけれど、
 ソフィアちゃんにお願いすれば手に入れてもらえるわよ」
「はあ、やっぱりお高いんですか」
「そうねぇ。私のこの壺で3万円くらいかしら」

 シズカは改めて背負い袋から味噌を入れた壺を取り出して振って見せる。大きさはシズカの片手で隠れてしまいそうなもので、現実リアルのスーパーなどでみる味噌のパックなどと比較するとかなり小さい。

「……円、ですか?」
「ああ、プレイヤー間だと銀貨や銅貨なんてほとんど使いませんからねぇ。
 だいたい金貨一枚を一円でお話されることがほとんどですよ」
「はあ、そうすると……こっ、この壺で金貨三万枚ィ!?」

 アジムは声を上げると地面に手をついて額をがつんと地面に叩きつけた。

「そんな高価なものとは知らずに3つも食ってしまってすみません!
 この上はおにぎりを収めた腹を掻っ捌いてお詫びと……!」
「だから切腹はやめてくださいー!」

 切腹を止めてからもひとしきりお金を返す返さないの押し問答をしてから、どうにかアジムを押し切ったシズカはプレイヤー同士の取引について説明する。

「プレイヤーの作るものですと、だいたいそのくらいはしますよ?
 アジムさんもお薬なんかは結構するでしょう?」
「俺の使う薬なんて、せいぜい銀貨数枚ですよ」
「ええ? NPCのお店で買ってらっしゃるの?
 アジムさん、プレイヤーの作るお薬をお使いにならないの?」
「どこで売っているかもよく知りませんが、
 どれもこれも高いんですよね?
 おいくらくらいするものなんでしょうか……?」
「そうねぇ、回復薬だと百円くらいかしら。
 傷と部位損傷回復、体力まで同時に回復させるものになると、
 千円を超えてくるものもあるけれど」

 アジムは困った顔をして頭を掻く。

「薬にそれだけお金をかけてしまうと、生活が……」
「ゲーム内でもなんだか所帯じみた悩みになってしまいますわねぇ」

 口元を隠して笑ってから、シズカは頬に手を当ててため息をつく。

「アジムさんが強すぎるせいか、
 皆さん、アジムさんが本当に初心者だというのを
 忘れてしまっているようですわね。
 まずはお金の稼ぎ方や、
 良い武具や消耗品の入手方法をお教えするべきだったのに。
 クラウスさんとリリィさんにメッセージを入れておきますから、
 お二人からそのあたりを教えていただいて、
 消耗品を良いものに変えれば、それだけでまた一段、強くなれると思います」

 アジムはシズカの言葉に曖昧に頷いた。たくさんお金を稼げるようになった自分が想像できなかったのだ。なんとなくその思いが理解できたシズカは苦笑しながらも、あえてそれ以上言葉を重ねることはなかった。

「それにしても、アジムさんはお強いわねぇ。
 私のような速さ特化型と戦った経験がまったくないのであれば、
 少なくとも20回くらいは首を刎ねて差し上げるつもりだったのに」

 柔らかな声音で恐ろしく物騒なことを言いだしたシズカに、アジムは首をかしげる。

「そう、ですか?
 何をしても剣の間合いではどうしようもなかった印象しかなかったんですけど」

 10回目くらいまでは一方的に首を落とされた。
 さすがにそれだけ殺されまくれば、シズカに剣を使わせた時点でほぼ詰んでいるのだと気づく。それ以降はシズカの間合いに入らずにシズカから剣を奪う方法を試すための戦いになった。リリィたちが「搦め手を覚えるのに適任」とシズカを推したのはシズカが「搦め手には弱いが、正攻法ではどうしようもない」相手だからなのだろうと理解して、思いついた搦め手を色々と試しながら、シズカを陵辱するまでにアジムの首は15回ほど胴体を離れて宙を舞った。

「まあ、それも正しいですね。
 私はステータスをSPD(速度)とDEX(器用さ)に特化していますし、
 <剣><刀><抜刀術>と、
 刀を扱うためだけに3つのスキル枠を使っています。
 アジムさんのほとんどの行動を見てから対応できますから、
 相性的に私がすごく有利だったんですよ」

 アジムの強みは腕力と体力を前提とした重く、分厚い鎧の防御力と、一撃で勝負を決め切る攻撃力だ。だが、シズカには分厚い鎧を避けて致命的な場所を狙える技術と、攻撃を紙一重で見切る速さがある。

できる権利を持っているようなものですから、
 よほど私が対応を間違えないかぎり、
 剣の間合いで私がアジムさんに不覚を取ることはありえないんです」

 なるほど、と頷いたアジムが不思議に思ったことを口にする。

「スキル枠を3つも刀を使うのに振っているのは、意味があるんですか?」
「スキルを重ねて取ると、1つだけのものよりも強化されるんです。
 重奏スキルと言って二つ重ねると二重奏デュオ
 私の場合は三つ重ねて三重奏トリオですね」

 そう説明してから、シズカは事前に説明されていたアジムのスキル構成を思い出して「んー」と少し考え込んで、

「アジムさんの場合は短剣を使うときには
 <剣>と<格闘>のスキルで二重奏になりそうですね。
 おそらく普段使っている大剣よりも、短剣を使うほうが巧みだと思いますよ。
 まあ、大剣のほうが間合いも威力もあるので、
 普段から短剣を使うのはオススメしませんが」

 アジムはまた頷いて少し考える。<格闘>が反応する短剣の長さはどのくらいだろうか。

「ああ、ナイフを投げるときはさらに<投擲>スキルも反応しますね。
 DEX(器用さ)に振っていないアジムさんが
 暗闇の中で私の腕を狙ってナイフを正確に投げられたのは
 三重奏になっていたからでしょうね」

 シズカはいつの間にか目を閉じて、まぶたの裏に最後に戦った記録ログを映しながら言葉を口にしていた。

「ん……映像記録とか、取れるんですか?」
「あらかじめ記録を取ろうとしておけば残しておけますよ。
 お送りしましょうか?」
「お願いします!」
「はい、少しだけお待ちになって」

 そう待つこともなく、アジムの視界の端にフレンドメッセージ着信の表示が現れる。目を閉じてシズカからのメッセージを表示させ、添付されていた記録ログを開くと、間合いを読み違えていきなり首をすっ飛ばされた初回の戦いが第三者視点から表示された。

「おお、すごい」

 抜刀を凌いだものの返しの刃で手首を吹っ飛ばされた2回目の戦いや、返しの刃を警戒しすぎて普通に初太刀の抜刀で首を落とされた3回目の戦いも、視点を変えてみるとそもそもシズカとの距離が近すぎたことがよくわかる。早送りや巻き戻しも自由なので、反省材料にすごく便利だ。そのまま倍速で記録を見ていたアジムは、最後にシズカを押し倒したところまで行って慌てて目を開けた。自分が女性にのしかかって腰を振っている姿など、見たくない。

「うふふ。
 これを送れば、主人はものすごくいきり立って
 私を襲ってくれるでしょう」

 そして、そのシーンの記録こそが目的だったシズカは無駄に輝いた笑顔で同じものを自分の現実のリアル亭主に送り付けていた。どういう表情を返していいのかわからず、アジムは口元をもにょもにょとさせたが、これが夫婦円満の秘訣なのであればまあいいか、と、若干ひきつった笑顔を返しておいた。

「後は……アジムさん、型の重要さは理解されているかしら。
 魔物と戦うときは型に嵌らないほうがいいこともあるけれど、
 対人をやるなら剣術の型を憶えたほうがいいわ。
 相手の攻撃を受けるために剣を振り上げてそのまま手首を返して斬りつける、
 斬りつけた剣の振りぬく方向で相手の反撃方法を制限するといった、
 動作の最適化はやっぱり何らかの剣術に則って覚えるほうがいいと思うの」

 おそらく何かの流派に所属していることで型の重要性を知っていることは推察できたが、シズカはあえてそれに気づかないふりをして言葉を口にした。
 それと気づかず、アジムはシズカに頷く。シズカの流れるような動きとまではいかなくとも、ある程度の動きの最適化が必要なことは、シズカと剣を合わせて痛感した。自分の剣には無駄が多すぎる。<剣>のスキルは剣をに操るスキルだ。その思った通りの動きに無駄が多ければ、せっかくのスキルがもったいない。

「いろんな流派の稽古なんかを追体験できるお店とかがあるので、
 こちらもリリィさんに紹介してもらうといいと思います。
 それもメッセージで入れておきますね」

 <剣>スキルがあれば身体は動くので、正解になる身体の動きを憶えてしまえばいい。何度か動きを繰り返せば、咄嗟の場合に<剣>スキルが反応して憶えたとおりに剣で受けてくれるだろう。

「何から何まで、ありがとうございます」
「いえいえ。がんばって強くなっていただければ、
 私のような攻撃型前衛の負担が軽くなるので、
 ギルド全体としてもとても良いことですから、お気になさらず」

 頭を下げたアジムと微笑を返したシズカの間に、一筋の光が落ちてくる。見上げると空が見えないほど茂った木々の間から、陽光が差し込み始めていた。会話が途切れると気の早い鳥たちの囀りも聞こえ始めている。

「夜明け、ですわね」

 シズカの言葉に頷いて、アジムは立ち上がった。

「そろそろ片づけましょうか。
 シズカさん、どこかの街までお送りしましょうか?」
「いえ、主人があの記録を見終わったら私を拉致しにくるので、
 私はこのまま捨て置いてください」
「はぁ……火はどうしましょう?」
「あ、そちらは消しておいていただけると助かります」

 アジムは鍋に残っていた湯をたき火にかけて消し、網と鍋を水で冷ますついでに小川から水を汲んで戻り、たき火に水をかけて念入りに消火してから、くみ上げた石を崩して後始末をする。シャツと鎧を身に着けて外套を羽織り、網と鍋を放り込んで背負い袋を肩にかける。
 シズカはアジムが後始末している間に、地面に敷かれたままの精液や愛液で汚れた毛布まで移動して、そこにへたり込んだ。なんでわざわざそんな汚れたところに座るのだろう、と思ったアジムが視線を向けると、シズカは「演出ですわよ」と応えてほほ笑んだ。
 アジムは苦笑を返して、荷物を担ぎなおした。

「それじゃ、失礼しますね」
「はい。私が主人から解放されたら、またお会いしましょう」

 肌襦袢の裾を押さえて手を振るシズカに見送られ、アジムは木漏れ日の山道を歩みだした。
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