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侍 シズカ・トモエ
侍 シズカ・トモエ(3)
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アジムは昼なお暗い、山道を歩いていた。
テントや水や食べ物、粗末な毛布などの野宿用の装備をまとめた袋と大剣を背負い、足早に険しい山道を進んでいく。書類配達の仕事を請け負い、いくつか山を越えた先にある街を目指していた。あまり時間に余裕のある依頼ではなかったため、宿場が多く歩きやすい大きな街道を諦めて険しいが距離が短くなる旧道を選択した。人通りの少ない旧道は山道で歩きにくく、踏み固められていない道は少し油断すると足を取られる。片側は崖になっていて、覗き込んでも底が見えない。うっかり足を踏み外せばどうなることか。しっかりと足元を確認しながら進みたいところだが、道の左右から木々が道に覆いかぶさるように繁茂していて、日の光が遮られていて見えにくい。そのうえ、その道に覆いかぶさる木々の落葉が道に降り積もり、滑る石を隠していて歩きにくさを加速させ、それが注意力と体力を奪っていく。自分なら野宿をしながら旧道を歩ききれる体力と、人気の少ない旧道で山賊や怪物に襲われても返り討ちにできる戦闘力があると踏んで旧道を選択したが、少し無謀だっただろうか。
そんな風に考えながらも黙々と足を進めていたアジムだったが、思わず舌打ちをしてしまう。ただでさえ薄暗い山道が、日が落ちて一気に視界が悪くなってきたのだ。
もう少し足を進めておきたかったが、無理をして足を滑らせて谷底に落ちてしまえばそれまでだ。体力と戦闘力でどうにかできるようなものではなくなってしまう。仕方なく、背負っていた袋を下ろして紐をほどこうとしたところで、視界の端に揺らめく赤い光が飛び込んで来た。目を向けてみると、アジムの向かう先のほうで、山道が少し開けて踊り場のようになっていて、誰かが火をつけたようだ。
寝返りするだけで崖を転げ落ちていくような山道でテントを張るよりも、先客がいるそこでテントを張らせてもらおう。
そう考えたアジムは一度下した袋を改めて背負いなおし、暗くなりきってしまう前にと揺らめく赤い光をたよりに山道を駆け出した。
視界が完全に闇に閉ざされてしまう前に、アジムはどうにか灯りのある踊り場までたどり着いた。分厚い鎧をつけたまま、大剣と旅支度を抱えて走ったが、さほど息も乱さず灯りの中に足を踏み入れる。
見れば若い女が一人で、たき火にの前に座って薪をくべていた。
年のころは17・8といったところだろうか。ルナロッサやソフィアと同じくらいに見えるが、若いものにある浮ついた気配がまるでない。凪いだ湖面のような、落ち着いたものを感じさせる。赤い炎の光のなかでもわかる白い肌は雪のようで、うっすらと輝きを帯びているようだ。整った鼻筋の下の唇は雪原に落ちた椿のように赤く、そこだけが色づいて強く目を引く。しっとりと濡れたような艶のある黒髪は一房にまとめて総髪に結い上げられて、前髪は目に入らないよう鉢がねで留められていた。髪と同じ色の瞳の切れ長の目は灯りの中に踏み込んだアジムを睨むようで、酷く冷たい光を宿している。
「あー。悪いが俺もここで野営させてもらえるか」
「貴方をお待ちしていました。
お名前は、アジムで間違いありませんね?」
「あぁ?」
突然現れた自分のような大男を警戒して、冷たい目をしているのだろうと低姿勢で声をかけてみたアジムは、返ってきた女の言葉に訝し気な声をあげた。
「どっかで会ったことがあるか?」
「いえ、初対面ですよ」
音もなくするりと立ち上がった女はアジムにそう声を返して、腰にある大小の柄に手をかけてその場所と手触りを確かめる。あからさまな戦闘準備の仕草を見て、アジムは慌てて背負い袋を放り出して大剣を手に、いつものポーションバックの位置と予備武器の小剣や短剣の有無を確認する。
「なんだよ。誰かに俺を狙う依頼でも受けたか?」
「そんなことはありません。これは私の意志です」
女は刀の柄に手をかけたまま、たき火を迂回して近づいてくる。たき火があるおかげで戦うのに不都合があるほどの暗さではない。あらためて近づいてきた女を見ると、西洋の革鎧を身に着けてはいるが、中に身に着けている衣類は東洋のもののようだ。下もズボンではなく袴を身に着けている。そのせいか、身体のラインははっきりとわからないが、背は女性としてもそう高くはなく、アジムの胸より少し低いくらいだ。体格もどちらかといえば華奢に見える。早さと鋭さに重きを置いた戦い方をするのだろうとアジムはあたりを付けた。
「私はリリィさんの友人です。
……もう、いいですね?」
女はアジムに刃を向ける理由を口にして、アジムから4歩ほど離れた場所で腰を落とし、刀の鯉口を切った。アジムは口元ににんまりと笑みを浮かべる。
「ああ、リリィちゃんのお友達か。
自分のまんこで奉仕するだけじゃなく、
次々に新しい女を送り込んでくれるなんて、
リリィちゃんは本当に、雌奴隷の鏡だな」
凪いだ湖面のようだった女の気配が、アジムの言葉に揺らぐ。怒りと殺意が陽炎のように立ち昇る。
「こっちからも質問させろよ。
俺が受けている書類配達の依頼はあんたか?」
じりじりとすり足で間合いを詰め始めていた女はアジムに対して頷いて見せた。
「それじゃあ、この依頼は偽物か。
事前の半金だけじゃ、わりにあわねぇな」
アジムはそこまで口にしてから大剣を大きく振りかぶり、
「残りはあんたの身体で支払ってもらおうか!」
大剣を女に向かって振り下ろす。
だが、女は自分に襲い掛かってくるその暴力の塊を、冷めた目で見ていた。
「お断り致します。
私には私とお家がこれと定めた、大切な方が居りますので」
アジムの大剣に向かって踏み込んだ女の腰から、光芒が走る。その輝きはアジムの振り下ろす大剣を正確に横から叩き、女を頭から両断するはずだった大剣の軌道を大きく逸らせた。そのまま鞘から解き放たれた白刃は大剣を巻き取るように遡り、絡みつくように大剣を握るアジムの手首を狙った。
アジムは咄嗟に手首を返して手甲でその一撃を受けたが、そこからさらに胴を狙った一太刀には反応しきれず、胸甲の隙間を狙われて肉を抉られた。
「……ってぇ!」
アジムは血を流しながら大きく飛び退って女から距離をとった。斬られた感触から深くはなさそうだったが、傷口が広い。動きに支障はないが、失血が長引くと体力を消耗する。だが、それ以上に女の剣の冴えのほうが問題だ。受けて、反撃して、さらに追撃するところまで一呼吸でやってのけた。正直、大剣のような大雑把な攻撃しかできない自分では、あの鋭く正確な剣を突破できる気がしない。
女はアジムが大きく後退したのを見て刀を振るって血糊を払い、抜身の刃を鞘に納めた。表情にでないように気を付けているが、女もアジムを斬った手ごたえに驚いていた。普通であれば胴を薙いだ一太刀で、臓腑まで抉っているはずだった。だが、斬りこんだ時に感じだのは、大木を斬りつけたときのような生きた分厚さと強靭さだ。このまま斬りこむと筋肉に刃を取られ、抜き差しならなくなると判断して表面を撫でるように刃を振りぬいた。結果、傷口は広いが大した深さの傷を与えることはできずに終わった。
「おう、あんた。
俺の名前を知ってるんだったら、せめて名前ぐらい名乗れよ。
ぶちこんでかわいがってやるときに不便じゃねぇか」
「今から死ぬ、性欲を抑えることもできない豚に名乗る謂れもないのですが、
死者への手向けに名乗りましょうか」
アジムは剣で戦うことを諦めた。ならば、女が剣以外に何をできるのか観察できる時間が欲しい。
女は剣で斬り捨てること以外、考えもしない。アジムの装甲の薄い場所や人体の急所を確認する時間が欲しい。
お互いの思惑が一致して、軽口をたたき合う。
「私はシズカ。シズカ・トモエ。
東の国にて巫術を能くする一族を守る、
剣の一族に連なるもの。そして新たな剣の一族を生み、育てるものです」
「ああ、つまり咥え込んで孕むのが仕事なわけだな。
よーし、俺ががっつり孕ませてやろうじゃねぇか」
「お黙りなさい! 私の伴侶はすでにきまっているのです。
貴方のような下賤な輩と……
そ、そのようなことをするなど、もってのほかです!」
シズカが顔を赤らめながら叫ぶ。アジムはシズカの初心な反応ににやつきながら、シズカの肢体に舐めるような視線を這わせていく。それは獲物をどう味わうかを検討する視線だったが、シズカの装備を確認する視線でもあった。腰の二本以外には外目にわかる装備はない。服の中に短刀くらいは隠しているかもしれないが、自分のポーションバックのようなものは持っていないようだ。
シズカの側もアジムの身体を検分する。アジムの胴はよほど深く踏み込まなければ深い傷を残せそうにない。首も身長差があるのでいきなり狙うには高さがつらい。シズカはそれよりもまずは手足を刻み、戦闘力を削る方針に切り替えた。手足の腱を覆う装甲をしっかりと目に焼き付ける。
「もう言葉を交わす気も失せました。
冥府に送り付けて差し上げましょう」
シズカは刀の柄に手をかけると、腰を沈め、じりじりとすり足で間合いを詰め始めた。
「俺もあんたのすまし顔は見飽きた。
そろそろぶちこんで泣き叫ぶ顔を見せてもらおう」
アジムのほうは威勢のいい言葉とは裏腹に、シズカが真っすぐ突っ込んでこれないよう、間にたき火を挟むように後退する。間合いを詰めようとするシズカと、後退するアジムはたき火を挟んでぐるぐると回転することになる。
「なんですか。口のわりに臆病な人ですね。
さっさと私に斬られてしまいなさい」
シズカは馬鹿にしたように言葉を口にする。アジムはシズカの口調から自分を侮る気配を感じて好機と判断し、たき火の周りを回転しあっている間に近づいていた、放り出していた自分の背負い袋を手に取る。アジムが期待したとおり、荷物を拾ってもシズカは警戒の色を濃くはしたが、突っ込んできたりはしなかった。
「うるせぇな。
すぐに可愛がってやるからガタガタ言うな」
アジムは背負い袋の中から、大きな袋を取り出した。ちゃぷちゃぷと音をさせるそれは水袋で、旅の間のアジムの渇きを潤してくれていたものだ。そんなものを取り出した意図がわからず、シズカは警戒をさらに強める。
アジムは水袋の口の紐をほどくと、それを唯一の灯りであるたき火に向かってぶちまけた。
「なっ!?」
灰が舞い上がり、炎が消える。闇が森に戻ってくる。
「なんのつもりですか!
これでは戦うどころでは……!」
戸惑い、焦ったシズカの声にアジムは笑みを浮かべて、いつも身に着けているポーションバックから手探りでポーション瓶を抜き取った。いつものセットの中にある<夜目>のポーションだ。慣れた手つきで封を切り、中のものを飲み下すと、闇の向こうで刀に手をかけたまま必死に目を凝らすシズカの姿がくっきりと見える。
シズカからは水で消えきらなかったたき火のわずかな残り火を頼りに、アジムの人影らしきものがわずかに見えるだけだ。それでもその人影が近づいてくればいつでも抜き打てるように、刀の柄から手を放すことはしない。
アジムはポーションバックから回復薬を取り出して腹の傷に振りかけて癒す。その物音さえも見えないシズカには不安をあおるものになる。
「何をしているのですか!」
アジムはシズカの声には答えず、傷を癒してから短剣を手に取った。何をしているかまではわからなくとも、シズカがある程度、自分が見えていることは目の動きからわかっている。うかつに近づけば、後のないシズカの全力の斬撃が襲ってくるのは間違いない。
アジムはシズカの剣を、甘く見るつもりは決してない。
「あっ! ぐっ……うぅぅ……」
アジムはシズカに向かって短剣を投げた。暗い森を切り裂いて飛んだ短剣は、アジムの狙い通り、刀の柄に手をかけていたシズカの右腕に突き立った。刀身の三割ほどが食い込んでいる。見えてさえいれば刀で容易く打ち払えただろう。だが、夜の闇はシズカから短剣を隠し、刃を扱う腕を奪ってしまった。
シズカが歯を食いしばって突き立った短剣を引き抜き、左手で脇差を抜き放つのを、アジムは黙ってみていた。右腕は力なく垂れ下がり、痛みをこらえる荒い息をしながら、それでも刀を構える姿を見て、アジムはにたりと笑みを浮かべ、舌なめずりをする。
アジムの中で、シズカが倒すべき敵から極上のご馳走になったのだ。
アジムは顔を腕で庇い、シズカに向かって無造作に突進する。大きな人影が近づいてくるのに合わせて、シズカは刀を振るう。だが、利き腕ではない左手で、脇差を振るっての斬撃はアジムの突進を止めるほどの脅威にはならない。シズカはそのままアジムの巨体に身体を押し倒された。
テントや水や食べ物、粗末な毛布などの野宿用の装備をまとめた袋と大剣を背負い、足早に険しい山道を進んでいく。書類配達の仕事を請け負い、いくつか山を越えた先にある街を目指していた。あまり時間に余裕のある依頼ではなかったため、宿場が多く歩きやすい大きな街道を諦めて険しいが距離が短くなる旧道を選択した。人通りの少ない旧道は山道で歩きにくく、踏み固められていない道は少し油断すると足を取られる。片側は崖になっていて、覗き込んでも底が見えない。うっかり足を踏み外せばどうなることか。しっかりと足元を確認しながら進みたいところだが、道の左右から木々が道に覆いかぶさるように繁茂していて、日の光が遮られていて見えにくい。そのうえ、その道に覆いかぶさる木々の落葉が道に降り積もり、滑る石を隠していて歩きにくさを加速させ、それが注意力と体力を奪っていく。自分なら野宿をしながら旧道を歩ききれる体力と、人気の少ない旧道で山賊や怪物に襲われても返り討ちにできる戦闘力があると踏んで旧道を選択したが、少し無謀だっただろうか。
そんな風に考えながらも黙々と足を進めていたアジムだったが、思わず舌打ちをしてしまう。ただでさえ薄暗い山道が、日が落ちて一気に視界が悪くなってきたのだ。
もう少し足を進めておきたかったが、無理をして足を滑らせて谷底に落ちてしまえばそれまでだ。体力と戦闘力でどうにかできるようなものではなくなってしまう。仕方なく、背負っていた袋を下ろして紐をほどこうとしたところで、視界の端に揺らめく赤い光が飛び込んで来た。目を向けてみると、アジムの向かう先のほうで、山道が少し開けて踊り場のようになっていて、誰かが火をつけたようだ。
寝返りするだけで崖を転げ落ちていくような山道でテントを張るよりも、先客がいるそこでテントを張らせてもらおう。
そう考えたアジムは一度下した袋を改めて背負いなおし、暗くなりきってしまう前にと揺らめく赤い光をたよりに山道を駆け出した。
視界が完全に闇に閉ざされてしまう前に、アジムはどうにか灯りのある踊り場までたどり着いた。分厚い鎧をつけたまま、大剣と旅支度を抱えて走ったが、さほど息も乱さず灯りの中に足を踏み入れる。
見れば若い女が一人で、たき火にの前に座って薪をくべていた。
年のころは17・8といったところだろうか。ルナロッサやソフィアと同じくらいに見えるが、若いものにある浮ついた気配がまるでない。凪いだ湖面のような、落ち着いたものを感じさせる。赤い炎の光のなかでもわかる白い肌は雪のようで、うっすらと輝きを帯びているようだ。整った鼻筋の下の唇は雪原に落ちた椿のように赤く、そこだけが色づいて強く目を引く。しっとりと濡れたような艶のある黒髪は一房にまとめて総髪に結い上げられて、前髪は目に入らないよう鉢がねで留められていた。髪と同じ色の瞳の切れ長の目は灯りの中に踏み込んだアジムを睨むようで、酷く冷たい光を宿している。
「あー。悪いが俺もここで野営させてもらえるか」
「貴方をお待ちしていました。
お名前は、アジムで間違いありませんね?」
「あぁ?」
突然現れた自分のような大男を警戒して、冷たい目をしているのだろうと低姿勢で声をかけてみたアジムは、返ってきた女の言葉に訝し気な声をあげた。
「どっかで会ったことがあるか?」
「いえ、初対面ですよ」
音もなくするりと立ち上がった女はアジムにそう声を返して、腰にある大小の柄に手をかけてその場所と手触りを確かめる。あからさまな戦闘準備の仕草を見て、アジムは慌てて背負い袋を放り出して大剣を手に、いつものポーションバックの位置と予備武器の小剣や短剣の有無を確認する。
「なんだよ。誰かに俺を狙う依頼でも受けたか?」
「そんなことはありません。これは私の意志です」
女は刀の柄に手をかけたまま、たき火を迂回して近づいてくる。たき火があるおかげで戦うのに不都合があるほどの暗さではない。あらためて近づいてきた女を見ると、西洋の革鎧を身に着けてはいるが、中に身に着けている衣類は東洋のもののようだ。下もズボンではなく袴を身に着けている。そのせいか、身体のラインははっきりとわからないが、背は女性としてもそう高くはなく、アジムの胸より少し低いくらいだ。体格もどちらかといえば華奢に見える。早さと鋭さに重きを置いた戦い方をするのだろうとアジムはあたりを付けた。
「私はリリィさんの友人です。
……もう、いいですね?」
女はアジムに刃を向ける理由を口にして、アジムから4歩ほど離れた場所で腰を落とし、刀の鯉口を切った。アジムは口元ににんまりと笑みを浮かべる。
「ああ、リリィちゃんのお友達か。
自分のまんこで奉仕するだけじゃなく、
次々に新しい女を送り込んでくれるなんて、
リリィちゃんは本当に、雌奴隷の鏡だな」
凪いだ湖面のようだった女の気配が、アジムの言葉に揺らぐ。怒りと殺意が陽炎のように立ち昇る。
「こっちからも質問させろよ。
俺が受けている書類配達の依頼はあんたか?」
じりじりとすり足で間合いを詰め始めていた女はアジムに対して頷いて見せた。
「それじゃあ、この依頼は偽物か。
事前の半金だけじゃ、わりにあわねぇな」
アジムはそこまで口にしてから大剣を大きく振りかぶり、
「残りはあんたの身体で支払ってもらおうか!」
大剣を女に向かって振り下ろす。
だが、女は自分に襲い掛かってくるその暴力の塊を、冷めた目で見ていた。
「お断り致します。
私には私とお家がこれと定めた、大切な方が居りますので」
アジムの大剣に向かって踏み込んだ女の腰から、光芒が走る。その輝きはアジムの振り下ろす大剣を正確に横から叩き、女を頭から両断するはずだった大剣の軌道を大きく逸らせた。そのまま鞘から解き放たれた白刃は大剣を巻き取るように遡り、絡みつくように大剣を握るアジムの手首を狙った。
アジムは咄嗟に手首を返して手甲でその一撃を受けたが、そこからさらに胴を狙った一太刀には反応しきれず、胸甲の隙間を狙われて肉を抉られた。
「……ってぇ!」
アジムは血を流しながら大きく飛び退って女から距離をとった。斬られた感触から深くはなさそうだったが、傷口が広い。動きに支障はないが、失血が長引くと体力を消耗する。だが、それ以上に女の剣の冴えのほうが問題だ。受けて、反撃して、さらに追撃するところまで一呼吸でやってのけた。正直、大剣のような大雑把な攻撃しかできない自分では、あの鋭く正確な剣を突破できる気がしない。
女はアジムが大きく後退したのを見て刀を振るって血糊を払い、抜身の刃を鞘に納めた。表情にでないように気を付けているが、女もアジムを斬った手ごたえに驚いていた。普通であれば胴を薙いだ一太刀で、臓腑まで抉っているはずだった。だが、斬りこんだ時に感じだのは、大木を斬りつけたときのような生きた分厚さと強靭さだ。このまま斬りこむと筋肉に刃を取られ、抜き差しならなくなると判断して表面を撫でるように刃を振りぬいた。結果、傷口は広いが大した深さの傷を与えることはできずに終わった。
「おう、あんた。
俺の名前を知ってるんだったら、せめて名前ぐらい名乗れよ。
ぶちこんでかわいがってやるときに不便じゃねぇか」
「今から死ぬ、性欲を抑えることもできない豚に名乗る謂れもないのですが、
死者への手向けに名乗りましょうか」
アジムは剣で戦うことを諦めた。ならば、女が剣以外に何をできるのか観察できる時間が欲しい。
女は剣で斬り捨てること以外、考えもしない。アジムの装甲の薄い場所や人体の急所を確認する時間が欲しい。
お互いの思惑が一致して、軽口をたたき合う。
「私はシズカ。シズカ・トモエ。
東の国にて巫術を能くする一族を守る、
剣の一族に連なるもの。そして新たな剣の一族を生み、育てるものです」
「ああ、つまり咥え込んで孕むのが仕事なわけだな。
よーし、俺ががっつり孕ませてやろうじゃねぇか」
「お黙りなさい! 私の伴侶はすでにきまっているのです。
貴方のような下賤な輩と……
そ、そのようなことをするなど、もってのほかです!」
シズカが顔を赤らめながら叫ぶ。アジムはシズカの初心な反応ににやつきながら、シズカの肢体に舐めるような視線を這わせていく。それは獲物をどう味わうかを検討する視線だったが、シズカの装備を確認する視線でもあった。腰の二本以外には外目にわかる装備はない。服の中に短刀くらいは隠しているかもしれないが、自分のポーションバックのようなものは持っていないようだ。
シズカの側もアジムの身体を検分する。アジムの胴はよほど深く踏み込まなければ深い傷を残せそうにない。首も身長差があるのでいきなり狙うには高さがつらい。シズカはそれよりもまずは手足を刻み、戦闘力を削る方針に切り替えた。手足の腱を覆う装甲をしっかりと目に焼き付ける。
「もう言葉を交わす気も失せました。
冥府に送り付けて差し上げましょう」
シズカは刀の柄に手をかけると、腰を沈め、じりじりとすり足で間合いを詰め始めた。
「俺もあんたのすまし顔は見飽きた。
そろそろぶちこんで泣き叫ぶ顔を見せてもらおう」
アジムのほうは威勢のいい言葉とは裏腹に、シズカが真っすぐ突っ込んでこれないよう、間にたき火を挟むように後退する。間合いを詰めようとするシズカと、後退するアジムはたき火を挟んでぐるぐると回転することになる。
「なんですか。口のわりに臆病な人ですね。
さっさと私に斬られてしまいなさい」
シズカは馬鹿にしたように言葉を口にする。アジムはシズカの口調から自分を侮る気配を感じて好機と判断し、たき火の周りを回転しあっている間に近づいていた、放り出していた自分の背負い袋を手に取る。アジムが期待したとおり、荷物を拾ってもシズカは警戒の色を濃くはしたが、突っ込んできたりはしなかった。
「うるせぇな。
すぐに可愛がってやるからガタガタ言うな」
アジムは背負い袋の中から、大きな袋を取り出した。ちゃぷちゃぷと音をさせるそれは水袋で、旅の間のアジムの渇きを潤してくれていたものだ。そんなものを取り出した意図がわからず、シズカは警戒をさらに強める。
アジムは水袋の口の紐をほどくと、それを唯一の灯りであるたき火に向かってぶちまけた。
「なっ!?」
灰が舞い上がり、炎が消える。闇が森に戻ってくる。
「なんのつもりですか!
これでは戦うどころでは……!」
戸惑い、焦ったシズカの声にアジムは笑みを浮かべて、いつも身に着けているポーションバックから手探りでポーション瓶を抜き取った。いつものセットの中にある<夜目>のポーションだ。慣れた手つきで封を切り、中のものを飲み下すと、闇の向こうで刀に手をかけたまま必死に目を凝らすシズカの姿がくっきりと見える。
シズカからは水で消えきらなかったたき火のわずかな残り火を頼りに、アジムの人影らしきものがわずかに見えるだけだ。それでもその人影が近づいてくればいつでも抜き打てるように、刀の柄から手を放すことはしない。
アジムはポーションバックから回復薬を取り出して腹の傷に振りかけて癒す。その物音さえも見えないシズカには不安をあおるものになる。
「何をしているのですか!」
アジムはシズカの声には答えず、傷を癒してから短剣を手に取った。何をしているかまではわからなくとも、シズカがある程度、自分が見えていることは目の動きからわかっている。うかつに近づけば、後のないシズカの全力の斬撃が襲ってくるのは間違いない。
アジムはシズカの剣を、甘く見るつもりは決してない。
「あっ! ぐっ……うぅぅ……」
アジムはシズカに向かって短剣を投げた。暗い森を切り裂いて飛んだ短剣は、アジムの狙い通り、刀の柄に手をかけていたシズカの右腕に突き立った。刀身の三割ほどが食い込んでいる。見えてさえいれば刀で容易く打ち払えただろう。だが、夜の闇はシズカから短剣を隠し、刃を扱う腕を奪ってしまった。
シズカが歯を食いしばって突き立った短剣を引き抜き、左手で脇差を抜き放つのを、アジムは黙ってみていた。右腕は力なく垂れ下がり、痛みをこらえる荒い息をしながら、それでも刀を構える姿を見て、アジムはにたりと笑みを浮かべ、舌なめずりをする。
アジムの中で、シズカが倒すべき敵から極上のご馳走になったのだ。
アジムは顔を腕で庇い、シズカに向かって無造作に突進する。大きな人影が近づいてくるのに合わせて、シズカは刀を振るう。だが、利き腕ではない左手で、脇差を振るっての斬撃はアジムの突進を止めるほどの脅威にはならない。シズカはそのままアジムの巨体に身体を押し倒された。
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「なれたらいいと思ってる」
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食べさせあいをしたり、キスやその先もしてみたり。
恋人になった後は今までよりもっと楽しい毎日。
そんな俺達は大学に入る時に籍を入れて学生夫婦としての生活も開始。
夜一緒に寝たり、一緒に大学の講義を受けたり、新婚旅行に行ったりと
新婚生活も満喫中。
これは俺と百合が恋人としてイチャイチャしたり、
新婚生活を楽しんだりする、甘くてほのぼのとする日常のお話。
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