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侍 シズカ・トモエ

侍 シズカ・トモエ(1)

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 ローズガーデン姉妹を散々に弄りまわした数日後、アジムは綿のシャツと麻のズボンに肩掛けカバンを肩にかけ、片手剣を腰に下げてメモを片手に街を歩いていた。

 潮の匂いがする風を受けながら、煌びやかな教会の前を歩く。教会の前は大きな広場になっていて、大道芸人や露店が立ち並ぶ。その周りを別な大きな建物が囲い、広場が一つの舞踏場のようだ。だが舞踏場の背景となる教会は煌びやかな装飾に彩られ、舞踏場の役者が主役になれることはなさそうだ。絢爛な装飾はその教会の宗教絵画がほとんどだが、目もくらむような輝きを持ったそれには信者でなくとも、心を動かされるものは多いだろう。
 だが、メモを片手に歩くアジムは人込みの中でうっかり他人様を蹴り飛ばしてしまわないよう必死で、教会の威容を楽しむ余裕はまったくなかった。まわりを歩く普通の人の身長だと、アジムの肩のあたりまで来る人がかなり長身なほうで、男性でもほとんどが胸からみぞおちにかけてくらいの身長しかない。小柄な女性や子供などはせいぜい腰よりちょっと上、程度だ。人込みの中をアジムがまったく配慮せずに普通に歩くと、とんでもないことになってしまうし、何も注意せず歩く方向を変えると肩掛けカバンがほかの人の顔面を直撃する。だというのに、周りを行きかう人々はアジムを顧みることなく、ワインの瓶を片手に大道芸を楽しみ、露店でスップリライスコロッケやパニーニなどの食べ物を買い込んで食べながら広場の喧騒を楽しんでいる。揚げ物の露店の中には、唐揚げの店も混じっていた。プレイヤーのゲーム世界に対する影響を感じさせるそれに、食欲をくすぐられたが、この後の予定を思い出して自重する。

 アジムはどうにか人波を泳ぎ切って人気が少ない路地まで出ると、広場を振り返ってみた。肌の白い、黒い、黄色いだけでなく、森妖精エルフ山妖精ドワーフ、身体がふさふさとした毛皮に覆われた獣人や、鱗で覆われた爬虫人リザードマン、蝶や蜂の羽で行きかう人たちの間を飛び回る妖精族フェアリーなど、人間以外の種族も入り混じって祭りを楽しむ人々が目に飛び込んで来た。アジムはただでさえ細い目をさらに細くして、その騒がしくも楽し気な光景を見ていた。普段は不機嫌そうに引き結んでいるように見える口元も、わずかに綻んでいる。だが、目の端をかすめたものに緩んでいた顔は顰められ、眉間にも深い皺が刻まれた。

 アジムの目に映ったのは、檻だった。閉じ込められ、首輪を付けられ、値段をつけられているモノ・・は、広場で祭りを楽しんでいる者たちと同じはずのモノ・・だ。

 アジムはため息とともに、その光景から背を向けた。そういうモノがメインのゲームであることは承知していたつもりだった。だが、実際にその光景を目にすると、何とも言えない不快感と哀しみが、腹の底から湧き上がってくる。しかし、アジムに奴隷解放の父リンカーンを気取るつもりはない。このゲーム内においては、アジムのほうが異端だからだ。ただ、自分は奴隷を買うことはできなさそうだな、と思った。

 アジムは目に焼き付いた光景から逃げるように、足早に街路を進んでいく。
 メモを頼りに広場を背にして進んでいくと、潮の匂いが強くなってくる。途中に運河らしき水路に差し掛かると、石造りの橋がその水路を跨いでいた。アジムが橋に差し掛かると、ちょうどその橋の下を荷物を満載したゴンドラが通り過ぎていく。ゴンドラの船頭が橋の上のアジムに気づき、帽子をとって挨拶してくれた。アジムも船頭に手を振って返し、さらに足を進めていく。

 そのまま足を進めていると、港についた。遠目に小型の漁船がたくさんと係留されているのが見える。潮の匂いに混じって魚の匂いが強く漂ってきた。近くに市場でもあるのだろう。アジムは改めてメモを見直し、港の敷地から少し外れた倉庫街らしき赤レンガの建物に足の方向を変えた。

 赤レンガの建物はどれも重厚な作りをしていて、出入口が広くとられていた。やはり倉庫街だったようだ。その倉庫街の中を進んでいくと、ある一画だけが同じ赤レンガの建物でも重々しさのない、鮮やかなレンガを使った区画があった。出入口も普通のドアで、どうやらそこが倉庫街を管理する商人たちが居を構える商館区画のようだった。アジムは軽く安堵の息をついて、一軒一軒、屋号を確かめて歩く。

 いくつかの商館を巡ってようやく目的の看板を見つけて、アジムは少し下がって商館を見上げる。ほかの建物と同じく鮮やかな赤レンガが印象的な商館だ。大きさはほかの商館よりも小さめだが、ほかの商館と違い赤レンガの色だけではなく、随所に白や色の違う赤で彩が加えられている。ガラス窓も武骨なほかの商館とは違い、桟にレリーフが施されて華やかさを感じるものになっていた。

 アジムがそんな商館に改めて近づいてそのドアをノックすると「うぇーい」という気の抜けた返事と「リリィ、頼む」「はーい」という声が聞こえて、ほどなくドアが開かれる。

「いらっしゃい、アジムくん!」

 ドアの向こうからリリィの満面の笑みが出迎えてくれた。白いブラウスに藍色のスカートというシンプルだが上品なよそおいで、普段はツインテールに結んでいる髪を、今日はポニーテールにまとめている。そうしていると鎧姿のときよりも淑やかな雰囲気で、どこかの令嬢のようだ。

「お邪魔します、リリィさん。
 二人は?」
「中でお料理中。さ、入って入って」
「お邪魔します」

 アジムはリリィと言葉を交わして商館の中に招かれながら、ほっとしている自分に気づく。奴隷市を見てささくれ立っていた気分が、リリィの笑顔を見てぐっと楽になっていた。自分を案内するため一歩先を歩くリリィの背中を見ながら感謝の念を抱きつつ、アジムはリリィの後ろについて廊下を進む。

 廊下と部屋を隔てる大きなガラス窓の向こうに、机がいくつか並んでいる。どうやらローズガーデン商会の事務所らしい。今日は休みなのか、人はおらずひっそりとした部屋にはヨーロッパを中心とした世界地図がかけられていて、何やら書きつけたメモがユーラシア大陸の色々な場所にピンで留められている。日本を中心とした世界地図しか馴染みのないアジムからするとヨーロッパが中心の地図は違和感があるが、日本と違う土地なんだなぁ、と感慨もあった。

「おう、来たな!
 先に上がってもうちょっとまってくれよな!」

 アジムがリリィの背について廊下の階段を上りかけていると、事務所のさらに奥のドアからルナロッサが顔をのぞかせた。それと同時にものすごく空腹に訴えかけてくる匂いが漂ってきた。どうやらそこがキッチンのようだ。何か揚げ物をする音がしている。ルナロッサはアジムの顔を見てにっと笑って見せてから、すぐに引っ込んでしまった。まだ何やら調理中なのだろう。

「ルナはスキルを入れてるわけじゃないんだけど、すっごくお料理上手なんだよ」
現実リアルでお料理上手なんですかね?」
「うん、そうなんだと思う」

 現実でできることがゲームオンラインになったからといって、できなくなることはない。現実でできることをオンラインに持ち込んでいるものをリアルスキルと呼ぶ。ルナロッサは料理にスキルポイントを振っていないので、その腕はリアルスキルによるものだ。

「今日はアジムくんのために、
 ヴェネツィアのお料理作ってくれてるんだって!
 楽しみだね!」
「リリィさんは料理は……あ、いえ、わかりました」

 言葉の途中でじっとりとした視線を向けられてアジムは思わず首をすくめた。アジムはそのまま階段を登り切り、リリィに広間だと説明された部屋に足を踏み入れる。

「ようこそ! <明日見る風景>へ!」

 アジムが広間に足を踏み入れると同時に、揃った歓迎の声がかかった。
 驚いたアジムが足を止めると、クラウスを中心に左右に並んだギルドメンバーが一斉に手を叩いてアジムを歓迎してくれていた。

「ほら、アジムくん! 入って入って!」

 先に部屋に入ってほかのメンバーと一緒に手を叩いていたリリィに促されてアジムが部屋に足を進めると、気の強そうなエルフ耳の少女に案内されるままに広間にあった大テーブルの主賓席に座らされる。ほつれた金髪と泣き黒子が印象的な女性にグラスを渡され、イヌ科の獣人らしき耳の少女がそこにワインを満たしてくれた。
 アジムが目を白黒させていると、それぞれ左右の席についたリリィとクラウスが若干の気まずさをにじませて声をかけてくる。

「ごめんね、アジムくんにはルナとソフィアのお食事会って伝えてたんだけど、
 みんなが知ったら参加したいって言いだしてね」
「連絡が行き届かなくて申し訳なかったんだけど、
 かなりの数のギルドメンバーが揃いそうだったから、歓迎会に変更させてもらったんだ」
「そうなんですか。
 ああ、歓迎してもらえているのがわかって嬉しいので、気にしないでください」

 申し訳なさそうな二人に、アジムは笑みを浮かべてワイングラスを振って見せた。ほっとして肩の力を抜くリリィとクラウスは自分たちもワイングラスを手に取った。

「ありがと。それじゃ、乾杯しようか」
「はい」
「そうだね。じゃあ、乾杯の音頭をよろしく」
「え、私!?」
主賓アジムを勧誘したのはリリィさんだしね」

 クラウスが気楽に笑う。
 リリィがテーブルに目を向けると、個々にしゃべりあっていたはずのギルドメンバーたちが、いつの間にやらワインのグラスを手にして話すのをやめて3人に目を向けていた。キッチンにいたはずのルナロッサもワイングラスを片手にドアにもたれて立っている。

「あ~、え~……そのー。
 アジムくんです! えと、まだ初心者なので、色々と教えてあげてください。
 決闘をメインにプレイするそうなので、特に戦闘関連を教えてあげてもらえると
 よろこんで……もらえるんだよね? うん、そうらしいので、
 わからん殺し初見殺し戦術の避け方とか、戦闘関連を中心に教えてあげてください」

 リリィが戸惑いながらも立ち上がってアジムを紹介してくれる。紹介の途中でリリィに声をかけられたので、アジムは頷いた。自分を紹介してくれるリリィの声をありがたく思いながら聞いていたが、最後に付け加えられた言葉にぎょっとする。

「逆に、ベッドの上では徹底的にわからされる・・・・・・ので、
 わからされたい人は積極的に決闘を挑んでみるといいかも!」
「え、ちょ」
「それじゃ、みんなワインは手に持ってるよね?
 かんぱーい!」
「かんぱーい!!」

 最後の最後にアジムを置いてきぼりにして歓迎会は始まった。
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