オー、ブラザーズ!

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第31話 ビンセントの罪と野望

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 みんなの願いを聞き終えてから、デレクとジョンはサミーと別れ、バード戦車長と連絡を取った。ビンセントと再び対決すると告げると、戦車長は詳しい説明も待たずに言った。
「分かった。待ってろ。今からそっちに行く」
 いつも気持ちの良い開けっ広げな話し方をするバード戦車長の声が、ジョンにはひどく落ち着いて聞こえた。なんとなく不吉な気持ちに駆られてしまう。もしかしたら……と脳裏を掠める。もしかしたらまた戦車長のところに犠牲が出たのかもしれない。

 小一時間もすると、熱に淀んだ空気をかき回すようなエンジン音が響いてきた。バード戦車長だ。明後日の計画を話し合っていたデレクとジョンは、はっと顔を見交わし頷き合った。急いでハッチから外へ出る。
 戦車長も、ちょうど顔を出したところだった。彼はブンブン音が鳴りそうなほど大きく手を振ってくれた。ちょっとだけ、さっきの不安が和らいでいく。
「昨日は大変だっただろう。みんな無事か?」
 顔を合わせてすぐ、バード戦車長はそう口にした。
「大丈夫です。ダンの他は、みんな怪我もありません」
 戦車長の目が、弓なりに細まる。機嫌よく、優しい笑顔だ。ジョンの気持ちもすっかりほぐれ、口角が上がっていく。
「戦車長の方は大丈夫? 誰か怪我したりしてませんか?」
 自然と言葉が出ていた。戦車長は相変わらず大らかな笑みを湛えて、
「ああ、平気だよ。それより、役に立てなくて本当にすまなかった」
 そんなことありません! と口を開きかけた時、デレクが応えてしまっていた。ものすごく事務的な口調で。
「別にいい。オレたちの計画がまずかったんだ。あんたのせいじゃない。それより――」
 彼は一度言葉を切って、少し視線を下げる。そして、ちょっと逡巡するように宙を見つめた後、再びバード戦車長と目を合わせて、
「またあんたに協力してもらいたいんだ」
 戦車長はきょとんとした。でも一瞬を置いて、声を上げて笑いだす。嫌な感じが一つもない、きっぷのいい大きな笑い方だ。
「改めてそんなこと言われるなんてな。もちろん協力はする。一度組んだんだ。最後まで付き合うよ」
 ジョンの気持ちを晴れやかにした笑顔は、しかし、そこで急にくもった。
「でもな、お前らビンセントって男をもう少し理解した方がいい。あいつは自分の思い通りにするためには、何でもする奴だ」
「そんなこと、分かってる」
 噛み付くようにデレクが言う。戦車長の目が鋭くなった。
「分かってねえから言ってんだ」
 彼は深く息を吸って吐き出し、表情をゆるめた。
「お前らは、あいつがどういう風にして今みたいになったか知らないだろう。だから『何でもする』ってことの意味が分からないんだよ。それに、もしかしたら弱点になるかもしれんことをな」
 急に呼び覚まされたような驚きに、ジョンとデレクはそろって目を見張った。デレクが食い付くように戦車長を見る。
「弱点なんて、あんのか?」
 バード戦車長は少したじろいだ。
「いや、『もしかしたら』って言っただろ。はっきり言い切れないが、可能性はある。まあ、オレの話を聞け」
 戦車長は確かめるように二人の顔を見た。そして、そこに肯定の意味を見つけたらしく、ゆっくりと話し始める。
「ビンセントは昔、掃除兵だったんだよ。オレとは歳も近いからな、同じ時期に働いてて、乗ってる戦車同士が戦うこともよくあった。だからお互いに相手のことは目にしていたし、オレの方は、友達ってわけじゃないが似たような境遇にいる同志みたいな気持ちを、なんとなく持ってた。でも、あいつにとっちゃ、オレなんかどうでも良かったんだ。奴が関心を持ってたのは、オレらの戦車の縄張り辺りで水を売り歩いてた孤児だった。ケンって名前の、オレやビンセントと同じくらいの子どもで、水の買い付けを任された掃除兵にはちょっと多めに水を分けてくれてな。おかげでその辺りの掃除兵はみんな水に飢えることがなかった。心根の優しい、いい奴だったよ」
 戦車長は一度口をつぐみ、小さな目をそっと伏せた。
「ケンは水売りの他に、体も売ってたらしくてな。そうやって、なんとか生きていけるだけ稼いでたんだ。でも中には、孤児なんていつ犯してもいいと思ってる連中もいた。まあ、ランディみたいな輩さ。そういう奴が、真昼間っからケンを犯そうとしたことがあってな。たまたまオレとビンセントは水を買いに行ってたんだ。恥ずかしいけどオレは体がすくんでしまってな、何にもせずに見てるしかできなかった。でもビンセントは――あいつは持ってた水入れ振り回して、大人相手に向かっていった。下手したら自分だって犯されかねない状況でな。でも、運よくその時のそいつは腰抜けで、ビンセントにぶん殴られて慌てて逃げてったよ。それがきっかけで、ビンセントとケンはどんどん親しくなってったらしくて、その内にこんな噂を聞いた。『ビンセントが水売りのケンと逃亡した』ってな」
 戦車長はまた話すのを止め、物憂げに視線をゆらゆらさせた。少年時代を、きっと辛かったであろう日々を漂っている戦車長の心をこの場へ引き戻すのがためらわれ、ジョンはじっと待った。しばらくすると、再び戦車長が話し始める。
「何か月も、ビンセントとケンの行方は分からなかった。だがある日、ビンセントが仲間を大勢引き連れて現れた。奴は自分が掃除兵として働いてた戦車を襲ったんだ。襲撃は成功、ビンセントはその戦車を乗っ取った。それで、仕事で外に出されたオレのところにやって来た。『仲間のならないか』って誘いにな。でも、オレはそんなことよりもケンのことが気になっちまって、聞いたんだ。そしたらあいつは『死んだ』って答えた。なんでだって聞いたら……あいつ、『オレが殺して喰った』って言いやがった」
 言いようのない、ざわざわとした恐怖が、ジョンの皮膚の上を這っていった。戦車長は大きく息をつき、かぶりを振った。
「そん時はオレもびっくりしちまって、当然誘いは断った。それで、長いことビンセントとは関わらないようにしてきた。今もできれば近寄りたくないって気持ちが、ちょっとはある。けどな、ケンとのことを聞いてから何年も経ってから、ビンセントが孤児を何人も拾って面倒見てるって話を聞いたんだ。それで、やっと気がついた。『あれ』はビンセントにとって生きるための最終手段だったんだって。本当はケンのことを殺したくなんて、まして食いたくなんて、なかったんだってな。でも、そうしなきゃならなかった。あいつには生き延びて叶えるべき野望があったんだよ。それで今、みんなが恐れて逆らえないくらいの男になったんだ」
 しん、と沈黙が耳の深くにまで届いてくる。そうやってどれほど経った頃か、デレクが口を開いた。
「じゃあ、弱点ってのはトミーのことか?」
 戦車長は頷いた。
「ああ。もし、あいつがちょっとでも情のあるところを見せるとしたら、相手はトミーだ。トミーの方だって、口にはしないが料理長の敵を取りたいだろうしな」
 ジョンは何と言ったらいいか分からず、俯いていた。野望があるからって、友達を、大切な友達を殺して食べるなんてどうしても信じられなくて、心の表面まで、ぞくりと粟立った。

「あと――」
 ジョンが足元へ視線を落としていると、デレクが口を開いた。
「妙なことがあったんだ。ビンセントに撃たれて頬を弾がかすったみたいなんだけど、その時、ビンセントは手に銃を持ってなかったんだ。どういうことか、あんたに分かるか?」
 バード戦車長は少し怪訝そうな顔をしたけれど、すぐに眉間を解いた。
「おそらく、不可視化膜だ。薄っぺらい布みたいなもんなんだけどな、表面が反射された光の経路を変える働きをするらしい。そうするとその膜の下にある物は見えなくなる。かなり高価だからな、普通は特定の職業の人間しか持ってないもんなんだが」
 バード戦車長は深く息をついた。
「確かに、戦闘に使えればかなり便利だな」
 戦車長は頭をちょっとかくと、「頑張れよ」と言って踵を返した。
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