オー、ブラザーズ!

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第22話 バイクの正体

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 逃げおおせたのは奇跡に近かった。全てあの正体不明のバイクのおかげだ。デレクは視察口の梯子を降りながら考えていた。あいつは一体誰だったのだろう?
「デレク!」
 声をかけられ顔を上げると、ハッチから戻ってきたサミーがこちらへ向かってきていた。
「さっきのバイクが来た」
 巡らしていた思考が吹き飛んだ。デレクはすぐさま砲塔から出て、ハッチへ走った。
 太陽はもう半分以上地平線に沈んでいた。最後の力を振り絞るようにこうこうと燃え、砂漠を赤く照らしている。そのまっさらな赤い砂地にぽつんと濃い影を落として、バイクがやって来る。彼はすぐそこでおもむろに停止し、
「あっちの戦車は動けない。追手も巻いたから、ひとまず大丈夫だ」
 そう言ってヘルメットを外す。小さな目にそばかすだらけの強張った顔が現れた。
「トミー⁉」
 デレクは思わず目を見張った。「お前、なんで……?」
 その後の言葉が見つからず、声が喉でつっかえる。けれどトミーはデレクの言いたいことを全て理解しているらしかった。
「バード戦車長から話は聞いた。戦車に戻る途中で無線機に連絡くれてな。あっちはあっちで大変だったらしいんだけど、それよりもお前らのこと助けてやれって言われちまった。話の途中で連絡も取れなくなってな。それで、とりあえずこっちに来てみたんだ」
 頭の中で鬱々と組み立てていた理屈がいっぺんに崩れていく。
「バードが……裏切ったわけじゃないのか?」
 どう言えば良いか分からず、つい露骨な言葉を選択してしまう。トミーのもともと歪んだ眉間が、さらに険しくなる。
「バード戦車長が、んなことするわけねえだろ」
 彼はイライラと息をつき、喧嘩腰とも取れるくらいぶっきらぼうに説明した。
「盗聴器が仕掛けてあったんだ。たぶん料理長が殺された、あの一件の時だ。あいつら、戦車長に銃付きつけたらしいけど、それはただの演技だったんだよ。騒ぎ起こして、その隙に盗聴器を仕掛けとくのが目的だったんだ。要はな、お前らとバード戦車長が組むって、はなから読まれてたってことだ」
 胃がぎゅっと絞られる。オレはなんてバカだったんだ……。先ほど崩壊してしまった理屈の上に、新たな理屈が構築されていく。
 ビンセントは誰にでも非情になれる男だったが、見境がないわけではなかった。無駄な殺しや争いは避ける。だから、彼はランディのように掃除兵をやたらに虐待することはしなかった。少なくとも必要なうちは。あの時、砲手の男を殺したのも、彼が掃除兵を逃亡させたり、大けがを負わせたりすることが、それまでに何度もあったからだ。ビンセントは合理的な男なのだ。その彼が、自分の利益にならない揉め事を起こすはずがない。何かはっきりした目的があるはずだったのだ。一年も彼を見てきたのに、そんなことに気がつかなかったなんて……。
「これじゃあ、料理長は殺され損だ」
 トミーの言葉は鋭利な刃物のようだった。
「それはバードに言うんだな。オレたちはそこにはいなかったんだから」
 傷つけられたことを隠そうとしたのか、気づいた時には酷いことを言っていた。しかも、あまりにも素っ気ない口ぶりで。トミーが物言いたげにデレクを睨み付ける。
「本当に自分勝手な野郎だな」
 分かってるよ。
 頭で言葉にしたけれど、口には出せなかった。
 デレクは気持ちを立て直そうと、大きく息をつく。今は言い争いをしている場合じゃない。
「とにかく、助かった。ありがとな」
 そう言うと、トミーの瞳に宿っていた攻撃的な光が、少しだけ和らいだ気がした。
 デレクはちょっとだけ口の端を持ち上げてみせる。
「ジョンたちのところに行ってやってくれないか?」
 トミーは一瞬目を丸くしてから、やれやれと言いたげに大きく肩を上下させた。
「どの辺にいる?」
「ここから南に三キロくらいのところでランディたちに仕掛けることになってた。今もそこかは分からないけどな」
「行ってみてはやる。でもな、こっちの作戦が筒抜けだったんじゃあ、どうなってるか分からねえし、連れて帰って来れなくても恨むなよ」
「恩に着――」
 トミーがエンジンをふかした音で、デレクの言葉はかき消された。彼は挨拶もなしに、そのまま南へ走っていった。

 日が沈もうとしている。ジョンはダンに肩を貸し、戦車を目指して歩いていた。ダンが苦しそうに呼吸する気配を、耳元に感じる。あの亡くなった少年は置いてくる他なかった。ダンを連れてくるだけで精一杯だ。ダンは、彼を置いていくのだったら自分も残ると言い張っていたのだけど、そんなことできるはずがない。ほぼ強制的に担いできた。しばらくは暴れて仕方がなかったのだが、負傷した彼の力は大したことない。ジョンでもなんとか抑えつけられた。そのうちダンも諦めたらしく、今ではすっかりおとなしくなっている。
 すぐ脇を歩くビリーがせわしく視線を動かしているのが分かった。ジョンへ、ダンへ、そして日没の太陽へ。しばらくそうしてから、彼は言いにくそうに切り出した。
「デレクたち、オレたちのこと置いてったりしてないかな?」
「まさか!」
 大きな声と共に、つい勢いよくビリーへ振り向いてしまう。ダンがううっと呻いた。
「あ、ごめん……」
「ごめん、じゃ、ねえよ。さっきから……」
 ダンの言い方はとげとげしかったけれど、むしろジョンはほっとした。いつものダンに戻ってきた。
 ジョンはビリーへ視線をやった。目が合う。彼の瞳はまだ不安げに揺れていたけれど、ジョンの表情にはっきりした意志が見えたからだろう、静かに頷いた。ジョンも頷き返すと、再び歩き出そうと前を向く。すると――
 砂煙を巻き上げて、何かが近づいてきていた。背に緊張が走る。じっと目を凝らしてみると、どうやらバイクのようだ。どくどくとなる心臓。ズボンに挟んだ拳銃へ手をかける。ダンはケガしているし、十歳のビリーに頼るわけにはいかない。ぼくが何とかしなくちゃ――。そうやって自身を奮い立たせようとしているうちに、バイクの姿はどんどん大きくなり、気づいた時にはすぐそこで停止していた。ジョンは素早く銃を抜いて彼へ向ける。油を差し忘れた機械のように、体中がギシギシと強張っていた。けれど、相手はひどく落ち着いた様子でヘルメットを外した。
「トミー!」
 ジョンとビリーの頓狂な声が重なった。どっと力が抜けて、そうとは気づかず銃を下ろしていた。
「どうしてここに……?」
「ディッキーはどうした?」
 トミーは、ジョンの質問には一切構わない。ジョンとビリーはまた顔を見交わした。
「ぼくたちもよく分からないんだけど、どっかに行っちゃったらしいんだ」
 そう言ってダンを見る。彼は唇をぎゅっと噛んでうつむいた。
「は?」
 トミーはぶっきらぼうな口調と共にダンを見る。
「どういうことだよ?」
 ダンがぐっと生唾を飲み込むのが分かった。少しの間を置いて、
「たぶん、ランディたちが相手だって分かって、パニックになっちまったんだと思う。走ってっちまった。最後に見た時は無事だった。ケガもしてない」
 トミーはしばらく黙ってダンを見ていた。
「てめえは大分やられてるな」
「別に平気だ」
「平気ってのが死にゃしねえって意味でも、危ないぞ」
 トミーは乱暴にダンの肩を掴んで傷を見る。その瞬間、ダンが再び苦しそうに呻いた。けれど、トミーはダンの様子になど気づいていないかのよう。
「弾は抜けてるな。でも出血が多そうだ」
 トミーは上着のポケットからバンダナらしきものを取り出し、ダンの肩を縛った。ダンが顔をうつむけ、ぎゅっと歯を食いしばる。しかし、やはりトミーはダンの様子には頓着しない。すぐに彼の顎を掴んで顔を持ち上げると、頬の傷を見た。
「口の中まで裂けてるな。喋りにくいだろ」
「くそコック……」
 ダンが言ったのを無視して、トミーは彼をひょいと担ぎ上げた。ジョンの肩から重さが消える。それなりに苦労して運んできたのに、ジョンと比べても、そう体格の変わらないトミーがあまりにあっさりとダンを持ち上げたのでびっくりしてしまった。
「オレはこいつをバード戦車長のとこに連れてく。早いとこ医者にみせてやった方がいい。じゃねえと、まだガキだし体力が持たない」
 トミーは話しながらバイクに跨った。ダンを自分の前に座らせる。
「お前らはディッキーを探しに行け。夜にガキ一人じゃ危ねえ」
「分かった」
 ジョンはトミーをまっすぐに見て答える。けれど、
「ジョン……」
 返ってきた声は、トミーではなくダンのものだった。ジョンが目をぱちぱちさせていると、
「あいつを、ランディたちんとこにいたあいつを、ちゃんと連れてきてやってくれな」
「何の話だ?」
 ダンにどう応えようか考える間もなく、トミーの乱暴な調子の声に思考を遮られた。ジョンは言い淀んでしまう。すると、ジョンの代わりにビリーが口を開いた。
「ランディの戦車にいた掃除兵の子だよ。人質にされてたのをダンが助けたんだけど、その前に撃たれてたみたいで死んじゃったんだ」
 トミーは呆れたようにため息をついた。
「死んでんならやめとけ。荷物になるし、臭いで動物が寄ってこないとも限らねえ」
「お前には言ってない」
 ダンの吐き捨てるみたいな、きっぱりした口調。トミーは僅かに瞠目したが、すぐに目元を緩め、勝手にしろ、と言った。ジョンの心も決まる。
「分かった。ちゃんと連れて帰るよ」
 ジョンに応えてダンが頷く。二人のやり取りが、別れの挨拶となった。トミーがぶうんと音をさせてエンジンをかけると、バイクは砂を巻き上げて走っていった。
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