オー、ブラザーズ!

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第18話 少年たちの誤算

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 ジリジリと熱が皮膚に貼りついている。ジョンはビリーと共に砂に半分身を沈めて、ランディたちが乗っているであろう戦車の様子を窺っていた。このあたりの砂はサラサラで、ちょっとでも動くと水のように崩れてしまう。それを気取られてはいけないと、彼は息すら殺してじっと体を固めていた。
「ジョン」
 すぐ脇からビリーが声を潜めて呼びかけてくる。
「何?」
 ジョンは戦車へ視線を置いたまま、身じろぎせずに返す。
「あいつら、罠にかかってくれないかな?」
「どうかな……」
 ビリーの言葉はそこはかとない怖気を孕んでいて、ジョンの胸をついた。普段は利かん気が強くとも、彼はまだまだ幼い。この状況が恐ろしいのは当然のことだ。ジョンは直にその恐怖を耳にして、はっとなってしまった。彼を自分が守らねばならないことを改めて思い知った。
 ジョンは慎重に首を回し、ビリーを見る。
「かかってもかからなくても、大丈夫だよ」
 ジョンの言葉で、頼りなげだったビリーの表情に少しだけ安堵の色がさした。

 デレクたちは気づかれないよう、距離を取って待機している。ジョンが曳光弾を空に向かって撃つのを合図に、射程圏内まで戦車を走らせて攻撃する計画だ。つまり、この作戦はジョンがいつ合図を出すか、その判断に左右されると言っても過言ではない。緊張と不安で震えてくる手をぐっと抑えて、ジョンは標的を凝視していた。
 はじめに動き出すのは、ディッキーとダンだ。今回の四人の中で、最も戦闘に優れているのは間違いなくダンだった。狙撃の腕も確かだし、相手を煙に巻く術をいくつも持っている。唯一心配なのは、ディッキーとうまくやれるかどうかということ。ある程度大人でこういう大事な場面では意外にも聞き分けの良いダンとは違い、ディッキーはまるで言うことを聞かない。彼が仲違いしているダンと協力するとは思えなかった。おかしなことをしでかさなければいいが……。そして、そのおかしなことが原因で、彼がランディたちと鉢合わせるようなことになったら、きっと大変なことになる。砂の中でそのことに思い当たると、ジョンの心はどうしようもなくさざ波だってきた。

     *****

 ダンは目を細め、視線の先の戦車を睨み付けていた。ギラギラと照り付ける太陽を鋭く反射して黒光りするそれは、巨大な甲虫のように見えた。妙に不吉な気持ちに駆られ、全身の毛が逆立つ。同時に、心にはざわざわと憎しみが広がった。
 デレクの話が本当なら、あの戦車にはランディとかいう下衆野郎とその配下の連中が乗っているはずだ。ディッキーをひどい目に合わせた奴らだ。握った拳に力が入り、爪が皮膚に食い込む。でも、とダンは自分に言い聞かせる。でも、今あいつらに仕返しすれば、何もかもめちゃくちゃだ。何より、ディッキーが無事では済まない。何とかそういう理屈を組み立てて、腹の底からせり上がってくる、体を突き動かしてしまいそうな感情を抑えていた。
 戦車がゆっくりと仕掛けた罠に近づいていく。ダンの眉間にぎゅっと力が入った。
「おい」
 彼は戦車へ目を貼り付けたまま、隣にいるディッキーへ向けて言う。
「そろそろだ。準備しとけ」
 耳の辺りに意識を向けて、空気の中にぬるくあるディッキーの気配を窺う。思った通り、彼は言葉を返してこなかったが、代わりに深く息をついたのが分かった。ダンは再び全神経を視線の先の黒い鉄の塊に向けた。
 戦車はのろのろと、しかし確実に接近していた。あと少し、あと少し――。頭の中で唱え、すぐ脇で砂に埋もれているロケットランチャーに手をかける。罠にかかったとしても、デレクたちが射程圏内に入るまでは注意を引きつけておいた方がいい。ロケットランチャーでは、強固な装甲に守られた戦車に対抗するのは難しいが、気を引くには十分だ。早くかかれ、かかれ――。
 だが、どういうわけか戦車はあとほんの僅かというところで、ざざざざざ、と砂煙を上げておもむろに停止した。ばれたのか……? ダンが思った次の時には、ハッチから一人、また一人と男たちが降りてきた。胸がぐっと絞られ、全身が熱くなる。ダンはディッキーへ振り向いた。
「やるぞ」
 ディッキーは大きな瞳の輪郭が分かるほど、目を見開いていた。てらてらとエメラルドのように輝いて見えるのは、目の中に溜まった涙のせいだ。彼は微かに首を縦に振った。
 ダンは前へ向き直り、敵の姿を確認する。六人……いや、七人? だがすぐに、彼らの様子がおかしいことに気がついた。
 男たちの一人が、頭一つ分小さな誰かを前に突き出して歩かせているのだ。よく見ようと、また眉間に力を入れて目を細める。前を歩く人影は、明らかに少年だった。後ろの男が何かを彼の頭へ付きつけている。拳銃だ。
「おい、ガキども!」
 しわがれた声が白雲の浮かぶ碧空へと響いた。
「いるのは分かってるぞ! 出て来い! さもないとお前らが連れてこうとしてる、この掃除兵のガキを殺すぞ!」
 ダンの胸を心臓がバクバクと内側から叩く。額に浮いた汗が垂れ、顔の輪郭をなぞっていく。彼はロケットランチャーを両手で引き寄せた。どうすればいい? どうすれば……。そこで彼ははっとなった。急いでディッキーへ振り向く。
 ディッキーは外から見てはっきり分かるほど震えていた。瞬きすら失ったような目の中で瞳が揺れ、先ほど浮かんでいた涙が縁から溢れている。眉は下がり、頬は引きつり、薄く開いた口は歪むばかりで言葉は出ない。
「ディッキー――」
 ダンが言いかけると、ディッキーの口はやっと言葉を紡いだ。
「あいつらだ……」
 声と共に歯がカチカチと音を立てた。ダンは両手でディッキーの肩をつかんだ。
「銃は持ってるな?」
 ディッキーは目を見開いたままこくこくこくと頷く。ダンは深く深く息をついた。
「お前はここにいろ。絶対に動くな。万一、敵が近づいて来たら銃で撃ってすぐに砂に潜って移動しろ。いいな?」
 再びディッキーは無言で何度も頷いた。ダンは男たちへ視線を戻し、ぎゅっとロケットランチャーを持った手に力を入れた。
「ちょっと行ってくるけど、大丈夫だからな」
 ダンはそう言うや、ディッキーを残して砂の上を這っていった。
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