オー、ブラザーズ!

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第11話 良識あるサミー

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 誕生日パーティは遅くまで続いた。中にはテーブルに突っ伏して寝てしまう子もいたけれど(主役のはずであるビリーはその一人だった)、ほとんどはご馳走とケーキが口の中に残していった余韻と、みんなでそろって大はしゃぎした興奮で、すっかり目が冴えてしまっているようだった。やっと静かになったのは、夜が更けてからだ。

 どんちゃん騒ぎの中で、ジョンはデレクへどう話せば良いものかと考えを巡らせていた。周囲の盛り上がりを後目に、一人で悩んでいる時間は途方なくて辛い。でも、いつまでも続くかに思えた長い長いパーティは、ジョンが答えに行きつく前にいつの間にか終わってしまっていた。

「ジョン」
 尻込みしているうちに、デレクの方から声をかけてきた。緊張で胸がぎゅっと縮まる。
「トミーはどうしたんだ?」
 答えようとしたけれど、声は変に重くなって喉の奥から持ち上がらない。大きく息を吸って何とか言葉を引っ張り上げる。
「出てったよ。バード戦車長のところに帰るって」
「は? なんでだよ、急に」
 ジョンは目を伏せ頭の中を整理する。

 料理長はいつもトミーを怒鳴りつけていた。ジョンに意地悪な態度を取った時も、何かちょっとした失敗をした時も、掃除の手を抜いていい加減に済ませようとした時も。けれど、もともと何も持っていなかっただろうトミーは、今では確かな料理の腕とおいしいものを作ろうとするプライドを身につけている。それはきっと、料理長がそこまでしっかり育て上げたからなのだ。砂漠の孤児だったトミーにとって、料理長は親代わりだった。それを知らないうちに殺されて死に目にも会えなかったというのはショックだったに違いない。デレクやジョンのやろうとしていることを、彼が恨めしく思うのは当然なのかもしれなかった。

「料理長が亡くなったんだよ。トミーにとっては父親も同然の人だ。それで厨房も大変だろうって、戻ったんだ」
 一瞬だけ、デレクの顔は強張った。彼は静かに表情を緩め、そうか、と言った。
「まあ、料理くらいみんなで分担してやればいいからな。あいつにはあいつの生き方がある」
「デレク」
 ジョンは声を強めた。
「トミーは言ってたんだよ。ぼくたちのやろうとしていることは『正義』じゃないって。ぼくたちは好きにすればいいけど、でも他人を犠牲にしているんだって」
 デレクは再び驚きの色を示したけれど、次の時、それは消えていた。
「そんなこと、はじめから分かってる。改めて言う程のことじゃない」
「ぼくは分かってなかったよ!」
 思いがけず強い口調になってしまい、ジョンは少しうろたえた。でも、どうしても言いたかった。
「そりゃ、理屈ではなんとなく分かってたよ。でも、ちゃんと理解してはいなかった。自分のお世話になった人が死んで、それを悲しんでる友達を見て、はじめてそれがどういうことか分かった。ぼくは――きっと自分たちのことしか考えてなかったんだ」
「そうでもしなきゃ、オレたちは食い物にされてるしかないんだよ!」
 デレクも声を荒げ、ジョンの体に緊張が走る。
「他に犠牲が出るのは分かってる。でもそんなこと気にしてたら、何も変えられないんだ。オレたちは自由に、誰からも何かを強要されたり暴力を振るわれたりしないで自由に生きたいだけだ。そんな当たり前なことを、犠牲を払わなきゃ実現できない世の中がおかしいんだ」
 ジョンには返す言葉がなくなってしまった。でも、だけど……料理長が死んだことをなかったことにするなんて、これからたとえバード戦車長やトミーが命を落とすことになったとしても「革命」のための犠牲だから仕方ないと思うなんて、絶対に嫌だった。
 デレクは気持ちを落ち着けようとするみたいに、一度静かに深呼吸した。
「ジョン、オレはな、こう思うことにしてんだよ。オレたちがやろうとしていることで誰かが死んだとしても、その分掃除兵が助かるんだって。サミーとダンみたいに二人同時に助けることだってできたんだから、犠牲以上の子どもを助けてるんだって」
「数の問題じゃない! だって……料理長はぼくたちのせいで殺されたんだよ!」
 ジョンのあげた声は響くことなく鉛みたいに重たく冷たい空気に呑まれた。後を追ってきた沈黙が耳に痛い。しばらくすると、デレクがため息をついた。吐息は白く濁ったかと思うとすぐに消えた。そして掠れ声で、
「それだけか?」
 その声にはどこも尖ったところがなくて、むしろあまりに力なくて寂しささえ感じられた。思いがけないことにジョンの心が寒くなる。うん、と言いかけて思い出した。
「もう少しディッキーに優しくしてやれって、トミーが言ってた」
 デレクは口角を僅かに持ち上げただけの静かな笑みで応えた。

 デレクは、もう寝る、と言って先に階段をのぼっていった。取り残されたジョンは冷たい静けさの中で立ち尽くす。頭の中では、デレクやトミーやバード戦車長や料理長やディッキーやダンやそれから父と母や……いろんな人の顔が止めどなく浮かんできて、どうしようもなく胸がいっぱいで痛くて――
「ジョン」
 声をかけられて、切迫していた心がびくんと跳ねあがってしまった。慌てて声の方を見ると――サミーだ。
「ごめんね、デレクとの話、聞いちゃって」
 彼はおずおずと言って近づいてくる。
「あの……ぼくは、デレクの言うこと、なんとなく、分かるよ……」
 控えめに、つっかえつっかえ話すサミー。ジョンは少し苛立った。
「ぼくだって理屈では分かるよ。でも――」
「違うよ。そうじゃなくて、犠牲以上の掃除兵を助けてるって話だよ。『数』の話」
 ジョンは言葉を失ってしまった。彼にはデレクのあの話が、言い逃れのための屁理屈にしか思えなかったから。サミーは続ける。
「誰かを犠牲にするのは、辛いんだよ。たとえそれが必要な犠牲であってもね。君が思ってるのと同じように、デレクだって感じてるんだ。でも、デレクはぼくたちの、この戦車の、『革命』の、リーダーだから、迷ったり、悩んだりしているところを見せられないんだよ。そうじゃないとみんなが不安になっちゃうからね。だから自分を納得させるために、あんなふうに考えてるんじゃないかな。前だけ向いて突き進むために、払わなきゃいけない犠牲からあえて目を逸らしてるんだよ」
 ジョンは、はっとなった。デレクの気持ちがはじめて分かった気がして、心が波打つ。サミーは一度言葉を切って、足元を見た。それからゆっくりと顔を上げると、
「でも、トミーの言うこともよく分かるよ。彼は『好きにすればいい』って言ってたんだよね? だったらそれは言葉通りの意味なんじゃないかな? つまり『革命』を否定しているわけじゃないんだよ。ただ、それは犠牲の上に成り立つんだって、それだけ重いことなんだって、そういうことを言いたかったんじゃないかな? だから、犠牲のことを忘れちゃいけないって、それだけなんだと思うよ。でも……やっぱりデレクみたいに犠牲から目を逸らさなきゃ前に進めないっていうのも分かるし、きっとどっちが良いとか悪いとか、そういうことじゃないんだよ」
 ジョンはすっかり面食らってしまっていた。普段のサミーは存在感がなくて(あまりになさ過ぎて、ジョンは彼がディッキーとダンのどちらにもついていなかったことを見落としていた)、意見をはっきり述べることもなくて、ただみんなの中の一人としてニコニコ笑ってそこにいるだけだった。なのに今は……ジョンの意固地になった気持ちをあっという間にほどいて、届いてこなかった言葉をちゃんと渡してくれた。何と言うか、どんな言葉でどんなふうに話せば相手が受け取りやすいかを知っているみたいだ。
「君は――なんだか、すごいね」
 サミーがきょとんとする。ジョンは笑った。
「だってぼく、絶対にデレクの言うことに納得なんてできないって思ってたんだよ。なのに君はちょっと話しただけで、ぼくの気持ちをすっかり変えちゃったんだから。それに、ぼく、すごい頑固なんだよ。よく父さんや母さんに言われたんだ」
 サミーは柔らかく目を細めて応えてくれた。とても上品な感じのする笑顔だった。
 すると、ふいっとジョンの心にある思いが過ぎった。字が読めて、本を持っていて、いつも穏やかに振る舞うサミーは、やはり自分たちとは違う世界に育ってきたのかもしれない。だからこそ、ジョンでは思い至らなかったデレクの思いやトミーの真意にすぐに気がつくし、それを伝える言葉さえ持っているのではないだろうか? きっとそうだ。
「サミー」
 聞いてはいけないことかもしれない。そういう気おくれがあるにはあったけれど、心に引っかかったものを確かめてみたいという気持ちがちょっとだけ勝っていた。
「君はもしかして、裕福な家庭の子どもだったんじゃない? ぼくたちと違って……」
 サミーは一度目を見開いて驚いた様子だったけれど、すぐに表情をほどいた。
「裕福って言うか、あんまり苦労して育ってきてはいないかな……。ごめんね。君たちからしたらあんまり気持ちのいい話じゃないかもしれないよね」
 彼は少し悲しそうに息をついた。
「ダンにもそれで嫌われたんだと思う」
「違うよ! ぼくは全然そんな風に思ってない。むしろ、すごいなって思ったんだ。だって、君は本当に人の気持ちによく気がついてるだろう? デレクのこともトミーのことも。ぼくの方がずっと二人と付き合いが長いのに、君の方がよく分かってる。すごく――」
 思慮深くて洞察に富んでいる。そう思ったのだけれど、ジョンは自分の感じたそれを表す言葉を知らなかった。
「――いろいろなことを見通せるんだなって。そういうのって、もしかしたらちゃんとした教育を受けてきたからなのかなって気がしたんだよ」
 サミーは穏やかでいて屈託のない笑顔を見せた。
「ありがとう。そう言ってもらえると、少し安心できるよ」
 その答えも、ジョンからするとひどいくらいに行儀が良かった。やっぱり何か違うな。そう思ったけれど、彼と話すうちに暗く淀んだ心には光が差し込んだみたいになっていた。自然と笑顔がこぼれる。
「ぼくこそ、本当にありがとう」

 ジョンが床についたのは午前四時頃。夜明けまで二時間足らずという程になっていた。さすがに体はくたくただったが、意識はひどくはっきりしていて、相変わらずいろんなことが頭の中を巡っている。トミーの言うように「革命」には大きな犠牲を伴う。掃除兵の仲間を助ける正義の革命だ、などと勘違いしてはいけない。けれど、誰かが傷つくのを恐れていては「革命」なんて起こせないのもやっぱり事実で、だから犠牲からあえて目を逸らして前へ進もうとするデレクを非難してはいけないような気もし始めていた。でも……。
 ジョンの頭の中で何かが引っかかっていた。大切なことを見落としてしまっているような気がしてならない。ぐるぐるぐるぐる考えていると、はたと思い当たった。

 「革命」にだって戦車砲掃除は必要なんだ。

 デレクもジョンも、掃除兵を助けるために戦うのだと思っていた。重労働を強いられる少年たちを自由にするのだと。でも、戦車での戦いを続けるのであれば、誰かが戦車砲に入らなければならない。これまで掃除兵をやってきた少年たちの中には、それが辛い子もいるだろう。現に、ディッキーは怖くてできなかったのだから。それに、大人の戦車にだって「革命」に対抗するためには掃除兵は必要で、いくら彼らから掃除兵を奪ったところで、また別の少年が売られてくるだけなのだ。本当に掃除兵たちを解放するのだったら、戦車での戦いそのものを止めさせなくてはいけない。
 
 それに気がついた途端、眠気が靄みたいに頭に広がる。その靄にあっという間にジョンの意識は包まれていった。
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