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39 斗歩の大事な宝物2

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 窓から差す陽の光が、いつの間にか随分弱くなってた。外見れば、もう太陽は沈み切る直前で、空には夜の気配が立ち込めてきてる。
「そろそろ帰る」
 オレが立ち上がって言うと、斗歩は不思議そうに見上げてきた。
「早いな」
「姉貴が最近うるせぇんだよ。今日、休みで飯作るから手伝えってよ」
「そっか。そういや、お前、お姉さんいたな」
 斗歩もベッドから立って応えた。二人で玄関まで行く。
「また学校でな」
 斗歩に言われたオレは、足を靴に突っ込み、顔伏せたまんま、低い声で応じた。
「おかげで落ち着いた。ありがとよ」
 一瞬、沈黙が空気を歪に揺らした。反応見んのが照れくさくて、急いで出てこうとしたオレの背へ、斗歩の声が飛んでくる。
「オレも話せてちょっと落ち着いた。ありがとな」
 聞こえた言葉が数秒遅れで頭に入ってくる。その意味をはっきり認識した時、ハッとした。振り返ると、閉まってくドアは、もう斗歩の姿ほとんど隠してる。急いで引っ張り開けた。
「てめぇ、今『落ち着いた』つったな? さっきまでま落ち着いてなかったってことか?」
 斗歩が目ぇパチパチして見つめ返してきた。
「ああ……まぁ」
「なんでだ?」
「なんでって……」
 困りきった様子で顎に手ぇ当てる。
「説明すんの、難しいんだけど」
「ゆっくり聞くから、いい」
 オレは斗歩の手ぇ引っ掴み、足踏み鳴らして部屋へ戻った。ベッドの縁に座ると、斗歩を凝視する。
「で?」
「いや、『で?』って。オレ、なんで問い詰められてんだ?」
「問い詰めてねぇ。相談に乗ってやるっつってんだろ」
「相談って、この場合、まずオレが持ちかけるもんなんじゃないのか?」
 ふー、と深く息つき、大きく波打った気持ちを平たくした。
「本当にてめぇが話したくねぇなら、黙ってていい。けど、『ちょっと落ち着いた』ってことは、まだ完全には気持ち落ち着いちゃいねぇんだろ? それなら、オレは傍にいる」
「お姉さん、いいのか?」
「あんなババア知るか」
「ババアじゃないだろ」
 斗歩はオレの隣に腰下ろした。
 ベッドが斜めに沈み込むのを感じながら、オレはじっと願ってた。話してくれって。オレが知りたいからじゃない。ただ、さっき、オレは斗歩に話せて、すっきりできたんだ。話すつもりも話したいとも思ってなかったけど、話せたら、心にかかった雲が晴れたんだ。だから、斗歩にも、そういう救いがあってほしかった。しばらくオレたちは二人とも黙ったまんま、時間だけが流れてった。
 斗歩が口切ったのは、数分もしてからだ。
「オレ、ガキの頃、あいつに殴られてたこと自体は、もうそんなに気にしてないんだ」
 静かな、一つ一つの単語を確かめて口にするような、そんな話し方だった。
「けど、あの件のせいで、何つーか、人と接するのが怖い時がある。暴力振るわれんのが怖いんじゃない。逆だ。自分が他人を殴って傷つけちまうのが、怖い」
 斗歩は上体折り曲げてベッドと平行になるくらい顔を伏せた。垂れた髪が顔隠して、表情が分からねぇ。オレは、そっと斗歩の背中に手ぇ当てた。
「てめぇはあんな暴力、誰にも振るわねぇだろ」
 斗歩が、そっと首を振った。
「我慢してるだけだ。人を殴っちまいそうなくらいムカつくことはある。だから、自制効かなくなったら、きっと他人のことめちゃくちゃ殴っちまう。今朝みてぇに」
 さらに深く下を向いた顔へ、オレは手ぇ伸ばした。できるだけ優しく頬に触れると、斗歩がこっち見た。初めて会った時と同じ、土砂降り間際の空みてぇな顔してた。
 湿気た面すんなって、オレは笑った。
「みんな同じだ。オレなんか、中学ン時、ムカついた相手殴りまくって不登校にさせちまった。さっきは、そいつに謝りに行ったんだけど、母親に追い返された。ムカついても、ちゃんと我慢して誰も傷つけねぇようにしてるてめぇは、立派だよ」
 こっち見つめ返す顔はみるみる崩れて、片方の目の縁から涙が転げ落ちた。斗歩は「悪い」つって、デカい手のひらで乱暴に目元拭った。
「別に、悪かねぇ」
 オレは斗歩の頬に当てた手を上へ持っていき、頭をポンポン叩いた。斗歩が、ふっと声漏らして笑う。
「お前、オレのこと、結構子ども扱いするよな」
「てめぇがオレよりガキなのは事実だ。ほぼ一年違ぇんだぞ」
「同じ学年だろ」
 斗歩は頬緩めて言い、少し上を見た。
「おばあちゃんがさ、オレのこと、あいつと勘違いすんだ。そうすると、手ぇつけらんなくなっちまう。『斗歩に乱暴するな』つって物投げつけてきたりしてさ。だから、もう会いに行かない方がいいのかなって思って、木曜、一回行くのやめたんだ。ほら、一緒にうどん食い入った日。そしたら、おばあちゃん、オレのこと探していなくなっちまって」
 一昨日、斗歩の話聞いた後に感じた疑問の糸の絡まりが、するする解けてった。ブツ切りだった他の糸と繋がってく。見舞いにオレらを連れてった時、「おばあちゃん」に向けられた優しくいとおしむような手が、畔川の金髪クソ兄貴から下ろした血の垂れ流れる手と重なって、心の表面がゾクリとする。こいつは、ずっと怖かったんだ。ああいう手になっちまうのが。「おばあちゃん」に会いに行って「あいつ」と誤解されるようんなってからは、きっといっそう怖かっただろう。大好きだった人を怯えさせちまって、きっと「あいつ」と自分を重ねずにはいらんなかっただろう。自分を傷つけてたモンに自分がなっちまうかもしれねぇって、自分が負わされたのと同じような傷を、他人に負わせちまうかもしれねぇって、そういう不安の中にいたんだ。思い返せば、オレが最初に無理やりキスした時も、突き飛ばしたこと謝りながら「暴力で返すしかなくなっちまう」つってた。
 軽く握ってたはずの拳に、いつの間にか力が入ってた。爪が皮膚にくい込んでる。
 オレが突き飛ばさせたんだ。畔川の兄貴に向けて拳振るわせたんだ。助けんなるどころか、斗歩が一番恐れてたこと、やらせてた。
「悪かった」
 斗歩がこっち向く。ぱっちり目ぇ見開いてて、瞳の丸い輪郭まで見えた。
「何がだ?」
「オレのせいで、あの金髪野郎殴る羽目ンなっただろ。ばあちゃんのことで、余計にそういうの、いやだったはずなのに」
 斗歩の瞼はオレが話すうちに下がって、瞳の丸みを隠してった。眉を八の字にし、申し訳なさそうに笑う。
「お前のせいじゃないよ。オレが殴ったんだから、オレの責任だ。何でもかんでも自分が悪いなんて思うなよ。らしくないぞ」
 オレがいなきゃ、殴る羽目ンなんなかっただろ。その言葉を奥歯と一緒に噛み込んだ。俯く。グズグズ終わったこと言っても、しょうがねぇ。それより――と考えて顔上げた時、
 ぐー。
 情けねぇ音がした。 
「あ、悪い」
 斗歩が腹に手ぇ当てる。このタイミングで腹の虫鳴らしてんじゃねぇ。気ぃ抜けんだろ。
「てめぇ、腹減ってんのか?」
「ああ」
「じゃあ、なんか作ってやる、待ってろ」
 オレが立ち上がって台所へ向かうと、後ろから声が追っかけてきた。
「ここで料理するならお姉さんの手伝いに行けよ」
「知らねぇっつっただろ、あんなババア」
 でも、オレそんな食欲ねぇし、としつこく言葉が返ってくる。埒があかねぇ。
「さっき派手に腹の虫鳴らしてた野郎が何言ってやがる。いいからてめぇは座っとけ!」
 語気強め、斗歩を無理やりベッドに座らせっと、オレは足音鳴らして台所に行った。

 卵と大根の葉の粥に、野菜クタクタになるまで煮込んだスープ。食欲なくても食えそうなモン適当に作り、ベッドへ様子見に行った。
 斗歩は眠ってた。
 白い頬に長いまつ毛が影落とし、触れると滑らかで『半分戦隊ハーフマン』のカードやった時に感じた「何も知らねぇし何も分からねぇ」奴って印象がよみがえってきた。何つーか、こいつは体はデカいしごついが、やっぱ幼ねぇ。
 悔しくなった。こんなガキみてぇな面して眠る野郎が、ずっと人に暴力で振るっちまわないかって不安の中にいんのかって。ちくしょう。心で呟いて、斗歩の顔に顔寄せた。鼻と鼻がくっつきそうなくらい近づくと、静かで穏やかな呼吸が伝わってきた。目ぇつぶり、オレも同じリズムで吸って吐いてを繰り返す。体にあったけぇモンが流れ込んできた気がした。
「え……?」
 声がした。冷水被ったみてぇにびっくりして目ぇ開けっと、斗歩がパチパチ瞬きしながら、こっち見上げてた。
「お前、何してんだ?」
 カッと顔面が熱くなった。ベッドから離れて、背ぇ向ける。
「飯できたから、はよ来い!」
「ああ、ありがとな」
 斗歩は、さっきの状態について聞いてくることもなく、ベッドから出てきた。

「やっぱ、お前、料理上手いよな」
 斗歩はスプーンで掬った粥へフーフー息吹きかけ、口へ含むとそう言った。
「てめぇ、食欲ねぇ割に食いつきいいじゃねぇか」
「ああ、なんか食ったらすげぇ腹減ってきた」
 皮肉言ってやったつもりなのに素直に返されて、拍子抜けした。まぁ、こいつはこういう奴だ。
「そりゃ良かったな」
「お前は食わないのか?」
「いらねぇよ」
「でも、腹減ってんだろ? なんか、オレだけ悪い」
「悪くねぇんだよ、黙って食え」
「分かった」
 あっさり引き下がると、斗歩はまた、はふはふ熱気を外へ逃がしながら粥食った。が、
「あ、そうだ」
 斗歩が急にスプーン置いた。立ち上がってテレビのリモコン取りに行く。
「なんか観てぇモンでもあんのか?」
「ああ、今朝観れなかった番組。起きれなくてさ」
 ふーん、つってテレビ画面眺めた。今やってるくだらねぇバラエティ番組から、録画リストに切り替わる。一番上にあるヤツを選択し、斗歩がテーブルに戻ってきた。見れば、珍しく何の曇りもねぇ楽しげにほころんだ顔してた。そんなに好きな番組あんのか、こいつ。そう思って、もう一度、テレビ画面へ視線向けると、やけにハキハキ明るい男の声が響いた。
『命懸けの冒険に、いざ旅立とう! 宇宙の大海原を渡り、悪の帝国を打ち破るために! 我らは、宇宙戦隊スペースエクスプロージャーズ!』
 ジャーンって効果音の後、全身黒づくめの野郎が大股で歩いてる姿が映った。真っ黒い鎧に、真っ黒いマント、それに真っ黒い兜みてぇなヘルメットを身につけてる。ラスボスだろうそいつへ、五人のカラーレンジャーたちが立ち向かっていく。各々が攻撃を繰り出すも、かわされたり反撃食らったりして倒れてく、そのバックで、オープニングテーマが流れだした。『スペース♪ スペース♪ エクスプロージャーズ♪ 我らエクスプロージャーズ♪』
 だ、ダセェ……!
 宇宙が舞台で、あの真っ黒アーマーがラスボスって、『スター・ウォーズ』のパクリじゃねぇか。しかも、超絶劣化版。その上、「エクスプロージャーズ」って何だよ? 「エクスプローラーズ」文字ってんのか? 「ジャーズ」にすりゃ何でもいい訳じゃねぇだろ。それに、テーマソング、カッコ悪すぎねぇか? いや、それよりも……。
 視線を横へ向ければ、テレビ画面に見入ったイケメンがいる。「エクスプロージャーズ♪」って間抜けなリズムと、ダサさの極みみてぇなオープニング映像に目ぇキラキラさせた、身長百七十八センチの高校生イケメンが。思いもよらない絵面のシュールさに、つい吹き出した。斗歩はきょとんとして、こっち見た。
「どうした?」
「いや、てめぇ高校生ンなってまで、これ見てんのかよ」
「見ちゃおかしいか?」
「だいぶおかしいだろ」
「でも、お前だって好きだっただろ」
「十年前の話持ち出すんじゃねぇよ。対象年齢とっくに過ぎてんだよ」
 斗歩はテレビへ視線戻した。
「別にいいだろ。好きなんだから。見ると元気になれんだよ」
 端正な横顔は、やっぱ楽しそうだった。瞳には明滅するテレビの色が映ってる。また、笑い声が出た。
「てめぇ、趣味、あんじゃねぇか」
「え?」
 こっち向いた顔が、いかにも言われた意味掴み損ねたって感じの面で、余計におかしい。オレは斗歩の頭に手ぇ載せた。髪がクシャッと潰れる。
「高校生にもなって戦隊ヒーロー大好きとか、めちゃくちゃ変わった趣味じゃねぇか」
 斗歩の目から疑問の色が消え、驚きに変わってく。
「そうか?」
「そうだ。オレのバンプ好きより、よっぽどインパクトある」
 見つめる先の瞼が緩み、一気に表情が解けてった。幸せそうな頬に、こっちの口角まで上がる。
「よし、今度の休み、一緒に戦隊モノのグッズ、買いに行くぞ。この殺風景な部屋、ちったァ趣味に染めてやんねぇと」
「別にオレ、そういうのはいいや」
 頭バチンと叩いてやった。
「よくねぇ。好きなモンに囲まれてた方が気分だって晴れんだろ」
 斗歩は顔伏せた。下唇噛んでから、目だけ動かしてこっち見る。それから小さな静かな声で、訊いてきた。
「『半分戦隊ハーフマン』のグッズ、今も売ってっかな?」
「探してやるよ」
 頭に載っけたままの手ぇ動かしてワシワシ撫でてやると、斗歩はくすぐったそうに笑った。
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