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38 斗歩の大事な宝物

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 ちくしょう。
 斜めに差す赤い陽に目ぇ細めて、オレは歩いた。畔川ん家出てから、もう何時間経ったか分かんねぇ。ひたすら宛もなく歩いてた。頭ン中には、用意した言葉が行き場失ってさ迷ってた。
 病院から畔川ん家行くまでの間、ずっと考えてた。自分は畔川に何言いてぇのかって。気持ちの形を確かめるみてぇに探ってた。頭に浮かんだ単語を幾度となく組み替えて、何とか言葉用意した。それなのに、なんにも伝えられねぇまま、会えさえしないまま、追い返された。ムシャクシャした。伝えて受け入れられないなら、まだ良かった。でも、準備した言葉をほとんど口にできないで持って帰ってくるしかなかったってのは、悔しくて仕方ねぇ。ちくしょう。

 足の動くまま進んで、気がついた時、交差点にいた。オレの歩いてきた道は、そこで二又に分かれてる。オレん家へ帰るなら狭い方の道だが、もう一本、線路沿いの道をちょっと行けば、斗歩ん家だ。今朝は話を聞きに行くつもりだったのに、ここで畔川の兄貴に絡まれた。
 胸が強く打った。鳥肌が立つ直前のゾワッとした感覚が走ってく。けど、思い出した瞬間に、オレの足は線路沿いの道へ向いてた。なんでか分からねぇが、全身の細胞が一斉に動き出して、体が勝手に動いた。たぶん、オレは、斗歩に、ものすごく、会いたかった。
 アパートに着いた。インターフォンを押しても、ドアの向こうの気配は動かなかった。今度は軽く扉を叩く。ゴンゴンって鈍い音がした。
「オレだ。開けろ」
 静かに言う。ドアの先は、やっぱり無音だった。
 斗歩。
 少し声を大きくした。けど、相変わらず向こう側の気配は静止したままだ。扉に額をつけた。冷たく硬い感触が、皮膚通して心に来た。
 斗歩、開けろ。開けてくれよ。話してぇんだ。
 何もないとこに向けて話してるみてぇで虚しくなった。いねぇのかもしれねぇ。でも、どこ行ったんだ? 「おばあちゃん」のとこか? ちくしょう、ちくしょ――
 ドン、と顔面に衝撃が来た。動かねぇと思い込んでたドアが、急に開きやがった。鼻と口押さえて前へ意識向ければ、目ぇパチクリする斗歩がいた。
「あ、わりぃ……」
「てめぇ! なんでそんなにそっとやって来んだよ! いねぇかと思ったじゃねぇか!」
「足音殺して歩くの癖で」
「どういう癖だ、そりゃ! 『HUNTER × HUNTER』のキルアか!」
「なんだ? それ?」
 きょとんとする斗歩を見ると、あまりに通常運転過ぎて腹立った。ハァッと乱暴に息つき、斗歩押しのけて中入る。
「なんか用か?」
 後ろから聞こえた声に、別に、って返した。
「今ので全部、吹っ飛んじまった」
「大した用じゃないんだな」
「死にてぇのか?」
「いや、死にたくない」
 いつも一緒にダラダラ過ごしてる寝室兼リビングまで行き、オレはドカッとベッドに座った。
「なんか飲むか? 水くらいならあるぞ」
「いらねぇよ。それより、こっち来い」
 斗歩はちょっと目ぇ見張ったが、素直にこっち来て隣に腰かけた。
「なぁ、本当になんかあ――」
「ごめん」
 オレが口にすっと、斗歩は未知の生物でも目にしたように呆然とオレを見た。困った様子で頬を掻く。
「悪い。何の話か、全然分かんねぇや。つか、お前、本当に大丈夫か?」
 オレは斗歩の不思議そうな視線から逃れたくて、俯いた。
「オレ、てめぇこと、助けてやりてぇなって、そういう気持ちで、ずっと見てた気がする」
 膝に置いた自分の右手を、じっと見つめた。意識、集中する。
「でも、それはオレの『エゴ』だった、と思う。助けてやりてぇって勝手に思って、てめぇが本当はどうしてほしいのか、あんま考えてなかった。オレは、オレの気持ちで手一杯だった」
 言葉を切れば、斗歩がそっと背中に手ぇ当ててきた。
「誰だって、自分のことで精一杯だよ」
「そういうことじゃねぇんだよ。てめぇを助けてやりたいなら、てめぇのこと、もっとちゃんと見て、理解しなきゃなんなかったんだ。でも、助けたいって気持ちがエゴだったから、自己満足のためだったから、オレはオレの見たいようにしかてめぇを見てなかった。てめぇを理解もしないで、『オレの助けが必要な奴』って、決めつけてたんだと思う。でも、それじゃ全然助けてやれなくて、一人でずっとグルグル考えてるしかなかった。ちゃんと、てめぇの話聞いて、どんな助けが必要なのか知らなきゃなんなかったのに、オレはオレが作った妄想のてめぇを助けたがってた」
 みっともねぇよな。呟いて、さらに深く顔を伏せた。
 斗歩がオレの背中から手ぇ離す。
「じゃあさ、オレの話、ちょっと聞いてくれるか?」
 心にちいさな波が立った。つい、顔上げる。まっすぐにオレを見つめる斗歩の目には、柔らかな雰囲気が漂ってた。
「オレさ、何年も大事にしてる宝物が二つあるんだ。一つはおばあちゃんに編んでもらったセーター。小五ン時にもらったんだけど、その頃は、もうおばあちゃん認知症で入院してて、たまにしか会えなかったんだ。けど、冬に久しぶりにお見舞いに行ったら、オレのためにセーター編んでくれててさ、すげぇ嬉しかった」
 目の前の斗歩は、確かに嬉しそうに頬緩めたが、瞼には切ない雰囲気があって、胸が痛くなった。小五の冬、ピンと張りつめた空気を裂いた声が鼓膜によみがえってくる。
『はっ! ババアが作ったから、そんなダセェんだな!』
「悪かった」
「え?」
 斗歩は、またきょとんとしてオレを見た。
「なんだ? 急に」
「ダセェっつっただろ、そのセーターのこと」
 斗歩は記憶を辿るように、視線をちょっと上へ向けた。
「そうだっけ?」
 忘れてんのかよ……。心ン中で盛大に突っ込んだ。
「お前、今日、やけに謝るな。大丈夫か?」
「平気だ」
 腹の底のムカつきがぶり返してきて、返す語気が強まった。斗歩に腹立てた訳じゃない。オレ自身に対してだ。畔川に謝れなかったからって、埋め合わせみてぇに斗歩に謝っちまう自分がムカついてしょうがなかった。斗歩にだって、本当なら、もっとちゃんと謝らなきゃなんねぇのに。
 だが、斗歩はこっちの気持ちの揺らぎようなんて全く意に介さねぇって感じで、また話しだした。
「まぁ、いいや。さっきの話、続けるぞ。こっちが本題なんだけどな、セーターの他に、もう一つ、大事にしてるモンがあんだ。それが、」
 斗歩は言葉切って、何やらジーンズのポケット探りだした。
「これだ」
 目の前に差し出されたもの見て、オレは面食らった。心臓が爆発したかと思うくれぇに。
 半分戦隊ハーフマン、ハーフグリーンのカードだった。初めて会った時、オレが斗歩にやった一番ダセェ戦隊ヒーローのカードだ。
 胸にワッと大きな感情が押し寄せてきた。何か言いたかったが、何も思いつかなくて、ただ口パクパク動かす。気持ちはこんなにも溢れてんのに、なんにも出てこねぇ。
「てめぇ、こんなん、ずっと……?」
 やっと出た言葉だった。斗歩は、うんっつって、カードへ視線落とした。
「大事にしてたよ。友だちから何かもらったのって、あん時が初めてで、かけっこしたのも、初めてだった。だからすげぇ嬉しくて、嫌なことあった時とか辛いなって時は、このカード引っ張り出して眺めてたんだ。そうすると、ちょっと元気になれた。あん時の、嬉しいって気持ち思い出して」
 斗歩はオレの顔見て、目ぇ弓なりに細める。
「オレは、ずっとお前に助けてもらってたよ」
 涙で瞼が膨れ上がってきた。視界が、その中の斗歩の顔が、滲んで見える。
「だからさ、お前がオレのことでそんな悩む必要なんてな――」
 斗歩が言い切らねぇうちに、胸倉掴んで引き寄せた。「お」って小さな驚きを漏らしたその口を、自分の口で覆って塞ぐ。久しぶりに触れた斗歩の唇は柔らかくて、少し湿ってて、あったかかった。顔離せば、瞳の輪郭が分かるくらい目ぇ見開いた斗歩と視線が重なった。
「お前、何すんのも唐突だよな」
「うるせぇ」
 応じて、俯く。唇を内側に巻き込んで、まだそこに残る斗歩の感触を確かめた。すると、
 頭上の気配が濃くなった。何だ? と思って顔上げた途端、唇に何かが触れた。柔らかくて、湿ってて、あったけぇモンが。でも、触れてたのはほんのちょっとの間で、コンマ数秒後には、口押さえて顔伏せた斗歩が目に映ってた。
「仕返しのつもりだったんだけど、自分からすんのは恥ずいな」
 ふっ、と口から息が漏れた。いろいろ思いがけなくて、笑いが込み上げてきて。
「こういうとこ、マジでダセェな。自分からやって照れてんじゃねぇ」
「お前は照れないのか?」
「照れるわけあるか」
「へぇ、すごいな」
 本当に感心したみてぇに言った斗歩の頭、後ろから小突く。
「すごくねぇ。てめぇがダセェんだっつってんだろ」
 そんなことないよっつった斗歩見ると、おかしくなってきた。オレが声上げて笑うと、斗歩は目ぇ丸くしたが、そのうち一緒に笑いだした。笑った。二人で、笑った。
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