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23 子猫はデカくなりすぎた

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 『ズーイーの森らんど』へ行って以来、オレと斗歩の関係は変化した――はずもなく、それまでと同じ日常が流れてった。学校では、斗歩は田井やチビデブと過し、時たま田井と一緒にオレんとこやって来る。大した用事もねぇ上に、ほとんど喋んのは田井の方。今度こそみんなでうどんを食べに行こうだの、一緒に勉強会をやらないかだの。やるわけねぇだろ、死ねとか、オレはだいたいそんな風に返し、斗歩が顔しかめて文句言う。雰囲気悪くなっと田井が「いいんだいいんだ、澤上くん!」なんつって、また強ばった空気が自然に流れだす。
 お互いに気があることは分かってるはずなのに、全く付き合ってる感じじゃねぇ。斗歩ん家行っても同じで、オレはめちゃくちゃ意識してんのに、斗歩の野郎はそんな素振り一ミリも見せねぇ。シレッとした顔見てると、自分ばっか気になってんのが悔しくて、ついオレも何でもねぇ顔しちまう。

 日が沈んで、もうだいぶ経つ。窓の外へ目ぇやれば、いつの間にか下りてきた暗闇が、さっきまで残ってた赤い夕焼けの名残りを飲み込んでた。スマホで時間確認すっと、七時近かった。やべぇ、こんな時間か。
 オレはベッドにもたれかかった体起こし、隣でじっと文庫本に視線落としてる斗歩の頭小突いた。
「おい、飯は?」
「ん?」
 斗歩はきょとんとした顔で、こっち見た。
「もうそんな時間か?」
「ああ、七時ンなる」
「さっきまで明るかったのにな」
 見張った目ぇ窓へ向けた斗歩見て、オレも思う。確かに、夏前にしては日が長ぇ。
「とりあえず、飯だ。何かあるか?」
「ないな」
「即答してんじゃねぇ、殺すぞ」
 オレは立ち上がって冷蔵庫に向かってった。背中越しに「オレはテキトーに何か買ってくるから、お前帰れよ」とか抜かしてくる間抜けは無視だ。
 中開けっと、作り置きの品が入ってそうな大鍋が目に留まった。卵や鮭フレークなんかの常備食材もある。
「あんじゃねぇかよ」
「え?」
 語尾上がった疑問形の返事が来た。それから、合点がいったのか、斗歩はいつもの平坦な口調に戻った。
「ああ、鍋か。それ、中身入ってないぞ」
 は?
 そう思って鍋取り出して蓋開けっと、マジで空っぽだった。
「てめぇ、なんで空の鍋、冷蔵庫に入れてんだよ? 頭爆発してんだろ」
「爆発してない」
「そこに反応すんじゃねぇ。なんで空の鍋、冷蔵庫に入れてんだって聞いてんだろ」
「しまう場所、なくて」
「死ね」
「生きる」
 オレは右開きのドア閉めて、その下の引き出し式ンなってる段を開けた。じゃがいもと玉ねぎ、さらにバナナが転がってた。
「おい、バナナは常温保存だろ」
「そうなのか?」
 そうなのか? じゃねぇ。生活能力低すぎだろ。こんなんで、よく一人暮らしできてんな。
 深いため息が出た。つーか、こいつがボーッとしてんのは分かってたんだから、もっと早く冷蔵庫チェックくらいしてやりゃ良かった。オレはじゃがいも、玉ねぎ、バナナ全部取り出しながら背後に向けて、
「肉はあんのか?」
「ああ、確か鶏肉買って冷凍しといたけど」
 ぺたぺたいう足音と共に、斗歩の声はこっちに近づいてきた。気配がすぐそこまで来ると、「下開けるぞ」って断り入れて、一番下の冷凍室を引き開ける。中には、どデカいパックにギュウギュウに詰まったまんまの鶏肉があった。
「てめぇ、なんでパックのまま冷凍してんだよ。普通、出して切って他の容器に移し替えんだろ」
「そういうモンなのか」
 へぇって、ちょっと感心したような面した斗歩の後頭部を、手のひらで思い切り小突いた。斗歩の頭がカクンと前に傾く。
「何すんだよ?」
「人に文句つけれる立場かよ。こんないい加減なことしやがって。これ解凍して料理する身にもなれ」
 斗歩の顔が、パッと明るくなった。
「作ってくれんのか?」
 素直に喜ばれて、顔がほてった。「ああ」つって目ぇそらすと、斗歩を視界に入れないようにしながら、鶏肉取り出して料理始めた。

 ほくほくと湯気の立ち上るどんぶり。斗歩はそこへ箸入れて、ふわふわの卵と白米載っけて口へ運ぶ。モグモグ噛んでる間に頬は緩んでった。
「うまい」
「見りゃ分かる」
 高校入って最初の頃は、相変わらず感情読めねぇ野郎だと思ったが、一緒に過ごす時間が増えてくと、案外表情変わるのが分かってきた。大げさに気持ちを外には出さねぇが、時折、フッと頬や目元を過ぎる感情は、確かにある。
 斗歩は二口目を口に入れ、咀嚼しながらオレへ目ぇ向けた。
「お前、料理もできるなんて、すごいな」
「誰が作っても、てめぇよりはマシだろうよ。つか、どんぶりばっかじゃなく、ポテサラも食え」
「分かった」
 斗歩は素直に小皿に盛られた鮭フレーク入りのポテトサラダに取りかかった。
「うまい」
「相変わらず語彙力死んでんな」
「じゃあ、お前は何て言うんだよ?」
「バカかよ。自分で作ったモンの感想なんて、言えるわけねぇだろ」
「そういうモンか」
 斗歩は食い下がりもせず、ポテサラをつつき続けた。
 あ、そうだ、って斗歩が言ったのは、飯半分くらい食い進めてからだった。
「食ったら、オレちょっと洗濯する」
「あ? この時間からか?」
「ああ、帰ってきてからやろうと思ってたんだけど、忘れてた」
「間抜け。オレぁ手伝わねぇぞ」
「いいよ、一つだけだから」
「は?」
 意味不明過ぎて、眉間が力んだ。明日までに、どうしても洗っとかなきゃなんねぇモンでもあんのか? オレの疑問察したらしく、斗歩は説明した。その面は、嬉しいような寂しいような感じの、なくなりかけた幸せ見つめるような感じの、あの面だった。
「セーター、洗っときたいんだ」 
 斗歩の言葉が、うっすらよみがえってきてた記憶に重なって、胸がギュッと絞られた。オレは黙って親子丼へ視線を貼り付けた。
「小学生の頃、着てたやつなんだけどさ、綺麗に取っときたくて、ちょこちょこ洗ってんだよ。明日は帰ってきてからすぐバイト行かなきゃなんないから、今日のうちにと思って」
 斗歩はサラサラ話したが、その口調にはいつもより丸みがある気がした。オレはうつむいたまま、息を落とした。
「それ、小五ン時、着てたやつか?」
 視界の隅に、斗歩が顔こっちに向けんのが映った。表情までは分からなかったが、続いた声には、驚きが滲んでた。
「よく覚えてるな」
 また口調が和らぐ。
「かっこ悪ぃ話なんだけどさ、時々、あのセーター、無性に触りたくなんだよ。懐かしいんだろうな」
 言葉も声の調子も、めちゃくちゃ穏やかだった。けど、斗歩の口にする単語の一つ一つに、柔らかな声音の一音一音に、オレの気持ちはかき乱されてった。斗歩が懐かしいって言ってんのが「おばあちゃん」のことだって分かっちまうから、何でもねぇように話してる斗歩の気持ちが想像できちまうから、どんどん胸が苦しくなった。
 斗歩は、少し声を落とした。
「たまに、小さい頃のままだったら良かったなって、思うんだ」
 頭っから冷水浴びたみてぇんなった。つい、顔上げて斗歩の方見ると、今度は奴の方が俯いてた。
「小さいの頃のままって、てめぇその頃は――」
 口にしようとした言葉の残酷さに気がついて、オレは続きをぐっと飲み込んだ。でも、斗歩には伝わったらしい。そうなんだけどな、と言って、またポテサラつつく。
「オレ、たぶん、デカくなりすぎちまった」
 この日、一番の力ない声は、オレの心をグリグリ抉った。言葉の真意も、分かんねぇのに。
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