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17 彼は尊敬できる人

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 午後の五分休憩。メガネの言葉通り、またオレらは保健室へ向かった。デブは「今日日直だから、日誌書かなきゃ」とか言ってこなかったが。真面目なことだな。クソ。
 メガネは、そっとした手つきで引き戸を開けた。
「澤上くん、調子はどうだ?」
 いつもより抑えたメガネの声に、返事はなかった。澤上くん、ともう一度呼びかけながら、引かれたベッドのカーテンを開ける。
 斗歩は眠ってた。
 下ろした瞼があどけなく、閉じ合わせた長ぇまつ毛は目の下に陰を落としてた。柔らかそうな頬も薄く開いた唇も無防備で、なんだか目が離せなくなった。
「ちゃんと眠れたんだな。良かった」
 メガネは丸椅子を二つ持ってきて、その一つに座った。
「高橋くんも、座りなよ」
「ああ」 
 斗歩の寝顔に意識取られてたせいか、素直に返事しちまった。言ったからには座るしかなく、メガネの隣に腰下ろす。
「おい」
 オレが声かけっと、メガネは目ぇ見張ってこっち見た。
「何?」
 珍しいな、という驚きの滲んだ声だった。
 オレは顔伏せて、頭ん中整理した。
「てめぇは、どうしてそんなに斗歩のこと、気にしてんだ?」
 不思議だった。まず、なんで斗歩がこのメガネのことをあそこまで気遣うのかが、気になった。それにメガネも、どうして斗歩にこんなに親しげなのか、心配すんのか。二人の間に、他人には分かんねぇ何かがあるように思えて、それが羨ましくて、悔しかった。
 メガネは困ったように眉下げた。
「いや、どうしてって、それは澤上くんには尊敬できるところがたくさんあって――」
「じゃあ、どこが『尊敬できる』んだよ?」
 メガネは、さっきよりさらに瞼見開いてオレを見た。
「そう、だな……」
 言いながら、顎に手ぇ当てて、目ぇ伏せた。そうして、ゆっくり、一つ一つの言葉を自分で確かめながら話すみてぇに、続けた。
「一番初めに、澤上くんのこと、すごい人だと思ったのは、初めて会った入試の時だ。オレと谷村くんは中学の頃から友人で、受験番号も前後してて、会場まで一緒に行ったんだ。オレたち二人とも、友だちって言える相手はお互いくらいしかいなかったから、絶対一緒に合格しようって話してた。でも、席に着いてしばらくしてから、谷村くんが消しゴム忘れたって言いだしたんだ」
「間抜けだな」
 オレが口挟むと、メガネは頬を少し掻いて、否めないけど、っつった。でも、谷村くんは何度も持ち物の確認をしたらしいんだよ。受験票なんて、五回も。筆箱も見たらしいけど中身までは――
「どうでもいいんだよ、ンな話」
 メガネは息ついて、分かったよ、と話戻した。
「オレも、予備の消しゴムは持っていなくて困っていたら、谷村くんの隣に座っていた人が、消しゴム差し出してくれたんだ。『これ使えよ』ってね。それが澤上くんだった」
 言葉が途切れた。は? まさか、それだけか? そう思って見ると、オレの表情から疑問を察したのか、メガネが笑った。いや、まだだよ。すごいなって思ったのは、この後だ。
「一通り試験が終わって、谷村くんと二人でお礼を言いに行ったんだ。その時、たまたま澤上くんの使ってた問題用紙が目に入ってね。間違って書き込んだのだろう箇所が、消されもせずにグシャグシャに塗りつぶされてたんだ。それで気がついた。彼も消しゴムを一つしか持ってなかったんだって」
「ちょっと待て。あいつ、入試得点、受験生ン中で一番高かったんじゃねぇのか?」
 そうだ。この学校では、入学式ン時の『新入生代表の言葉』に入試最高得点者が選ばれる。実際にやったのは斗歩とは別人だったが、うっかりそいつに校長が漏らしたらしい。澤上斗歩って奴が、一番得点は高かったって。面倒だよなぁ、と「新入生代表」野郎は、口尖らせながらも、いかにも得意そうに言い回ってた。代表の言葉は、やりたくないんだってさ。そのせいでオレに面倒なことが回ってきて、超迷惑。
 メガネは妙に嬉しそうに、声の調子を高めた。
「そうなんだよ、びっくりだよな。まぁ、その時、澤上くんはね、僕たちに言ったんだ。『オレは元々問題に書き込んでから答案に写すようにしてるから、答案で消しゴム使わないんだ』って。『問題用紙なんか汚れても平気だし、別に消しゴムなくても困らない』ってね」
 メガネは視線下げて、声を深める。
「すごいなと思ったんだ。特に、入試で彼が一番良い点を取ったって知った時にね。自分を不利な状況に追い込んでまで他人を助けられることもすごいけど、何より、自分が被ったそのマイナスを、ちゃんと自分でカバーできるってところが、なんて言うか、かっこいいと思ったんだ。不利を不利にしないだけの力があるから、平気な顔で他人を助けてあげられる。助けたことで相手に負い目も感じさせない。もし、彼が不合格だったら、きっと谷村くんは自分のせいだと思っただろうからね。ちゃんと合格――しかも、すごくいい点数で合格してくれたから、僕たちは全然気にしないで済んだ。本当に、すごい人だって思ったんだ」
「大げさだっつの。たかが消しゴム一個の話だろ」
 オレが言うと、メガネは照れたように頭掻いて、笑った。
「うん、そうかもしれないんだけど、でも、あの時、谷村くんに何もしてあげられなかった僕にとっては、すごい衝撃だったんだ。一緒に合格しようって言ってた僕は何もできなかったのに、初対面の澤上くんが、僕と同じ『消しゴム一個しか持ってない』って条件だったのに、簡単に助けてあげられて」
「つーか、あのデブが自分で斗歩みてぇにすりゃ、それで済んだ話なんじゃねぇのか? てめぇがどうのこうのじゃな――」
「できんだったら、初めから困ってないだろ」
 予想外の方向から声が来た。ハッと見れば、ベッドの上の斗歩が体起こしたとこだった。
「悪い。目ぇ覚めて、途中から聞いちまってた」
 斗歩の目は、メガネの方向いてた。メガネの口調が早くなる。
「あ、いや、いいよ! 別に、隠すようなことじゃないし! 元気になったみたいで良かったよ。顔色も良さそうだ! ただ――」
 そこで言葉が詰まり、メガネは目ぇ伏せた。
「ちょっと、これは……照れくさいね」
 そうだよな、悪い。低い、静かな声は、そこで少し柔らかくなった。
「けど、嬉しいよ。ありがとな。オレはお前が思ってくれてるほどすごくなんかないけど、でも、嬉しい」
 ちょっとうつむいた斗歩の頬は、言葉通り、嬉しそうに緩んでた。それ見っと、オレの心の底は少しだけ疼いた。なんつーか、斗歩にそういう顔させたのがオレ以外の奴だったってことが、どこか悔しかった。
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