世界で一番やさしいリッキー

ぞぞ

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おばあさんの話

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 リッキーがみんなのいる和室に行った後、私は少しだけトイレの前で迷っていた。でも、すぐに胸で気持ちを固めて、歩きだす。和室ではなく、おばあさんのいるだろう台所の方へ。
 さっきのおばあさんの言葉が気になっていた。明日はちゃんと行くんでしょう? あれはもしかしてお母さんのところへ、という意味じゃないだろうか。
 ゴリラから詮索するなと言われたけれど、でも、やっぱり私はリッキーのことを、彼のいろんな痛みを、もっと知りたかった。それに、私がリッキーの心を知りたいのと同じように、おばあさんだって知った方がいいんだと思った。そうすれば、きっと、おばあさんはリッキーのことをもっともっと理解できると思った。二人の間の辛い関係が、ちょっとは変わるんじゃないかと思った。だから、リッキーがおばあさんに話さないなら、私が、と、そう思っていた。
「すみません」
 台所で何かをするおばあさんの背中へ話しかけた。おばあさんが、目を丸くして振り返る。
「なあに? 何か足りない?」
 いえ、そうじゃなくて、と言いながら、私は勇気を胸にかき集めた。
「あの、さっきリッキーに言ってた明日行くところって、お母さんのところですよね」
 おばあさんは、突然、得体の知れないものを見たみたいに目を見張った。
「リュウキくんに聞いたの?」
 見開いたまぶたをゆるめたおばあさんの口調には、トゲがあった。今まで聞いたことがない声だった。
「いえ、あの、ゴリラは詳しいことは何にも。でも、リッキーが言ってました。自分はお母さんの子どもじゃないって。おばあさんの子どもだって。お母さんの結婚相手の人が、そう言ってたって。それと、お母さんは酷い目にあってもリッキーのこと守ろうとしてくれたって」
 まくし立てるように言ってすぐ、胸が痛くなった。これを言うことは、おばあさんの心をグサグサナイフで突き刺すようなものだと分かったから。
 おばあさんの表情は、みるみる色を失っていった。そう、と口のすき間からこぼした声には、もう怒りはにじんでいない。
「知ってるんだったら、そう言ってくれればいいのにね。もっと怒って、騒いで、私にいろいろひどいことを言えばいいのに」
 おばあさんの力ない声を聞いて、さっき痛んだ胸がさらに深くえぐられた。
「力也は、外から見たらわがままに見えるんでしょうけど、かわいそうなくらい聞き分けがいいのよ。少なくとも、私や娘に対してはね」
 おばあさんは軽く息をついた。室内は温かいはずなのに、その吐息の悲しい色が見えたような気がした。
「母娘揃って男運が悪いって、言うのかしら。力也の父親も悪い人じゃないし、力也のことも気にかけてくれているんだけどね。でも、やっぱり冷たい。そういう私たちの男運の悪さで、一番辛い思いしてるのは力也なんだから、かわいそうなことしてるのよ、本当に」
 あの、と私はつっかえそうになりながら、声を出した。
「なんで、リッキーのこと、おばあさんの子どもだって、言えないんですか?」
 リッキーのためなのか、ただのの好奇心なのか分からないけれど、聞かずにはいられなかった。おばあさんは、視線を下げて、また力なく口元にだけ笑みを浮かべた。
「私の子どもじゃあ、世間からいろいろと噂されてしまうだろうから。力也も嫌な思いをするだろうし、年齢的にも力也が大人になるまで私がしっかり面倒見てあげられるかも分からなかったしね。そうしたら、娘が『自分の子どもとして育てる』って言ってくれたの。でも、あの人と一緒になるって言った時も、『私の子だから連れてく』って言って」
 あんな人なんかと……とつぶやくように言ったおばあさんの声は、少し震えていた。けれど、すぐに口調を柔らかく戻す。
 今後のことも心配なんだけどね、息子が――あの、リュウキくんの父親がね、「何かあったらうちで面倒見る」って、お嫁さんも「力也は家の子みたいなもんだし、リュウキよりよっぽどかわいいから」って、言ってくれてね。それで少しは安心できて。私はね、男運はないけど家族には恵まれてるみたいなの。
 聞いていると、悲しみが海の水みたいに広がってきた。でも、目の前のおばあさんは、私が感じた以上の悲しさを抱えているはずなのに、やわらかな笑顔の下にそれをずっと隠して、今も「家族には恵まれてる」なんて言って、それがたまらなく切なくて、言葉が何にも出ない。
 おばあさんが、そっと私へ視線を向ける。
「力也に、ちゃんといろいろ話せる友だちがいて良かったわ。もし良ければ、これからもいろいろ聞いてあげてね」
 はい、とかすれた自分の声がした。

 私は、みんなのいる和室へ向かった。真ん中にこたつのある部屋だ。こたつは正方形なので、五人目の私の座る場所は埋まっているはずだ。いつもは一ヶ所だけ二人で詰めて座っていた。けれど、私が行った時、私の場所は空いていた。先に来ていたはずのリッキーの姿がない。
「リッキーは?」
 私が尋ねると、みんな困ったように眉を下げて目配せしあった。
「ちょっと体調悪いみたいで、自分の部屋に行ったの」
 清水さんが応えると、すぐに上島くんが続けた。
「しかも、なんかすごい息苦しそうっていうか、呼吸荒い感じで。大丈夫かな?」
「オレ、様子見てくるよ。おばあさんにも言っとく」
 宮崎くんが立ち上がり、廊下へ出た。彼の足音が小さくなっていくのを聞きながら、私は黙ってこたつに入った。
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