世界で一番やさしいリッキー

ぞぞ

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言い争い

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 リッキーは、あの人面キモかわマスクを相当気に入ったようだ。休み時間の度にかぶって、ダンボール製チェーンソーをブンブン振っている。それで私たちのクラスでは、授業終了のチャイムとともに、女子の刺すような甲高い悲鳴が上がり始めるようになった。女の子たちは、男子がよくリッキーに投げつけている言葉に引っ掛けて「男子が犯罪者って呼んでるの、マジでそのまんまじゃん」などと文句を言っていたけど、リッキーには全然こたえていなさそうだった。たまに先生の怒声も響いたけれど、やっぱりリッキーも、そして全力でリッキーの悪ふざけに乗って騒ぎまくる宮崎くんも、まるきり反省の色を見せない。
 私も時々、いいかげんにしなよ、と言いそうになるのだけれど、でも、のどから出る直前で、いつも声は引っ込んでしまった。毎回、初めてマスクを被って来た時のリッキーの顔が、頭に浮かんでしまうからだ。パッと取ったマスクの下から現れたのは、全身の喜びをかき集めたような気持ちのいい笑顔だった。今でもあの表情を思い出せば、私の心は花みたいフワァッと咲く。そのくらい、私はあの笑顔にやられてしまった。リッキーが笑ってくれたことが、喜んでくれたことが、心の底から嬉しかった。
 
「雪、全然つもんねぇんだもんなー」
 私たちは、いつも通りにリッキーの家の庭にいた。リッキーが足元の土くれを蹴りながら、ちょっと口をとがらせる。
 あの雪の日、リッキーの家に集合したのはいいものの、雪はすぐに止んでしまって、鎌倉どころか足跡をつけて遊ぶことすらできなかった。けれど、久しぶりに顔を見せたリッキーが元気いっぱいだったからだろう、みんな晴れやかな表情をしていた。思い切り雪遊びをしているのと同じくらい、雰囲気は楽しげに高まっていて、リッキーと宮崎くんに加えて上島くんまで、はしゃぎ回っていた。清水さんも満面に大きな笑みを浮かべていたし、私の心でも、ふさぐような切なさより幸福感が勝っていた。
 けれど、リッキーがいるだけでみんな幸せ、という期間はそんなに長くは続かなかった。と言うより、一日で終わった。リッキーのいなかった日々なんて、本当にあったのだろうかと思うほど、彼は当然に、学校にも放課後の騎士団の集まりにも、いた。ちゃんと私の、私たちの、日常に戻ってきた。
「また降るよ。最近、結構寒いしさ」
 宮崎くんが言った。
「お前の体感温度どうなってんだよ? 寒いどころかあったかいじゃん」
「うん、あったかいね」
 リッキーだけでなく上島くんにまでそう言われて、宮崎くんは、えー、そうかなあ、なんてヘラヘラ笑う。
 縁側に座っていた私は、隣の清水さんに、そっと耳打ちした。
「宮崎くんって、何にも考えないで喋ってそうだよね」
「そうかも」
 清水さんは、ちょっと笑いをにじませた声で返して、幸せそうに細まった目を、じゃれ合う男子たちに向けた。
 私も三人の方を見る。リッキーは、やっぱり手に人面キモかわマスクを持っていた。いつも、彼はこのマスクを突然に被って、近くにいる人に襲いかかる振りをする。そうすると、相手(ほとんどの場合は宮崎くん)は飛び上がるようにして逃げていき、そこから二人のサバイバル鬼ごっこが始まる。でも、たぶん今日の標的は上島くんだろうな。
 楽しそうな彼らの様子を見ていると、こっちの気分も軽やかになる。でも、ここのところずっと私の心にかかっている雲は、薄くなりはするものの、完全に晴れてはくれなかった。
 シャーッと、背後で障子の開く音がした。
「寒いから庭じゃなくて、中入んなさい」
 リッキーのおばあさんが、三人に向かって言った。宮崎くんの口角が得意そうに上がる。
「ほら、寒いって」
「いや、そうじゃなくて程度の話だから。冬の割に寒くないって言ってんだよ」
「いいから入んなさい」
 おばあさんにうながされて、男子たちはこっちへやって来た。宮崎くんと上島くんは笑って、リッキーは少し不満げに。
「家の中じゃ、つまんねぇじゃん」
 おばあさんは、ゲームでもしなさいよ、と言って、それからついでのように口にした。
「力也。明日はちゃんと行くんでしょう?」
 リッキーの顔が、苦いものを噛んだように大きく歪んだ。
「いや、あんま行きたくない」
「そう」
 と返したおばあさんのほがらかな表情が、私にはわずかに曇ったように見えた。

 みんなで、おばあさんについて廊下を進んだ。私の前はリッキー。彼が足を踏み出す度、真っ黒な髪の表面でツヤが上下した。リッキーは、お母さん似――いや、きっとのおばあさん似だ。よく思い返せば、笑うとえくぼのできる両ほほも、眼鏡を外した時に分かる目の優しげな雰囲気も、お母さんだけじゃなく、おばあさんとも同じ。でも、この髪は、カラスみたいに真っ黒で艶のある、癖っぽいこの髪は、あの近藤という人にそっくりじゃないか。あんなに嫌っている、あの人に。そう思うと、冷たい何かがつーっと心の表面を這っていき、胸が少し苦しくなった。
 ゴリラの言葉が頭をよぎる。
『あんまりさ、詮索しないでやってくれよ。あいつが話したい時に話せるように』
 ああは言われたものの、私の気持ちはどうしてもリッキーの抱えるものの重さに囚われてしまう。さっき、縁側で宮崎くんたちとはしゃぐリッキーを見ていても、頭の片隅には、涙の滲んだ声が、震わせる肩が、目元を拭った時に現れた悲しさに歪んだ顔が、こびり付いていた。ずっとずっと、一人きりでたくさんのものを抱え続けるなんて、辛すぎるんじゃないだろうか? 耐えられなくなってから誰かに打ち明けるなんて、遅すぎるんじゃないだろうか? そういう気持ちが、いつも内側でグルグル渦を巻いている。
 でも胸の底には、リッキーを思いやる気持ちとは、どこか、少しだけ、何か違うものがジリジリジリジリ燻ってもいて、痛かった。心をじっと澄ませて、燻るそれの正体を探ろうとしたけれど、分からない。だけど、きっと、私がゴリラの言うことに逆らおうとしているのは、リッキーの辛い気持ちを考えてしまうからというだけじゃない。モヤモヤ燻る気持ちが、私のことを後押ししていた。

 私はリッキーの袖を引っ張った。
「リッキー」
「あ?」
「ちょっとこっち来て」
 そう言って、私はリッキーを掴んだままみんなの列から外れ、トイレの前まで引っ張っていった。
「なんだよ?」
 リッキーの歪めた眉間には、戸惑いと苛立ちの両方が漂っている。
「近藤って人のこととか、おばあさんのこととか、私の他にも誰かに話したら?」
「は?」
 彼の顔から戸惑いが消え、目元に明らかな怒りが差した。
「なんでだよ? お前に関係ないだろ」
「関係なくたって、聞いちゃったら黙ってらんないよ」
 そう言って、私はリッキーの鋭い視線から逃げるように、少し顔をうつむけた。大きく吸った息を吐き、そっと言う。
「おばあさんにも、話した方がいい。本当のお母さんがおばあさんだって、知ってるって」
 さらに空気が張りつめた。見なくても、リッキーの表情が歪んだのが分かる。
「なんでお前にそんなこと言われなきゃなんないんだよ。余計なお世話だ」
「余計なお世話」。その言葉は、新しい火種みたいに、燻っていていたあの気持をじりつかせた。胸をかきむしりたくなってくる。私は顔を上げていた。
「リッキーは、嫌じゃないの? 自分の気持ちを、みんなが全然知らないでいること」
「嫌じゃない」
 冷たいくらい、キッパリとリッキーは言った。でも、石みたいに硬くなった彼の顔はどこか苦しそうに見える。
「じゃあさ、私には教えてよ。だって、あんなこと打ち明けてきたんだから、なんで近藤って人がリッキーやおばあさんと一緒にいてくれないのかってことくらい、教えてくれてもいいでしょ」
 リッキーは、苦いものを噛んでしまったように眉間を歪めた。
「知らねぇよ。世間体とか、そういうんだろ。イメージが大事だから、二十以上年上の、自分と同じくらいの子どもがいるような女と子ども作ったとか、言えなかったんじゃねぇの?」
 聞いていて、怒りみたいに大きな悲しみがせり上がってきた。リッキーが生まれたことが、リッキーの存在が、イメージを悪くするなんて。
「そんなの、ひどいよ」
 私が言うと、リッキーはぐっと奥歯を噛んだ。
「だから言ってんだろ。嫌な奴だって」
「でも、だからって、おばあさんがリッキーのお母さんだってこと、隠さなくてもいいじゃん。なんでそんなことすんのよ?」
 リッキーの眉間が、さらに歪む。うるせぇな、と言って、彼はうつむいた。
 私は、つい声を高くしてしまった。
「そうやって、リッキーが何にも言わないから、みんなリッキーのこと、よく分かんないんじゃん。だから、クラスのみんなも、リッキーのこと嫌な奴だって誤解してるんだよ」
 リッキーはうつむいたまま、苛立ちのにじんだ声を出した。
「オレは周りから理解されないから辛いとか、全然思ってない。だいたい、誤解なんかされてない。オレはただ、自分がムカついてることとか気に入らないこととか、隠さずにいるだけ。ばあちゃんのこととか近藤のこととか、関係ない。オレはみんなが思ってる通りのオレだ」
「思ってること隠さないんだったら、なんでも話せばいいじゃん。矛盾してるよ。お母さんと一緒にいれない理由だって、話してくれればいいじゃん」
 つい出てしまった言葉だった。「売り言葉に買い言葉」的に。でも、リッキーの表情はさっきよりさらにひきつって、顔色はみるみる土気色に変わった。ゴリラが怪我させられた時みたいに。
「それこそ、お前に関係ない」
 彼はそう言って、ぱっと背を向け、みんなの歩いていった方へ戻っていった。
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