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雪
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コン、コン、コンと何かが窓にぶつかる音がして、私は目を覚ました。起き上がってカーテンを開けてみれば、雨に濡れた窓がまだ闇の濃い外の景色を映していた。
今日は雨か、とまた気持ちがふさぐ。もし起きた時に青い空が広がっていたら、心ももう少し軽くなったかもしれないのに。
すっかり眠気が消えてしまって、まだ暗いけれど私は起きることにした。
部屋を出ると、下の階から漏れ出る明かりが、階段を淡く照らしていた。夜の気配の残る時間に、もう誰かが起きている。何となく音を立ててはいけないような気がして、私はそっと階段を踏んで下りていった。
「あれ、早いじゃない? まだ六時よ」
階段を下りてリビングに入ると、テーブルを拭くお母さんがいた。まだ六時、と言われたけれど、私は、もう六時なのか、と思った。外にも家の中にも、しんと暗い夜の気配がしっかり残っているのに。夜の気配が残っている時間に、お母さんがテキパキ動いていることにも、びっくりした。
「お母さんって、いつもこんなに早く起きてるの?」
私が聞くと、お母さんは、ううん、と笑った。
「お父さんが、今日ちょっと出るの早くてね。そろそろ起こさなきゃ」
「起こしてくるよ」
私はそう言って、お父さんとお母さんの寝室の方へ向かった。
何度も何度も「お父さん」と呼びかけて、やっと起き出したお父さんは、髪がボサボサで笑ってしまった。え? なんて、眩しそうに目を細めて言う様子が、余計におかしい。笑って、少し気持ちが明るくなった。
今年の冬は、雨が多いな。
私とともにリビングへやって来たお父さんは、窓をチラッと見て言った。そうね、と焼き魚の載ったお皿をテーブルに置きながら、お母さんが頷く。
「雪になったら大変。雪かき用のスコップ、早い時間に買ってきた方がいいかもね」
雪か。頭の中でつぶやくと、また少し心が晴れてくる。低学年の頃、リッキーや他の友だちと、雪遊びしたことを、思い出した。
まだ誰の足跡もついていないまっさらな雪は、朝日を受けてキラキラ輝いていた。
庭に積もった雪を見て嬉しくなったらしいリッキーは「うちの庭で遊ぼう」と私を誘いに来た。うんと言って、一緒に他の子にも声をかけ、四、五人でリッキーの家へ行った。
絹みたいに滑らかな雪を手ですくった時、もったいないような気持ちになったけど、まっすぐに雪の玉が飛んできて腕に当たると、なんだかそんなことどうでもいい気分になった。私も大きな雪の玉を作って、ついさっき雪をぶつけてきたリッキーに思い切り投げつけた。別のところから飛んできた雪を器用に避けたリッキーの頭に、私の特大雪玉が当たって、よしっと思った。それから、なぜかみんなからの集中攻撃を受ける羽目になったリッキーは雪の地面に倒れ込んでゴロゴロ転がって、大笑いしていた。私も他の子も、みんな笑っていた。私たちはリッキーの家の庭の雪が、みんな土と混ざってグチャグチャになるまで、ずっと遊んでいた。
あんな風に、また雪の中で遊びたいな。お母さんが運んできてくれた朝ごはんを食べながら、そう思った。もし雪が降ったら、また、リッキーに会いに行こう。今度は宮崎くんたちも誘って。
学校へ向かう間、私は何度も傘を傾けて空を見た。いくら確認しても、重たい灰色の空から降ってくるのは、雨粒だった。そんな風にしてゆっくり歩いていたせいか、せっかく早起きしたのに、学校に着いたのは普通の時間だった。
下駄箱も廊下も、濡れて冷気を帯びていて、なんだか気持ちまで湿ってくる。私は教室までゆっくり歩き、ガラ、と音を立てて引き戸を開けた。
その途端、キャーッ! という女子の悲鳴が聞こえてきた。びっくりして、顔を上げると、
白塗りマスクを被った人物が、ダンボールで作った長細い物体を振り回し、教室の中を走り回っていた。
「榎本って、ほんっとにサイテー!」
キンキン響く女子の声にも構わず、マスクの人物はダンボールの何やらをブンブン振っている。
心が一気に晴れ渡った。
あのダンボールのやつ、きっとチェーンソーのつもりだ。そう思うと、お腹の底から笑いが込み上げてきた。
白塗りマスク野郎はドアを開けた私に気がついたらしく、こっちに向かってきた。目の前まで来ると、パッとマスクを取り、ニッカリ笑う。メガネを外して三日月形に目を細めるその顔が、かわいくて嬉しそうで、すごく胸に来た。
「ただいま」
リッキーはそう言って、いきなりダンボールチェーンソーで私を切りつけてきた。
「ちょっと!」
私が大きな声を出すと、リッキーは笑って背を向け、どこかへ走っていこうとした。けれど、ピタリと足を止める。
「雪だ」
彼の言葉に窓へ目を向けてみれば、本当に、羽毛みたいに白くてふわりとしたかたまりが、ゆっくり空を舞い降りている。リッキーがこちらへ振り向いた。
「メスゴリラ。今日、みんなでオレん家来いよ。でっかい鎌倉作るぞ」
「うん!」
私が答えると、リッキーは、教室の真ん中へ走っていき、切りつけやれそうになった女子たちが、また悲鳴を上げた。
今日は雨か、とまた気持ちがふさぐ。もし起きた時に青い空が広がっていたら、心ももう少し軽くなったかもしれないのに。
すっかり眠気が消えてしまって、まだ暗いけれど私は起きることにした。
部屋を出ると、下の階から漏れ出る明かりが、階段を淡く照らしていた。夜の気配の残る時間に、もう誰かが起きている。何となく音を立ててはいけないような気がして、私はそっと階段を踏んで下りていった。
「あれ、早いじゃない? まだ六時よ」
階段を下りてリビングに入ると、テーブルを拭くお母さんがいた。まだ六時、と言われたけれど、私は、もう六時なのか、と思った。外にも家の中にも、しんと暗い夜の気配がしっかり残っているのに。夜の気配が残っている時間に、お母さんがテキパキ動いていることにも、びっくりした。
「お母さんって、いつもこんなに早く起きてるの?」
私が聞くと、お母さんは、ううん、と笑った。
「お父さんが、今日ちょっと出るの早くてね。そろそろ起こさなきゃ」
「起こしてくるよ」
私はそう言って、お父さんとお母さんの寝室の方へ向かった。
何度も何度も「お父さん」と呼びかけて、やっと起き出したお父さんは、髪がボサボサで笑ってしまった。え? なんて、眩しそうに目を細めて言う様子が、余計におかしい。笑って、少し気持ちが明るくなった。
今年の冬は、雨が多いな。
私とともにリビングへやって来たお父さんは、窓をチラッと見て言った。そうね、と焼き魚の載ったお皿をテーブルに置きながら、お母さんが頷く。
「雪になったら大変。雪かき用のスコップ、早い時間に買ってきた方がいいかもね」
雪か。頭の中でつぶやくと、また少し心が晴れてくる。低学年の頃、リッキーや他の友だちと、雪遊びしたことを、思い出した。
まだ誰の足跡もついていないまっさらな雪は、朝日を受けてキラキラ輝いていた。
庭に積もった雪を見て嬉しくなったらしいリッキーは「うちの庭で遊ぼう」と私を誘いに来た。うんと言って、一緒に他の子にも声をかけ、四、五人でリッキーの家へ行った。
絹みたいに滑らかな雪を手ですくった時、もったいないような気持ちになったけど、まっすぐに雪の玉が飛んできて腕に当たると、なんだかそんなことどうでもいい気分になった。私も大きな雪の玉を作って、ついさっき雪をぶつけてきたリッキーに思い切り投げつけた。別のところから飛んできた雪を器用に避けたリッキーの頭に、私の特大雪玉が当たって、よしっと思った。それから、なぜかみんなからの集中攻撃を受ける羽目になったリッキーは雪の地面に倒れ込んでゴロゴロ転がって、大笑いしていた。私も他の子も、みんな笑っていた。私たちはリッキーの家の庭の雪が、みんな土と混ざってグチャグチャになるまで、ずっと遊んでいた。
あんな風に、また雪の中で遊びたいな。お母さんが運んできてくれた朝ごはんを食べながら、そう思った。もし雪が降ったら、また、リッキーに会いに行こう。今度は宮崎くんたちも誘って。
学校へ向かう間、私は何度も傘を傾けて空を見た。いくら確認しても、重たい灰色の空から降ってくるのは、雨粒だった。そんな風にしてゆっくり歩いていたせいか、せっかく早起きしたのに、学校に着いたのは普通の時間だった。
下駄箱も廊下も、濡れて冷気を帯びていて、なんだか気持ちまで湿ってくる。私は教室までゆっくり歩き、ガラ、と音を立てて引き戸を開けた。
その途端、キャーッ! という女子の悲鳴が聞こえてきた。びっくりして、顔を上げると、
白塗りマスクを被った人物が、ダンボールで作った長細い物体を振り回し、教室の中を走り回っていた。
「榎本って、ほんっとにサイテー!」
キンキン響く女子の声にも構わず、マスクの人物はダンボールの何やらをブンブン振っている。
心が一気に晴れ渡った。
あのダンボールのやつ、きっとチェーンソーのつもりだ。そう思うと、お腹の底から笑いが込み上げてきた。
白塗りマスク野郎はドアを開けた私に気がついたらしく、こっちに向かってきた。目の前まで来ると、パッとマスクを取り、ニッカリ笑う。メガネを外して三日月形に目を細めるその顔が、かわいくて嬉しそうで、すごく胸に来た。
「ただいま」
リッキーはそう言って、いきなりダンボールチェーンソーで私を切りつけてきた。
「ちょっと!」
私が大きな声を出すと、リッキーは笑って背を向け、どこかへ走っていこうとした。けれど、ピタリと足を止める。
「雪だ」
彼の言葉に窓へ目を向けてみれば、本当に、羽毛みたいに白くてふわりとしたかたまりが、ゆっくり空を舞い降りている。リッキーがこちらへ振り向いた。
「メスゴリラ。今日、みんなでオレん家来いよ。でっかい鎌倉作るぞ」
「うん!」
私が答えると、リッキーは、教室の真ん中へ走っていき、切りつけやれそうになった女子たちが、また悲鳴を上げた。
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