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ゴリラの家へ
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家に帰っても、私の頭には顔のど真ん中に「リッキー大好き!!」と書かれた人面マスクがこびりついて離れなかった。そして、それを見てリッキーがどんな顔をするかすごく気になって、胸の中では気持ちが右往左往する。落ち着かない心を持て余しているうちに、窓の外から赤い陽が差し込んできた。もうすぐ暗くなってしまう。
行こう。
私はソワソワする気持ちを奥歯でギュッとかみ潰し、靴に足を突っ込んだ。
抜けがけみたいなことをしているのは分かっている。でも、やっぱり私はリッキーのことが気になって気になって、どうしようもない。あの人面マスクを見て、手を叩いて笑っているところを、ちゃんと見たい。さっきまで周囲を赤く染めていた陽はもう沈む間際で、今では西の端っこがちょっと濃く色づいているだけだ。私は地面を蹴る足に力を入れた。
私がインターフォンを押してすぐに出てきてくれたおばあさんは、どうしたの? と心配そうに眉をひそめていた。
私は頭をフル回転させて、思いついた言葉をどんどん舌の上にのせていく。寄せ書きマスク、やっぱり私が持っていきます。リッキーに話したいこともあるし、ちゃんと受け取ってくれるところも見たいし……それに用事もあるんです。リッキーが休んでる間に進んだ勉強のこととかもあるし、席替えもしたし、登校してくる前に知っておいた方がいいこと、たくさんあると思うから、そういうの伝えといてあげたくて。だから、私が行って届けてあげた方が――。
「リュウキくんの家、知ってるの?」
黙って聞いていたおばあさんが急に口を開いた。ドキッとして視線に意識を向ければ、相変わらず眉をひそめた、けれど頬には優しさを浮かべた顔があった。なんて言えばいいか迷ったけれど、すぐにおばあさんが前に言っていたことを思い出した。駅の近く、中学校の辺り。
「知らないけど、でも、東鴨野中の近くなんですよね。だったら、その辺で榎本って苗字の家を探せば見つかると思います」
「それじゃあ大変でしょう。すぐに暗くなるから危ないし」
おばあさんは目じりにたくさんのシワを作って笑った。
「送っていってあげる。ちょっとまってて。お家の方にも連絡しておくから」
おばあさんの車の助手席で、私はうつむいていた。気まずい沈黙を、ゆったりした音楽が埋めていく。
断られると思っていた。そうなるはずだと。でも、おばあさんはあっさり私の言葉を受け入れて、その上本当にリッキーのところまで連れていってくれるらしい。ありがたいけれど、とても不思議で、でもその疑問を口にしていいのか分からなかった。下からそっと、おばあさんを見る。前を向いて運転する表情は、真っ白な紙みたいで何もうかがえなかった。
「あの……」
私はゆっくり切り出した。声を出した途端、空気の重さをさらに感じた。おばあさんが口元をゆるめて、なあに、と聞いてくる。私は深く息をついて気持ちを固めた。
「なんで連れて行ってくれるんですか? 学校に来ないってことは、たぶん、リッキーは……会いたくないんですよね」
私に、と続けようとしたけれど、のどで声がつまった。
「そうじゃないのよ」
しばらくおばあさんは、何て言えばいいのか知らねぇ、とやわらかな調子で言葉をにごしていたけれど、そのうちに言った。
「お友だちには会いたいんだと思うのよ。ただ、私に怒ってるのよ。それで気持ちが落ち着かなくて、学校にも行ってないの」
ごめんね、と言ったおばあさんはの口調はやっぱり優しくて、話している内容と不釣り合いなくらい優しくて、なんだかとても悲しかった。
おばあさんは続けた。だからね、私が届けるより、山崎さんが持って行ってあげた方が喜ぶと思ったの。私とは顔を合わせるのも嫌だろうから。
おばあさんは私をゴリラの家の前に降ろすと、よろしくね、と手を振って帰っていった。本当に会わないで行っちゃうんだな、と思いながら体の向きを変え、「榎本」と書かれた表札を、そしてそこに建つ家を見上げた。
でかい……。
周囲に並ぶたくさんの建物の中から一つだけ頭の飛び出した背の高い家だった。三階建てだろうか。塀の向こうには芝生が広がっていて、奥の角に椿か何かの木があった。リッキーの家ほどではないけれど、それでも豪邸と呼んでしまいそうなくらい立派な家だ。
門扉の横のインターフォンを押す。指が少し震えた。人面マスクを持つ反対の手も熱くなっている。
『はい』
インターフォンのスピーカーから、ちょっとかすれた強い口調の声がして、肩がビクッと跳ねた。ついさっきまで一緒にいたおばあさんのやわらかな雰囲気とはまるで違う。
「力也くんの友だちなんですけど、あの……力也くんに渡したい物があって……」
緊張でのどがふさがって、小さな声しか出なかった。
『ああ、聞いてる。ちょっと待って』
ぶっきらぼうな声の後、りきやー! 友だち来たよ! 下りてきな! と呼びかけるのが聞こえていた。あんまり上品な感じの人じゃないんだな、と思って待っていると、ドアが開いた。
「わざわざありがと。上がってきなね」
少し声を張って言い、小走りに出てきたのは明るい色の髪を一つに束ねた女の人だった。化粧のせいもあるのだろうけど、声から連想された通り、キツい目つきのちょっと怖そうな雰囲気だ。門を開けてくれたので、私は、ありがとうございます、と言って、ドアまで続く円い置き石の上を歩いた。
女の人は、ドアを開けてすぐ、早く来な! タラタラすんな! とまた中へ向かって叫んだ。
うながされるままに廊下を歩いていると、途中にある階段からゴリラが下りてきた。あの日、リッキーの家で会って以来、見るのは初めてだったけど、彼はまだマスクを付けていた。もう良くなっているという話だったので、風邪かもしれない。そんなことを考えたけれど、彼の後ろに人影が見えた瞬間、私の目はそこに吸い付けられた。リッキーがゆっくりこちらへ向かってくる。
急に陽が射したように、心が明るい色に満ちた。
「リッキー」
私が声をかけると、けれど、リッキーはちょっと目元を険しくして顔をそむけた。晴れた心が、また少し陰ってくる。
「ありがとな」
階段を降りきったところでそう言ってくれたのは、ゴリラだった。リッキーは、ゴリラの後ろについて口をきつく結んだまま。やっぱり来ちゃいけなかったのかな。少し胸を痛めながら、私は二人とともに障子の部屋へ入った。
行こう。
私はソワソワする気持ちを奥歯でギュッとかみ潰し、靴に足を突っ込んだ。
抜けがけみたいなことをしているのは分かっている。でも、やっぱり私はリッキーのことが気になって気になって、どうしようもない。あの人面マスクを見て、手を叩いて笑っているところを、ちゃんと見たい。さっきまで周囲を赤く染めていた陽はもう沈む間際で、今では西の端っこがちょっと濃く色づいているだけだ。私は地面を蹴る足に力を入れた。
私がインターフォンを押してすぐに出てきてくれたおばあさんは、どうしたの? と心配そうに眉をひそめていた。
私は頭をフル回転させて、思いついた言葉をどんどん舌の上にのせていく。寄せ書きマスク、やっぱり私が持っていきます。リッキーに話したいこともあるし、ちゃんと受け取ってくれるところも見たいし……それに用事もあるんです。リッキーが休んでる間に進んだ勉強のこととかもあるし、席替えもしたし、登校してくる前に知っておいた方がいいこと、たくさんあると思うから、そういうの伝えといてあげたくて。だから、私が行って届けてあげた方が――。
「リュウキくんの家、知ってるの?」
黙って聞いていたおばあさんが急に口を開いた。ドキッとして視線に意識を向ければ、相変わらず眉をひそめた、けれど頬には優しさを浮かべた顔があった。なんて言えばいいか迷ったけれど、すぐにおばあさんが前に言っていたことを思い出した。駅の近く、中学校の辺り。
「知らないけど、でも、東鴨野中の近くなんですよね。だったら、その辺で榎本って苗字の家を探せば見つかると思います」
「それじゃあ大変でしょう。すぐに暗くなるから危ないし」
おばあさんは目じりにたくさんのシワを作って笑った。
「送っていってあげる。ちょっとまってて。お家の方にも連絡しておくから」
おばあさんの車の助手席で、私はうつむいていた。気まずい沈黙を、ゆったりした音楽が埋めていく。
断られると思っていた。そうなるはずだと。でも、おばあさんはあっさり私の言葉を受け入れて、その上本当にリッキーのところまで連れていってくれるらしい。ありがたいけれど、とても不思議で、でもその疑問を口にしていいのか分からなかった。下からそっと、おばあさんを見る。前を向いて運転する表情は、真っ白な紙みたいで何もうかがえなかった。
「あの……」
私はゆっくり切り出した。声を出した途端、空気の重さをさらに感じた。おばあさんが口元をゆるめて、なあに、と聞いてくる。私は深く息をついて気持ちを固めた。
「なんで連れて行ってくれるんですか? 学校に来ないってことは、たぶん、リッキーは……会いたくないんですよね」
私に、と続けようとしたけれど、のどで声がつまった。
「そうじゃないのよ」
しばらくおばあさんは、何て言えばいいのか知らねぇ、とやわらかな調子で言葉をにごしていたけれど、そのうちに言った。
「お友だちには会いたいんだと思うのよ。ただ、私に怒ってるのよ。それで気持ちが落ち着かなくて、学校にも行ってないの」
ごめんね、と言ったおばあさんはの口調はやっぱり優しくて、話している内容と不釣り合いなくらい優しくて、なんだかとても悲しかった。
おばあさんは続けた。だからね、私が届けるより、山崎さんが持って行ってあげた方が喜ぶと思ったの。私とは顔を合わせるのも嫌だろうから。
おばあさんは私をゴリラの家の前に降ろすと、よろしくね、と手を振って帰っていった。本当に会わないで行っちゃうんだな、と思いながら体の向きを変え、「榎本」と書かれた表札を、そしてそこに建つ家を見上げた。
でかい……。
周囲に並ぶたくさんの建物の中から一つだけ頭の飛び出した背の高い家だった。三階建てだろうか。塀の向こうには芝生が広がっていて、奥の角に椿か何かの木があった。リッキーの家ほどではないけれど、それでも豪邸と呼んでしまいそうなくらい立派な家だ。
門扉の横のインターフォンを押す。指が少し震えた。人面マスクを持つ反対の手も熱くなっている。
『はい』
インターフォンのスピーカーから、ちょっとかすれた強い口調の声がして、肩がビクッと跳ねた。ついさっきまで一緒にいたおばあさんのやわらかな雰囲気とはまるで違う。
「力也くんの友だちなんですけど、あの……力也くんに渡したい物があって……」
緊張でのどがふさがって、小さな声しか出なかった。
『ああ、聞いてる。ちょっと待って』
ぶっきらぼうな声の後、りきやー! 友だち来たよ! 下りてきな! と呼びかけるのが聞こえていた。あんまり上品な感じの人じゃないんだな、と思って待っていると、ドアが開いた。
「わざわざありがと。上がってきなね」
少し声を張って言い、小走りに出てきたのは明るい色の髪を一つに束ねた女の人だった。化粧のせいもあるのだろうけど、声から連想された通り、キツい目つきのちょっと怖そうな雰囲気だ。門を開けてくれたので、私は、ありがとうございます、と言って、ドアまで続く円い置き石の上を歩いた。
女の人は、ドアを開けてすぐ、早く来な! タラタラすんな! とまた中へ向かって叫んだ。
うながされるままに廊下を歩いていると、途中にある階段からゴリラが下りてきた。あの日、リッキーの家で会って以来、見るのは初めてだったけど、彼はまだマスクを付けていた。もう良くなっているという話だったので、風邪かもしれない。そんなことを考えたけれど、彼の後ろに人影が見えた瞬間、私の目はそこに吸い付けられた。リッキーがゆっくりこちらへ向かってくる。
急に陽が射したように、心が明るい色に満ちた。
「リッキー」
私が声をかけると、けれど、リッキーはちょっと目元を険しくして顔をそむけた。晴れた心が、また少し陰ってくる。
「ありがとな」
階段を降りきったところでそう言ってくれたのは、ゴリラだった。リッキーは、ゴリラの後ろについて口をきつく結んだまま。やっぱり来ちゃいけなかったのかな。少し胸を痛めながら、私は二人とともに障子の部屋へ入った。
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『オレはこいつの「半分ヒーロー」』で「BL小説大賞」に参加しています。よろしければこちらもご覧ください。
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