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素顔の影
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その日、家に帰っても私の心はあの体育館を、保健室を、その前の廊下を、ウロウロしていた。脳裏ではリッキーやゴリラやピアスの顔がちらついて、ご飯を食べても味をほとんど感じない。
「かな、どうしたの?」
あんまり私が上の空だったからか、夕飯を食べている最中にとうとうお母さんが尋ねてきた。
「帰ってきてから、ずっとぼーっとしてるじゃない。何かあったの?」
「別に!」
明るい声を出そうとしたら、変に調子が外れてしまった。お母さんは怪訝そうな顔をしたけれど、そう、と言ったきり深く追及しては来なかった。ほっとして、私はしっかり箸を持つと、春巻きをザクザク音をさせて食べた。
ちょっと忘れ物しちゃったから、リッキーの家に行ってくる。ご飯を食べた後、そう言って私は家を出た。お母さんは不審がってリッキーの家に電話までしたけれど、行先に嘘はないから、大丈夫。リッキーのおばあさんは、帰りは送って行きますから、少し上がっていってください、なんて言ってくれたらしい。きっと、真綿みたいに朗らかな柔らかな声で。それを思うと、少し安心できた。あの優しさに触れたら、リッキーの心もちょっとはあったかくほぐれるかもしれない。
お母さんはリッキーの家の近くにあるコンビニに用事があると言い、途中までついてきてくれた。リッキーの家の石垣が目の前にある所だ。お母さんと別れると、私は冷たい夜の空気を切るように走った。
角を曲がって、門がすぐそこに見えると、私は足をゆるめて息を整えた。鼓動が胸を打っているのを感じた。入り口へ差し掛かった時、
中から人影が現れた。自分よりずっと背の高い姿に怯んで、ドキッと心臓が跳ねたと同時に、私は足を止めていた。人影もこちらへ体を向け、ピタリと立ち止まる。
「お前、どうしたんだよ。こんな時間に」
声でやっと、相手が誰だか分かった。ゴリラだ。体から力が抜けて、気づいたらゴリラへ向かって歩み寄っていた。
「ちょっとリッキーのことが心配で――」
そこまで言って、あ、と思った。今、一番心配するべきなのは、目の前にいるゴリラのことなのに。でも、近づくにつれて見えてきた彼の表情は、マスクをつけてはいたけれど、さっぱりして見えた。
「ああ、そっか。オレも同じ」
ゴリラはそこで深く息をつくと、ちょっと視線を下げた。
「あいつ、キレただろ?」
「うん」
自分の小さな声が聞こえた。
ゴリラは悲しげに眉をひそめる。
「そんなことしなくていいのにさ。力也が辛くなるだけなのに。でも、あいつは無理にでも、そういうことしちゃうんだ」
「無理に……?」
「そう、無理にだ」
ゴリラは私へ顔を向けた。目が合う。真剣な眼差しがまぶしい気がして、少しまぶたに力が入った。
「好き勝手やってるように見えると思うけど、たぶん、そういう部分もあるんだろうけど、でも、無理もしてる。怖かろうが嫌われようが、思ってることは全部言ったりやったりしなくちゃって」
ゴリラは言葉を切ると、目を三日月形に細めた。
「さっき、ちょっと話してさ。今はだいぶ落ち着いてる。行ってやったら喜ぶよ。それと、」
ゴリラはちょっと目をそらした。
「ごめんな。なんかみんなに心配させちゃってさ。あん時はオレも頭ん中グチャグチャで……。でも、もう平気だから」
彼はもう一度目元をゆるめて、じゃあなと言い、帰っていった。
ゴリラと別れた後、私はリッキーの家を訪ねた。ゴリラの言葉通り、リッキーはすっかりいつもの調子を取り戻していて、夜に押しかけてくるほどオレのことが好きとか引くわ。メスのゴリラに好かれても困る、なんて私をからかってきた。
話している中で、私が少しだけゴリラのことに触れると、一瞬、リッキーの表情へ陰りが差した気がしたけれど、その目はすぐに快活そうな雰囲気に変わった。ゴリラだけあって、あいつもタフだよな。今日の今日で家に来るとか、思わなかった。
私は、そうだね、と返しつつ、分かっていた。それだけゴリラはリッキーのことが心配だったのだ。ゴリラが知っているリッキーの素顔は――。
そう考えた途端、あの時の顔が頭に浮かんだ。遠視用メガネ越しの大きな目の中で、濡れた瞳がてらてらてらてら光って揺れて、私へ何か強い感情を訴えかけていた。
心がジンと熱くなりかけて、その熱が目にまで上ってこないうちにと、私はあの表情を振り払った。
帰りは本当にリッキーのおばあさんが送ってくれることになり、私は車の助手席に座らされた。車内には小さく音楽が流れている。ゆったりしたメロディが、今日一日で疲れた頭に染み込んでくるみたいで落ち着いた。
「今日はどうもありがとう」
リッキー宅を出てすぐ、おばあさんが口を開いた。不意のことで、私はちょっと返事に迷ってしまった。
「いえ、別に……」
「リュウキくんも、怪我して大変だったのに、心配してわざわざ来てくれて、本当に力也はいい子たちに囲まれて幸せよねえ」
リュウキって誰だっけ? と一瞬考えてしまったけれど、すぐ思い出した。確かリッキーも、ピアスに牙突を仕掛けようとした時、ゴリラのことをリュウキと呼んでいた。
「力也のこと、これからもよろしくね。ふざけてばかりで嫌な思いをさせちゃうこともあると思うけど、私一人じゃ上手く支えられないことも多いから」
胸がドクンと大きく打ち、私は目を見張っておばあさんの方を向いていた。
「『私一人じゃ』って、やっぱりお母さんはいないんですか?」
おばあさんの横顔が、ちょっと困ったように歪んだ。
「そうね。いないわけじゃないんだけど、今、一緒には暮らせないのよ」
「なんでですか?」
間髪入れずに、私は尋ねた。おばあさんは、さらに眉尻を下げる。
「ごめんね。私の口からはあんまり説明できないのよ。力也は、知られたくないんだと思うの」
優しい口調の中には、けれど、何があっても揺らいだりしないはっきりした意志も感じられた。それで私は、はい、と答え、いろんな疑問をまるっと全部飲み込む他になくなってしまった。
「かな、どうしたの?」
あんまり私が上の空だったからか、夕飯を食べている最中にとうとうお母さんが尋ねてきた。
「帰ってきてから、ずっとぼーっとしてるじゃない。何かあったの?」
「別に!」
明るい声を出そうとしたら、変に調子が外れてしまった。お母さんは怪訝そうな顔をしたけれど、そう、と言ったきり深く追及しては来なかった。ほっとして、私はしっかり箸を持つと、春巻きをザクザク音をさせて食べた。
ちょっと忘れ物しちゃったから、リッキーの家に行ってくる。ご飯を食べた後、そう言って私は家を出た。お母さんは不審がってリッキーの家に電話までしたけれど、行先に嘘はないから、大丈夫。リッキーのおばあさんは、帰りは送って行きますから、少し上がっていってください、なんて言ってくれたらしい。きっと、真綿みたいに朗らかな柔らかな声で。それを思うと、少し安心できた。あの優しさに触れたら、リッキーの心もちょっとはあったかくほぐれるかもしれない。
お母さんはリッキーの家の近くにあるコンビニに用事があると言い、途中までついてきてくれた。リッキーの家の石垣が目の前にある所だ。お母さんと別れると、私は冷たい夜の空気を切るように走った。
角を曲がって、門がすぐそこに見えると、私は足をゆるめて息を整えた。鼓動が胸を打っているのを感じた。入り口へ差し掛かった時、
中から人影が現れた。自分よりずっと背の高い姿に怯んで、ドキッと心臓が跳ねたと同時に、私は足を止めていた。人影もこちらへ体を向け、ピタリと立ち止まる。
「お前、どうしたんだよ。こんな時間に」
声でやっと、相手が誰だか分かった。ゴリラだ。体から力が抜けて、気づいたらゴリラへ向かって歩み寄っていた。
「ちょっとリッキーのことが心配で――」
そこまで言って、あ、と思った。今、一番心配するべきなのは、目の前にいるゴリラのことなのに。でも、近づくにつれて見えてきた彼の表情は、マスクをつけてはいたけれど、さっぱりして見えた。
「ああ、そっか。オレも同じ」
ゴリラはそこで深く息をつくと、ちょっと視線を下げた。
「あいつ、キレただろ?」
「うん」
自分の小さな声が聞こえた。
ゴリラは悲しげに眉をひそめる。
「そんなことしなくていいのにさ。力也が辛くなるだけなのに。でも、あいつは無理にでも、そういうことしちゃうんだ」
「無理に……?」
「そう、無理にだ」
ゴリラは私へ顔を向けた。目が合う。真剣な眼差しがまぶしい気がして、少しまぶたに力が入った。
「好き勝手やってるように見えると思うけど、たぶん、そういう部分もあるんだろうけど、でも、無理もしてる。怖かろうが嫌われようが、思ってることは全部言ったりやったりしなくちゃって」
ゴリラは言葉を切ると、目を三日月形に細めた。
「さっき、ちょっと話してさ。今はだいぶ落ち着いてる。行ってやったら喜ぶよ。それと、」
ゴリラはちょっと目をそらした。
「ごめんな。なんかみんなに心配させちゃってさ。あん時はオレも頭ん中グチャグチャで……。でも、もう平気だから」
彼はもう一度目元をゆるめて、じゃあなと言い、帰っていった。
ゴリラと別れた後、私はリッキーの家を訪ねた。ゴリラの言葉通り、リッキーはすっかりいつもの調子を取り戻していて、夜に押しかけてくるほどオレのことが好きとか引くわ。メスのゴリラに好かれても困る、なんて私をからかってきた。
話している中で、私が少しだけゴリラのことに触れると、一瞬、リッキーの表情へ陰りが差した気がしたけれど、その目はすぐに快活そうな雰囲気に変わった。ゴリラだけあって、あいつもタフだよな。今日の今日で家に来るとか、思わなかった。
私は、そうだね、と返しつつ、分かっていた。それだけゴリラはリッキーのことが心配だったのだ。ゴリラが知っているリッキーの素顔は――。
そう考えた途端、あの時の顔が頭に浮かんだ。遠視用メガネ越しの大きな目の中で、濡れた瞳がてらてらてらてら光って揺れて、私へ何か強い感情を訴えかけていた。
心がジンと熱くなりかけて、その熱が目にまで上ってこないうちにと、私はあの表情を振り払った。
帰りは本当にリッキーのおばあさんが送ってくれることになり、私は車の助手席に座らされた。車内には小さく音楽が流れている。ゆったりしたメロディが、今日一日で疲れた頭に染み込んでくるみたいで落ち着いた。
「今日はどうもありがとう」
リッキー宅を出てすぐ、おばあさんが口を開いた。不意のことで、私はちょっと返事に迷ってしまった。
「いえ、別に……」
「リュウキくんも、怪我して大変だったのに、心配してわざわざ来てくれて、本当に力也はいい子たちに囲まれて幸せよねえ」
リュウキって誰だっけ? と一瞬考えてしまったけれど、すぐ思い出した。確かリッキーも、ピアスに牙突を仕掛けようとした時、ゴリラのことをリュウキと呼んでいた。
「力也のこと、これからもよろしくね。ふざけてばかりで嫌な思いをさせちゃうこともあると思うけど、私一人じゃ上手く支えられないことも多いから」
胸がドクンと大きく打ち、私は目を見張っておばあさんの方を向いていた。
「『私一人じゃ』って、やっぱりお母さんはいないんですか?」
おばあさんの横顔が、ちょっと困ったように歪んだ。
「そうね。いないわけじゃないんだけど、今、一緒には暮らせないのよ」
「なんでですか?」
間髪入れずに、私は尋ねた。おばあさんは、さらに眉尻を下げる。
「ごめんね。私の口からはあんまり説明できないのよ。力也は、知られたくないんだと思うの」
優しい口調の中には、けれど、何があっても揺らいだりしないはっきりした意志も感じられた。それで私は、はい、と答え、いろんな疑問をまるっと全部飲み込む他になくなってしまった。
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『オレはこいつの「半分ヒーロー」』で「BL小説大賞」に参加しています。よろしければこちらもご覧ください。
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