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悔しさと悔い
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ピィィィッ!
笛の音で全てが動きだした。周りのみんなが立ち上がる気配がする。ワーワーうるさく騒ぐ声が聞こえてくる。けれど、私の目にはやっぱりゴリラしか見えていなくて、その他のものは全部ひどくぼやけていた。ゴリラはまだ倒れたままだ。
「てめぇ、何しやがる!」
私の意識を引き戻したのは、真横から風のように飛び出していった誰かの声だった。リッキーだ。彼は、まだゴリラのすぐそこに立ち尽くすピアスへ、一直線に向かっていった。
「絶対、許さねぇ、絶対、絶対――」
「やめろ」
くぐもった声が、ピアスにつかみかかったリッキーを止めた。ゴリラが両手で鼻と口を覆い、ゆっくり起き上がった。指の隙間から、いく筋も血が垂れ流れ、腕を伝っていく。その姿があまりに痛々しくて、鳥肌が立つ時のザワザワした感触が背中を駆けていった。
「お前よりオレのが悔しい。やめろ」
ゴリラにそう言われて、さっきまで真っ赤だったリッキーの顔が、唇までみるみる土気色に変わっていった。
ちょうどその時、タンカが運ばれてきた。ゴリラは首を振って乗るのを断ると、駆けつけた養護の先生らしき人に連れられて、体育館を出ていった。彼の歩いた後には、床で弾けた血が点々と続いている。それが真上から注ぐ照明で残酷なくらい赤く輝いて見えた。
私はどうすべきかとっさの判断がつかなくて、他のみんなを見た。宮崎くんたちも同じ気持ちだったらしく、視線がぶつかると、みんな弱りきった表情をしていた。
でも、リッキーはパッとゴリラの背中を追いかけた。それで私たちも彼に続いていった。
追いつくと、みんなゴリラの後ろについて歩いた。パタパタと床を踏む音がやけに耳につく。私の目の中で、ゴリラの後ろ姿は歩調に合わせてわずかに上下した。その背の沈黙が辛くて、本当はゴリラがどんな顔をしているのか確かめたかったけれど、そうできなかった。
保健室に着くと、ゴリラは椅子に座らされた。そして養護の先生がシャーっとカーテンを引いてしまったので、彼の姿は全く見えなくなった。
放置された私たちは、再びお互いの顔を見交わした。宮崎くんの顔にも、上島くんの顔にも、清水さんの顔にも、困惑の気配がさしている。
でも、リッキーは違った。彼は瞬きを忘れてしまったみたいに目を見開いて、カーテンを、そこにうっすら映るゴリラの影を、見つめていた。失ってしまった唇の色は、まだ戻ってきていない。
リッキーのその顔を見た私は、突然、彼の手をとってあげたい気持ちに駆られた。視線を下げ、彼の、まだ私と同じくらいの手の甲を見る。きっと冷たいんじゃないかと思った。でも、手を重ねようかどうしようか迷って何もできないうちに、時間だけが動いていってしまった。
カーテンの向こうからは、ゴリラを手当てする養護の先生の声が聞こえた。痛い? とか、平気? とか。ゴリラの声は聞こえなかった。そのうち、家に連絡する、というような話になり、先生がカーテンを開けて出てきた。
「あなたたち、まだいたの?」
きょとんとして言った先生を見ると、私は途端に悔しくなった。何か言い返そうと言葉を考えていると、
「帰れ」
カーテンの向こうから、声が飛んできた。ちょっと上ずった、震えや潤みを無理やり抑えたような声だった。私たちは、またお互いの顔を見合った。みんな、仕方がない、という表情をしている。リッキーもだ。
そう、仕方がない。ゴリラがそうしろと言っているんだから、他にどうしようもない。
私たちは保健室を後にした。
廊下に出ると、体育館から音が届いてきた。しんと静まった空気が、遠くに波の音を聞くみたいに、歓声やどよめきで少しだけ震えている。リッキー以外のみんなは荷物を置いてきてしまったので、取りに行かなくてはならない。でも、何となくあそこに戻ると言いにくい雰囲気で、私たちがためらっていると、
廊下の奥で、ユニフォーム姿の誰かがこちらに曲がって歩いてきた。ピアスだ。彼だと分かった途端に、周囲の空気が張り詰めた気がした。
そこまで来ると、ピアスは立ち止まり、うつむいて口を開いた。
「あいつは?」
どう答えるか、私が迷った一瞬のうちだった。リッキーの気配が動いた。とっさに見ると、彼は腰を深く落とし、傘の先端をピアスに向けたビリヤードを打つ時のような構えをしていた。牙突だ。
「リッキー、ダメだ!」
宮崎くんが止めようとした時には、リッキーはピアスに向かって間合いを詰めていた。
動いたのは無意識だった。気がつくと私は、リッキーの背負ったリュックを引っつかんで、思い切り引き戻していた。
「何すんだ! あいつ、リュウキにあんなひどいことしたんだぞ!」
振り返ってそう叫んだリッキーは、泣いていた。私は何て言ってあげればいいのか分からなくて、何も言葉がなくて、それでも彼をつかんだ手を離せなかった。
ピアスは目をカッと開いていた。瞳が揺れて、薄く開いた唇は震えていた。でも、しばらくすると彼はギュッと口を結んできびすを返した。走り去っていくその背を、リッキーの声が追いかけた。逃げんな! ふざけんな! ぶっ殺してやる!
笛の音で全てが動きだした。周りのみんなが立ち上がる気配がする。ワーワーうるさく騒ぐ声が聞こえてくる。けれど、私の目にはやっぱりゴリラしか見えていなくて、その他のものは全部ひどくぼやけていた。ゴリラはまだ倒れたままだ。
「てめぇ、何しやがる!」
私の意識を引き戻したのは、真横から風のように飛び出していった誰かの声だった。リッキーだ。彼は、まだゴリラのすぐそこに立ち尽くすピアスへ、一直線に向かっていった。
「絶対、許さねぇ、絶対、絶対――」
「やめろ」
くぐもった声が、ピアスにつかみかかったリッキーを止めた。ゴリラが両手で鼻と口を覆い、ゆっくり起き上がった。指の隙間から、いく筋も血が垂れ流れ、腕を伝っていく。その姿があまりに痛々しくて、鳥肌が立つ時のザワザワした感触が背中を駆けていった。
「お前よりオレのが悔しい。やめろ」
ゴリラにそう言われて、さっきまで真っ赤だったリッキーの顔が、唇までみるみる土気色に変わっていった。
ちょうどその時、タンカが運ばれてきた。ゴリラは首を振って乗るのを断ると、駆けつけた養護の先生らしき人に連れられて、体育館を出ていった。彼の歩いた後には、床で弾けた血が点々と続いている。それが真上から注ぐ照明で残酷なくらい赤く輝いて見えた。
私はどうすべきかとっさの判断がつかなくて、他のみんなを見た。宮崎くんたちも同じ気持ちだったらしく、視線がぶつかると、みんな弱りきった表情をしていた。
でも、リッキーはパッとゴリラの背中を追いかけた。それで私たちも彼に続いていった。
追いつくと、みんなゴリラの後ろについて歩いた。パタパタと床を踏む音がやけに耳につく。私の目の中で、ゴリラの後ろ姿は歩調に合わせてわずかに上下した。その背の沈黙が辛くて、本当はゴリラがどんな顔をしているのか確かめたかったけれど、そうできなかった。
保健室に着くと、ゴリラは椅子に座らされた。そして養護の先生がシャーっとカーテンを引いてしまったので、彼の姿は全く見えなくなった。
放置された私たちは、再びお互いの顔を見交わした。宮崎くんの顔にも、上島くんの顔にも、清水さんの顔にも、困惑の気配がさしている。
でも、リッキーは違った。彼は瞬きを忘れてしまったみたいに目を見開いて、カーテンを、そこにうっすら映るゴリラの影を、見つめていた。失ってしまった唇の色は、まだ戻ってきていない。
リッキーのその顔を見た私は、突然、彼の手をとってあげたい気持ちに駆られた。視線を下げ、彼の、まだ私と同じくらいの手の甲を見る。きっと冷たいんじゃないかと思った。でも、手を重ねようかどうしようか迷って何もできないうちに、時間だけが動いていってしまった。
カーテンの向こうからは、ゴリラを手当てする養護の先生の声が聞こえた。痛い? とか、平気? とか。ゴリラの声は聞こえなかった。そのうち、家に連絡する、というような話になり、先生がカーテンを開けて出てきた。
「あなたたち、まだいたの?」
きょとんとして言った先生を見ると、私は途端に悔しくなった。何か言い返そうと言葉を考えていると、
「帰れ」
カーテンの向こうから、声が飛んできた。ちょっと上ずった、震えや潤みを無理やり抑えたような声だった。私たちは、またお互いの顔を見合った。みんな、仕方がない、という表情をしている。リッキーもだ。
そう、仕方がない。ゴリラがそうしろと言っているんだから、他にどうしようもない。
私たちは保健室を後にした。
廊下に出ると、体育館から音が届いてきた。しんと静まった空気が、遠くに波の音を聞くみたいに、歓声やどよめきで少しだけ震えている。リッキー以外のみんなは荷物を置いてきてしまったので、取りに行かなくてはならない。でも、何となくあそこに戻ると言いにくい雰囲気で、私たちがためらっていると、
廊下の奥で、ユニフォーム姿の誰かがこちらに曲がって歩いてきた。ピアスだ。彼だと分かった途端に、周囲の空気が張り詰めた気がした。
そこまで来ると、ピアスは立ち止まり、うつむいて口を開いた。
「あいつは?」
どう答えるか、私が迷った一瞬のうちだった。リッキーの気配が動いた。とっさに見ると、彼は腰を深く落とし、傘の先端をピアスに向けたビリヤードを打つ時のような構えをしていた。牙突だ。
「リッキー、ダメだ!」
宮崎くんが止めようとした時には、リッキーはピアスに向かって間合いを詰めていた。
動いたのは無意識だった。気がつくと私は、リッキーの背負ったリュックを引っつかんで、思い切り引き戻していた。
「何すんだ! あいつ、リュウキにあんなひどいことしたんだぞ!」
振り返ってそう叫んだリッキーは、泣いていた。私は何て言ってあげればいいのか分からなくて、何も言葉がなくて、それでも彼をつかんだ手を離せなかった。
ピアスは目をカッと開いていた。瞳が揺れて、薄く開いた唇は震えていた。でも、しばらくすると彼はギュッと口を結んできびすを返した。走り去っていくその背を、リッキーの声が追いかけた。逃げんな! ふざけんな! ぶっ殺してやる!
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『オレはこいつの「半分ヒーロー」』で「BL小説大賞」に参加しています。よろしければこちらもご覧ください。
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