世界で一番やさしいリッキー

ぞぞ

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作戦

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 私は走って家に帰った。玄関で靴を乱暴に脱ぎながら、ただいま! と短くリビングにいるだろうお母さんに声をかけ、ドタドタ音を立てて階段をのぼり、自分の部屋へ駆け込む。でも、バタンとドアが閉まるより前に背負っていたランドセルをベッドへ放ると、今度はそのままUターンして階段を駆け下りる。ダッダッダッダッダッ、という足音が後ろへ流れていく。また玄関まで来ると、靴に足を突っ込んで「いってきまーす」と声を張って転がり出るみたいにドアを開けた。
 リッキーの家までは十分くらい。私の足は勝手に駆けていく。ドキドキと心臓が胸を打つ。ほてった顔をひんやりと風がなでる。頭の中ではグルグルグルグルいろんなことが巡っていた。いったいどうやって戦うんだろう? 特訓って、何をするんだろう? そして――ゴリラって、どんな奴だろう?
 
 前方に、やたらと広い面積を囲む塀が見えてきた。大きめの石を積み上げて作られたその壁の向こうには、平屋がある。リッキーの家だ。足をゆるめ、改めて、塀とわずかに見える立派な屋根に目を向けた。いつ見ても「おごそか」という感じがして、少し緊張する。こんな立派な家に、あんな下品な子どもが住んでいるんだから、世の中分からない。
 
 リッキーは、出会った頃もこのお屋敷みたいな家に住んでいた。お母さん、おばあさんと一緒に。おじいさんは亡くなっていたらしいけど、お父さんがどこにいるかは、よく分からない。でも、お母さんに手を引かれているリッキーはいつもニコニコ幸せそうで、お父さんがいないことによる暗い影は、見ていて全然感じなかった。
 そうして、二年生のある日、リッキーとお母さんは、突然この家からいなくなった。学校の先生は、榎本くんは家庭の事情で転校しました、と告げたきり、リッキーのことには触れなかった。何も知らなかったのかもしれない。私のお母さんがリッキーのおばあさんに二人のことを尋ねても、曖昧な返事しかもらえなかったらしいから。
 
 私は石の壁に添って入口へ向かって歩いた。
「さっすがメスゴリラ! 一番じゃん! 足、超はえぇ!」
 飛んできた声で、意識を視線に向ける。ちょうど、テレビゲームのダンジョンみたいに一箇所ポコっと壁が凹んでいるところがあり、そこでリッキーがニヤニヤしながら待ち構えていた。
「うるさいな」
 私も声を張って返し、小走りで近づいた。
 すぐそこまで行くと、さっきは塀の影になって分からなかったもう一人の存在に私は気がついた。宮崎くんでも上島くんでもない、百七十センチ近く背丈のありそうな、すらっとした男の子。その姿を見て、私は目を見開いてしまった。もしかして、これが、ゴリラ……?
 まず、ガチムチ系ではない。細身で顔が小さくて、でも長袖のシャツの上からでもしっかり腕に筋肉がついているのが分かった。それに髪型がオシャレだ。前髪は眉くらいまであるけれど、耳周りはすっきりと短い黒髪で、頭頂部はツンツン立てられている。健康的に日焼けした肌をしていて、大きな目の澄んだ白目が際立っている。私と視線が合うと、彼はニッカリ笑った。歯も真っ白で、暗闇で光りそうな気がした。
「あれだろ? 力也がメスゴリラとか言ってる子だろ?」
「あ、はい……」
 ゴリラなんて言うからどんなゴツい人が出てくるのかと思ったら、めちゃくちゃイケメンじゃん。思いもよらないかっこよさに、全然言葉が見つからなくなってしまった。
「メスゴリラなんて言うから、どんな子かと思ったら、全然普通じゃん」
 それはこっちのセリフだ。私は精一杯の恨みを込めてリッキーを睨んだ。だましたなリッキー。どこがゴリラだ。こんな爽やかイケメンとどう接しろって言うのよ? ふざけんな。
 リッキーは私の心の声を察したのか、してないのか、口元をくすぐったそうに歪めている。そうして、彼……ゴリラへ向かって、
「でも、こいつ腕力、すげぇから。腕相撲でクラスの男子、誰も勝てねぇもん」
 そう言って、今度は私へ視線を移し、得意そうに、
「こっちのゴリラはさ、よく見ると顔がすげぇゴリラなの。鼻の下のさ、溝みたいなのが深くて長いだろ? その部分だけ見たら完全にゴリラと一致」
 リッキーの言葉に彼……ゴリラも笑いながら頷き、両手で円の形を作って自分の口元に当てる。
「そうそ。ここだけ見ると、すっげぇゴリラ。後輩もみんなゴリラって呼んでるし、お前もゴリラでいいよ」
 いや、いいよって言われても……。
 言われてみれば、確かに鼻の下は少し長いようにも思うけど、でも、そこだけ見ないでしょ? 瞳の大きな目は濡れたみたいに光ってるし、人懐っこそうな笑顔と白い歯はそのまま歯磨きのCMに出れそうな感じさえする。見れば見るほどかっこいい。絶対に、鼻の下の溝の部分だけ見る人なんて、いない。
「よろしくお願いします」
 とりあえずそう言って、私は目をそらした。宮崎くんか上島くんのどちらかが、さっさと来ることを願いつつ、彼……ゴリラの視線を避けるしか、なくなってしまった。
 
 私が到着してから三分くらいで上島くんが、それから十分もして宮崎くんがやって来た。宮崎くんは相変わらずのマイペースさで、自分以外の全員が集まっているのを目にしても、慌てた素振り一つ見せずに、ニコニコ笑って手を振った。
「よし、じゃあ作戦説明するぞ」
 みんな揃うと、リッキーは私たちをやたら広い庭へ案内し、そこで話し始めた。声に、いつものふざけた調子はない。いたって真面目な口ぶりに、肩へ力が入った。
「オレとゴリラと和真の三人で前に出る。かみっちょとメスゴリラは後ろから援護しろ」
「ちょっと待って。私は後ろ?」
 つい口をはさんでしまった。だって、私の腕力をあてにしていたはずなのに……。リッキーは深く息をついた。
「お前、ゴリラだけど、一応、女じゃん。殴られたりしたらまずいだろ? だから後ろから――」
「なんでこんな時だけ女扱いすんの?」
 リッキーの言葉が心の過敏なところに触れて、また私は遮ってしまった。
「いつもいつも、女のくせに馬鹿力ってからかってくんのに、肝心な時は『女は下がってろ』って。じゃあなんで私を呼んだのよ」
「いや、だから最後まで聞けって」
 リッキーは眉を八の字にして私をなだめた。いいよ。聞いてあげるよ。言い訳してみなよ。そう思ってまっすぐ見つめ返すと、リッキーはまた肩で息をついて、さっきの続きを説明した。
「オレらは素手であいつらと戦う。でも、オレと和真じゃ、あいつらには敵わないだろうし、ゴリラ一人で三人相手にもできないと思う。二人くらいならやっつけられるかもしれないけど。だから、お前とかみっちょの二人に後ろから石投げて援護して欲しいんだよ」
 リッキーは言葉を切って私を見た。そして、きっと私の顔に出た不満が揺らいですらいなかったからだろう、こうつけ加えた。
「お前、バスケん時、ボールのコントロールすごいじゃん。すっげぇ強いロングパス出すし、シュートも、スリーポイント得意だろ? だからお前なら遠くから投げても命中するよ」
 リッキーは、もう一度私の顔を見つめた。納得の色を探そうとするみたいに。勝つにはそれしかないんだと、訴えかけるように。まあ、でも、ロングパスはともかく、スリーポイント入るからって中学生を石で撃退できないと思うけど……。
「分かったよ。それでいい」
 仕方なく私が折れると、真剣な眼差しをしていたリッキーの表情へ、溶けそうなくらいの笑顔が広がっていった。
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