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新しい家、新しい仕事
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「私は、そう伺いましたが」
まったく初耳だ。そんな事は一言も言われていない。ヘンリエッタは目の前の女性をちらりと見た。女性らしい柔らかな雰囲気ではなく、どちらかといえば固く鋭い表情をしている。身にまとうぴりりとした雰囲気から、彼女がただの使用人ではないことが、伝わってくる。しかし、そのまなざしに嘘の気配はなく、声はまっすぐだった。
(とりあえず、うなずいておこう……)
そう思ったヘンリエッタは逆に彼女に聞いた。
「あの、お名前を聞いてもいいですか?」
「これは失礼しました。私のことは、レイズとお呼びください」
「ありがとうございます、レイズさん。あの、宰相様のお帰りは、今日も遅いでしょうか」
「それは何とも申せません。屋敷の方にお帰りになるはずですので……」
少し端切れの悪い口調だった。
「え? ここはあの方のお家……ではないの?」
「はい。バーンズ様は城のほど近くにお住まいです」
ヘンリエッタはわけがわからなくなった。
(屋敷の使用人じゃなくて、使ってもいない別荘のために……? でもなんで私? それこそレイズさんのほうが、ひとりでもさくっとこなしてくれそうな感じがするのに)
しかし、目の前の彼女に聞いても、きっと困らせてしまうだけだろう。そう思ったヘンリエッタは、首をひねりながらうなずいた。
「わかりました。他のことは、宰相様に次お会いした時に聞いてみます。それでは――」
掃除を始めなくっちゃ。
まずヘンリエッタは、屋敷の中を歩きまわってみた。そう広い建物ではない。気楽な別荘といった感じの一階建てだ。しかし家具や調度品はどれも質のいいものだった。テーブルは磨きこまれた樫材で、奥には立派な暖炉が据え付けられている。窓辺には、まるで銀糸の糸のようなレース細工のカーテンがかかっている。
(素朴なお家だけど……なんだかこだわりが感じられるわ)
居間の後ろにはベッドルームと書斎が一つづつ、そして広めのキッチンは、かわいらしい水色のタイル張りの空間だった。けれど、ここも長らく使われていないらしく、ほこりかぶっていた。
ヘンリエッタのやる気に火がつく。
(よし! 今日一日で、ピカピカにしてみせよう!)
台所の隣の物置から掃除用具を探し出し、ヘンリエッタは庭に出た。そして、さらに驚いた。
(わ……すごい、素敵なお庭)
晩秋の色に染まった木立や草花の庭園が、そこには広がっていた。
ビスケット色のレンガが敷かれた小道の脇をたどっていくと、水の枯れた小さな噴水がたたずんでる。盤上の天使の掌の上には、冬色の枯葉が積もっていた。庭の終わり、新芽をつけた薔薇の蔦の絡まる白い柵のさらに向こうには、白樺の木立が広がっていた。
秋の乾いた日差しの中、見る人もおらず、ただただその庭はひっそりと眠りについているがごとくだった。
(今のこの、ちょっと寂しい感じも良いけれど……夏はきっと素晴らしいんだろうな)
そう思いながら、ヘンリエッタは敷地内の白樺の木と門柱の間にロープにつないだ。そこに次々と、シーツ類を干していく。今日は雲一つない秋晴れだ。きっといい具合に埃が飛ぶだろう。
次は家の中をすみずみまで箒がけをする。物置から出てきた箒は使い込まれていて、柄の部分をにぎるとしっくりと手になじんだ。なんとなく嬉しくなって、ヘンリエッタはせっせと手を動かした。
埃を追い出した後は、拭き掃除だ。キッチンの床をピカピカにし、板張りの部分はモップがけをし、絨毯の部分はブラシで擦る。つやつやの板を見ながら、ヘンリエッタはちょっと惜しい気持ちになった。
(ああ、せっかくの広い板張り! ワックスがけしたい……! タイルも磨き粉を使いたいな……)
しかし、ワックスと磨き粉の在庫がない事を確認したところで、午前が終了した。ぐうとお腹が鳴る。
「そうだ、お昼どうしよう……」
掃除に夢中だったヘンリエッタははっと我に返ってあたりを見回した。レイズさんはどこだろう?
「お呼びですか」
「ひゃっ」
彼女を探した瞬間、すっと横に本人が現れたのでヘンリエッタは驚いた。
「すみません、驚かせてしまいました」
「い、いいえ……! この部屋にいらしたんですか? ぜんぜん気がつかなかった……」
すると彼女は淡々と答えた。
「気配を消してお仕えするのが、私の仕事ですので」
――やはりこの女性、ただものではない。そう思いながらも、ヘンリエッタは聞いた。
「お昼ごはんを拵えたいと思うのですが、この近くに農家や市場はあるでしょうか?」
すると彼女は心得たようにうなずいた。
「食料でしたら、すでに貯蔵室にストックがございます。ヘンリエッタ様は、どれもご自由に使っていただいて結構です」
「え……いいのですか、そんな」
「はい。ヘンリエッタ様ご自身が、外に出て用を足す必要はございません。すべて私にお申し付けください」
「あら……でも、そんなの悪いです」
「いいえ、ヘンリエッタ様のご安全のためにも、どうぞこの庭からはお出にならないようお願いします」
そう言われて、ヘンリエッタは困惑した。
「そ、そんなに危険な事もないと思うのですが……私、一介の使用人でしかありませんし……」
しかし、レイズは首を振った。
「それが、主からの命令ですので」
彼女の決意は固そうだったので――ヘンリエッタはとりあえず疑問を棚上げし、ニッコリ笑って彼女に聞いた。
「わかりました。そうそう、レイズさんは――お昼、何を食べたいですか?」
まったく初耳だ。そんな事は一言も言われていない。ヘンリエッタは目の前の女性をちらりと見た。女性らしい柔らかな雰囲気ではなく、どちらかといえば固く鋭い表情をしている。身にまとうぴりりとした雰囲気から、彼女がただの使用人ではないことが、伝わってくる。しかし、そのまなざしに嘘の気配はなく、声はまっすぐだった。
(とりあえず、うなずいておこう……)
そう思ったヘンリエッタは逆に彼女に聞いた。
「あの、お名前を聞いてもいいですか?」
「これは失礼しました。私のことは、レイズとお呼びください」
「ありがとうございます、レイズさん。あの、宰相様のお帰りは、今日も遅いでしょうか」
「それは何とも申せません。屋敷の方にお帰りになるはずですので……」
少し端切れの悪い口調だった。
「え? ここはあの方のお家……ではないの?」
「はい。バーンズ様は城のほど近くにお住まいです」
ヘンリエッタはわけがわからなくなった。
(屋敷の使用人じゃなくて、使ってもいない別荘のために……? でもなんで私? それこそレイズさんのほうが、ひとりでもさくっとこなしてくれそうな感じがするのに)
しかし、目の前の彼女に聞いても、きっと困らせてしまうだけだろう。そう思ったヘンリエッタは、首をひねりながらうなずいた。
「わかりました。他のことは、宰相様に次お会いした時に聞いてみます。それでは――」
掃除を始めなくっちゃ。
まずヘンリエッタは、屋敷の中を歩きまわってみた。そう広い建物ではない。気楽な別荘といった感じの一階建てだ。しかし家具や調度品はどれも質のいいものだった。テーブルは磨きこまれた樫材で、奥には立派な暖炉が据え付けられている。窓辺には、まるで銀糸の糸のようなレース細工のカーテンがかかっている。
(素朴なお家だけど……なんだかこだわりが感じられるわ)
居間の後ろにはベッドルームと書斎が一つづつ、そして広めのキッチンは、かわいらしい水色のタイル張りの空間だった。けれど、ここも長らく使われていないらしく、ほこりかぶっていた。
ヘンリエッタのやる気に火がつく。
(よし! 今日一日で、ピカピカにしてみせよう!)
台所の隣の物置から掃除用具を探し出し、ヘンリエッタは庭に出た。そして、さらに驚いた。
(わ……すごい、素敵なお庭)
晩秋の色に染まった木立や草花の庭園が、そこには広がっていた。
ビスケット色のレンガが敷かれた小道の脇をたどっていくと、水の枯れた小さな噴水がたたずんでる。盤上の天使の掌の上には、冬色の枯葉が積もっていた。庭の終わり、新芽をつけた薔薇の蔦の絡まる白い柵のさらに向こうには、白樺の木立が広がっていた。
秋の乾いた日差しの中、見る人もおらず、ただただその庭はひっそりと眠りについているがごとくだった。
(今のこの、ちょっと寂しい感じも良いけれど……夏はきっと素晴らしいんだろうな)
そう思いながら、ヘンリエッタは敷地内の白樺の木と門柱の間にロープにつないだ。そこに次々と、シーツ類を干していく。今日は雲一つない秋晴れだ。きっといい具合に埃が飛ぶだろう。
次は家の中をすみずみまで箒がけをする。物置から出てきた箒は使い込まれていて、柄の部分をにぎるとしっくりと手になじんだ。なんとなく嬉しくなって、ヘンリエッタはせっせと手を動かした。
埃を追い出した後は、拭き掃除だ。キッチンの床をピカピカにし、板張りの部分はモップがけをし、絨毯の部分はブラシで擦る。つやつやの板を見ながら、ヘンリエッタはちょっと惜しい気持ちになった。
(ああ、せっかくの広い板張り! ワックスがけしたい……! タイルも磨き粉を使いたいな……)
しかし、ワックスと磨き粉の在庫がない事を確認したところで、午前が終了した。ぐうとお腹が鳴る。
「そうだ、お昼どうしよう……」
掃除に夢中だったヘンリエッタははっと我に返ってあたりを見回した。レイズさんはどこだろう?
「お呼びですか」
「ひゃっ」
彼女を探した瞬間、すっと横に本人が現れたのでヘンリエッタは驚いた。
「すみません、驚かせてしまいました」
「い、いいえ……! この部屋にいらしたんですか? ぜんぜん気がつかなかった……」
すると彼女は淡々と答えた。
「気配を消してお仕えするのが、私の仕事ですので」
――やはりこの女性、ただものではない。そう思いながらも、ヘンリエッタは聞いた。
「お昼ごはんを拵えたいと思うのですが、この近くに農家や市場はあるでしょうか?」
すると彼女は心得たようにうなずいた。
「食料でしたら、すでに貯蔵室にストックがございます。ヘンリエッタ様は、どれもご自由に使っていただいて結構です」
「え……いいのですか、そんな」
「はい。ヘンリエッタ様ご自身が、外に出て用を足す必要はございません。すべて私にお申し付けください」
「あら……でも、そんなの悪いです」
「いいえ、ヘンリエッタ様のご安全のためにも、どうぞこの庭からはお出にならないようお願いします」
そう言われて、ヘンリエッタは困惑した。
「そ、そんなに危険な事もないと思うのですが……私、一介の使用人でしかありませんし……」
しかし、レイズは首を振った。
「それが、主からの命令ですので」
彼女の決意は固そうだったので――ヘンリエッタはとりあえず疑問を棚上げし、ニッコリ笑って彼女に聞いた。
「わかりました。そうそう、レイズさんは――お昼、何を食べたいですか?」
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