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初めての旅行
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「そりゃ、断りますよ。だって小鳥遊さんとの待ち合わせの約束のほうが、先にしていましたから」
今夜はきっとお互い仕事が忙しいので、特に何か予定を入れるのは控えたのだがー一緒に帰ろうと約束したのだ。
「ふふ。付き合ってから初めてのクリスマスだもんね。さやかはイベントごとって、好き?」
すると彼女は、ちょっと小首をかしげた。
「んーそうですねぇ。一人暮らしになってからは、別に何もしてなかったし……プレゼントあげる人も貰う人もいなくて、ちょっと居心地悪かったです」
その答えに、小鳥遊は嬉しくなった。
「そうなんだ。俺もだよ」
「えぇ? さすがにそれは」
さやかが疑いの目を向けてくるが、小鳥遊としては、本心だった。
(クリスマスなんて、嫌いだったけど……なんでだろうな、今年は違う気がする)
小鳥遊はそう言って歩き出し、2人は地下駐車場へ向かった。さやかと付き合い始めて、小鳥遊は運転手を使うのをやめて、自分の車を買った。できる限り、彼女を家まで送り迎えするために。いろんなところに、一緒に荷物を載せて出かけるために。
「どうぞ、お姫様」
彼女がドアに触れる前に、自動ドアを開けると、さやかは少し赤くなって、怒ったように言った。
「もう、からかわないでください」
「からかってないよ」
助手席に彼女を載せ、すっと走り出す。手堅い国産のハイブリッド車にしたから、出発時のエンジン音も静かだ。
大きな助手席に、行儀良く収まっている彼女が愛らしい。その小さな唇が、艶めいている。
「あれ、そのリップ、新しいの?」
さやかははっとして、そして照れ臭そうに笑った。
「そう……よくわかりましたね。昨日ドラッグストアで見かけて、買ってみたんです。可愛かったから……」
さやかはバッグからリップを取り出して、小鳥遊に見せてくれた。
「アイスキャンディ? 可愛いね」
「そうなんです。でも開くとリップティントなんですよ」
まるで好きなおもちゃを紹介するような、キラキラした目。
愛らしいミディアムボブにした黒髪には、天使の輪が浮いている。桃のようにうっすら色づいた頬、ピンクの唇に、明るい笑顔。
ーー嬉しそうな彼女は、まさに呪いの解けたお姫様だった。
車内で2人きり、こうして彼女のおしゃべりに耳を傾けるのは、忙しい小鳥遊にとって至福の時間だった。
(そうーーお姫様《さやか》が乗るのは、この馬車《俺の車》だけでいい)
だって、さやかにかかった呪いを解いたのは、ほかならぬこの自分なのだから。
いまさら彼女の魅力に気がついた他の男どもに、渡してなるものかーー。
(だから早く、俺たちの関係を公にしないとね)
さやかは小鳥遊と恋人であることにまだ引け目を感じているのか、誰にも言わないでと口止めされている。
こうして秘密の恋人同士でいるのも楽しくないわけではないが、やはり心配の方が大きい。
(さやかは俺のものだって、近いうちに、宣言しないと)
そのために、小鳥遊はこのクリスマスに勝負をかけようと準備していた。
「小鳥遊さん、今日もありがとうございます」
彼女の住むアパートの前で車を停めると、いつもさやかは律儀に頭を下げる。
義理堅いのだ。自分にしてもらったことを、良くも悪くも忘れないタイプ。
「そこのコンビニで、飲み物買ってきましょうか?」
しかも、小鳥遊の行動をまだ貸しと思っている部分もあり、こうして気を使う。
「大丈夫、それよりおやすみのキスをしてよ」
臆面もなくねだると、さやかは予想通り困ったように唇を噛んだ。
ーーかわいい。その顔を見たくて、言っているようなところもある。
「でも、リップがついちゃいますよ」
「いいよ、つけてよ」
すると彼女はためらいながも、片手を小鳥遊の肩にかけた。
「失礼します、」
ふっ、と唇が重なる。わずかにイチゴのような、リップの香り。
柔らかい感触は一瞬で離れ、彼女はもう車のドアを開けていた。
「それじゃあ、ありがとうございました」
ふふ、照れてるな。そうおもいながらも、口には出さず、小鳥遊はさやかの羞恥を堪能した。
「じゃあ、明日の朝、迎えにいくね。クリスマスデート」
「でもあの、どこへ行くんですか?」
「ないしょ、楽しみにしてて」
車を発進させて、バックミラーの彼女を見つめる。
(クリスマスなんて、大嫌いだったけどーー)
ラジオから流れるクリスマスソングも、冬の夜の冷たい空気も、唇に残る彼女の口紅も、今年はなにもかもが楽しい。
(それって、誰と過ごすかによるんだな!)
小鳥遊は、この年にして、そのことに気がついた。
ーー明日ふたりは、恋人になってから初めての一泊旅行に出かけるのだ。
(はじめての、お泊まり、旅行……)
そう思うと、柄にもなく緊張する。
なんだが息を吸うのにも、ドキドキしてしまうくらいだ。
(この間も、一緒に実家には泊まったけど……)
あの時はあくまで、恋人のふりをしていたに過ぎない。夜はなんの問題もなく、目を開けたら朝になっていた。
(あぁ、あの時の自分を、もう遠く感じる……!)
今はもう、隣に彼がいるだけで意識をしてしまうのだから。
さっきキスした時も、ガチガチに緊張してしまった。
まだ、信じられない気がするのだ。あの小鳥遊が、まさか自分のことを好きでいてくれたなんて。体の芯をぐずぐずに溶かしてしまうような、あの熱いまなざしを注がれると、さやかは身動きできなくなってしまう。
(はーーっ、少し落ち着け、私)
さやかは両手でパン、と頬を叩いて、明日の旅行に向けてのパッケージングを始めた。
一泊だし、大した準備でもないが、着替えにメイク、ハンカチを余分に、あと念のため、手袋やマフラーも……と思うと、だんだん荷物は膨れていく。
ご当地キャラがデカデカとプリントされている、さやか愛用のボストンバッグは、あっという間にいっぱいになった。
(あっ、大事なコレ、忘れるとこだった!)
さやかは机の引き出しから、大事にしまい込んでいた箱を取り出した。
手のひらにのるほどの小さな箱は、宇宙をイメージした濃紺の包装紙で包まれている。リボンは銀色。
(小鳥遊さんーー言わないんだもん、自分の誕生日)
運転中に、ふと彼の免許が目に入った時、さやかは気がついたのだ。
小鳥遊の誕生日が、12月25日ーー明日だということに。
以前、誕生日が苦手、と小鳥遊が言っていたことをおもいだして、さやかは推測してみた。
(クリスマスと、誕生日がかぶっているーーつまりプレゼントケーキも二つ同時についでに済まされて、がっかり!……的なことがあったのかな?)
それを踏まえて、さやかプレゼントについては少し考えた。
(それならプレゼントがもうひとついる。ひとつは既製品のものをかったからーーもうひとつは、手作り品が望ましいか)
クリスマスの手作り品といえば、手編みのマフラーやセーターであろう。その昔、田舎の小学校で手編みが大流行したせいで、さやかも編み物の心得はある。しかし。
(あの小鳥遊さんに、手編みなんて……)
高級スーツや時計を、ピシリと着こなしている彼なのだ。素人の手編みなんて、とてもお呼びではないだろう。
(そう、だから、ここはーー)
手作りプレゼントの鉄板ラインナップ、消え物。すなわち、食品。
明日の準備を終えたさやかは、意を決して台所に立った。
(今から作る! 手作りクッキーを!)
時刻は午後10時。さやかのタイムアタックが始まった。
「おはよう、いい朝だね、さやか」
「おはようございます、小鳥遊さん」
黒光りするSUVに、さやかはボストンバッグと共に乗り込んだ。
「あは、何そのバッグ。かわいいね」
山の形をしたご当地キャラ「やまたろう」に目をやって小鳥遊が笑ったので、さやかはちょっと恥ずかしくなった。
「こ、これしか旅行用のバッグなくて」
何を隠そう、実家から持ってきた品である。愛着があるというわけではなく、地元の福引きで当たってしまった賞品だったのだが、モノがいいので、買い換えるのももったいなく、今になっても使っているーーという経緯である。
「いいんじゃない? かわいいよ。いっぱい何詰めてきたの?」
からかうように聞かれて、さやかはここぞとばかりに言った。
「ふふん、ないしょです」
すると小鳥遊の目が、笑みを深くする。
「えー? 気になるなぁ」
「あとでわかりますから、で、行き先はそろそろ教えてもらえるんですか?」
今夜はきっとお互い仕事が忙しいので、特に何か予定を入れるのは控えたのだがー一緒に帰ろうと約束したのだ。
「ふふ。付き合ってから初めてのクリスマスだもんね。さやかはイベントごとって、好き?」
すると彼女は、ちょっと小首をかしげた。
「んーそうですねぇ。一人暮らしになってからは、別に何もしてなかったし……プレゼントあげる人も貰う人もいなくて、ちょっと居心地悪かったです」
その答えに、小鳥遊は嬉しくなった。
「そうなんだ。俺もだよ」
「えぇ? さすがにそれは」
さやかが疑いの目を向けてくるが、小鳥遊としては、本心だった。
(クリスマスなんて、嫌いだったけど……なんでだろうな、今年は違う気がする)
小鳥遊はそう言って歩き出し、2人は地下駐車場へ向かった。さやかと付き合い始めて、小鳥遊は運転手を使うのをやめて、自分の車を買った。できる限り、彼女を家まで送り迎えするために。いろんなところに、一緒に荷物を載せて出かけるために。
「どうぞ、お姫様」
彼女がドアに触れる前に、自動ドアを開けると、さやかは少し赤くなって、怒ったように言った。
「もう、からかわないでください」
「からかってないよ」
助手席に彼女を載せ、すっと走り出す。手堅い国産のハイブリッド車にしたから、出発時のエンジン音も静かだ。
大きな助手席に、行儀良く収まっている彼女が愛らしい。その小さな唇が、艶めいている。
「あれ、そのリップ、新しいの?」
さやかははっとして、そして照れ臭そうに笑った。
「そう……よくわかりましたね。昨日ドラッグストアで見かけて、買ってみたんです。可愛かったから……」
さやかはバッグからリップを取り出して、小鳥遊に見せてくれた。
「アイスキャンディ? 可愛いね」
「そうなんです。でも開くとリップティントなんですよ」
まるで好きなおもちゃを紹介するような、キラキラした目。
愛らしいミディアムボブにした黒髪には、天使の輪が浮いている。桃のようにうっすら色づいた頬、ピンクの唇に、明るい笑顔。
ーー嬉しそうな彼女は、まさに呪いの解けたお姫様だった。
車内で2人きり、こうして彼女のおしゃべりに耳を傾けるのは、忙しい小鳥遊にとって至福の時間だった。
(そうーーお姫様《さやか》が乗るのは、この馬車《俺の車》だけでいい)
だって、さやかにかかった呪いを解いたのは、ほかならぬこの自分なのだから。
いまさら彼女の魅力に気がついた他の男どもに、渡してなるものかーー。
(だから早く、俺たちの関係を公にしないとね)
さやかは小鳥遊と恋人であることにまだ引け目を感じているのか、誰にも言わないでと口止めされている。
こうして秘密の恋人同士でいるのも楽しくないわけではないが、やはり心配の方が大きい。
(さやかは俺のものだって、近いうちに、宣言しないと)
そのために、小鳥遊はこのクリスマスに勝負をかけようと準備していた。
「小鳥遊さん、今日もありがとうございます」
彼女の住むアパートの前で車を停めると、いつもさやかは律儀に頭を下げる。
義理堅いのだ。自分にしてもらったことを、良くも悪くも忘れないタイプ。
「そこのコンビニで、飲み物買ってきましょうか?」
しかも、小鳥遊の行動をまだ貸しと思っている部分もあり、こうして気を使う。
「大丈夫、それよりおやすみのキスをしてよ」
臆面もなくねだると、さやかは予想通り困ったように唇を噛んだ。
ーーかわいい。その顔を見たくて、言っているようなところもある。
「でも、リップがついちゃいますよ」
「いいよ、つけてよ」
すると彼女はためらいながも、片手を小鳥遊の肩にかけた。
「失礼します、」
ふっ、と唇が重なる。わずかにイチゴのような、リップの香り。
柔らかい感触は一瞬で離れ、彼女はもう車のドアを開けていた。
「それじゃあ、ありがとうございました」
ふふ、照れてるな。そうおもいながらも、口には出さず、小鳥遊はさやかの羞恥を堪能した。
「じゃあ、明日の朝、迎えにいくね。クリスマスデート」
「でもあの、どこへ行くんですか?」
「ないしょ、楽しみにしてて」
車を発進させて、バックミラーの彼女を見つめる。
(クリスマスなんて、大嫌いだったけどーー)
ラジオから流れるクリスマスソングも、冬の夜の冷たい空気も、唇に残る彼女の口紅も、今年はなにもかもが楽しい。
(それって、誰と過ごすかによるんだな!)
小鳥遊は、この年にして、そのことに気がついた。
ーー明日ふたりは、恋人になってから初めての一泊旅行に出かけるのだ。
(はじめての、お泊まり、旅行……)
そう思うと、柄にもなく緊張する。
なんだが息を吸うのにも、ドキドキしてしまうくらいだ。
(この間も、一緒に実家には泊まったけど……)
あの時はあくまで、恋人のふりをしていたに過ぎない。夜はなんの問題もなく、目を開けたら朝になっていた。
(あぁ、あの時の自分を、もう遠く感じる……!)
今はもう、隣に彼がいるだけで意識をしてしまうのだから。
さっきキスした時も、ガチガチに緊張してしまった。
まだ、信じられない気がするのだ。あの小鳥遊が、まさか自分のことを好きでいてくれたなんて。体の芯をぐずぐずに溶かしてしまうような、あの熱いまなざしを注がれると、さやかは身動きできなくなってしまう。
(はーーっ、少し落ち着け、私)
さやかは両手でパン、と頬を叩いて、明日の旅行に向けてのパッケージングを始めた。
一泊だし、大した準備でもないが、着替えにメイク、ハンカチを余分に、あと念のため、手袋やマフラーも……と思うと、だんだん荷物は膨れていく。
ご当地キャラがデカデカとプリントされている、さやか愛用のボストンバッグは、あっという間にいっぱいになった。
(あっ、大事なコレ、忘れるとこだった!)
さやかは机の引き出しから、大事にしまい込んでいた箱を取り出した。
手のひらにのるほどの小さな箱は、宇宙をイメージした濃紺の包装紙で包まれている。リボンは銀色。
(小鳥遊さんーー言わないんだもん、自分の誕生日)
運転中に、ふと彼の免許が目に入った時、さやかは気がついたのだ。
小鳥遊の誕生日が、12月25日ーー明日だということに。
以前、誕生日が苦手、と小鳥遊が言っていたことをおもいだして、さやかは推測してみた。
(クリスマスと、誕生日がかぶっているーーつまりプレゼントケーキも二つ同時についでに済まされて、がっかり!……的なことがあったのかな?)
それを踏まえて、さやかプレゼントについては少し考えた。
(それならプレゼントがもうひとついる。ひとつは既製品のものをかったからーーもうひとつは、手作り品が望ましいか)
クリスマスの手作り品といえば、手編みのマフラーやセーターであろう。その昔、田舎の小学校で手編みが大流行したせいで、さやかも編み物の心得はある。しかし。
(あの小鳥遊さんに、手編みなんて……)
高級スーツや時計を、ピシリと着こなしている彼なのだ。素人の手編みなんて、とてもお呼びではないだろう。
(そう、だから、ここはーー)
手作りプレゼントの鉄板ラインナップ、消え物。すなわち、食品。
明日の準備を終えたさやかは、意を決して台所に立った。
(今から作る! 手作りクッキーを!)
時刻は午後10時。さやかのタイムアタックが始まった。
「おはよう、いい朝だね、さやか」
「おはようございます、小鳥遊さん」
黒光りするSUVに、さやかはボストンバッグと共に乗り込んだ。
「あは、何そのバッグ。かわいいね」
山の形をしたご当地キャラ「やまたろう」に目をやって小鳥遊が笑ったので、さやかはちょっと恥ずかしくなった。
「こ、これしか旅行用のバッグなくて」
何を隠そう、実家から持ってきた品である。愛着があるというわけではなく、地元の福引きで当たってしまった賞品だったのだが、モノがいいので、買い換えるのももったいなく、今になっても使っているーーという経緯である。
「いいんじゃない? かわいいよ。いっぱい何詰めてきたの?」
からかうように聞かれて、さやかはここぞとばかりに言った。
「ふふん、ないしょです」
すると小鳥遊の目が、笑みを深くする。
「えー? 気になるなぁ」
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