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二度目の初恋

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 だからサイラスは、かつて母が死んで森を出たときのように――大きな不安と小さな希望を抱きながら、あの街へと向かったのだった。
 車ではなく、汽車に乗るのは初めてだった。一人で旅をすることも。
 薬は切れていないか、突然魔眼が発動したら。旅行中、サイラスはずっと不安にさいなまれていたが――

(大丈夫、魔眼を防ぐために特殊な眼鏡をしているし、薬も飲んでいる……)
 
 昔のようなことは起こらないはずだ。だからこそ、サザフィールドもサイラスを呼んだのだ。
 内心で自分にそう言い聞かせながら、サイラスはエンフィールド駅に降り立った。

(ひ、人がたくさんいる……男の人も、女の人もたくさんだ……)

 こんなに大勢の人間を見るのは初めてだった。恐怖と不安に、心の中が粟立つようだった。

(……しっかりしないと)

 サイラスは気圧されながら、あたりを見回した。通路も階段もたくさんあって、どこへ行くべきか見当もつかない。
 けれど、立ち止まっていると通行の邪魔になる。

(とりあえず、駅を出よう。あの階段は、外に続いていそうだ)

 サイラスがトランクを抱えて、目の前の階段を降り始めたその時。

「あっ」

 階段の傾斜の衝撃か、鍵がゆるかったのか、トランクがぱかりと開いてしまった。
 バラバラと、まとめておいた本や荷物が階段の下へと転がり落ちていく。

(まずい……ッ! あの中には薬も――!)

 ガコンガコン、とものすごい音を立てて、薬を保管したアタッシュケースが滑り落ちていく。 
 サイラスは全身から血の気が引いた
 ――薬がダメになれば、サイラスが街で暮らす事は不可能だ。
 サイラスの脳裏に、過去の景色が頭に浮かぶ。
 
 ――倒れた女の子。殴り飛ばされた頬の熱さ。そして、汚いものを見る、恐れと軽蔑の入り混じった人間たちのまなざし。

 また、あの目に合うというのか。

「待っ……」

 絶望の中、転がり落ちていく薬に、なすすべもなくサイラスは固まった。
 すると、階段の下の踊り場にいた女性が、振り向いた。
 まぶしいストロベリーブロンドの髪に、緑の目の色が鮮烈な彼女は――見事な動作で、銀色のアタッシュケースが落ちる前にキャッチした。

「おおっ……と!」

 その快活な目が、階段の上にいるサイラスをとらえた。

「荷物落としました? 手伝いますねー!」

 彼女はあっという間に、てきぱきと階段の下に落ちた持ち物を拾い集めた。
 呆然と見ていたサイラスははっとして、トランクを閉じて下へと向かった。

「す……すみません」

 女性と口を利くのは、13年ぶりだ。サイラスは声が裏返りそうになった。
 しかしその女性は、何を気にすることなく、サイラスに荷物を返した。

「災難でしたね。大丈夫ですか?」

 そう言って、大事なアタッシュケースを差し出されて、サイラスはとにもかくにもほっとした。
 ――たとえではなく、彼女のおかげで命拾いをした。

(――よかった。中身も大丈夫そうだ)

「あ、ありがとうございます」

「いえいえ。手伝いますよ」

 彼女はサイラスがトランクの中身を詰め直すのを手伝ってくれた。

「もしかして、この駅に来たの、初めてですか?」

「はい、そうですが……」

「だったら、改札口に地図の看板がありますから、それを見て行くと楽ですよ」

「地図……ですか」

「ええっと、こっちですよ」

 彼女が歩きだしたので、サイラスはトランクを抱えてついていった。階段をまた上って、廊下を渡って、その先に、切符を回収する出口があった。

「これが地図です。行き先は……わかります?」

 駅から少し離れた右上に、『魔術治療院』の字が見えたので、サイラスはうなずいた。
 そこのそばに、サザフィールドが用意したというサイラスの住居もあるはずだ。渡された住所のメモが、ポケットに入っている。

「はい。わかります」

 すると彼女は、ぱっと笑った。その笑みに、サイラスはたじろいだ。
 ――ひとりぼっちの男には、あまりにまぶしすぎる、優しい笑顔。

「なら、よかったです。それじゃ、私はこれで」

 彼女はそう言って、くるりと背を向けた。
 サイラスは思わず、その後ろ姿についていきたくなった。
 初めての場所で、見知らぬ自分を助けてくれた人。
 きっと優しいに違いない。そう、あの女の子のように。
 けれど、彼女はカツカツと靴音を立てて遠ざかっていく。

(行かないで……おいていかないで……)

 あの時の気持ち――淫魔特有の、激しすぎる執着心――がフラッシュバックして、サイラスは思わず手を伸ばしていた。

「待って……!」

 思わずそう声をかけて、あわてて自分の口を押える。

(な、何をしているんだ、私は! 街に来てそうそう、こんな……ッ)

 すると彼女は振り向いて、戻ってきてくれた。

「す、すみません、」

 間違えました――と言おうとするサイラスの目を、魔眼防止の眼鏡越しに彼女はじっと見た。

「――もしかして、あの、間違っていたらすみません、行き先って、治療院ですか?」

 見透かされて、サイラスの胸はドキンと高鳴った。

「そうですが……な、なぜ」

「地図で治療院の場所を見上げていたのと、何か――持病を抱えているような雰囲気がしたので、もしかして、と思って。通院のために、越してらしたとか?」

 サイラスはあっけにとられた。
 目の前の彼女は――一体何者だ?

「あはは、ごめんなさい。驚かせちゃいましたね。実は私、ここの治療院に勤めてるんです。なので道案内しますよ」

 そう言って、彼女はサイラスに明るく言った。

「ついてきてください!」

 その言葉に、やさしいまなざしに、サイラスは射抜かれてしまった。

(同じだ――あの時と)
 不安で孤独で押しつぶされそうだったあの時、差し出された手が、今再び、サイラスの目の前に差し出されたのだ。
 もとめてやまなかった、優しい女の子の手。

 ――人間の女の子というものは、度し難い。
 みんなこんな風なのだろうか。サイラスは激しく困惑した。

(どうしよう……こんなこと、言われたら)

 本当に、呆れるほどに、単純だった。
 ――それだけでサイラスは、彼女に恋に落ちてしまったのだ。

 サイラスは、暗い部屋の床にはいつくばりながら、あの時のイリスの目の輝きを思い出して、ひとりつぶやいた。

「ごめんなさい……イリス」

 恋しているならば、彼女が大事なら。
 サイラスがかかわるべきではなかったのだ。 





 ベイシティからエンフィールド戻ったイリスは、まず職場である治療院へと向かった。

(はやく、早くしないと――)

 レミングスが戻ってくる前に、味方を集めなければいけない。イリスは取るものもとりあえず、治療院へと向かった。
 しかし、治療院の門が見えて、イリスははっと脇道へ隠れた。

(門のところに保安官が立ってる――なんで)

 まさかイリスとは無関係だろうが、今は危険はさけたい。正門から入るのはやめておこう。そう思ったときだった。

「そこの女! 一体何をこそこそ――」

 保安官がイリスに気が付いて脇道へと入ってきた。

「ん? お前まさか……」

 すると保安官は、片手のバインダーに目を落とし、イリスと見比べた。
「間違いない、イリス・ラシエルだな? 君を保護してほしいとの通報が入っていてね」

 イリスはぎょっとした。

(まずい! レミングスがもうここまで手をまわしていたとは……!)

 イリスはじりじり下がりつつ、作り笑いを浮かべた。

「え? いえ、ちがいますよ、私は……」

 そして、目をガッと見開いて、保安官の後ろを指さした。

「あっ、あれぇ!!!」

「むむ? なんだ⁉」

 保安官がばっとそちらを振り向いたのをいいことに、イリスは一目散にその場から逃げた。 
 ――古典的な手だが、意外と効いた。

「ああ! こら、待ちなさいっ……!」

 保安官の慌てた声がしたが、イリスは植木に身を隠しながら走って走って、治療院をぐるりと迂回し、人目のつかない場所のフェンスをよじ登って敷地内へと侵入した。

「はぁー、はぁー」

 息をついて、イリスは建物へと向かった。

(なんか……変な感じ。いつもの職場なのに、こそこそ泥棒みたいに)

 ここには今、院長も、サイラスもいない。だからまずは、助手仲間に真実を伝え、助けを求めるべきだろう。
 そう思ってイリスは、たどりついた病室の窓をのぞいた。するとそこは――

(あっ、ミリアム!)

 ちょうど患者の部屋を巡回していたミリアムを発見したイリスは、彼女に窓の外から身振り手振りでサインを送った。

「イリス!?」

 彼女はすぐさま気が付いて、患者をそっちのけで、窓を開けて呼びかけてきた。

「イリスよかった……! 大丈夫? とんでもないニュースが流れてきて……」

 するとミリアムの後ろから、ひょこりとカレンデュラが顔を出した。

「まぁイリス、あなたなの」

 彼女の病室だったのか。イリスは頭を下げた。

「すみません、お騒がせして」

 その時、後ろから、保安官の車の出すサイレンの音が聞こえた。

「まずい!」
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