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苦手なもの:月曜日と冷たい上司

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 リリリリン!

 目覚まし時計が勢いよく鳴って、イリスはベッドの中で顔をしかめた。

(はぁ~~、なんで月曜って来るんだろう。起きたくないよ~~!!)

 できればずっと、お布団にくるまってぬくぬくしていたい。そして気の向くままにベッドの中で惰眠をむさぼり、お日様が空高くなるころに目覚めて、優雅にブランチといきたい。

(最近暑くなってきたから……きりっと氷魔法で冷やしたアイスミルクティーを飲みたいなぁ。それにハチミツがけトースト、デザートは甘いオレンジがいいなぁ……)

 むにゃむにゃ甘い妄想をしながらも、仕方なくイリスは起きだしてもそもそ着替えはじめた。

 長年一人暮らしをしてきたイリスである。冷えたアイスティーも焼けたトーストも甘いフルーツも、自分で起きて用意しなければ、何一つ口には入らないことは身に染みている。

「はぁやれやれ、たしかクロワッサンの残りがあったはず……あれま」

 キッチンへ向かってブレッドボックスのふたをあけて、イリスはため息をついた。そうだ、あれは昨晩残ったジャムをたっぷり乗せて食べてしまったんだった。

 冷蔵庫を覗くと、さらにミルクも切れていた。イリスは肩を落として、とりあえずお湯を沸かしにかかった。何はともあれ、コレでお茶は飲める。

(どんな時もとりあえず、お湯を沸かすのよ……って、お母さんの口癖だったなぁ)

 ちらりと写真立ての母を見て、彼女に微笑みかえしつつ、イリスはお茶と残りもののバターサブレの朝食にありついた。

(ざくざくして美味しい……けど、理想の朝食とは程遠いなぁ……)

 もういっかいため息をつく前に、くいっとサブレを全部口の中に押し込み、時計を確認した。

(まっずい! さっさと準備しなくっちゃ!)

 着替えて化粧に取り掛かる。骨董市で見つけた、ささやかな化粧鏡に映ったイリスの頬には、今日も点々とそばかすが散っている。

「……はぁ」

 ややピンクがかったくしゃくしゃの金髪に、明るい緑の目。母から譲り受けたどちらの色もイリスはそこそこ気に入っていたが、このそばかすだけは好きになれなかった。

 ――ここ最近は特に、消し去りたい気持ちが強くなりつつある。
 が、そんな都合の良い魔術はないので、クリームを念入りに擦り込み、白粉をはたいて丁寧に隠す。その手つきも慎重になる。

(だって……今日はあの先生と一緒なんだもの……)

 苦手な上司の顔を思い出して、イリスは一段と重い溜息をついて――パチンと白粉の蓋を閉めた。

(よし、ちゃんと隠れた。大丈夫、今日も仕事を頑張ろう!)

 なりたくて、好きで始めた仕事なんだから。
 無理矢理気合を入れて、イリスは通勤用のバッグを背負い、アパートを出た。すると大きな音がしーー大聖堂の鐘が、午前8時を告げはじめた。

(まずい! 急がなきゃ!)

 この通りから職場までは一本道だが、通りは車で渋滞し、人もたくさん歩いている。いや、人だけではない。

「すっ、すみませんーっ」

 悠々と道をふさぐ大きな犬獣人たちの間をすり抜け、信号を渡り、イケメンヴァンパイアのスターが微笑む巨大な看板の後ろを走り抜け、イリスはギリギリで勤め先――国立魔術治療院の門を潜り抜けた。

「イリス、ギリセーフだねっ」

 ようよう出勤札をひっくりかえすと、隣から同僚のミリアムに声を掛けられた。彼女もイリスと同じ、魔術治療院の魔術師助手であった。

「おはよう、ミリアムもね」

「おはよ。あーあ、月曜って憂鬱ね」

 同じように出勤札をひっくり返したミリアムがため息をつく。イリスは全面的に同意した。

「ほんと。ショートカットして、ギリギリ間に合ったよ」

「え?どこどこ?」

「えーっとね、レコード屋さんの横の、巨大な看板の裏側を突っ切れば、すぐに治療院」

「あぁ、ジョエル様の看板ねぇ。なるほど」

 うなずくミリアムの横で、イリスはぱぱっとロッカーの裏側の鏡で頬をチェックした。

(わっ、走ったせいでちょっと落ちてる)

 やはり朝は慌てるものではない。イリスは自戒を込めて白粉を塗りなおした。

「あら、気合入ってるじゃない」

 からかうミリアムに、イリスは首を振って説明した。

「違うの、今日から西棟――スノウ先生担当で」

「あぁ~!」

 魔術治療院の紋の入った助手専用のローブを羽織り、所定のバスケットを持ち、二人はそれぞれの持ち場に向かいながらいつものおしゃべりをしだした。

「なになに、イリスももしかして、スノウ先生に気があるの?」

 楽し気なノリで聞かれて、イリスは目を細めて肩をすくめた。

「まさか。胃がキリキリするんだよ、西棟に行くと……」

「そーお? 私はスノウ先生、嫌いじゃないけど」

 サイラス・スノウは、この春新しく魔術治療院に赴任してきた魔術師である。とても優秀で、この数カ月だけで何人もの難病の患者を救った、実力者なのだが……。

「そうなの?……私はちょっと……最初にヘマしちゃったし、ね……」

「ああ、先生を患者に間違えて案内しちゃった件?」

 道に迷っている人を、患者と勘違いし思って病院まで案内したら、なんと春から赴任してきた魔術師だったのである。痛恨の勘違いであった。

「そう。それ以来、なんかこう、先生の目が冷たくて……」

 イリスは遠い目をしていった。 

「えー、そんなに根に持つタイプかなぁ? たしかに不愛想だけど、仕事は的確だしまともな先生じゃない?」

 ミリアムの言うことはその通りだった。

「独身っぽいし、スノウ先生狙ってる子多いよ。だってあの顔だもん! 先生きてから、食堂のおばちゃんまで化粧しだしたんだから、相当よ」

 たしかに、彼が来てから、女の子たち……いや、ベテラン女性までもが、なんだか浮足立っている。イケメンは眼福。正義。それはイリスもわからないではないが、ことサイラスにかけては、素直にうなずけなかった。

「いやいやいや……わ、私は職場でそういうのは、ちょっとなぁ」

「まぁ確かに、職場恋愛ってめんどくさいよねぇ。あっ、じゃあ私、今週東棟当番だからこっちだわ!」

 ミリアムは、廊下の階段をはるか上まで上がっていった。この地域一番の治療院であるここの建物は、広大なのだった。

「じゃあねー!」

 イリスは手を振って彼女と別れ、西棟へ向かった。ひとりになると、とたんに足取りが重くなる。

(あああ……私も今週東棟がよかったよ……)

 しかし仕事なのだ。割り当てに不平不満を言ってはいられない。イリスはきりっと表情を引き締めて、西棟担当の魔術師―例のサイラス・スノウの研究室のドアをノックした。いつも通り返事はないので、少し間を取ってからドアを開ける。

「失礼いたします、先生。今週西棟を担当いたします助手のラシエルです」

 すると、椅子に座ったまま背を向けていた彼が、肩越しに振り向いた。

 冷たそうな白皙の肌。眼鏡の奥の、珍しい紫色の目。その横顔は、額から鼻梁にかけて美しい曲線を描き、やや長めに切りそろえられたまっすぐなミルクティー色の髪には、天使の輪ができている。

 ――イケメン。いや、その言葉がそぐわないほど、まごうことなき美男子である。
 大理石の彫刻のごときその顔は、ひょっとしたらミリアムが推すジョエルよりもよほどととのっているかもしれない。しかし。

「あぁ、またあなたですか」

 その紫の目で、氷のように冷たくイリスをじっと見つめた。
 厳しく値踏みするような鋭い視線にさらされて、イリスの胃は縮みそうになった。

(そう、これだよ――これがあるからっ!)

 イリスは念入りに化粧してきたのである。
 彼の目にさらされると、自分のダメなところが気になっていたたまれなくなるのだ。

 ――くしゃくしゃの猫っ毛の乱れとか、頬に散っているそばかすとか、いろいろ。

(うぅ……)

 イリスが固まっていると、サイラスは目をそらして、軽くため息をついた。
 毎度のことだが、イリスは軽く傷ついた。

(何か……めっちゃ、迷惑そう~~!)

 だけれど、すっと固まっているわけにはいかない。
 イリスたち、魔術師補助の仕事は、彼ら『魔術師』の治療や研究の助手と、患者のサポートである。つまり、当番に割り振られた先生とは、2週間行動を共にしなければならないのだ。たとえどんな嫌な顔をされようと。

「は、はい、ふ、ふつつかものですがよろしくお願いいたします」

「……は?」
 
 怪訝に返されて、はっとする。

(な、何言ってんの私! 『ふつつかものですが』は結婚するときのセリフじゃない……!)

 意味的には間違ってはいないが、もっとこう、不届きものですが、とか、粗品ですが……

(って、これもおかしいでしょ‼)

 イリスの頬がかあっと赤くなる。厳しい目を向けられて緊張して、思わずバカみたいな言い間違いをしてしまった。

「す、すみません……何でもないです……」

 そわそわと、本部から持ってきたカルテを取り出すイリスに、サイラスはまたも一瞥をくれた。

「……どうでもいいですが、仕事はしてくださいよ。廊下ではしゃぐのもやめてください」

「は、はしゃいでました?」

 もしかして、さっきのワルグチが聞こえてしまっていたのだろうか。イリスは肝を冷やした。

「手を振って歩いてくるのが見えました。治療院の同僚同士でふざけた子どものような態度はいかがなものかと」

「……み、見ていたんですか」

 おかしい。彼は机に向かっていたから、イリスが手を振って歩いてくるのが見えているはずがないのに。
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