上 下
50 / 65

夜空を二人で

しおりを挟む
 あまりに彼のことを考えていたから、夢でも見ているのだろうか。

 こんなに高い場所だし、そう、幻覚かもしれない。

 半信半疑で、かたり、と留め金を外して窓を開ける。こもった湯気が、石鹸の香りとともにふわっと外へ逃げていく。



「あ……!? ここってバスルーム!? ごめんイヴ、覗いたりするつもりじゃ」



 アレックスは、箒に乗って、この高さまで飛んできたようだった。それを見て、エヴァンジェリンはこれが現実だとわかった。



「アレクさん、い、いったいどうしたんですか、こんな夜に、箒なんて……」



「イヴに会いに来たんだよ。よかった、ちゃんといて」



「え、ええ。私はいますよ。すみません、ずっと授業は欠席していて……」



 窓の外から、アレックスはエヴァンジェリンに手を差し出した。



「ちょっと出ない?」

 

 アレックスがにっと笑う。いつもの彼の笑顔だ。

 少しいたずらっぽくて、太陽みたいに明るくて、でも、優しくて。

 夜なのに、なんだかあたりが明るくなったような気がして、エヴァンジェリンは目を細めた。

 

「今夜は月がきれいだから」



 アレックスは上を指さした。

 けぶる春の夜空に、ぽっかり月が浮かんでいる。

 外から流れ込んでくる春風が、アレックスの柔らかそうな髪の毛を優しく揺らす。いきいきとした光を宿した緑の目が、エヴァンジェリンの目を見つめている。

 その光を浴びて――エヴァンジェリンの目に、光が宿る。



(あぁ、アレクさん。かなわないです。私……) 

 

 その時エヴァンジェリンは思い知った。



(もう会わなくていいなんて、嘘だ。本当は、本当は――)



 会いたかった。最後に彼の顔を見たいと切望していた。



「それなら……それなら、ちょっとだけ、いいですか」



 エヴァンジェリンは思わず、その手を取っていた。

 すぐもどればいい――これで最後――そんな言い訳を、自分にしながら。



「よっしゃ。しっかりつかまって」



 窓から身を躍りだす。箒にまたがって、彼の背中に、ドキドキしながら両手をまわす。



「失礼します……わ、」



 はだしの足がゆらゆら揺れて、ナイトドレスの裾がはためく。



「よし、じゃあ、出発するよ!」



 花の香の混ざる夜の空気を切って、アレックスが箒を走らせる。



「わわわ」



 星が、風が流れていく。振り落とされないように、エヴァンジェリンはしっかりアレックスの広い背中につかまった。

 なんて広い、そして暖かい背中。エヴァンジェリンは場違いにドキドキした。



「よかった―――。イヴの顔見て、ほっとした。グレアムにいろいろ言ってやろうと思ったけど、なんかもう、ぜんぶどうでもよくなったわ」



「あ……パーティでは、すみませんでした。グレアム様が、失礼な事を言って」



「俺こそごめん……でもさ、なんで長い間、顔を見せてくれなかったの?」



 少しすねたような口調に、エヴァンジェリンは慌てた。

 卑怯だと思いながら、慣れた言い訳を口にする。



「すみません……体調、悪くなっちゃって……」



「そっか……。ごめん。たしかにイヴ、体調よくなさそうだ。ちゃんと食べてる?」



「は、はい。ご心配かけて、すみません」



 一瞬間があいて、アレックスは聞いた。



「俺があの夜言ったこと、覚えてる?」



 どきん、とエヴァンジェリンの心臓が高鳴る。



「お……覚えて、ます。もちろん」

  

 血管を流れる血が、沸騰したかのように、全身が熱くなる。

 これは、神様が最後にくれたチャンスだ。

 あれほど言いたかったことを――今、伝える事ができるじゃないか。

 口を開け。エヴァンジェリン。すべて本当の事を言う必要はない。

 ただ、感謝を……。



「とても、嬉しかったです。アレクさん。言葉で言えないくらい……」



 大きすぎる思いが、喉でつかえているかのように苦しい。

 頭がまわらなくて、上手に言葉にすることができない。

 

 どきん、と背中の向こうから、彼の鼓動も聞こえた。



「それなら……あのさ。俺と一緒に、プロムにいかない?」



「えっ……プロム……ですか」



 予想外の誘いに、エヴァンジェリンの頭は一瞬ショートしたかのように動かなくなった。



(プロム……プロム、って、あの……ホムンクルスが、呪いと一緒に学園内に来た日のこと?)



 ちょうどその日に、エヴァンジェリンは決死の戦いに赴くのだ。



「プロム、わかる? 卒業式のあとに、6年だけダンスパーティがあるんだけど……皆いまさ、大さわぎしてんだ。女子たちなんてもう、ドレスを何着るかとか誰と行くかとかで……イヴはどう? もう、グレアムと行くって決めてる?」



 アレックスの説明を聞いて、エヴァンジェリンははっとした。



(そっか……皆は、その日に学園の皆が死んだなんて、知らないんだ。だから、この時期はプロムの準備をしてる……)



 当たり前の事だ。このことは、グレアムとエヴァンジェリンしか知らないのだから。

 エヴァンジェリンはすこし考えて、口を開いた。



「いいですね……ダンスパーティ。こんな事を言うのは、おこがましくて気が引けますが……アレクさんや、ココさんと一緒に、踊ってみたかった、です」



「行こうよ。ダメなの?」



「……はい。ごめんなさい。実は私とグレアム様は、プロムには出られないんです。少し遠くに行かなければいけない予定があって」



「……もう、戻らないの? イヴは……グレアムと、結婚するのか?」



 その声は震えていて、だからイヴは慌てて首を振った。



「いいえ! 違います。そういうんじゃないんです。ただ、外せない家の用事が……あるというだけで」



「そっか……それじゃあさ、また俺たち、会える?」



 ちら、とアレックスが振り向く。せつないそのまなざしに、エヴァンジェリンは言葉を失った。



 ――嘘はつきたくない。

 でも……彼を傷つけたくない。
しおりを挟む
感想 67

あなたにおすすめの小説

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~

Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。 走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。

くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」 「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」 いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。 「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と…… 私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。 「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」 「はい、お父様、お母様」 「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」 「……はい」 「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」 「はい、わかりました」 パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、 兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。 誰も私の言葉を聞いてくれない。 誰も私を見てくれない。 そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。 ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。 「……なんか、馬鹿みたいだわ!」 もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる! ふるゆわ設定です。 ※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい! ※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇‍♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ! 追加文 番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

どうせ運命の番に出会う婚約者に捨てられる運命なら、最高に良い男に育ててから捨てられてやろうってお話

下菊みこと
恋愛
運命の番に出会って自分を捨てるだろう婚約者を、とびきりの良い男に育てて捨てられに行く気満々の悪役令嬢のお話。 御都合主義のハッピーエンド。 小説家になろう様でも投稿しています。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

うたた寝している間に運命が変わりました。

gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

闇黒の悪役令嬢は溺愛される

葵川真衣
恋愛
公爵令嬢リアは十歳のときに、転生していることを知る。 今は二度目の人生だ。 十六歳の舞踏会、皇太子ジークハルトから、婚約破棄を突き付けられる。 記憶を得たリアは前世同様、世界を旅する決意をする。 前世の仲間と、冒険の日々を送ろう! 婚約破棄された後、すぐ帝都を出られるように、リアは旅の支度をし、舞踏会に向かった。 だが、その夜、前世と異なる出来事が起きて──!? 悪役令嬢、溺愛物語。 ☆本編完結しました。ありがとうございました。番外編等、不定期更新です。

処理中です...