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夜空を二人で
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あまりに彼のことを考えていたから、夢でも見ているのだろうか。
こんなに高い場所だし、そう、幻覚かもしれない。
半信半疑で、かたり、と留め金を外して窓を開ける。こもった湯気が、石鹸の香りとともにふわっと外へ逃げていく。
「あ……!? ここってバスルーム!? ごめんイヴ、覗いたりするつもりじゃ」
アレックスは、箒に乗って、この高さまで飛んできたようだった。それを見て、エヴァンジェリンはこれが現実だとわかった。
「アレクさん、い、いったいどうしたんですか、こんな夜に、箒なんて……」
「イヴに会いに来たんだよ。よかった、ちゃんといて」
「え、ええ。私はいますよ。すみません、ずっと授業は欠席していて……」
窓の外から、アレックスはエヴァンジェリンに手を差し出した。
「ちょっと出ない?」
アレックスがにっと笑う。いつもの彼の笑顔だ。
少しいたずらっぽくて、太陽みたいに明るくて、でも、優しくて。
夜なのに、なんだかあたりが明るくなったような気がして、エヴァンジェリンは目を細めた。
「今夜は月がきれいだから」
アレックスは上を指さした。
けぶる春の夜空に、ぽっかり月が浮かんでいる。
外から流れ込んでくる春風が、アレックスの柔らかそうな髪の毛を優しく揺らす。いきいきとした光を宿した緑の目が、エヴァンジェリンの目を見つめている。
その光を浴びて――エヴァンジェリンの目に、光が宿る。
(あぁ、アレクさん。かなわないです。私……)
その時エヴァンジェリンは思い知った。
(もう会わなくていいなんて、嘘だ。本当は、本当は――)
会いたかった。最後に彼の顔を見たいと切望していた。
「それなら……それなら、ちょっとだけ、いいですか」
エヴァンジェリンは思わず、その手を取っていた。
すぐもどればいい――これで最後――そんな言い訳を、自分にしながら。
「よっしゃ。しっかりつかまって」
窓から身を躍りだす。箒にまたがって、彼の背中に、ドキドキしながら両手をまわす。
「失礼します……わ、」
はだしの足がゆらゆら揺れて、ナイトドレスの裾がはためく。
「よし、じゃあ、出発するよ!」
花の香の混ざる夜の空気を切って、アレックスが箒を走らせる。
「わわわ」
星が、風が流れていく。振り落とされないように、エヴァンジェリンはしっかりアレックスの広い背中につかまった。
なんて広い、そして暖かい背中。エヴァンジェリンは場違いにドキドキした。
「よかった―――。イヴの顔見て、ほっとした。グレアムにいろいろ言ってやろうと思ったけど、なんかもう、ぜんぶどうでもよくなったわ」
「あ……パーティでは、すみませんでした。グレアム様が、失礼な事を言って」
「俺こそごめん……でもさ、なんで長い間、顔を見せてくれなかったの?」
少しすねたような口調に、エヴァンジェリンは慌てた。
卑怯だと思いながら、慣れた言い訳を口にする。
「すみません……体調、悪くなっちゃって……」
「そっか……。ごめん。たしかにイヴ、体調よくなさそうだ。ちゃんと食べてる?」
「は、はい。ご心配かけて、すみません」
一瞬間があいて、アレックスは聞いた。
「俺があの夜言ったこと、覚えてる?」
どきん、とエヴァンジェリンの心臓が高鳴る。
「お……覚えて、ます。もちろん」
血管を流れる血が、沸騰したかのように、全身が熱くなる。
これは、神様が最後にくれたチャンスだ。
あれほど言いたかったことを――今、伝える事ができるじゃないか。
口を開け。エヴァンジェリン。すべて本当の事を言う必要はない。
ただ、感謝を……。
「とても、嬉しかったです。アレクさん。言葉で言えないくらい……」
大きすぎる思いが、喉でつかえているかのように苦しい。
頭がまわらなくて、上手に言葉にすることができない。
どきん、と背中の向こうから、彼の鼓動も聞こえた。
「それなら……あのさ。俺と一緒に、プロムにいかない?」
「えっ……プロム……ですか」
予想外の誘いに、エヴァンジェリンの頭は一瞬ショートしたかのように動かなくなった。
(プロム……プロム、って、あの……ホムンクルスが、呪いと一緒に学園内に来た日のこと?)
ちょうどその日に、エヴァンジェリンは決死の戦いに赴くのだ。
「プロム、わかる? 卒業式のあとに、6年だけダンスパーティがあるんだけど……皆いまさ、大さわぎしてんだ。女子たちなんてもう、ドレスを何着るかとか誰と行くかとかで……イヴはどう? もう、グレアムと行くって決めてる?」
アレックスの説明を聞いて、エヴァンジェリンははっとした。
(そっか……皆は、その日に学園の皆が死んだなんて、知らないんだ。だから、この時期はプロムの準備をしてる……)
当たり前の事だ。このことは、グレアムとエヴァンジェリンしか知らないのだから。
エヴァンジェリンはすこし考えて、口を開いた。
「いいですね……ダンスパーティ。こんな事を言うのは、おこがましくて気が引けますが……アレクさんや、ココさんと一緒に、踊ってみたかった、です」
「行こうよ。ダメなの?」
「……はい。ごめんなさい。実は私とグレアム様は、プロムには出られないんです。少し遠くに行かなければいけない予定があって」
「……もう、戻らないの? イヴは……グレアムと、結婚するのか?」
その声は震えていて、だからイヴは慌てて首を振った。
「いいえ! 違います。そういうんじゃないんです。ただ、外せない家の用事が……あるというだけで」
「そっか……それじゃあさ、また俺たち、会える?」
ちら、とアレックスが振り向く。せつないそのまなざしに、エヴァンジェリンは言葉を失った。
――嘘はつきたくない。
でも……彼を傷つけたくない。
こんなに高い場所だし、そう、幻覚かもしれない。
半信半疑で、かたり、と留め金を外して窓を開ける。こもった湯気が、石鹸の香りとともにふわっと外へ逃げていく。
「あ……!? ここってバスルーム!? ごめんイヴ、覗いたりするつもりじゃ」
アレックスは、箒に乗って、この高さまで飛んできたようだった。それを見て、エヴァンジェリンはこれが現実だとわかった。
「アレクさん、い、いったいどうしたんですか、こんな夜に、箒なんて……」
「イヴに会いに来たんだよ。よかった、ちゃんといて」
「え、ええ。私はいますよ。すみません、ずっと授業は欠席していて……」
窓の外から、アレックスはエヴァンジェリンに手を差し出した。
「ちょっと出ない?」
アレックスがにっと笑う。いつもの彼の笑顔だ。
少しいたずらっぽくて、太陽みたいに明るくて、でも、優しくて。
夜なのに、なんだかあたりが明るくなったような気がして、エヴァンジェリンは目を細めた。
「今夜は月がきれいだから」
アレックスは上を指さした。
けぶる春の夜空に、ぽっかり月が浮かんでいる。
外から流れ込んでくる春風が、アレックスの柔らかそうな髪の毛を優しく揺らす。いきいきとした光を宿した緑の目が、エヴァンジェリンの目を見つめている。
その光を浴びて――エヴァンジェリンの目に、光が宿る。
(あぁ、アレクさん。かなわないです。私……)
その時エヴァンジェリンは思い知った。
(もう会わなくていいなんて、嘘だ。本当は、本当は――)
会いたかった。最後に彼の顔を見たいと切望していた。
「それなら……それなら、ちょっとだけ、いいですか」
エヴァンジェリンは思わず、その手を取っていた。
すぐもどればいい――これで最後――そんな言い訳を、自分にしながら。
「よっしゃ。しっかりつかまって」
窓から身を躍りだす。箒にまたがって、彼の背中に、ドキドキしながら両手をまわす。
「失礼します……わ、」
はだしの足がゆらゆら揺れて、ナイトドレスの裾がはためく。
「よし、じゃあ、出発するよ!」
花の香の混ざる夜の空気を切って、アレックスが箒を走らせる。
「わわわ」
星が、風が流れていく。振り落とされないように、エヴァンジェリンはしっかりアレックスの広い背中につかまった。
なんて広い、そして暖かい背中。エヴァンジェリンは場違いにドキドキした。
「よかった―――。イヴの顔見て、ほっとした。グレアムにいろいろ言ってやろうと思ったけど、なんかもう、ぜんぶどうでもよくなったわ」
「あ……パーティでは、すみませんでした。グレアム様が、失礼な事を言って」
「俺こそごめん……でもさ、なんで長い間、顔を見せてくれなかったの?」
少しすねたような口調に、エヴァンジェリンは慌てた。
卑怯だと思いながら、慣れた言い訳を口にする。
「すみません……体調、悪くなっちゃって……」
「そっか……。ごめん。たしかにイヴ、体調よくなさそうだ。ちゃんと食べてる?」
「は、はい。ご心配かけて、すみません」
一瞬間があいて、アレックスは聞いた。
「俺があの夜言ったこと、覚えてる?」
どきん、とエヴァンジェリンの心臓が高鳴る。
「お……覚えて、ます。もちろん」
血管を流れる血が、沸騰したかのように、全身が熱くなる。
これは、神様が最後にくれたチャンスだ。
あれほど言いたかったことを――今、伝える事ができるじゃないか。
口を開け。エヴァンジェリン。すべて本当の事を言う必要はない。
ただ、感謝を……。
「とても、嬉しかったです。アレクさん。言葉で言えないくらい……」
大きすぎる思いが、喉でつかえているかのように苦しい。
頭がまわらなくて、上手に言葉にすることができない。
どきん、と背中の向こうから、彼の鼓動も聞こえた。
「それなら……あのさ。俺と一緒に、プロムにいかない?」
「えっ……プロム……ですか」
予想外の誘いに、エヴァンジェリンの頭は一瞬ショートしたかのように動かなくなった。
(プロム……プロム、って、あの……ホムンクルスが、呪いと一緒に学園内に来た日のこと?)
ちょうどその日に、エヴァンジェリンは決死の戦いに赴くのだ。
「プロム、わかる? 卒業式のあとに、6年だけダンスパーティがあるんだけど……皆いまさ、大さわぎしてんだ。女子たちなんてもう、ドレスを何着るかとか誰と行くかとかで……イヴはどう? もう、グレアムと行くって決めてる?」
アレックスの説明を聞いて、エヴァンジェリンははっとした。
(そっか……皆は、その日に学園の皆が死んだなんて、知らないんだ。だから、この時期はプロムの準備をしてる……)
当たり前の事だ。このことは、グレアムとエヴァンジェリンしか知らないのだから。
エヴァンジェリンはすこし考えて、口を開いた。
「いいですね……ダンスパーティ。こんな事を言うのは、おこがましくて気が引けますが……アレクさんや、ココさんと一緒に、踊ってみたかった、です」
「行こうよ。ダメなの?」
「……はい。ごめんなさい。実は私とグレアム様は、プロムには出られないんです。少し遠くに行かなければいけない予定があって」
「……もう、戻らないの? イヴは……グレアムと、結婚するのか?」
その声は震えていて、だからイヴは慌てて首を振った。
「いいえ! 違います。そういうんじゃないんです。ただ、外せない家の用事が……あるというだけで」
「そっか……それじゃあさ、また俺たち、会える?」
ちら、とアレックスが振り向く。せつないそのまなざしに、エヴァンジェリンは言葉を失った。
――嘘はつきたくない。
でも……彼を傷つけたくない。
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