2 / 65
ひとりぼっち
しおりを挟む
(あぁ、私……。)
人目のない廊下にくると、必死で力を入れて歩いていた膝が、かくかく震えだした。エヴァンジェリンは壁に手をついて、自分を落ち着かせるように深呼吸を繰り返した。
エヴァンジェリンは、生まれつきあまり身体が強くない。少しの事で眩暈がしたり、倒れてしまったりすることもある。けれどさすがに、今日こんな場所で倒れるわけにはいかない。
惨めすぎる。
(こわかった……よく知りもしない人に、責められて、みんなに囲まれて……)
アレックスの言う通り、あのクラスにエヴァンジェリンの味方は誰もいなかった。アレックスに責められるエヴァンジェリンが、耐えかねて泣きだすのを、いまかいまかと残酷に待っているかのような雰囲気だった。
(私……そんな事、していないのに。一瞬で……みなさんに、嫌われてしまったのね)
一年次からずっと一緒ではあったけど、エヴァンジェリンはクラスメイトたちには、ちっとも信用されていなかったようだ。
(それも仕方ない。私、グレアム様以外の人とはあまり関わってこなかったから……でも)
本当は、エヴァンジェリンもクラスの皆と一緒におしゃべりをしたり、仲良くなったりしてみたかった。しかしグレアムとの『約束』の手前、それは許されなかった。
そのグレアムも、婚約者といえどエヴァンジェリンを愛してくれているわけではない。二人の間にあるのは、愛ではなく契約だけだった。
(ほんとうに、私ってひとりぼっちなんだ……)
こらえていた気持ちが、一人になってどっと襲い掛かる。涙が出そうになったその時。
「ハダリーさん、大丈夫?」
名前を呼ばれて、エヴァンジェリンははっと振り返った。そこにはクラスメイトの一人、ディック・イーストが立っていた。
「泣いてたの……?」
心配気にそう聞かれて、エヴァンジェリンはあわててうつむいた。
「あ……わ、私はなにも」
「ひどいよね。誰かわからないけど……大人しいハダリーさんが、あんな大胆な嫌がらせするわけないのに」
「え……なんで、信じてくれるんですか……?」
クラスに、そう思ってくれている人がいたのか。意外なのとほっとしたのとで、エヴァンジェリンの身体の力は少し抜けた。
「ハダリーさん、いつも首席か次席だし、ふつうに頭いいでしょ。もしするとしたら、もっと上手く嫌がらせするよね。あんな子どもじみたやり方、ありえないよ。それに……」
ディックは黒い眉をひそめて首をかしげた。頬まで伸びた黒髪がさらりと揺れる。
「人の婚約者に手を出しといて、被害者ヅラしてるココ・サンディもどうかと僕は思うけど」
その言葉には、エヴァンジェリンは静かに首を振った。
「それは、いいんです。別に……」
「ずっと思ってたけど……なんでハダリーさんは、あの二人の仲を許してるの?」
「……私にどうこう言う権利はありませんから。でも……」
これ以上質問が続くと困るので、エヴァンジェリンは一歩下がって軽く礼をした。
「気にかけてくださって、ありがとうございます。少し……気持ちが楽になりました」
「そう? でも……次なにか言われたら、僕が一緒に抗議しようか?」
エヴァンジェリンは静かに首を振った。するとディックはわずかに苦笑した。
「君は本当に、なかなか本心を見せないね。5年間、同じクラスだったけど、まだ俺のこと、信用できない?」
「そ、そんなことは、ありません……」
「まあ、何かあったら、また声をかけて。気持ちを楽にするくらいなら、俺にもできるから」
その言葉を、エヴァンジェリンはありがたく受ける事にした。
「……ありがとうございます、イーストさん」
すると彼は茶目っ気を出して、腕をまくってみせた。
意外とその腕は太く、うっすらと筋肉がついていた。
「こう見えて、俺、決闘技クラスに入ってるんだ。腕っぷしも立つと思うから、いつでも頼ってよ」
彼と別れて、寮に続く階段を上りながら、エヴァンジェリンは重いため息をついた。
(親切な人だけど……あまり寄りかかっちゃ、ダメ)
そう、グレアムには、クラスメイトと必要以上に親しくすることを禁じられているのだ。彼の命令は、守らなくてはいけない――条件反射的にそう思って、エヴァンジェリンははっとした。
(でも、グレアム様はさっき、私に失望したって、おっしゃってた)
もしかしたら、捨てられてしまうのかもしれない。そう思いながら、エヴァンジェリンは一人階段を上り、自室のある北寮へと向かった。
――この学園の寮は、出身地ごとに東西南北4つに分けられており、グレアムなどの名門魔術師の家門の人間は北寮に多く属する。当然エヴァンジェリンもグレアムと同じ北寮だ。
寮は通常は相部屋で振り分けられるが、グレアムはこの魔術界の重鎮、トールギス家の筆頭子息という事で特別に個室があてがわれていた。
当然、その婚約者と決められているエヴァンジェリンも、一年次から自分専用の広い個室が用意されていた。
しかし――だからといって、エヴァンジェリンに自由があるわけではなかった。
震える手でエヴァンジェリンは、自室のそのドアを開けた。
すると暖炉の前に、グレアムその人が座っていた。
高貴に整った、いかにも怜悧な顔立ちが、苛立ちに歪んでいた。
人目のない廊下にくると、必死で力を入れて歩いていた膝が、かくかく震えだした。エヴァンジェリンは壁に手をついて、自分を落ち着かせるように深呼吸を繰り返した。
エヴァンジェリンは、生まれつきあまり身体が強くない。少しの事で眩暈がしたり、倒れてしまったりすることもある。けれどさすがに、今日こんな場所で倒れるわけにはいかない。
惨めすぎる。
(こわかった……よく知りもしない人に、責められて、みんなに囲まれて……)
アレックスの言う通り、あのクラスにエヴァンジェリンの味方は誰もいなかった。アレックスに責められるエヴァンジェリンが、耐えかねて泣きだすのを、いまかいまかと残酷に待っているかのような雰囲気だった。
(私……そんな事、していないのに。一瞬で……みなさんに、嫌われてしまったのね)
一年次からずっと一緒ではあったけど、エヴァンジェリンはクラスメイトたちには、ちっとも信用されていなかったようだ。
(それも仕方ない。私、グレアム様以外の人とはあまり関わってこなかったから……でも)
本当は、エヴァンジェリンもクラスの皆と一緒におしゃべりをしたり、仲良くなったりしてみたかった。しかしグレアムとの『約束』の手前、それは許されなかった。
そのグレアムも、婚約者といえどエヴァンジェリンを愛してくれているわけではない。二人の間にあるのは、愛ではなく契約だけだった。
(ほんとうに、私ってひとりぼっちなんだ……)
こらえていた気持ちが、一人になってどっと襲い掛かる。涙が出そうになったその時。
「ハダリーさん、大丈夫?」
名前を呼ばれて、エヴァンジェリンははっと振り返った。そこにはクラスメイトの一人、ディック・イーストが立っていた。
「泣いてたの……?」
心配気にそう聞かれて、エヴァンジェリンはあわててうつむいた。
「あ……わ、私はなにも」
「ひどいよね。誰かわからないけど……大人しいハダリーさんが、あんな大胆な嫌がらせするわけないのに」
「え……なんで、信じてくれるんですか……?」
クラスに、そう思ってくれている人がいたのか。意外なのとほっとしたのとで、エヴァンジェリンの身体の力は少し抜けた。
「ハダリーさん、いつも首席か次席だし、ふつうに頭いいでしょ。もしするとしたら、もっと上手く嫌がらせするよね。あんな子どもじみたやり方、ありえないよ。それに……」
ディックは黒い眉をひそめて首をかしげた。頬まで伸びた黒髪がさらりと揺れる。
「人の婚約者に手を出しといて、被害者ヅラしてるココ・サンディもどうかと僕は思うけど」
その言葉には、エヴァンジェリンは静かに首を振った。
「それは、いいんです。別に……」
「ずっと思ってたけど……なんでハダリーさんは、あの二人の仲を許してるの?」
「……私にどうこう言う権利はありませんから。でも……」
これ以上質問が続くと困るので、エヴァンジェリンは一歩下がって軽く礼をした。
「気にかけてくださって、ありがとうございます。少し……気持ちが楽になりました」
「そう? でも……次なにか言われたら、僕が一緒に抗議しようか?」
エヴァンジェリンは静かに首を振った。するとディックはわずかに苦笑した。
「君は本当に、なかなか本心を見せないね。5年間、同じクラスだったけど、まだ俺のこと、信用できない?」
「そ、そんなことは、ありません……」
「まあ、何かあったら、また声をかけて。気持ちを楽にするくらいなら、俺にもできるから」
その言葉を、エヴァンジェリンはありがたく受ける事にした。
「……ありがとうございます、イーストさん」
すると彼は茶目っ気を出して、腕をまくってみせた。
意外とその腕は太く、うっすらと筋肉がついていた。
「こう見えて、俺、決闘技クラスに入ってるんだ。腕っぷしも立つと思うから、いつでも頼ってよ」
彼と別れて、寮に続く階段を上りながら、エヴァンジェリンは重いため息をついた。
(親切な人だけど……あまり寄りかかっちゃ、ダメ)
そう、グレアムには、クラスメイトと必要以上に親しくすることを禁じられているのだ。彼の命令は、守らなくてはいけない――条件反射的にそう思って、エヴァンジェリンははっとした。
(でも、グレアム様はさっき、私に失望したって、おっしゃってた)
もしかしたら、捨てられてしまうのかもしれない。そう思いながら、エヴァンジェリンは一人階段を上り、自室のある北寮へと向かった。
――この学園の寮は、出身地ごとに東西南北4つに分けられており、グレアムなどの名門魔術師の家門の人間は北寮に多く属する。当然エヴァンジェリンもグレアムと同じ北寮だ。
寮は通常は相部屋で振り分けられるが、グレアムはこの魔術界の重鎮、トールギス家の筆頭子息という事で特別に個室があてがわれていた。
当然、その婚約者と決められているエヴァンジェリンも、一年次から自分専用の広い個室が用意されていた。
しかし――だからといって、エヴァンジェリンに自由があるわけではなかった。
震える手でエヴァンジェリンは、自室のそのドアを開けた。
すると暖炉の前に、グレアムその人が座っていた。
高貴に整った、いかにも怜悧な顔立ちが、苛立ちに歪んでいた。
14
お気に入りに追加
2,089
あなたにおすすめの小説
記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~
Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。
走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。
くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」
「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」
いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。
「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と……
私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。
「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」
「はい、お父様、お母様」
「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」
「……はい」
「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」
「はい、わかりました」
パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、
兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。
誰も私の言葉を聞いてくれない。
誰も私を見てくれない。
そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。
ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。
「……なんか、馬鹿みたいだわ!」
もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる!
ふるゆわ設定です。
※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい!
※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ!
追加文
番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。
どうせ運命の番に出会う婚約者に捨てられる運命なら、最高に良い男に育ててから捨てられてやろうってお話
下菊みこと
恋愛
運命の番に出会って自分を捨てるだろう婚約者を、とびきりの良い男に育てて捨てられに行く気満々の悪役令嬢のお話。
御都合主義のハッピーエンド。
小説家になろう様でも投稿しています。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
うたた寝している間に運命が変わりました。
gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
闇黒の悪役令嬢は溺愛される
葵川真衣
恋愛
公爵令嬢リアは十歳のときに、転生していることを知る。
今は二度目の人生だ。
十六歳の舞踏会、皇太子ジークハルトから、婚約破棄を突き付けられる。
記憶を得たリアは前世同様、世界を旅する決意をする。
前世の仲間と、冒険の日々を送ろう!
婚約破棄された後、すぐ帝都を出られるように、リアは旅の支度をし、舞踏会に向かった。
だが、その夜、前世と異なる出来事が起きて──!?
悪役令嬢、溺愛物語。
☆本編完結しました。ありがとうございました。番外編等、不定期更新です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる