ひどい目

小達出みかん

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松の位のとばっちり(3)

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先ほどから、一言も口も聞かず、酒も食べ物もぜんぜん減らない。りんは怖くて顔を上げられなかったが、思い切ってお客に声をかけた。


「あ、あのあの、だんな様、こちらのお酒をお召し上がりになりませんか・・・?」


 座敷では、ひとり残されたりんが名代として青年の相手をしていた。


「わ、私などが相手で、もうしわけありやせん…」


 りんは突然任された名代に、少し緊張していた。なにしろいきなりの千寿の逃亡だ。


(ど、どうやってこの場をつなげればいいんだろう。千寿ねえさまはいったいどうして…?)


「ねえ君、名前はなんというの」


 物憂げにしていた青年が、そのときはじめて口をひらいた。遅ればせながら自分が名乗り忘れたことに気がつき、りんはあわてて手をついて謝った。


「せ、千寿さまの禿の、りんともうしますっ。申し訳ありませんっ」


「そんなに、こわがらないで」


 柔らかな声で青年が言った。おそるおそる、こすずはお客と目線を会わせた。

・・・・柔和な顔立ちの美男だ。鈴鹿がよく眺めていた歌舞伎の女形の浮世絵にも、どこか似ている。

 いままで見たお客のなかで、いっとう美しい。りんの頬はぽうっと赤くなっていた。


「ねえ、聞かせてくれないかい?」


「は、はい、なんなりと」


「あの千寿って子は、どんな子なんだい?」



「せ、千寿ねえさまは…いつも凜としていらして、美しくて、舞が上手で…お客さまの人気もあって。あっ、今日は…どこか具合が悪かったのかもしれません…」


 りんがたどたどしく答えると、青年は熱心にあいずちを打った。


「へえ。そうなんだ。やっぱり人気なんだ」


「は、はい。今日格子から太夫に格上げなされたくらいで…」


「じゃあ、お店でも一番人気なの?」


「そ、そうです。もうひとり、競いあっているお方がおりますが…」


「へえ。その子も、美人なのかな」


「ええと、その方は…」


 りんが口を開きかけたと同時に、スッ・・・と襖が開いた。りんがさっと気配を察して振り向く。


「お待たせいたしました、旦那様。梓にございます」


 そこにいたのは豪華に着飾った梓だった。


「あ、梓さま…?」



驚くりんに、後ろに控える佐吉が静かに、と目くばせした。

梓がスッと立ち上がり、青年の前に三つ指をつく。


「千寿太夫は急病で、臥せっております。代わりに私がお相手いたします」


 青年は無表情で口を開いた。


「僕に、会いたくないって?」


 梓は頭を下げたまま答えた。


「いいえ、そうではございません。たいへんな失礼をして、申し訳ございません…」


「今日はもう、来れないの?」


「申し訳ございません。文などでしたら、御言付けできますが」


 青年はうつむいた。


「・・・そう」


 そして、ふと気がついたように暗く沈んだ目を梓に向けた。



「それで、君は千寿の、何?」



「・・・千寿の代わりでございます、旦那様」


 口元にほのかな笑みを浮かべて、梓が言った。


「・・・・・もういい。帰るよ」


 青年が立ち上がりかけたその時。


「待って」


 梓が真顔になり、彼を引き留めた。


「まだあなたを帰せない」


 青年はうつろなまま、振り返って梓を見た。


「・・・彼女がいないなら、意味がない」


「旦那様。千寿が逃げた理由は、あなたにはわかるのでしょう、きっと」


 怪訝そうに、青年の眉が疑問の形にゆがんだ。


「…本音で話して、いいですか」


 梓は正面からまっすぐ、青年の目を見据えた。


 青年は、面食らったようだが、一瞬のち、かすかにうなずいた。


「よし、じゃあ場所を変えましょう」


 梓と青年は二人きりで、床に移動した。

 佐吉とりんは不安げに、二人が別室へ入っていくのを見守っていた。







「ああ、朝か…」


 床から起き上がろうとすると、体の節々がギリリと痛んだ。ハッと気がついたゆきが慌てて千寿の体を支える。


「だ、だめです千寿ねえさん、まだ起き上がっては」


 ゆきの言葉を無視し、千寿はたずねた。


「ゆき、昨日のあの客はどうなった?」


「梓さんがかわりにお相手されて、今は座敷で休んでいるようです」


「…そう」


 千寿はつぶやいて立ち上がった。痛い。が、歩ける。舞の準備体操の要領で、手足の節を伸ばして確かめる。


「ねえさんっ」


「大丈夫、骨は折れてない」


 ゆきの心配そうな顔を見て、千寿はふっと微笑んだ。


「ありがとう、ゆき。梓のところに行ってくるよ」


 ゆきは止めたいのをぐっとこらえて、言った。


「…わかりました、ではお着物を」






「梓さん…?」


 襖を開けると、部屋は薄暗く静まり返っていた。


(そうか、この時間ならまだ皆寝てるか…出直そう)


 しかし、一歩足を引いた瞬間、誰かが足首をひっぱった。


(うわっ!)


 ドサリと転んだ千寿を上から見下ろしていたのは・・・


「よぉ、来ると思ってたぜ」


 妙に陽気な梓だった。


「梓さん、申し訳ありませんでした…」


 千寿は深く頭を垂れ謝った。


「謝るなよ」


 梓はとたんに不機嫌になった。


「謝るくらいなら、ちゃんと仕事しろ」


「……」


 千寿は俯いて唇を噛んだ。謝罪を封じられると、もう何もいえない。


「お前、悪いとおもってないだろ」


「・・・・そ、そんな事、」


「俺が勝手に助けたっておもってるな?」


 梓が千寿の顔の横にドンと手をついた。


「ち、ちがいます、感謝しています、本当に…!」


「じゃあ、謝る前になんていうんだよ?」


 梓が顔を近づけながらすごんだ。


「えっ…あ、ありがとう…ございました…?」


 フンと梓が鼻で笑った。


「これは貸しだからな、金三分」


 金三分。梓との一回分の料金だ。


「…そんなに少なくて、いいのですか」


「少ないってなぁ。ばかにしてんのかお前」


「だって、危ないところを助けてもらったのに…」


 昨晩は本当に命の危険を感じた。ただ遊女を懲らしめるという以上の悪意を、松風から感じたからだ。


(たぶん、梓がらみなんだろうな。年末の件がばれたのかな?いや、それはないか)


「大げさだな。あいつだって本気で太夫を傷つけるような事はしねぇよ」


 梓は頭をかきながら身を起こした。千寿も起き上がって身住まいを正した。


「そうでしょうか…?」


 正直、嬲り殺されるかとおもった。


「そうだよ。お前が使えなくなったら大損だろ。あいつは金の亡者だからな」


「はぁ…」


「そんなことより、あの客まだいるぞ。今夜はどうすんの」



 黙り込んだ千寿に、梓は聞いた。


「あいつが、お前を売ったやつなのか?」


「そ、そういうわけじゃ…」


 千寿は思わず言葉につまった。


「ま、詳しくはきかねぇけどよ」


「あ、あの…彼と何を、話したんでしょうか?」


「あん?ああ、何も話してねえよ」


「えっ、だって、梓様が相手してくださったんじゃ」


「相手っつっても、通り一辺のことしかしてねえよ。お前が来ないのを取り繕って、あとは適当に酒の相手。寝るのは断られたぜ」


「…私のこと、お客は何か言っていましたか」


「なんだお前、逃げ出したくせに気になるのか?」


 からかうように、梓が言う。


「っ…」


 千寿は唇を噛んだ。そうだ。逃げ出した私にそんなこと聞く資格はない。


「言ってたぜ~、お前のこと、いろいろ」


 梓が嘘か本当かわからない調子で言った。


「え、ええ?」


「気になるんだったら、あの客に聞いてみろよ。じゃ、俺朝飯行って来るわ」


 梓はそのへんにあった着物を羽織って出て行った。


(ふん、あいつがお前の昔の情人ってことくらい、とっくにわかってらぁ)


 詳しいいきさつまではさすがにきき出せなかったが、だいたいの事情は話してわかった。あの優男が千

寿になる前の千寿を知っていて、それも本気だという事も。


 今夜こそ千寿は逃げられないだろう。そしたら千寿は…。一瞬、梓は千寿を助けたことを後悔した。今日助けたことで結果的に、二人は再会し、そして…


(あんな客、相手しないで追っ払っちまえばよかった)


 だが、あそこで梓が行かなければ松風は千寿はもっと痛めつけただろう。それを見たくはなかった。千寿の手前ああ言ったし、実際松風は金の亡者だが、彼の怖さは誰よりも梓がよく知っている。


(はぁ~、もう、あいつのせいで調子狂うわ…)


 余裕綽々の体で千寿を助けたが、内心は複雑な梓だった。



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