ひどい目

小達出みかん

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真夏の夜のにわか狂乱(3)

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「な、なんだったんだ、今の…」


 千寿は無意識に口をごしごしこすりながら、つぶやいたのだった。


(突発的すぎる…びっくりして心臓がばくばくしてる)


 この間の事がまた頭をよぎる。梓ときたら、いつもいつもこうだ。せっかく練習がうまくいったのに、また思いつきでこんなことをしてくるなんて。


(ったく、これだから顔の良い男は。自分が迫ればどんな女もしっぽを振ると勘違いしてる)


 梓の戯れ、つまみ食いの対象になっていると思うと千寿は無性に腹が立った。最初見た目にだまされまんまと組み敷かれたことも思い出され、さらに苛立ちは募った。

 が、昼見世でひと稼ぎして戻ってくる頃にはもう梓の事など忘れていた。


(今日のお昼は何かなあ…)


ぼんやり遅い昼飯に期待をしながら一階の広間に足を踏み入れると、後ろからバシンと背中をたたかれた。


「っつ!」


 こんなことをするのは鈴鹿ぐらいだ。


「体の具合はどうですか」


 千寿は背中をさすりつつ振り向いた。


「ちょっと、千寿」


 そこには不穏な表情の鈴鹿がいた。いつもはくっきりと描かれている眉が、きょうはうっすらと弧を描いている。その生えそろわぬ眉がかえって色っぽい。そんなことを思っていると、鈴鹿の顔がふいに耳元に寄せられた。


「食べ終わったら、顔かして。忙しいとは思うけど…」


 そして返事を返す間もなく、鈴鹿は廊下へ姿を消してしまった。


「…?」


 何だろう、俄のことで何か相談だろうか。そんなことを考えつつ、千寿は昼食にありつくため食堂へ向かった。


「千寿です。お膳を下さい」


 台所の下女から膳を受け取り、広間に向かった。みんな忙しげにご飯をかき込んでいる。千寿はできるだけ人の空いている場所を選んで、お膳を置いた。

 今日のお昼は、ご飯盛りきり一杯、味噌汁、そして青菜の漬け物だ。


「やった」


 青菜は千寿の好物だ。千寿は内心喜びながら箸をつけた。皆は粗末な献立だといつも嘆いているが、千寿はあまり苦ではなかった。

 と、その時。誰かが隣に腰をおろした。わざわざ隣にすわるなんて誰だろう。千寿はそう思い声をかけた。


「昼見世、おつかれさまです」


 思い切って声をかけると、涼しい声が帰ってきた。


「お疲れさまです、千寿」


「あ…え?松風さん?」


「なんです。そんな驚いて」


「いや、松風さんがこんなところで食事するなんて」


「今日はいろいろと散らかっていて、部屋で食事どころではないのです」


「ちらかって・・・?」


 遣手の部屋は、二階にあがってすぐの座敷だ。いつも松風はそこで寝起きし、遊女たちに目を光らせている。


「千寿、俄の練習はどうでしたか」


 何気ない様子で松風が聞いてくる。


「あ、ええと、いい調子だと思います。なかなか息があって」


 千寿は正直に答えながらも、松風に何か違和感を感じていた。


(ちらかっているからって、広間で食事するような人か?それになんだか、いつもにまして目が笑っていない…)


 そう、いつもは無表情な松風が、今はうっすらとほほえみを浮かべている。だが目は無表情の時以上に冷たく、射るような光がわずかに見え隠れしている。


(なんだろう、怖いな)


「そう堅くならずともいいですよ…梓は、どうでしたか」


 松風はゆっくりと用心深く、梓の様子を訪ねた。


「梓さん…ですか」


 千寿も用心深く、口をひらいた。


「早起きは気が向かないようですが…けっこう上手だと思います」


「上手?梓が?」


 松風が口のはしをつりあげて、皮肉な笑顔をつくった。何だろう。一体何が聞きたいのだろう、松風は。


「ええ。下手ではないですよ…気になるようでしたら、松風さんも練習、みにきますか?」


「いいえ、結構ですよ、千寿。あなたで安心しました」


 何が安心なのだろうか。松風はそう言い残し、席を立った。









「鈴鹿…」


 座敷の襖をあけると、しきっぱなしの布団に鈴鹿がごろりと横になっていた。


「ああ千寿、よかったきてくれて」


「どうしたんですか?」



 千寿は布団のそばに膝をついた。


「千寿、時間ないでしょ?手短にいくわね。あんた今日、梓とやったの?」


 やけに深刻な鈴鹿に、千寿は軽くこたえた。


「ああ、鈴鹿はいませんでしたがちゃんと練習しましたよ。大丈夫です」


 すると鈴鹿は困ったように手櫛で髪をいじくった。


「ちがうわよ練習のことじゃなくて…前から気になってたんだけど、あんた、梓とできてるの?」


 今度は千寿が目を白黒させた。


「で、できてる?できてるって、あの梓さんと私が?いや、ないですよ、ないない。鈴鹿だって知ってるでしょう!」


 千寿は全力で否定した。


「梓さんはよく私にちょっかいかけてきますけど、なんの関係もないです!というかなんでそんな事聞くんですか!?」


 運悪く、見られて誤解されてしまったのか。まったく、だからいわんこっちゃない。まったく腹が立つ。千寿は今朝の事を鈴鹿に愚痴った。

 すると、鈴鹿の顔色が変わった。


「…千寿、まずいよ」


 その深刻な様子に千寿はとまどった。


「えっ、どうしたんですか、鈴鹿…?」


「見世内での恋愛沙汰はたしかに御法度よ。その中でも梓は特別ね…松風のお目付けが半端じゃないの」


「松風さんの?ああ、なるほど」


 たしかに男女かまわず、気軽に言い寄っていくような梓だ。そうなると松風も厳しく目を光らせるに違いない。遣手は遊女に目を光らせ、しっかり稼がせるのが仕事なのだから。ところが鈴鹿は声をひそめて言った。


「ちがうのよ。たしかに梓はあんなんだけど…どうも松風のほうが、密かにご執心、らしいのよ」


「ええっ?!あの松風さんが、梓さんを?」


 千寿は驚いて、思わず大声を上げた。


「しっ。声をひそめて。誰が聞いているかわからないんだから…。もともと松風は、梓の廻ししだったのよ」


「まわし…ってなんですか?」


 千寿は首をかしげて聞き返した。


「廻しっていうのは、陰間を仕込んで世話をする男衆のことよ。もともと二人は別の見世にいて、どういうわけか知らないけど胡蝶屋に鞍替えしたみたい」


「でも、この吉原で梓が陰間ってばれたらまずいですよね…?」


 まだこの業界に詳しくない千寿は、おそるおそる聞いた。


「そうよ。もし陰間を置いてるなんて他の見世やお上にばれたらここはつぶれるわ。だけどね…」


 鈴鹿はまわりをちょっと見渡してから、千寿の耳元でひそひそ言った。


「これがすごい人気になっちゃったのよ。客って、禁止されてることをあえてするのが大好きだからね。

おかげで繁盛してここも大見世に昇格、つられて私の稼ぎも上がったわ」


 面白くもなさそうに鈴鹿は言った。


「だから癪だけど、私も表面上は陰間たちと上手くやるようにしてるわ。でも、梓には…」


 驚いた千寿は鈴鹿が言い終わらぬうちに口を開いた。


「えっ、ちょっと待ってください、陰間は梓だけじゃないんですか?」


 鈴鹿はちょっと驚いたように言った。


「あら、知らなかったの?菊染も陰間よ」


「え、ええーーっ!」


 千寿はのけぞった。あの菊染が。たしかに性格はきついが、はねっかえりの美少女としか思っていなかった。不思議なことに、少女だと思っていると腹も立たず、同情さえしていたが、男とわかると今まで言われた数々の心ない言葉に腹が立った。


 そんな千寿をよそに、鈴鹿は続けた。


「話がそれたけど、とにかく梓にはあまり近づかないようにしなさい」


「…そりゃ、私もそうしたいんですが…」


「用心に越したことはないわ。梓に言っても無駄だし。今朝のこと、たぶんもう松風の耳にも入ってるもの。何か言われなかった?」


 千寿は言葉につまった。そういえば、先ほどの昼食で松風は…。


「ほおらっ、その顔。思い当たるでしょ?」


 鈴鹿はわが意を得たりとうなずいた。


「た、たしかにさっき、梓との練習はどうでしたかって、聞かれましたけど・・・」


「でしょう。千寿、目をつけられないように気をつけないと。あいつってお職でも容赦しないから。だから皆に嫌われてるのよ」


「そうなんですか…」


「そうよ、次梓が顔近づけてきたらひっぱたいてやんなさい。あ、練習はぜったい三人でやることにしましょっ!約束よ」


 眉間にしわを寄せながら忠告してくれる鈴鹿。千寿は少し嬉しかった。こんな風に身を心配してくれる友達なんて、いままでいなかったから。


「ありがとう…鈴鹿」


「そんな礼をいわれるような事じゃないわよ!」


 布団の鈴鹿に見送られつつ、千寿は階下の内所に顔を出した。ちょうど松風が座っている。


「ああ千寿、丁度よかった。」


 さっきまで噂話をしていただけに、千寿は少しドキっとした。


「今日の夜見世は貸切のお客が入っていますよ。いますぐ揚屋の大座敷へ、菊染と一緒に行って下さい」


「菊染と、ですか」


「さる筋からご紹介の、特別なお客さまです」


「と、いいますと…?」


 千寿はどういう事かよくわからず曖昧に聞き返した。松風は眉を寄せて声をひそめた。


「察しが悪いですね。陰間も好むお客様、つまり両刀です。しっかりおもてなしするように」


 つまり、菊染と二人で客の相手をしろという事か。千寿の表情をみてとって、松風はふんと鼻を鳴らした。


「そんな顔はおやめなさい。梓と組むよりはましでしょう。何をされるかわかりませんよ」


「…わかりました…」


 どのみちやるしかないのだ。千寿は肩を落としながらとぼとぼと支度に向かった。
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