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新人遊女(2)
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刻は夕方、目抜き通りは人でごった返していた。通りには、夜の客を目当てにした屋台がところどころ出ている。
(うぅ…いい匂いだなぁ…次の客で何人目だっけ・・・長いのかな。お腹、すいたなぁ)
他の遊女たちは目もくれず素通りしていく。だが今朝から何も口にしていない千寿はお腹がきゅうきゅう鳴った。
「一杯、ください」
雑炊屋は目を丸くして椀を千寿に差し出した。
「どうも」
「…うまいかい」
「ふぁい」
飯を掻き込みながら千寿は生返事をした。
「みたとこ散茶女郎だね。そんながりがりで、食わせてもらってないのかい?」
「いえ、一応格子です」
「ほう。そうかい」
その本気にしていない口調に、千寿はちょっとムキになった。
遊女の格付けは太夫、格子、散茶の順だ。太夫、格子までは高級遊女といえる。
「うそじゃないですよ。胡蝶屋の者です」
すると雑炊屋はぽかんと口を開け、千寿の顔を見つめた。
「へえーっ。あの胡蝶屋の・・・。」
胡蝶屋は、ここ数年で売り上げがうなぎ登りになり、一気に高級店の仲間入りを果たしていた。その名をしらない者はこの吉原にいない。
「その童っこみたいな顔に赤いおべべ・・・もしかして、お前さんが最近噂の「千寿」ってかい?」
目を丸くした親父の言葉に、千寿はうっ、と米を詰まらせた。
この真っ赤な着物はただでさえ年より幼く見える千寿をますます子供のように見せているだろう。
わかってはいるが、そんな風に噂されているのかと思うと、情けなくて飯がまずくなる。
…だが今のところ、これしか商売用の着物がないのだ。
もっと稼いだら、ちゃんとした着物を買うぞ、絶対・・・。千寿は眉間にしわを寄せながら残りの雑炊をかきこんだ。
「ごちそうさまでしたっ」
とりあえず、飯を入れたら少し疲れもごまかせた。千寿は懐から紙を取り出し、歩き出した。
「えーっと、この揚屋は、この小路を入って…」
まだこの花街も来たばかりの千寿は、道にもよく迷う。
・・・新人なのに格子という格付けで、こうして少なからず稼げるのは、元舞姫という触れ込みが驚くぐらい客たちに効いたから…だけではない。
「あ、あったあった」
目の前に、揚屋の看板。
「なんとか間に合った・・・・」
千寿はぬき足さし足で、さりげなく一番すみの襖を開けた。すでに宴会が始まっていて、ずらりと芸者、遊女たちが居並んでいる。ここですっとまぎれこんでは、お大尽の目にはとまらない。
なので千寿は堂々とお大尽の前に進み出た。
「千寿にござります。遅れてしまった非礼、おわびいたします」
「そなたが千寿か。何でも…京の舞姫だったとか?」
京の舞姫というのは真っ赤な嘘だったが、千寿はうなずいた。
「ええ。よろしければ、ごらんに入れましょう」
千寿がそう言うと客は手を打って喜んだ。風流好みの客とみた。
「良いね良いね。上方者の舞を吉原で見れるとは!」
これから、この人数で夜通しどんちゃん騒ぎだ。ほどよく皆が酔いつぶれたころ、お大尽は気に入った遊女をさらに一夜買い上げる。これがまだ常連客をもたない新人遊女の間での正攻法の稼ぎ方だ。
売れっ子の梓は、客が途切れることがない。馴染みの客が次々と順番待ちで、梓に会いに来るのだ。
その間にも千寿は、見知らぬ男に酒を注ぎ、微笑みかけ、舞う。だんだんと千寿目当ての客も増えてきたが、まだまだ足りない。
だから舞いながら、千寿は思った。あのお大尽も、私のお客にしてみせる。
(たくさん稼げるようにならないと…。)
舞い終えた千寿の膝に、男の手が伸びる。
(だってこの街で自分の身を守るには、お金しかないんだから…。)
彼女はそれを笑って受け入れる。そして揚屋の夜は更けていく。
「なあ、千寿よ」
枕元で、うつらうつらと男がつぶやいた。
「…なんでしょう」
聞こえるかどうかわからぬほど密かな声で千寿は聞き返した。
「お前の舞をまた、見たいものだ・・・次は二人きりで…」
よし、かかった。そう思った千寿は伏せていた目を、ゆっくりと男の顔に向けた。
「こんなの初めてです、私…」
この男は上客だ。無理強いもしないし、金払いも良い。そう思った千寿は頭からつま先まで全身を駆使して彼を喜ばせるよう努めた。遊女は打算で、どう動くか考える。そして、相手の気に入るように体に触れ、睦言を囁く。
客の反応は様々だ。嘘とわかって楽しむ客もいる。だがより長く大金を落とし続けてくれるのは、遊女の嘘を本気で喜び、縋り付く客だ。高額の金と引き換えの行為だという事も忘れて…。
そんな風に客が本気になると、千寿は少し罪悪感を覚える。だがそれ以上に客をモノにしたという達成感が勝っていた。
だが、これはそういう勝負なのだ。嫌でも辛くても、心を殺してやらざるをえない。負けが続けば、みじめに野垂れ死にだ。
ここまで落ちた身だがそれは嫌だ。
「いらしてくれるのなら、私・・・・・待っています」
腕の中で男の顔を見上げ、いとおしげに微笑んだ。まるで本当に相手を好いているように。
男はさらに強く、千寿を抱きしめた。
(私に、こんな事ができるなんて意外だったな…それとも、これは全ての女に備わっている技術なのかな…)
千寿は胸の中でつぶやいた。しかしその声音は、勝利に酔う色も見下す色もない。
もはや彼女には夢も希望もない。ただ、諦観の色があった。
(うぅ…いい匂いだなぁ…次の客で何人目だっけ・・・長いのかな。お腹、すいたなぁ)
他の遊女たちは目もくれず素通りしていく。だが今朝から何も口にしていない千寿はお腹がきゅうきゅう鳴った。
「一杯、ください」
雑炊屋は目を丸くして椀を千寿に差し出した。
「どうも」
「…うまいかい」
「ふぁい」
飯を掻き込みながら千寿は生返事をした。
「みたとこ散茶女郎だね。そんながりがりで、食わせてもらってないのかい?」
「いえ、一応格子です」
「ほう。そうかい」
その本気にしていない口調に、千寿はちょっとムキになった。
遊女の格付けは太夫、格子、散茶の順だ。太夫、格子までは高級遊女といえる。
「うそじゃないですよ。胡蝶屋の者です」
すると雑炊屋はぽかんと口を開け、千寿の顔を見つめた。
「へえーっ。あの胡蝶屋の・・・。」
胡蝶屋は、ここ数年で売り上げがうなぎ登りになり、一気に高級店の仲間入りを果たしていた。その名をしらない者はこの吉原にいない。
「その童っこみたいな顔に赤いおべべ・・・もしかして、お前さんが最近噂の「千寿」ってかい?」
目を丸くした親父の言葉に、千寿はうっ、と米を詰まらせた。
この真っ赤な着物はただでさえ年より幼く見える千寿をますます子供のように見せているだろう。
わかってはいるが、そんな風に噂されているのかと思うと、情けなくて飯がまずくなる。
…だが今のところ、これしか商売用の着物がないのだ。
もっと稼いだら、ちゃんとした着物を買うぞ、絶対・・・。千寿は眉間にしわを寄せながら残りの雑炊をかきこんだ。
「ごちそうさまでしたっ」
とりあえず、飯を入れたら少し疲れもごまかせた。千寿は懐から紙を取り出し、歩き出した。
「えーっと、この揚屋は、この小路を入って…」
まだこの花街も来たばかりの千寿は、道にもよく迷う。
・・・新人なのに格子という格付けで、こうして少なからず稼げるのは、元舞姫という触れ込みが驚くぐらい客たちに効いたから…だけではない。
「あ、あったあった」
目の前に、揚屋の看板。
「なんとか間に合った・・・・」
千寿はぬき足さし足で、さりげなく一番すみの襖を開けた。すでに宴会が始まっていて、ずらりと芸者、遊女たちが居並んでいる。ここですっとまぎれこんでは、お大尽の目にはとまらない。
なので千寿は堂々とお大尽の前に進み出た。
「千寿にござります。遅れてしまった非礼、おわびいたします」
「そなたが千寿か。何でも…京の舞姫だったとか?」
京の舞姫というのは真っ赤な嘘だったが、千寿はうなずいた。
「ええ。よろしければ、ごらんに入れましょう」
千寿がそう言うと客は手を打って喜んだ。風流好みの客とみた。
「良いね良いね。上方者の舞を吉原で見れるとは!」
これから、この人数で夜通しどんちゃん騒ぎだ。ほどよく皆が酔いつぶれたころ、お大尽は気に入った遊女をさらに一夜買い上げる。これがまだ常連客をもたない新人遊女の間での正攻法の稼ぎ方だ。
売れっ子の梓は、客が途切れることがない。馴染みの客が次々と順番待ちで、梓に会いに来るのだ。
その間にも千寿は、見知らぬ男に酒を注ぎ、微笑みかけ、舞う。だんだんと千寿目当ての客も増えてきたが、まだまだ足りない。
だから舞いながら、千寿は思った。あのお大尽も、私のお客にしてみせる。
(たくさん稼げるようにならないと…。)
舞い終えた千寿の膝に、男の手が伸びる。
(だってこの街で自分の身を守るには、お金しかないんだから…。)
彼女はそれを笑って受け入れる。そして揚屋の夜は更けていく。
「なあ、千寿よ」
枕元で、うつらうつらと男がつぶやいた。
「…なんでしょう」
聞こえるかどうかわからぬほど密かな声で千寿は聞き返した。
「お前の舞をまた、見たいものだ・・・次は二人きりで…」
よし、かかった。そう思った千寿は伏せていた目を、ゆっくりと男の顔に向けた。
「こんなの初めてです、私…」
この男は上客だ。無理強いもしないし、金払いも良い。そう思った千寿は頭からつま先まで全身を駆使して彼を喜ばせるよう努めた。遊女は打算で、どう動くか考える。そして、相手の気に入るように体に触れ、睦言を囁く。
客の反応は様々だ。嘘とわかって楽しむ客もいる。だがより長く大金を落とし続けてくれるのは、遊女の嘘を本気で喜び、縋り付く客だ。高額の金と引き換えの行為だという事も忘れて…。
そんな風に客が本気になると、千寿は少し罪悪感を覚える。だがそれ以上に客をモノにしたという達成感が勝っていた。
だが、これはそういう勝負なのだ。嫌でも辛くても、心を殺してやらざるをえない。負けが続けば、みじめに野垂れ死にだ。
ここまで落ちた身だがそれは嫌だ。
「いらしてくれるのなら、私・・・・・待っています」
腕の中で男の顔を見上げ、いとおしげに微笑んだ。まるで本当に相手を好いているように。
男はさらに強く、千寿を抱きしめた。
(私に、こんな事ができるなんて意外だったな…それとも、これは全ての女に備わっている技術なのかな…)
千寿は胸の中でつぶやいた。しかしその声音は、勝利に酔う色も見下す色もない。
もはや彼女には夢も希望もない。ただ、諦観の色があった。
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