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優しい牢獄(築城END)

ジレンマ

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築城が去ったあとの扉を、玲奈はしばらくぼんやりと眺めていた。

(あ、野菜炒め)

 キッチンに作った料理がそのままだったことを思い出して、やっと玲奈はその場から動いた。

(どうしよ)

 二人分作ってしまったが、もう先生は来ないと言っていた。玲奈はどこか麻痺したような頭で、一人分をとりわけ、残りを冷蔵庫にしまった。

 何をするにも、とりあえず食べなければならない。

(もう二人とも来ないって…自由って、本当?)

 あんなに望んでいた自由。でも学校へ一人で行くことを考えると、背中が冷たくなった。

(どう…弁解しよう)

 この数か月消えていたことを、どう説明しよう。もし失踪届でも出されていて警察沙汰になったらどうしよう。

(けどまぁ…市ノ瀬はそんな事しないか)

 一人でひたすら食べながら考えていると、だんだんと冷静さが戻ってきた。

(さすがに監禁されていたとは言えないから…うーん、体調が悪かったってことで、なんとかならないかなぁ…)

 玲奈はあれこれシミュレートしながら、一人で眠りについた。



 あまり一目に着かないよう、玲奈は早い時間にマンションを出て学校へ向かった。職員室に足を踏み入れたとたん、即校長室に通され、あれこれ聞かれた。粘った結果、校長は玲奈の希望を聞き入れて、足りない分の補講を組んでくれることになった。今までの努力が無駄にならずにすんで、玲奈はほっとした。

ただし、もう無断で休むことは許されないと言われた。玲奈はそれを約束し、校長室を出た。

(あ…先生)

 ちょうど出勤してきた所なのか、築城が職員室へ入ってきた。玲奈は思わず彼を見てしまったが、築城は見事に玲奈を無視した。

(そっか…もうただの、先生と生徒なのか)

 こうなると、もう挨拶すらためらわれた。玲奈は逃げるように職員室を後にした。
 築城は、玲奈をちらりとさえ見なかった。玲奈の中にもやもやとした不満が沸き起こって、思わず唇を噛んだ。

(…あんなこと、したくせに)

 玲奈を好きといったのに。俺のすべてはお前のものだと言ったあの言葉は、嘘だったのだろうか?

 そんな考えがちらりとよぎって、玲奈はあわてて首を振った。

(何考えてるんだ、私は。お互いのために無視してるのに…)

 だが、いくらそう考えても、すっきりしない。玲奈はやるせない気持ちで教室へ向かった。登校してきている生徒たちが、玲奈をちらちら見て何事かささやいていた。

(あ…三上くん)

 その時、玲奈は階段を上がってきた学に気が付いた。彼は驚いてこちらを見ていた。しかし次の瞬間、玲奈を無視して歩き出していた。

(み、皆に無視されてる…!?)

 焦った玲奈は、学の背中を追いかけて声をかけた。

「三上、くん!」

 彼は振り向いて、玲奈をまじまじと見た。信じられないという顔だった。

「…やっぱり、葦原、さん…?」

「そうだよ…元気、してた?」

「ああ。そっちは大丈夫だったのか?なんでいきなり」

 玲奈は下を向いた。

「いろいろ、あって…」

 彼はまっすぐこちらを見ているのに、玲奈はまっすぐ彼の目を見つめることができなかった。昨日までの日々の事が、頭によみがえる。学の前に立っていることすら、身が縮むような思いだった。

「そうか…心配、した。でもよかった」

 かけられる優しい言葉が、かえってつらかった。

(私は…三上くんにそう言ってもらえる価値なんて…ない)

 あのマンションで起こったことは、玲奈を変えてしまった。もはや彼の前に立っても、申し訳ないという気持ちしか起こらなかった。自分がとても汚れているように感じられた。

「三上くん…ごめんなさい」

「え?」

「約束…守れなくなっちゃった…」

 学の目が、少し見開かれた。

「覚えて、いたのか」

 玲奈はかろうじて笑みを浮かべた。

「もちろんだよ。ずっと…覚えてた。でも、ごめんなさい。もう私…」

 学は首を振った。

「辛いなら、何も言わなくていい」

「ありがとう、三上くん…三上くんが言ってくれたこと、嬉しかったよ」

「…ああ」

「三上くんの受験も、家のことも…上手くいくように祈ってるね」

 自分から、彼との約束を反故にするのは辛かった。玲奈は涙をこらえて、言いたいことを伝えた。

「学くんは、まっすぐで、頑張り屋だから…きっと何もかもうまくいくと思う。今まで…ありがとう」

 勇気を出して学を見上げると、彼は心配そうにこちらを見ていた。玲奈は耐えられなくなって、彼に背を向けて教室へ向かった。

(ごめん、ごめんね…けどきっと三上くんには、もっといい人が現れるはず…)

 彼の幸せを祈って、私は自分の問題と向き合わなければいけない。玲奈はそう決意した。



 クラスメイトは、腫物を触るように玲奈に接した。築城も、玲奈を避けているので接触することはほぼない。が、玲奈は努めて冷静に、孤独に受験勉強にいそしんだ。やる事だけはたくさんある。

冬休みに入り、補講の担当をしてくれる担任の女性教師は、玲奈が一通り問題を解けるのを見て驚いたようだった。

「センター対策はほぼ完ぺきだね。築城先生も安心だろうよ」

 他の教師からその名前が出て、玲奈はどきっとした。

「…そう、ですか」

「だいぶ葦原さんの事心配してたからね。補講を組むよう他の教師に頼み込んでたのは彼だよ。あんな熱血な一面があったとはね」

 黙り込んでしまった玲奈を見て、教師は言った。

「葦原さん、あとで先生にお礼でも言ったほうがいいよ」

 心のなかに、いろんなものがあふれそうになったが、玲奈はひとことだけ返した。

「…そうします」

 補講を終え、ひとりであのマンションへ帰るお正月。豪華なマンションは、だだっ広く、とても寂しく感じた。

 出ていく事もできたが、市ノ瀬の所に戻るのは不安があったし、この空間ともはや離れがたくなっていた。

(なんでだろう…快適、だから?)

 たしかに広いベッドやバスルームは快適だ。だが、それだけだろうか。

(それだけじゃない、私は、私は…)

 玲奈は頭をかかえた。考えたくなかった。そこで自分に喝をいれた。

(何を呆けてるんだ、私は!明日は数学の補講だ、予習しないと)

 問題を解き始めれば、一時的に考えることはやめられる。それはすでに知っているライフハックだったので、玲奈は存分に活用した。



 そんな事を考えていたからか、誰もいない廊下で築城に遭遇してしまった。

「おはよう」

 築城は努めて教師らしく、玲奈に挨拶した。

「おはよう…ございます」

 築城はそのまま玲奈とすれ違い、通り過ぎた。

「先生、」

 玲奈は思わず彼を呼び止めた。

「?」

 怪訝そうにこちらを見る彼の目は、完全に教師が生徒を見る目でしかなかった。だけど玲奈はおもわず言っていた。

「先生、私…」

 先生の、ことが。



(!?!?!?!)

 そこで目が覚めた玲奈は、布団の中で頭を抱えた。

(夢かよ…!!!)

 悪態をつきたい気分だった。私が、まさか、築城を?
 あんな事を、されたのに?

(嘘だ嘘だ、何かの間違いだ)

 玲奈は寝返りを打ってもう一度寝ようとした。だが。
 このベッドで、二人で寝ていたこと。
 甘え方がわからないといった玲奈を、抱きしめてくれたこと。
 死ぬほどセックスしたこと。
 そんな事が頭に次々と浮かんで、玲奈の身体を震わせた。あの熱い腕が、濡れた目が忘れられない。

(くっそ、もう、最悪だ…)

 玲奈は内心でそう悪態をついた。だけどそれは、どこか諦めも含まれた悪態だった…。
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