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第二部 王様の牢屋
さようなら
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次の朝。寒い中外に出ていくのは、やりきれない思いだった。だけどハヤトは無理をして笑顔をつくった。
「じゃあね、玲奈」
「うん、気を付けてね」
またハヤトがあさってくると思っている玲奈は、ドライにうなずいた。それでいい、とハヤトは思った。
(さよならなんて、玲奈の口からききたくない)
聞いてしまえば、自分を保てなくなってしまうかもしれない。だからこれでお別れだ。明日からもう会わないのは、ハヤトだけが知っている。
だけど何も言わないという事もまたできなかった。
「玲奈…ずっと、大好きだよ」
振り返ってハヤトはそう言った。そして玲奈がちょっと目を見開いて、何か言う前に笑ってドアを閉めた。
(俺からは…言えなかったよ、さよならなんて)
マンションを出ると、冬の冷たい風が吹きつけてきた。久々に家に帰って、これからの事を考えよう。少しでも未練を減らすために。
(だけどまぁ…辛いんだろうな)
玲奈を失った痛手は、これからずっとハヤトを苦しめ続けるだろう。
(でも、これは痛くて当たり前の事だ。俺たちは玲奈を、無理やり閉じ込めたんだから)
この痛みを罰として、ずっと覚えておこう。そして痛むたびに、自分は頑張ればいい。
そう思うと、痛みもまた甘美な気がしてくるのだった。
ハヤトと最後の連絡を取った。どうやら彼は、玲奈に言えなかったようだ。
(俺に丸投げか…)
だがまあ、しょうがないだろう。こんなことは、年長者の自分がやるべき事なのだ。そう意を決して、いつものようにドアを開けた。
「おかえりなさい、先生」
玲奈が築城に抱き着いて、頬にキスをした。そして両腕を首に回した。
「…これ、」
築城は首に巻かれたマフラーを手にとった。
「ふふ、なんとか完成したよ」
玲奈はそう言って笑った。築城はすでに胸が潰れそうだった。
「…ありがとうな」
とりあえず築城は玄関のドアを閉めた。だけどこれ以上、上がる気はなかった。
引き延ばしたって、空しいだけだ。もう、今ここで、終わりにするのだ。
「玲奈、問題だ」
ここにいる間、幾度となく勉強を見てやった。部屋の隅につまれた参考書のすべてを、玲奈は諳んじるほどにしつくした。こんな頑張れる生徒を、築城は初めて見た。
「I will release you.」
玲奈は考え込む顔つきになった。苦手なリスニングで、眉間によった皺も可愛い。
「私は…あなたを、解放、する?」
「そうだ」
築城は玲奈の手の鎖を、かちゃんと外した。
「行っていいよ。このドアは、もう玲奈にも開けられるように設定してある」
「えっ…」
突然のことに、玲奈は立ち尽くした。
「…本当は、先月くらいからハヤトと話してたんだ。玲奈を放してやろうって」
「そう…なの?」
どうりで昨日のハヤトの様子がおかしかったわけだ。
「だからもう、行っていい。出席日数が足りないから補講を受けないと」
「いいの?でも…なん、で」
「わからないのか?」
築城の目が眇められた。
「お前の事が、大事だからだよ」
「せ、先生…」
驚いて固まる玲奈に触れたい衝動を、築城は必死でこらえた。もうこの瞬間から、玲奈は築城のものではないのだ。
「こんな状況なのに、勉強、よくがんばったな、えらいよ」
玲奈はまだとまどっているようだった。築城はもう一度言った。
「えらかったよ。玲奈みたいに頑張れるやつは、玲奈だけだ。」
玲奈の目が見開かれた。その目が潤んでいる。それを見て自制心が効かなくなりそうになって、築城は目をそらした。
「冬休みの補講は俺が手回ししとく。俺のせいだしな」
「わかった…」
「帰る所はあるか?」
玲奈はとっさにうなずいた。
「う、うん。大丈夫」
「そうか…じゃあ、俺は行くから」
築城は最後に、白い箱を玲奈に渡した。
「これ、新しい携帯。こんなものじゃ、詫びにもならないけど」
「あ、ありがとう…」
「この部屋は、年度末までは借りてるから。ゆっくり荷物をまとめて出ていっても大丈夫だからな」
そういって築城は、最初に玲奈が持っていたリュックを差し出した。それを受け取りながら玲奈は聞いた。
「せ、先生は、もう来ないの?」
「ああ。…俺を警察に突き出してもかまわない。それだけの事をしたからな。でも、学校には早いところいってくれ。」
「そんなこと…しないよ。でも学校には、行くね」
築城はドアを開けた。
「よかった。じゃあな」
出ていくとき、築城は玲奈を見ないようにした。
…いや、見れなかったのだ。もう、体が崩れ落ちてしまいそうだった。
(だけど…これしかないんだ。後悔するなら、最初から、しなければよかっただけの事だ)
そう言い聞かせながら、築城はエレベーターに乗った。
(大丈夫、俺は大人だ。なんとかなる。明日からは玲奈とは、教師と生徒だ…やってみせなければ)
心の中ではそう繰り返すものの、手も足も震えが止まらない。
(ダメだ…酒を飲もう。今夜は、そうするしかない)
先ほどのキスの感触が、まだ頬に残っている。築城は無意識にそこをこすりながら、伝い落ちてきた涙を振り払った。
「じゃあね、玲奈」
「うん、気を付けてね」
またハヤトがあさってくると思っている玲奈は、ドライにうなずいた。それでいい、とハヤトは思った。
(さよならなんて、玲奈の口からききたくない)
聞いてしまえば、自分を保てなくなってしまうかもしれない。だからこれでお別れだ。明日からもう会わないのは、ハヤトだけが知っている。
だけど何も言わないという事もまたできなかった。
「玲奈…ずっと、大好きだよ」
振り返ってハヤトはそう言った。そして玲奈がちょっと目を見開いて、何か言う前に笑ってドアを閉めた。
(俺からは…言えなかったよ、さよならなんて)
マンションを出ると、冬の冷たい風が吹きつけてきた。久々に家に帰って、これからの事を考えよう。少しでも未練を減らすために。
(だけどまぁ…辛いんだろうな)
玲奈を失った痛手は、これからずっとハヤトを苦しめ続けるだろう。
(でも、これは痛くて当たり前の事だ。俺たちは玲奈を、無理やり閉じ込めたんだから)
この痛みを罰として、ずっと覚えておこう。そして痛むたびに、自分は頑張ればいい。
そう思うと、痛みもまた甘美な気がしてくるのだった。
ハヤトと最後の連絡を取った。どうやら彼は、玲奈に言えなかったようだ。
(俺に丸投げか…)
だがまあ、しょうがないだろう。こんなことは、年長者の自分がやるべき事なのだ。そう意を決して、いつものようにドアを開けた。
「おかえりなさい、先生」
玲奈が築城に抱き着いて、頬にキスをした。そして両腕を首に回した。
「…これ、」
築城は首に巻かれたマフラーを手にとった。
「ふふ、なんとか完成したよ」
玲奈はそう言って笑った。築城はすでに胸が潰れそうだった。
「…ありがとうな」
とりあえず築城は玄関のドアを閉めた。だけどこれ以上、上がる気はなかった。
引き延ばしたって、空しいだけだ。もう、今ここで、終わりにするのだ。
「玲奈、問題だ」
ここにいる間、幾度となく勉強を見てやった。部屋の隅につまれた参考書のすべてを、玲奈は諳んじるほどにしつくした。こんな頑張れる生徒を、築城は初めて見た。
「I will release you.」
玲奈は考え込む顔つきになった。苦手なリスニングで、眉間によった皺も可愛い。
「私は…あなたを、解放、する?」
「そうだ」
築城は玲奈の手の鎖を、かちゃんと外した。
「行っていいよ。このドアは、もう玲奈にも開けられるように設定してある」
「えっ…」
突然のことに、玲奈は立ち尽くした。
「…本当は、先月くらいからハヤトと話してたんだ。玲奈を放してやろうって」
「そう…なの?」
どうりで昨日のハヤトの様子がおかしかったわけだ。
「だからもう、行っていい。出席日数が足りないから補講を受けないと」
「いいの?でも…なん、で」
「わからないのか?」
築城の目が眇められた。
「お前の事が、大事だからだよ」
「せ、先生…」
驚いて固まる玲奈に触れたい衝動を、築城は必死でこらえた。もうこの瞬間から、玲奈は築城のものではないのだ。
「こんな状況なのに、勉強、よくがんばったな、えらいよ」
玲奈はまだとまどっているようだった。築城はもう一度言った。
「えらかったよ。玲奈みたいに頑張れるやつは、玲奈だけだ。」
玲奈の目が見開かれた。その目が潤んでいる。それを見て自制心が効かなくなりそうになって、築城は目をそらした。
「冬休みの補講は俺が手回ししとく。俺のせいだしな」
「わかった…」
「帰る所はあるか?」
玲奈はとっさにうなずいた。
「う、うん。大丈夫」
「そうか…じゃあ、俺は行くから」
築城は最後に、白い箱を玲奈に渡した。
「これ、新しい携帯。こんなものじゃ、詫びにもならないけど」
「あ、ありがとう…」
「この部屋は、年度末までは借りてるから。ゆっくり荷物をまとめて出ていっても大丈夫だからな」
そういって築城は、最初に玲奈が持っていたリュックを差し出した。それを受け取りながら玲奈は聞いた。
「せ、先生は、もう来ないの?」
「ああ。…俺を警察に突き出してもかまわない。それだけの事をしたからな。でも、学校には早いところいってくれ。」
「そんなこと…しないよ。でも学校には、行くね」
築城はドアを開けた。
「よかった。じゃあな」
出ていくとき、築城は玲奈を見ないようにした。
…いや、見れなかったのだ。もう、体が崩れ落ちてしまいそうだった。
(だけど…これしかないんだ。後悔するなら、最初から、しなければよかっただけの事だ)
そう言い聞かせながら、築城はエレベーターに乗った。
(大丈夫、俺は大人だ。なんとかなる。明日からは玲奈とは、教師と生徒だ…やってみせなければ)
心の中ではそう繰り返すものの、手も足も震えが止まらない。
(ダメだ…酒を飲もう。今夜は、そうするしかない)
先ほどのキスの感触が、まだ頬に残っている。築城は無意識にそこをこすりながら、伝い落ちてきた涙を振り払った。
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