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第一部 高嶺の蝶

地獄の人生ゲーム

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携帯が光った。玲奈はコンビニから出て、駐車場にとまった黒いSUVに乗り込んだ。


「…で、どうでした?」


 助手席に座って間髪入れず玲奈は聞いた。


「会議で、なんとか最後に残った枠に葦原を押し込むことができた」


「そう。推薦書はよく書いてくれました?」


「ああ。お前の生活環境でしぶる教師もいたが…説得して、なんとか納得してもらった」


 都築は機嫌を伺うような卑屈な目で玲奈を見た。以前の頼れる都築はもうどこにもいない。廊下ですれ違うだけで顔を赤らめるような変態と化してしまった。


…だが、彼のおかげで受験が有利になっていることは確かだ。裏切られ嫌な思いをさせられたとはいえ、少しは感謝してやってもいいと玲奈は尊大に思った。


「それはどうも。今後もよろしくおねがいしますね」


 玲奈は久しぶりに都築と目をあわせ、にっこり笑って礼を言って車を降りた。


「ちょ、ちょっとまて、ちょっと」


「なんです?」


「い、一緒に飯でも、どうだ」


「え…忙しいんで」


「出勤までは、まだあるだろ。仕事場まで送っていくから、なんでも好きなもん…」


「んー…」


 あまり無碍にすると、命令通り動かなくなるかもしれない。客管理と同じで、アメとムチだ。そう思った玲奈は頭に浮かんだ食べ物を口にした。


「じゃあ焼肉たべたい」


 都築の顔がぱっと明るくなった。


「焼肉か!それならいい店を知ってる。行こう」


 店の駐車場で、玲奈は都築を先に車から降りさせた。


「着替えるんで。背を向けて立っててください。のぞいたら許さないから」


 さすがに制服ではまずいかと、玲奈は鞄の底の私服に着替えた。今日はベージュのタイトワンピースだ。胸元は黒いレースのシースルーになっていて、すっぴんで着ると少しミスマッチになる。

が、相手は都築なのでどうでもいい。玲奈はとっとと着替えて車から降りた。都築は貪るような目で玲奈を見た。


「し、私服…か。初めて見た」


いちいち気持ち悪い男だ。玲奈は冷たい一瞥をくれると無言で店に向かって歩き出した。

 だが、後ろを黙ってついてくる築城を見て、玲奈の胸に一抹の居心地の悪さがよぎった。


(…先生だった人を、こんな顎で使って、脅して悪い事をさせてる私って…)


 いつかバチがあたるんじゃないだろうか。ひやりとした。だけどもう一人の自分がささやく。


(何を弱気な事を言ってるの?こいつのした事わすれたの?)


 自分に伸ばされた義父のむっちりした手。スカートの中に入ってきた義兄の手。そして今まで無数に注がれてきた無遠慮なまなざし、声掛け。

さまざまな男たちからの暴力が玲奈の脳裏によみがえった。


 そうだ、あいつらはこちらから奪おうを手を伸ばしてくる。盗人だ。だからそんな奴からは、こっちが奪ったっていいんだ。


階段から落ちた義父。玲奈のうそに金をつぎこむ客たち。みんな自業自得だ。ぼんやりしてたら、こっちが身ぐるみを剥がれて何もかも奪われるのだ。

そうなる前に、こちらが奪う。なるだけ多く。あの男みたいに命をとったってかまわない。


賞金はその都度変わる。今回の場合は奨学金。そういうルールだ。


これこそ玲奈の人生ゲームだった。アガリにたどりつきたいなら、立ち止まることは許されない。一ノ瀬が教えたように、搾り取れるだけ搾り取るのだ。


(私に手を出したこと、後悔させてやる)







 鉄板の上で焼かれた、脂の滴る一切れの肉。それが玲奈の桃色の唇に運ばれ、消えていくのをただただ築城は見ていた。

 玲奈の動作は全く大げさではない。むしろ子供にしては控えめなくらい最小限の動きで食事をしている。上品と言っていいくらいだ。なのに、その箸の先の唇から築城は目が離せなかった。

玲奈は脂で光る唇を少し舐め、次の肉を鉄板から取った。白い粒揃いの歯がのぞき、肉を噛む。肉は玲奈のくちの中でちぎれ、唾液と一緒になって玲奈にのみこまれ、すんなりとした体におさまり玲奈の一部になるのだろう。


(ああ、あの肉になりたい)


 もうろうとしながら、築城はそんなことを思った。玲奈との上下関係が逆転してから、築城はどこかおかしくなっていた。

玲奈にさげすまれるとわかっているのに、盗み見するのが止められない。その目線を受けると、どうしようもないほど興奮している自分がいた。


「そんな凝視されると気持ち悪いんですけど」


 玲奈の鋭い視線が築城に向けられた。とたんに都築は気弱に目をそらして謝罪した。玲奈はいらっとしたのか、足を組んで吐き捨てるようにいった。


「本当、変態ですね先生は。他の生徒たちが本性知ったら、がっかりですね」


 都築の頬は紅潮した。その通りだと、悪い事だと自分でもわかっていた。だが…


「私もがっかりですよ。先生のこと信頼していたのに。私のことずっと盗撮してたなんて。ほんと最低」


「それは…申し訳、なかった」


「なんで変態なのに教師になろうなんて思ったんですか?…どうせ初めてじゃないんでしょ?それで私が卒業したら他の子に同じことするんでしょ?ばれる前にとっとと転職したほうがいいですよ」


 玲奈は容赦なくそう続けた。築城は慌てて反論した。


「ち、ちがう。葦原以外、写真を撮ったりしたことはない。これからもない。俺は…ただ…」


「私だけ?どうだか。女子高生好きの変態なんでしょ、先生は」


「違う!葦原、お前だからだ。言ったろう、俺はずっとお前のことを…」


「もう聞きました。だから二度と聞きたくありません」


 玲奈はそう冷徹に言って食事を再開した。


「許しては…くれないか」


 築城は顔を上げて卑屈な目で玲奈を見つめた。


「許すもなにも。利害が一致したから、今こうしてるだけでしょ。もう先生のこと先生とは思ってませんから」


「でも俺は…葦原のために…」


 成績を書き換えて送った。答案を教えもした。玲奈のために、教師としての法則を築城はたくさん破った。築城にとってはリスクであった。


(それも、仕方のないことかもしれない…だけど)


 築城の思いを読んだかのように、玲奈は目を細めてちらっと築城を見た。


「…わかってますよ、先生が私のためにやりたくないことしてくれたのは。でもそれも、先生がもともと悪い事したからでしょう」


「…お前を好きになったのは…悪い事…か」


 途端に玲奈は切れて足を出した。いきなり脛を蹴られた築城はうっとうなった。


「うるさい!そういう気色悪いこと、もう二度と言うなッ」


 蹴られた脛が、痛み以上に熱い。今まで教師と生徒という関係でしかなかった玲奈にゴミのように見下され、さげすまれているという事実に築城の体の熱は広がった。


「…なにぼんやりしてるんです?頭平気ですか?」


 無反応の築城に、さすがの玲奈も気味が悪くなったのか声をかけた。


「ちょっと…そんな、強く蹴ってないでしょ」


「ああ…へ、平気だ」


 まるで盛りのついた思春期のころのように、情けないほど勃起している。このことが玲奈にばれたら、またののしられるだろうか…内心そう思いながら、築城はとりつくろった。が、玲奈は何か気が付いたようだった。


「まぁ…先生は変態のドMですもんね。生徒に金蹴りされてイっちゃうような」


「なっ…」


 突然玲奈の口から出た過激なことばに、築城は面食らった。


「ばれてますよ。先生がずーっと学校でも、さっきも、今も、私のこといやらしい目で見て興奮してるの」


 言い当てられたショックと興奮で、築城の目は泳いだ。玲奈は口のはしに笑みを浮かべて築城を見下すように見た。まるで地獄の玉座に座る悪魔のように。


「もう、そんなことでショック受けたりしませんよ。慣れてますし。先生のことむかつくし、嫌いだけど…これからも私の言うとおりにしてくれれば、ご褒美も考えるよ」


「…ごほうび」


 玲奈はその小さい顔を少し傾けた。


「そうですねぇ…ちゃんと奨学金の申請が通ったら、先生と一晩一緒に過ごしてあげてもいいですよ」


「ほ…本当か」


「一緒に過ごすだけですよ。ヤるのは嫌。でも先生がしてっていうなら…」


 玲奈は靴のまま、そっと足を築城の足の間にあてた。


「いじめてあげても、いいよ?」


 …断れるはずが、なかった。
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