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第一部 高嶺の蝶

どこへ行っても嫌われるのは

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市ノ瀬と出会ったのは一年前。葬式の席でのことだった。 

 玲奈は葬式になど出たくなかった。できることなら人目を避けてずっと屋根裏にでも隠れていたかった。が、世間の目を気にする義母がそれを許さなかった。

 葬儀も通夜でも人目にさらされる一番前の親族席で、玲奈は石のように固くなってずっと座っていた。聞きたくなくとも、周りの声は聞こえてくる。


(あの娘が例の・・・?へぇ、どおりで。おっそろしいね)


(そう。そう。あれを引き取ってから昭さん、どうも様子が・・・)


(衿子さんは気がついてたのか?)


(そりゃあね。もともと女にだらしない人だったから)


(階段から落ちて脳震盪で・・・って、本当のところはどうなんだ)


 誰も玲奈に話しかけない。無視して目もあわせない。にもかかわらず弔問客は露骨に玲奈の存在を意識していた。まるで台風の目にいるような心地だった。


 義母の衿子がひた隠しにしたはずの事実は、どうも半分以上は外に漏れているようだった。玲奈は膝の上においた拳をぎゅっと握り締めてひたすらに視線に耐えた。が、太ももに手をおかれてぎょっとした。


(なに?)


 横を見ると、義理の兄が薄ら笑いを浮かべながら玲奈の制服のスカートに手を入れようとしていた。玲奈は目をそらし、感情が顔に出るのを抑えて静かに立ち上がった。


(気持ち悪い・・・・どいつも、こいつも)


 義父も義兄も、玲奈を見る目は同じだった。母が死んで身寄りのなくなった玲奈を引き取るとき、義父の昭も同じ薄ら笑いを浮かべていた。


 またか、と玲奈は思った。値踏みする目も憎まれる目も、玲奈にはおなじみのものだった。

昔からどんな場所へいっても、玲奈は仲間はずれにされたり暴力を振るわれたりする。泣きながらどうしてと訴える小さい玲奈に、母はこう言った。


「世の中ね、きれいな羽を持つ蝶や小鳥を見ると、わけもなくつかまえたり、いじめたくなる人が大勢いるのよ」


「なんで?」


「自分と違うからよ。それに・・・きれいなものを手に入れたいと思っても入らなかったら、逆に憎むのよ」


「じゃあ・・・じゃあ私はどうすればいいの?」


「自分を強く持つことよ。正直に生きていれば、見ていてくれる人がいるわ。外見なんか関係なくね」


 言われた時は幼すぎてその意味がちゃんとわからなかった。だがもう高校生の玲奈には、わかりすぎるほどわかっていた。


 母の助言が優しいきれいごとで、人はそんなに甘くはないことも。


 水際立った容姿を持つ玲奈はどこにいても浮いてしまう存在だった。トンボの群れの中に一匹のアゲハチョウがいるように、その違和感は異様なほどだった。


 大勢の男の子が玲奈の外見に惹かれ近寄ってきた。だが玲奈が自分の意のままにならないとわかると彼らは残酷なほど手のひらを返して、玲奈を傷つけた。


 残酷さで言えば、女の子も引けをとらなかった。一目見た瞬間から仲間はずれにされたことは一度や二度ではない。優しくしてくれる人も中にはいた。だが結局最後は憎まれた。好かれたくても、玲奈にはどうしようもできなかった。


 ずっとそんな人生だった。だから玲奈は自分を守るため、石になったり貝殻に閉じこもったりする術を覚えていった。外にいる間は石になっていればなんとか乗り切れた。だが母の死で、その生活は壊れた。


 自分を見る義父の視線を受けて、玲奈は絶望で全身の力が抜けるようだった。


(もう、私が石にならなくてすむ場所は、ひとつもないんだ・・・)


 義父は最初は玲奈に優しく近づいてきた。逆に義兄は最初から高圧的だった。だがどちらも玲奈からすれば同じだった。彼らの目的は一つなのだから。


――玲奈を捕まえて、その羽を毟って楽しむつもりなのだ。


 2人の手から逃れるため、あらゆる知恵を絞った数ヶ月だったが、ある日の昼下がり、決定的な事が起こった。

 義兄も義母も外出していた日曜日。当然玲奈も外へ逃げるつもりだった。だが、遅く起きてきた義父が玲奈を呼び止めた。危険を察知した玲奈はとっさに逃げようと階段を登った。それがよくなかった。


 義父は階段の途中で玲奈に追いつき、玲奈はそれを振り払い・・・・・


 これが、事の顛末だった。だが外聞を気にする義母によって、義父の死は事故として片付けられた。恐怖と憎悪の入り混じった目で、彼女は玲奈を見た。


(私・・・これからどうすればいいんだろう)


 逃げ込んだトイレの個室で、玲奈はうなだれた。義父と義母は仲が良かったとはいいがたい。だが、彼女はきっと玲奈を許しはしないだろう。


 その時、コンコンとドアがノックされ玲奈は飛び上がった。慌てて個室から出ると、そこには弔問客の一人であろう、黒いスーツの男がいた。


(!?)


 危険を感じた玲奈は反射的に身を翻した。が、男はのんびりと玲奈に声をかけた。


「驚いたか?わりぃな。あんた、美香の娘だろう?」


 母の名を出されて、さすがの玲奈も振り向いた。


「・・・そうですが・・・何か?」


 男は廊下のイスに腰掛け、玲奈にも座るよう促した。堅気でないような、どことなく荒んだ雰囲気のある男だったが、その目は冷静だった。玲奈はとりあえず座ることにした。義兄の隣に戻るよりはましだ。


「俺は市ノ瀬。美香の従兄弟だ。あんたからしたら遠い親戚ってとこだな」


「はぁ…」


 見たことも聞いたこともない、全く初対面だった玲奈は曖昧にあいずちをうった。市ノ瀬はそんな玲奈を見やった。


「…なかなか辛い立場にあるみたいだな、見たところ」


 玲奈は薄く笑った。


「…噂話でも聞きましたか」


「聞かなくても、たいていの事はわかる。美香も苦労してたからな」


「市ノ瀬…さんは、母とはどういう…?」


 おそるおそる玲奈はきいた。こんな怪しげな男と、母は何か関係があったのだろうか。


「一時期、一緒に働いていた。あんたが生まれるまえの昔の事だけどな」


「働いて?どこでですか」


「俺の店だよ」


 店といわれて、玲奈はスーパーやレストランを思い浮かべた。


「市ノ瀬さんの店で、バイトしてたんですか?」


 市ノ瀬は、ははっと乾いた笑い声を上げた。


「そうだな、バイトじゃなくて、個人事業主だな。美香は相当稼いでいた。一日で100万稼いだ晩もあった」


 玲奈は少し身構えて言った。


「それはつまり・・・夜の仕事という事でしょうか」


 市ノ瀬は玲奈を認めたようにニヤリと笑った。


「その通り。察しがいいな。美香に似て頭もいいのか。学校の成績はどうだ?」


 自慢ではないが、テストではいつも10番以内だった。友達のいない玲奈は放課後も休み時間も、勉強くらいしかすることがなかったからだ。


「…悪くはないです」


 かすかに得意げな響きを見て取って、市ノ瀬は満足気にうなずいた。


「だろうな。だが勉強をがんばっても、今あんたの辛い状況はどうにもならないだろう」


 それは、その通りだった。早く高校を卒業して自立したかった。

だが、どうやって…?どこにいっても嫌われる自分が、働ける場所なんてあるんだろうか。


 市ノ瀬は、すべて見透かすような目でそんな玲奈を見た。


「お前のような女が上手くやっていける場所はただひとつ、水商売の世界だ。」


「えっ」


 戸惑う玲奈に、一ノ瀬は畳みかけるように言った。


「卑しい職だと思うか?だが夜の仕事なら、お前の顔は最高の武器だ。堂々と胸を張って仕事ができるぞ。誰にも遠慮することなんてない。より多く男の目線を集めた女が勝ちの世界だ。どうだ、楽勝だろう?」


 そんな職業が、コミュニケーションが苦手な自分ができるとは思えない。だが一ノ瀬はにやっと笑った。


「お前なら美香と同等、いやそれ以上に稼がせてやる。いい生活ができるぞ。何より周りの目を恐れてびくびく暮らさなくていい。お前の足を引っ張ることは俺がさせない。どうだ、俺と来ないか」


 とても強く、彼はそう言い切った。だが玲奈はためらった。


「そんな急に言われても・・・・」


「お前さえよければ、今日にでも俺の借りてるマンションに入居すればいい。オートロックの2LDK、防犯カメラつきで新宿駅徒歩5分。もちろんお前一人だけの部屋だ。学費も生活費も俺が当面見てやる。」


 その言葉はかなり玲奈の心を動かした。オートロック。カギのかかる玲奈だけの部屋。夜、誰かが侵入してくるのに怯えなくて良い生活。


「・・・そのかわり、あなたのお店で働くんですね」


「すぐにとは言わない。まずはいろいろ覚えてから、おいおいな」


 玲奈は市ノ瀬を見た。それは同意の視線だった。
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