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白皙の君(2)
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意外なその質問に、酒流は首をわずかにかしげた。が、沖田はこちらを見つめる事をやめない。酒流は観念して肩をすくめた。
「俺は、椅子に座っているだけで平社員の何百倍もの給料を得ている奴らが我慢ならない。いつか引きずりおろしてやると思っている。…それだけだ。私は君と違ってつまらん人間さ」
「へぇ…意外です。酒流さんは会社ではいつも、そんな素振りは微塵も」
酒流は眉をひそめた。
「当たり前だろう。敵の前で本音を言う馬鹿がどこにいる」
常に本音と建て前を使い分ける。感情を出せば、負けだ。それは水も食料も空気も足りない、スラムと化した地方ドームから泥臭く出世を目指した酒流のライフハックだった。だが沖田はそんな酒流を見上げて、ふふと笑った。
「じゃあ俺の事は…味方として認識してくれてるって、事ですね」
その言葉に、酒流は一瞬動きを止めたが、すぐにいつもの笑みを作った。
「…そうだな。君は有能な研究者だ。盗られるのは惜しいほどのね」
酒流は用意していたブレスレットを彼に渡した。
「これは…?」
「特殊なICチップが埋め込まれたウエアラブルハードだよ。君の脈拍や血流を読み込んで、健康管理をしてくれる。そして危険が迫った時には私に連絡がくるようになっている」
酒流は沖田の手を取って、その細い手首に手ずからそれを嵌めた。ピッと軽い音がして、ピタリと接合部が光る。
「悪いが、これは装着した私以外には取ることはできない。もし無理やり外されれば情報にはロックがかかる。君が危険な目にあった時の事を想定してのシステムだ」
勝手な事を、と怒るだろうか。様子をうかがう酒流に、沖田は無邪気に手をかざして腕輪を眺めていた。
「シンプルなデザインですね。とても機械には見えない。普通のアクセサリーみたいです」
「ああ。そう見えるように設計してある。他人に見られても、発信機には見えないだろう」
「裏に刻印がありますね…これは…?」
酒流はこちらを見る沖田から、思わず目をそらした。
「一応贈り物だからな。それらしくしておいただけの話だ」
話を逸らすように、酒流は聞いた。
「で、ここでしたい実験はもう決まっているのか?」
「はい。次は…紫外線を吸収する木を作りたいと思います」
さらりと言われたその言葉に、酒流は驚いた。
「なんだって?そんな事が可能なのか」
「はい。この木をたくさん植えれば、紫外線が人体に及ぼす影響が減ります。理論上は。」
「すると…君の夢がかなうわけだ。人類が元通りの生活を取り戻す、という」
酒流が言うと、沖田は力強くうなずいた。
「はい。成功させて…俺は、役に立ちたいです。人類だけじゃなくて、あなたの役にも」
星が輝く夜空の下で、沖田と酒流はお互いに目を見交わした。沖田の目には、明るくまっすぐな光が宿っていた。
「ありがとうございます。こんな俺に、チャンスをくれて」
「…ああ。期待しているよ」
酒流は短くそう答えて、建物の中へと戻った。
胸の中に、今まで知らなかった新たな感情が沸きおこった。新しい車のエンジンをかけた時のような、活力にあふれる気持ち。沖田の清涼なまなざしが、黒々とした酒流の胸中に新しい風を吹き込んだのだ。
(…君の研究が成功するよう、私は万難を排そう)
損得なしで、誰かのために動く。そんな事は今までなかったし、浅はかだと軽蔑さえしていた。だが今は自然と、そうしたいと思っていた。
(なんというのか…生まれ変わったような、気分だ)
酒流は一人、彼と、その研究を守り抜く事を決めた。
「だけどね結局…私は、彼を守り切れなかったんだ」
酒流はうつむいてそう言った。芹花はおそるおそる尋ねた。
「その人は…今は?」
酒流は首を振った。サチも目を伏せている。
「ある日、彼は島から帰るためのボートに乗ったまま、行方不明となった。捜索の結果フェリーだけが見つかった。乗っているはずの彼と、重要なサンプルがなくなっていることがわかった。船の内部は荒らされていた」
「つまり…何者かに襲われて、サンプルを奪われた、ってこと?一体…誰に」
「わが社の情報は常に狙われていると話したろう?ライバル会社のスパイ、情報を売って金を儲けている連中…いくらでも候補は上がる。私は犯人の捜査と……この腕輪を探し続けていた」
「これを?」
「ああ。遺体はいくらさがしても見つからなかった。もう朽ちているのか、それともどこかで生きているのか……。長年捜査を続けるうちに、殺人犯よりも、そちらを知るほうが私にとって重要になった。この腕輪さえ見つかれば……」
「なるほど。データさえみれば、最終データの心拍数などで生命状況――どうやって亡くなったのか、もしくは生きている可能性が……わかると」
冷静に口をはさんだサチに、酒流はうなずいた。口を閉じたその表情は、疲れていて、哀れだった。芹花はサチを見上げた。
「……お願いします、サチさん」
「え」
「これは、酒流さんに返しましょう。もともと彼のものだし……」
サチは少しためらったが、酒流をちらりと見て、仕方なく了承した。サチが触れると、それで最後の力を使い果たしたとでもいうようにカチリとそれは開いて、パチパチ火花を散らして酒流の手のひらに落ちた。
「たしかに中身にチップのスロットがあったかと。この島の端末で読み込んでみましょう」
「俺は、椅子に座っているだけで平社員の何百倍もの給料を得ている奴らが我慢ならない。いつか引きずりおろしてやると思っている。…それだけだ。私は君と違ってつまらん人間さ」
「へぇ…意外です。酒流さんは会社ではいつも、そんな素振りは微塵も」
酒流は眉をひそめた。
「当たり前だろう。敵の前で本音を言う馬鹿がどこにいる」
常に本音と建て前を使い分ける。感情を出せば、負けだ。それは水も食料も空気も足りない、スラムと化した地方ドームから泥臭く出世を目指した酒流のライフハックだった。だが沖田はそんな酒流を見上げて、ふふと笑った。
「じゃあ俺の事は…味方として認識してくれてるって、事ですね」
その言葉に、酒流は一瞬動きを止めたが、すぐにいつもの笑みを作った。
「…そうだな。君は有能な研究者だ。盗られるのは惜しいほどのね」
酒流は用意していたブレスレットを彼に渡した。
「これは…?」
「特殊なICチップが埋め込まれたウエアラブルハードだよ。君の脈拍や血流を読み込んで、健康管理をしてくれる。そして危険が迫った時には私に連絡がくるようになっている」
酒流は沖田の手を取って、その細い手首に手ずからそれを嵌めた。ピッと軽い音がして、ピタリと接合部が光る。
「悪いが、これは装着した私以外には取ることはできない。もし無理やり外されれば情報にはロックがかかる。君が危険な目にあった時の事を想定してのシステムだ」
勝手な事を、と怒るだろうか。様子をうかがう酒流に、沖田は無邪気に手をかざして腕輪を眺めていた。
「シンプルなデザインですね。とても機械には見えない。普通のアクセサリーみたいです」
「ああ。そう見えるように設計してある。他人に見られても、発信機には見えないだろう」
「裏に刻印がありますね…これは…?」
酒流はこちらを見る沖田から、思わず目をそらした。
「一応贈り物だからな。それらしくしておいただけの話だ」
話を逸らすように、酒流は聞いた。
「で、ここでしたい実験はもう決まっているのか?」
「はい。次は…紫外線を吸収する木を作りたいと思います」
さらりと言われたその言葉に、酒流は驚いた。
「なんだって?そんな事が可能なのか」
「はい。この木をたくさん植えれば、紫外線が人体に及ぼす影響が減ります。理論上は。」
「すると…君の夢がかなうわけだ。人類が元通りの生活を取り戻す、という」
酒流が言うと、沖田は力強くうなずいた。
「はい。成功させて…俺は、役に立ちたいです。人類だけじゃなくて、あなたの役にも」
星が輝く夜空の下で、沖田と酒流はお互いに目を見交わした。沖田の目には、明るくまっすぐな光が宿っていた。
「ありがとうございます。こんな俺に、チャンスをくれて」
「…ああ。期待しているよ」
酒流は短くそう答えて、建物の中へと戻った。
胸の中に、今まで知らなかった新たな感情が沸きおこった。新しい車のエンジンをかけた時のような、活力にあふれる気持ち。沖田の清涼なまなざしが、黒々とした酒流の胸中に新しい風を吹き込んだのだ。
(…君の研究が成功するよう、私は万難を排そう)
損得なしで、誰かのために動く。そんな事は今までなかったし、浅はかだと軽蔑さえしていた。だが今は自然と、そうしたいと思っていた。
(なんというのか…生まれ変わったような、気分だ)
酒流は一人、彼と、その研究を守り抜く事を決めた。
「だけどね結局…私は、彼を守り切れなかったんだ」
酒流はうつむいてそう言った。芹花はおそるおそる尋ねた。
「その人は…今は?」
酒流は首を振った。サチも目を伏せている。
「ある日、彼は島から帰るためのボートに乗ったまま、行方不明となった。捜索の結果フェリーだけが見つかった。乗っているはずの彼と、重要なサンプルがなくなっていることがわかった。船の内部は荒らされていた」
「つまり…何者かに襲われて、サンプルを奪われた、ってこと?一体…誰に」
「わが社の情報は常に狙われていると話したろう?ライバル会社のスパイ、情報を売って金を儲けている連中…いくらでも候補は上がる。私は犯人の捜査と……この腕輪を探し続けていた」
「これを?」
「ああ。遺体はいくらさがしても見つからなかった。もう朽ちているのか、それともどこかで生きているのか……。長年捜査を続けるうちに、殺人犯よりも、そちらを知るほうが私にとって重要になった。この腕輪さえ見つかれば……」
「なるほど。データさえみれば、最終データの心拍数などで生命状況――どうやって亡くなったのか、もしくは生きている可能性が……わかると」
冷静に口をはさんだサチに、酒流はうなずいた。口を閉じたその表情は、疲れていて、哀れだった。芹花はサチを見上げた。
「……お願いします、サチさん」
「え」
「これは、酒流さんに返しましょう。もともと彼のものだし……」
サチは少しためらったが、酒流をちらりと見て、仕方なく了承した。サチが触れると、それで最後の力を使い果たしたとでもいうようにカチリとそれは開いて、パチパチ火花を散らして酒流の手のひらに落ちた。
「たしかに中身にチップのスロットがあったかと。この島の端末で読み込んでみましょう」
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