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焦げ焦げの、焦げ
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酒流はくるりと振り向いた。夕日が逆光になり、その顔に濃い陰影を作っていた。
「仕方ない、人類のためさ」
松田は酒流から顔をそむけた。その表情は暗い。
「良心が痛むのかい?あの子は実験動物と同じさ。可哀想だが、彼女の犠牲によって研究が続けられるんだ。感謝しないと」
酒流は一歩、松田に近づいた。その顔に浮かんだ笑みは、夕日の作る影もあいまって悪魔的だった。
「松田君、私は君にとても期待しているんだ。君には天賦の才がある。あのチャモロコシ・ワンが上手くいかなかったとしても、君なら原因を突き止めて完成させることができるだろう。おっと、予算のことは心配するな。私がなんとかする」
「…芹花さんのことで、上層部の役に立ったからですか?」
酒流は目を細めた。
「ふむ。まあそうとも言える。世界広しといえど、サチの後任になる人材を見つけるのは難しいからね。君も知っているだろうけど」
「それで、今回昇進したわけですね。どんな手を使ったか知りませんが、芹花さんを見つけて連れてきたから―」
酒流は指を一本立てて唇にあてた。たったそれだけの行動だが、松田は押し黙った。
「すべての人に平等な社会などありえない。でも私は、多くの人類が助かる方を選びたい。そのためなら、利用できるものはなんでもする」
夕日を背後に放たれたその言葉には、迫力があった。
――負けた。松田がそう思ったのがわかったのか、酒流はふっと力を抜いた。
「まぁ、あの子にとってもそう悪い話ではなかったと思うんだがね。どこでも生きていけそうなタイプだ。今日も見たろう?あんな場所にサチと2人きりなのに…」
「生き生きとしていましたね」
「そう、だから彼女に真実を伝えようなどどは思わないこと。本人にとってもその方が良い。最後まで…ね?」
松田はうつむいて言った。
「…わかりました」
酒流は満足気にうなずいた。松田を見ながらも、彼の脳裏に浮んでいるのは、はるか遠くの別の人物の面影だった。
「とうもろこし粉に大豆、小麦に…調味料と缶詰も!やったッ、食堂まで運ばなきゃ」
芹花はダンボールをあけて歓声を上げていた。一ヶ月待ち続けた食料だ。
するとそこへサチが通りかかった。ミント水のコップを持っている。
「あ、置いといてください、私が片すのでー!」
サチはふと目線をあげて芹花を見た。
「これ…普通の水と違いますね」
「ミント水ですよ!怪しいものじゃないんで安心してください」
「…ええ」
「気に入りました?サチさん水が好きっていってたから」
サチはなんとも言えない表情でコップを見た。
「いえ…別に…」
芹花はくしゃっと笑った。
「…まあ、好き嫌い別れる味だし…流しに捨てちゃって大丈夫なんで…」
そして段ボールを抱えなおし、ドアの向こうへと消えた。サチは言われたとおり残ったミント水を流しにあけた。カラカラと音を立てて小さくなった氷が排水溝へと落ちた。
サチはそれを眺めて考えた。
(…好き嫌い以前に、不可解な味だった)
ただの水だとばかり思って口をつけたら、スッと冷涼間を感じた。そしてとっさに思った。
――自分はこの味を知っている、と。
(そんなこと、あるはずがないのに)
サチは冷蔵庫を開けた。何の変哲もないボトルにラベルがはってあり、ミミズののたくったような字で「ミント水」と書かれていた。中にはごく少量、ミント水が残っていた。
その味は、サチに何か大事な事を思い出させようとしているようだった。だが考えても何も思い出せない。サチはふいにボトルの中身を捨ててしまいたい衝動に駆られた。だが。
(すぐに気がついて、あれこれ問い詰められるにちがいない)
そう思ってうんざりしたサチは冷蔵庫を閉めた。
「あ、片付けてくれたんすね。」
突然芹花が戻ってきたので、サチは不意を付かれた。
「…もう運び終えたんですか」
「はい!いろいろ考えたんですけど…」
芹花がそこで言葉を切ったので、サチは身構えた。
「今夜はラザニアにするんで!出来たら呼びます!」
芹花は笑顔でそう言い放ち、さっさと二階へ戻っていった。サチはため息をついた。
しかし、意気揚々と宣言した芹花だったが、数十分後には絶望的な表情でオーブンの前に立ち尽くしていた。
(なんじゃこりゃあ…!やっちゃった……!)
芹花は頭を抱えた。ラザニアはこれまでに何度も作ってきた、芹花の得意料理だ。失敗などありえない。現に今日も美味しくマカロニは茹で上がったし、オイルを混ぜたトマトソースの酸味と甘みも絶妙だった。なのに、なのに…
(オーブンで焦げるなんてッッ!)
化石のようなオーブンだったが、大きくて立派なものだったのでしっかり掃除をし、試運転もして記念すべき初料理に臨んだのだ。
(でも、焦げた………)
ラザニアは見事にパリパリの炭と化していた。食べられそうな部分は、ほぼない。
「う、うそでしょ…」
あまりにもショックで、芹花は膝から崩れてしまった。一か月ぶりのまともなご飯だったのに…。
「ああああ!私のバカ…ッ!!」
「…何を騒いでいるんです」
「仕方ない、人類のためさ」
松田は酒流から顔をそむけた。その表情は暗い。
「良心が痛むのかい?あの子は実験動物と同じさ。可哀想だが、彼女の犠牲によって研究が続けられるんだ。感謝しないと」
酒流は一歩、松田に近づいた。その顔に浮かんだ笑みは、夕日の作る影もあいまって悪魔的だった。
「松田君、私は君にとても期待しているんだ。君には天賦の才がある。あのチャモロコシ・ワンが上手くいかなかったとしても、君なら原因を突き止めて完成させることができるだろう。おっと、予算のことは心配するな。私がなんとかする」
「…芹花さんのことで、上層部の役に立ったからですか?」
酒流は目を細めた。
「ふむ。まあそうとも言える。世界広しといえど、サチの後任になる人材を見つけるのは難しいからね。君も知っているだろうけど」
「それで、今回昇進したわけですね。どんな手を使ったか知りませんが、芹花さんを見つけて連れてきたから―」
酒流は指を一本立てて唇にあてた。たったそれだけの行動だが、松田は押し黙った。
「すべての人に平等な社会などありえない。でも私は、多くの人類が助かる方を選びたい。そのためなら、利用できるものはなんでもする」
夕日を背後に放たれたその言葉には、迫力があった。
――負けた。松田がそう思ったのがわかったのか、酒流はふっと力を抜いた。
「まぁ、あの子にとってもそう悪い話ではなかったと思うんだがね。どこでも生きていけそうなタイプだ。今日も見たろう?あんな場所にサチと2人きりなのに…」
「生き生きとしていましたね」
「そう、だから彼女に真実を伝えようなどどは思わないこと。本人にとってもその方が良い。最後まで…ね?」
松田はうつむいて言った。
「…わかりました」
酒流は満足気にうなずいた。松田を見ながらも、彼の脳裏に浮んでいるのは、はるか遠くの別の人物の面影だった。
「とうもろこし粉に大豆、小麦に…調味料と缶詰も!やったッ、食堂まで運ばなきゃ」
芹花はダンボールをあけて歓声を上げていた。一ヶ月待ち続けた食料だ。
するとそこへサチが通りかかった。ミント水のコップを持っている。
「あ、置いといてください、私が片すのでー!」
サチはふと目線をあげて芹花を見た。
「これ…普通の水と違いますね」
「ミント水ですよ!怪しいものじゃないんで安心してください」
「…ええ」
「気に入りました?サチさん水が好きっていってたから」
サチはなんとも言えない表情でコップを見た。
「いえ…別に…」
芹花はくしゃっと笑った。
「…まあ、好き嫌い別れる味だし…流しに捨てちゃって大丈夫なんで…」
そして段ボールを抱えなおし、ドアの向こうへと消えた。サチは言われたとおり残ったミント水を流しにあけた。カラカラと音を立てて小さくなった氷が排水溝へと落ちた。
サチはそれを眺めて考えた。
(…好き嫌い以前に、不可解な味だった)
ただの水だとばかり思って口をつけたら、スッと冷涼間を感じた。そしてとっさに思った。
――自分はこの味を知っている、と。
(そんなこと、あるはずがないのに)
サチは冷蔵庫を開けた。何の変哲もないボトルにラベルがはってあり、ミミズののたくったような字で「ミント水」と書かれていた。中にはごく少量、ミント水が残っていた。
その味は、サチに何か大事な事を思い出させようとしているようだった。だが考えても何も思い出せない。サチはふいにボトルの中身を捨ててしまいたい衝動に駆られた。だが。
(すぐに気がついて、あれこれ問い詰められるにちがいない)
そう思ってうんざりしたサチは冷蔵庫を閉めた。
「あ、片付けてくれたんすね。」
突然芹花が戻ってきたので、サチは不意を付かれた。
「…もう運び終えたんですか」
「はい!いろいろ考えたんですけど…」
芹花がそこで言葉を切ったので、サチは身構えた。
「今夜はラザニアにするんで!出来たら呼びます!」
芹花は笑顔でそう言い放ち、さっさと二階へ戻っていった。サチはため息をついた。
しかし、意気揚々と宣言した芹花だったが、数十分後には絶望的な表情でオーブンの前に立ち尽くしていた。
(なんじゃこりゃあ…!やっちゃった……!)
芹花は頭を抱えた。ラザニアはこれまでに何度も作ってきた、芹花の得意料理だ。失敗などありえない。現に今日も美味しくマカロニは茹で上がったし、オイルを混ぜたトマトソースの酸味と甘みも絶妙だった。なのに、なのに…
(オーブンで焦げるなんてッッ!)
化石のようなオーブンだったが、大きくて立派なものだったのでしっかり掃除をし、試運転もして記念すべき初料理に臨んだのだ。
(でも、焦げた………)
ラザニアは見事にパリパリの炭と化していた。食べられそうな部分は、ほぼない。
「う、うそでしょ…」
あまりにもショックで、芹花は膝から崩れてしまった。一か月ぶりのまともなご飯だったのに…。
「ああああ!私のバカ…ッ!!」
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