聖植物園日誌

小達出みかん

文字の大きさ
上 下
17 / 41

焦げ焦げの、焦げ

しおりを挟む
 酒流はくるりと振り向いた。夕日が逆光になり、その顔に濃い陰影を作っていた。
「仕方ない、人類のためさ」
 松田は酒流から顔をそむけた。その表情は暗い。
「良心が痛むのかい?あの子は実験動物と同じさ。可哀想だが、彼女の犠牲によって研究が続けられるんだ。感謝しないと」
 酒流は一歩、松田に近づいた。その顔に浮かんだ笑みは、夕日の作る影もあいまって悪魔的だった。
「松田君、私は君にとても期待しているんだ。君には天賦の才がある。あのチャモロコシ・ワンが上手くいかなかったとしても、君なら原因を突き止めて完成させることができるだろう。おっと、予算のことは心配するな。私がなんとかする」
「…芹花さんのことで、上層部の役に立ったからですか?」
 酒流は目を細めた。
「ふむ。まあそうとも言える。世界広しといえど、サチの後任になる人材を見つけるのは難しいからね。君も知っているだろうけど」
「それで、今回昇進したわけですね。どんな手を使ったか知りませんが、芹花さんを見つけて連れてきたから―」
 酒流は指を一本立てて唇にあてた。たったそれだけの行動だが、松田は押し黙った。
「すべての人に平等な社会などありえない。でも私は、多くの人類が助かる方を選びたい。そのためなら、利用できるものはなんでもする」
 夕日を背後に放たれたその言葉には、迫力があった。
――負けた。松田がそう思ったのがわかったのか、酒流はふっと力を抜いた。
「まぁ、あの子にとってもそう悪い話ではなかったと思うんだがね。どこでも生きていけそうなタイプだ。今日も見たろう?あんな場所にサチと2人きりなのに…」
「生き生きとしていましたね」
「そう、だから彼女に真実を伝えようなどどは思わないこと。本人にとってもその方が良い。最後まで…ね?」
 松田はうつむいて言った。
「…わかりました」
酒流は満足気にうなずいた。松田を見ながらも、彼の脳裏に浮んでいるのは、はるか遠くの別の人物の面影だった。

「とうもろこし粉に大豆、小麦に…調味料と缶詰も!やったッ、食堂まで運ばなきゃ」
 芹花はダンボールをあけて歓声を上げていた。一ヶ月待ち続けた食料だ。
するとそこへサチが通りかかった。ミント水のコップを持っている。
「あ、置いといてください、私が片すのでー!」
 サチはふと目線をあげて芹花を見た。
「これ…普通の水と違いますね」
「ミント水ですよ!怪しいものじゃないんで安心してください」
「…ええ」
「気に入りました?サチさん水が好きっていってたから」
 サチはなんとも言えない表情でコップを見た。
「いえ…別に…」
 芹花はくしゃっと笑った。
「…まあ、好き嫌い別れる味だし…流しに捨てちゃって大丈夫なんで…」
 そして段ボールを抱えなおし、ドアの向こうへと消えた。サチは言われたとおり残ったミント水を流しにあけた。カラカラと音を立てて小さくなった氷が排水溝へと落ちた。 
 サチはそれを眺めて考えた。
(…好き嫌い以前に、不可解な味だった)
 ただの水だとばかり思って口をつけたら、スッと冷涼間を感じた。そしてとっさに思った。
――自分はこの味を知っている、と。
(そんなこと、あるはずがないのに)
 サチは冷蔵庫を開けた。何の変哲もないボトルにラベルがはってあり、ミミズののたくったような字で「ミント水」と書かれていた。中にはごく少量、ミント水が残っていた。
 その味は、サチに何か大事な事を思い出させようとしているようだった。だが考えても何も思い出せない。サチはふいにボトルの中身を捨ててしまいたい衝動に駆られた。だが。
(すぐに気がついて、あれこれ問い詰められるにちがいない)
 そう思ってうんざりしたサチは冷蔵庫を閉めた。
「あ、片付けてくれたんすね。」
 突然芹花が戻ってきたので、サチは不意を付かれた。
「…もう運び終えたんですか」
「はい!いろいろ考えたんですけど…」
 芹花がそこで言葉を切ったので、サチは身構えた。
「今夜はラザニアにするんで!出来たら呼びます!」
 芹花は笑顔でそう言い放ち、さっさと二階へ戻っていった。サチはため息をついた。
 しかし、意気揚々と宣言した芹花だったが、数十分後には絶望的な表情でオーブンの前に立ち尽くしていた。
(なんじゃこりゃあ…!やっちゃった……!)
 芹花は頭を抱えた。ラザニアはこれまでに何度も作ってきた、芹花の得意料理だ。失敗などありえない。現に今日も美味しくマカロニは茹で上がったし、オイルを混ぜたトマトソースの酸味と甘みも絶妙だった。なのに、なのに…
(オーブンで焦げるなんてッッ!)
 化石のようなオーブンだったが、大きくて立派なものだったのでしっかり掃除をし、試運転もして記念すべき初料理に臨んだのだ。
(でも、焦げた………)
 ラザニアは見事にパリパリの炭と化していた。食べられそうな部分は、ほぼない。
「う、うそでしょ…」
 あまりにもショックで、芹花は膝から崩れてしまった。一か月ぶりのまともなご飯だったのに…。
「ああああ!私のバカ…ッ!!」
「…何を騒いでいるんです」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

吉祥寺あやかし甘露絵巻 白蛇さまと恋するショコラ

灰ノ木朱風
キャラ文芸
 平安の大陰陽師・芦屋道満の子孫、玲奈(れな)は新進気鋭のパティシエール。東京・吉祥寺の一角にある古民家で“カフェ9-Letters(ナインレターズ)”のオーナーとして日々奮闘中だが、やってくるのは一癖も二癖もあるあやかしばかり。  ある雨の日の夜、玲奈が保護した迷子の白蛇が、翌朝目覚めると黒髪の美青年(全裸)になっていた!?  態度だけはやたらと偉そうな白蛇のあやかしは、玲奈のスイーツの味に惚れ込んで屋敷に居着いてしまう。その上玲奈に「魂を寄越せ」とあの手この手で迫ってくるように。  しかし玲奈の幼なじみであり、安倍晴明の子孫である陰陽師・七弦(なつる)がそれを許さない。  愚直にスイーツを作り続ける玲奈の周囲で、謎の白蛇 VS 現代の陰陽師の恋のバトルが(勝手に)幕を開ける――!

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

勝負に勝ったので委員長におっぱいを見せてもらった

矢木羽研
青春
優等生の委員長と「勝ったほうが言うことを聞く」という賭けをしたので、「おっぱい見せて」と頼んでみたら……青春寸止めストーリー。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

エロ・ファンタジー

フルーツパフェ
大衆娯楽
 物事は上手くいかない。  それは異世界でも同じこと。  夢と好奇心に溢れる異世界の少女達は、恥辱に塗れた現実を味わうことになる。

OL 万千湖さんのささやかなる野望

菱沼あゆ
キャラ文芸
転職した会社でお茶の淹れ方がうまいから、うちの息子と見合いしないかと上司に言われた白雪万千湖(しらゆき まちこ)。 ところが、見合い当日。 息子が突然、好きな人がいると言い出したと、部長は全然違う人を連れて来た。 「いや~、誰か若いいい男がいないかと、急いで休日出勤してる奴探して引っ張ってきたよ~」 万千湖の前に現れたのは、この人だけは勘弁してください、と思う、隣の部署の愛想の悪い課長、小鳥遊駿佑(たかなし しゅんすけ)だった。 部長の手前、三回くらいデートして断ろう、と画策する二人だったが――。

処理中です...