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ノアズアーク編
第221話 52日目⑤海竜を覗く時、海竜もまた覗いているのだ
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ノアズアークとの付き合い方についての俺の悩みは、美岬のおかげであっさり解決してしまった。それまで俺はノアたちプレシオサウルスをあくまで野生動物の一種と見ていた。そしてノアズアークが俺を主として認めて傘下に入ることを言い方は悪いが家畜化と認識していた。だからこそ、家畜化により俺たちに依存するようになって野生動物としての本能を失い、俺たちの世話なしでは生きられなくなることを俺は危惧していた。
飼うからには俺たちにもきちんと面倒を見る責任が生じるし、いずれこの島を脱出して社会復帰するつもりの俺たちがそれをするのは無責任だ。ならば最初から関わりを最小限にして、あくまで観察者としての立ち位置に徹するべきだと考えていたのだが──。
「……ノアたちがガクちゃんをここの主と認めて懐いたからといって、ガクちゃんが飼い主になったわけじゃないし、なにか責任が発生するわけでもないよね? ……ノアたちはちゃんと自分で考える能力があって、自分の意志でここに来て、自分から望んでガクちゃんを主と認めて、ガクちゃんのことを気に入って懐いてるんだから、ガクちゃんが気にする必要なくない?」
美岬の言葉はまさに目から鱗だった。
ノアたちは確かに高い知性を有し、自分で考えて決定して行動している。つまり、責任能力がある。
少々行き当たりばったり感は否めないが、それでも現状を理解し、どうすればいいかを考える知恵があり、より良い未来を選択する理性があり、自分の意思に基づいてどうするかを決めて行動に移している。ならば、それがどんな結果になろうとも、それは彼らの選択の結果だし、もし上手くいかなかった場合でもきっとその時は別の方法を模索してやり直せるはずだ。
そのことは、出産間近のメスたちを連れて営巣地を捨てたという判断や、俺たちとの抗争を避けて群れごと俺たちの傘下に下ることにした判断からも伺い知れる。
……そうか、人間ではないからと俺は無意識に彼らをただの本能で生きる野生動物として下に扱ってしまっていたが、認識を改めないといけないな。
それにしても、美岬はすごいな。俺にこの事を気づかせてくれたということは、美岬はとっくにそういう認識でいたということだ。
昨日のノアとの交渉の時も美岬の洞察力にはかなり助けられたが、こういうフィーリングで相手の望みや事の本質を察することができるコミュニケーション能力は俺より美岬の方が長けているように感じる。それが男女の違いによるものかは分からないが、俺の足りないところを美岬が補ってくれるのは本当に助かるし、美岬が俺のパートナーで本当に良かったとしみじみ実感した。
その後のやり取りで美岬が主張した、状況の変化に柔軟に対応できる能力こそがノアズアークを含めたこの島の近海に住むプレシオサウルスたちの特徴で、それがあったからこそ現代にまで生き延びてこられたのだ、という説は俺的には大いに納得できるものだった。
実際、白亜期の大絶滅を生き延び、その後もこの箱庭で細々と生き延びていた小型恐竜たちは上位捕食者のティラノサウルスが1頭ここに侵入したことで絶滅した。状況の変化に対応できなかった為に自然淘汰された古生物たちは他にもいることだろう。そんな中、今までの生き方を捨ててここで一から再スタートしようとしているノアたちの柔軟性には目を見張るものがある。
美岬のおかげでこれからのノアズアークとの付き合い方の方向性は決まった。距離を取って観察するのではなく、歩み寄って相互理解を深めて心から互いに信頼し合う関係を目指す。その為なら、多少はお節介と思えるようなことだとしても、それがベストだと判断すれば積極的に手助けをしていこう。
芸を仕込むというのはまあ半分冗談だが、号令によってある程度の団体行動ができるように訓練するのはありだろう。
背に乗せてもらうというのは純粋な憧れもあるが、実務的な面で考えても海上移動や運搬で便利になるのは間違いない。それこそボートが無くてもトンネルを抜けて島の外に出たりもできるかもしれないし、流木や役に立つ漂着物を拾ってくることもできるだろう。その必要が生じるかどうかはさておき、そういう協力体制を築いていけるといいと思う。
「……そうと決まれば、もう少しあいつらのスキンシップに付き合うとするか」
「あは。じゃああたしも付き合うよ。……ゴマフ、おいで」「キュ」
美岬がゴマフを抱き上げて立ち上がり、俺と一緒にノアとシノノメに近づく。そこでゴマフを降ろせば、ゴマフはそのままシノノメに近づいて鼻と鼻を触れ合わせ、首同士を擦り合わせて戯れ始めた。
俺がノアの前に立てば、ノアはさっき無視されたのを気にしているのか、俺の機嫌を窺うように恐る恐るとゆっくり顔を近づけてきた。俺もゆっくりと手を伸ばしてその鼻先に触れ、そのまま鼻筋をなぞり、頭を撫でてやれば気持ち良さそうに目を細め、クルルルと喉を鳴らし始める。
なるほどな。美岬の見解を聞いた後だと、ノアの仕草一つ一つの裏にどんな感情の動きがあるのかなんとなく分かる気がする。
ノアはさすがに群れで最大のオスだけあって顔も大きいし厳つい。さっきまで触れていたシノノメに比べれば体長で1.5倍もあるのだからその迫力もなかなかのものだ。しかし、その目は穏やかで理知的な光を宿しており、明らかに俺たちとの平和な共存を望み、親しくなりたいと願っていることが分かるから、この巨体に触れていてももう恐れは感じない。それどころか嬉しそうに喉を鳴らしている姿は正直可愛いとさえ思えてきた。
「ノア、お前って本当に純粋で可愛い奴だな」
「クルゥ」
言葉の意味が通じているわけではないだろうが、まるで相づちを打つかのようなタイミングで短く鳴くノア。
それにしても、これだけ近くで観察してみると、ノアはやはり長く生きているだけあって頭や身体にはフジツボや藻がずいぶんと付着しているな。邪魔だろうしおそらく痒いだろうから近いうちに綺麗に掃除してやるとしよう。
「ちょ、ちょとっ! あんたたちに同時にじゃれつかれるのはキツいんだけどっ!」
美岬の悲鳴にそちらに目をやれば、シノノメとゴマフによる愛情表現を一身に受けてもみくちゃにされている美岬の様子が見える。
「あー……」
やっぱりこうなるか。
さっきの俺みたいにシノノメが首で美岬を抱き寄せて頬擦りしており、加えて後肢と尻尾の三点保持で器用に立ち上がったゴマフが美岬の後ろから太ももに抱きついているので完全に動きを封じられてしまっている。
「ちょっと目を離した隙に完全に捕まってるじゃないか」
「うー、一瞬で巻き付かれて捕まったぁ。やめれー。にゃにをしゅるー」
ハグされたままシノノメに顔に頬擦りされて変顔になって抗議している美岬。脱け出そうにもゴマフが足に抱きついているので逃げられない。意図してではないと思うが、甘ったれアカツキ一家の拘束溺愛プレイ(仮)は絵面も含めていろいろヤバいな。俺は捕まらないように気を付けよう。
「ガクちゃん、たしゅけてー」
やれやれ仕方ないな。ノアの頭を軽くポンポン叩いてから彼から離れ、ゴマフに近づく。
「ゴマフ! 『待て!』」「キュッ!」
夢中で美岬に甘えていたゴマフがビクッと我に返って、抱きついていた美岬の太ももから離れる。その隙に美岬がスッとしゃがんでシノノメのハグから脱け出して俺のところに退避してくる。
「ありがとー。はー、えらいめに遭ったよ。ゴマフは分かってたけど、シノノメも甘ったれモードに入るとブレーキ効かなくなるところあるね」
「まだ若いからな。愛情に飢えてるのかもしれんな」
「シノノメにも『待て』はちゃんと教えておかなきゃだね」
好奇心の塊で、なにか面白そうなものを見つけるととりあえず近づいていってしまうゴマフはかなり危なっかしく、これまで何度も危ういシーンがあったから『待て』だけはちゃんと覚え込ませてある。
ちょっと成長した今は危険な場所やモノを覚えて自分で避けるようにもなってきているのでそこまで頻繁に『待て』の発令はなくなったが、それでもちゃんと身体は覚えている。
「そうだな。じゃあ今この場でゴマフと実演してみせるとしようか。それが一番手っ取り早いだろ」
「なるほど、そうだね。じゃあ、あたしがゴマフを呼ぶのと待てを何回か繰り返して、それをシノノメたちに見せて、その後でシノノメに対してもやってみるって形でどうかな?」
「ああ。それでいいと思う。さっそくやってみてくれ」
「あいあい」
美岬が小走りで少し離れて、砂に両膝をついて膝立ちの体勢で両手を広げてゴマフを呼ぶ。
「ゴマフー、おいでー」「キュイッ!」
大喜びで砂浜をヒョコヒョコと美岬に向かって駆け寄って抱きつくゴマフ。
「おー、よしよし。ゴマフは可愛いね」
ゴマフを撫でてから立ち上がり、歩き出す美岬。当然ついてこようとするゴマフに美岬が手のひらを向けて止める。
「待て!」「キュッ」
ピタッと止まったゴマフをそのままに俺のところまで戻ってきて、ゴマフの方に振り向き、さっきと同じように膝立ちになってゴマフを呼ぶ。
「ゴマフー、おいでー」「キュイーッ!」
再び駆け寄ってくるゴマフを美岬が抱き止める。
「ゴマフ、あんたちゃんと待てできてえらいね! イイコイイコ」
「キュイ! キュイキュイッ!」
美岬に誉められて撫でてもらってご満悦のゴマフ。
同じことをもう2回繰り返し、その間ノアとシノノメは黙って見ていたので、勘が良ければそろそろいけるかな、と今度は俺がノアとシノノメに呼びかけてみる。
「ノア、おいで。シノノメ、待て」
ノアが近づいてくるが、シノノメはその場から動かない。
「ノア、待て。シノノメ、おいで」
ノアがその場で止まり、シノノメがいそいそと近づいてくる。その様子に美岬が驚く。
「う、嘘っ? いきなりできちゃってる!」
ゴマフは待てをちゃんと覚えるまでそれなりに時間がかかったから驚くのも当然だが、俺はやっぱりという納得しかなかった。ノアとシノノメは真剣に美岬とゴマフのやり取りを見ていたし、俺たちがノアたちのことを理解しようとしているのと同じく、ノアたちも俺たちのことを理解しようと努めていると感じたからだ。
「ゴマフというお手本があるからな。それにしてもやっぱり賢いな」
しゃべっているうちに俺のところまで来て首をこちらに伸ばしてきたシノノメの顔を両手で挟むようにして撫でてやる。
「シノノメ、お前すごいなー! 賢いじゃないか」「クワアァ!」「待て!」
また興奮してハグしようとしてきたので制止するとピタリと動きを止める。よし。本当にちゃんと理解してるな。
次いで再びノアに向き直る。
「ノア、おいで」「クア」
声をかけるまでちゃんと待っていたノアがのそのそと近づいて来たところで、もう一度制止する。
「待て。……うん。お前もちゃんと理解してるな。さすがだな」
再び立ち止まったノアにこちらから近づき、俺の顔の高さに合わせてきたその頭を抱きかかえて撫でて誉めてやる。ノアが嬉しそうに喉を鳴らす。
これは、本当に小さな一歩だが、大切な一歩だ。俺たちとノアズアークとの間で『言葉の意味』を正しく共有して意思の疎通ができたのだから。
これまではお互いにフィーリング頼りでたぶんこうかな? と探りながらコンタクトを取ってきたが、今回、相手を呼ぶ『おいで』と制止する『待て』をノアもシノノメも正しく理解していたし、名前を加えることでどちらにその指示が出ているかも正しく理解していた。つまり、2つの単語を繋げた簡単な文章を理解できているということだ。
プレシオサウルスたちが俺たちの言葉をどこまで理解できるかはまだ分からないが、もしかしたら俺が想定しているよりもずっと複雑な意思の疎通が可能なのかもしれないな。俺の想定はあくまでゴマフを基準にしているが、考えてみればゴマフはまだ赤ん坊だからまだ知能面での成長の余地がかなりあるんだろう。成長したプレシオサウルスの知能レベルはすでに俺の想定を超えている。実際のところどこまで対応できるのか、これからの付き合いが楽しみだ。
【作者コメント】
ちょっとメタな話をします。読み飛ばしてもらっても大丈夫です。
ここのところ物語の展開がゆっくりなので物足りなさを感じてしまっている読者様もおられたかもしれません。でも、物語全体の構成を考えると今書いているこのあたりの内容ってすごく重要なので丁寧に掘り下げて心情の変化をきちんと書かないと、と思いまして、こんな感じになりました。
プレシオサウルスたちに対する岳人の意識改革、距離を取るのではなく共に支えあって生きるという覚悟、言葉が通じない相手とのコミュニケーション手段の確立、お互いへのリスペクト。これらを説明不十分で話を進めると説明不足感やご都合主義感が強くなってしまうかな、と。
楽しんでいただけましたら、引き続き応援お願いします。
飼うからには俺たちにもきちんと面倒を見る責任が生じるし、いずれこの島を脱出して社会復帰するつもりの俺たちがそれをするのは無責任だ。ならば最初から関わりを最小限にして、あくまで観察者としての立ち位置に徹するべきだと考えていたのだが──。
「……ノアたちがガクちゃんをここの主と認めて懐いたからといって、ガクちゃんが飼い主になったわけじゃないし、なにか責任が発生するわけでもないよね? ……ノアたちはちゃんと自分で考える能力があって、自分の意志でここに来て、自分から望んでガクちゃんを主と認めて、ガクちゃんのことを気に入って懐いてるんだから、ガクちゃんが気にする必要なくない?」
美岬の言葉はまさに目から鱗だった。
ノアたちは確かに高い知性を有し、自分で考えて決定して行動している。つまり、責任能力がある。
少々行き当たりばったり感は否めないが、それでも現状を理解し、どうすればいいかを考える知恵があり、より良い未来を選択する理性があり、自分の意思に基づいてどうするかを決めて行動に移している。ならば、それがどんな結果になろうとも、それは彼らの選択の結果だし、もし上手くいかなかった場合でもきっとその時は別の方法を模索してやり直せるはずだ。
そのことは、出産間近のメスたちを連れて営巣地を捨てたという判断や、俺たちとの抗争を避けて群れごと俺たちの傘下に下ることにした判断からも伺い知れる。
……そうか、人間ではないからと俺は無意識に彼らをただの本能で生きる野生動物として下に扱ってしまっていたが、認識を改めないといけないな。
それにしても、美岬はすごいな。俺にこの事を気づかせてくれたということは、美岬はとっくにそういう認識でいたということだ。
昨日のノアとの交渉の時も美岬の洞察力にはかなり助けられたが、こういうフィーリングで相手の望みや事の本質を察することができるコミュニケーション能力は俺より美岬の方が長けているように感じる。それが男女の違いによるものかは分からないが、俺の足りないところを美岬が補ってくれるのは本当に助かるし、美岬が俺のパートナーで本当に良かったとしみじみ実感した。
その後のやり取りで美岬が主張した、状況の変化に柔軟に対応できる能力こそがノアズアークを含めたこの島の近海に住むプレシオサウルスたちの特徴で、それがあったからこそ現代にまで生き延びてこられたのだ、という説は俺的には大いに納得できるものだった。
実際、白亜期の大絶滅を生き延び、その後もこの箱庭で細々と生き延びていた小型恐竜たちは上位捕食者のティラノサウルスが1頭ここに侵入したことで絶滅した。状況の変化に対応できなかった為に自然淘汰された古生物たちは他にもいることだろう。そんな中、今までの生き方を捨ててここで一から再スタートしようとしているノアたちの柔軟性には目を見張るものがある。
美岬のおかげでこれからのノアズアークとの付き合い方の方向性は決まった。距離を取って観察するのではなく、歩み寄って相互理解を深めて心から互いに信頼し合う関係を目指す。その為なら、多少はお節介と思えるようなことだとしても、それがベストだと判断すれば積極的に手助けをしていこう。
芸を仕込むというのはまあ半分冗談だが、号令によってある程度の団体行動ができるように訓練するのはありだろう。
背に乗せてもらうというのは純粋な憧れもあるが、実務的な面で考えても海上移動や運搬で便利になるのは間違いない。それこそボートが無くてもトンネルを抜けて島の外に出たりもできるかもしれないし、流木や役に立つ漂着物を拾ってくることもできるだろう。その必要が生じるかどうかはさておき、そういう協力体制を築いていけるといいと思う。
「……そうと決まれば、もう少しあいつらのスキンシップに付き合うとするか」
「あは。じゃああたしも付き合うよ。……ゴマフ、おいで」「キュ」
美岬がゴマフを抱き上げて立ち上がり、俺と一緒にノアとシノノメに近づく。そこでゴマフを降ろせば、ゴマフはそのままシノノメに近づいて鼻と鼻を触れ合わせ、首同士を擦り合わせて戯れ始めた。
俺がノアの前に立てば、ノアはさっき無視されたのを気にしているのか、俺の機嫌を窺うように恐る恐るとゆっくり顔を近づけてきた。俺もゆっくりと手を伸ばしてその鼻先に触れ、そのまま鼻筋をなぞり、頭を撫でてやれば気持ち良さそうに目を細め、クルルルと喉を鳴らし始める。
なるほどな。美岬の見解を聞いた後だと、ノアの仕草一つ一つの裏にどんな感情の動きがあるのかなんとなく分かる気がする。
ノアはさすがに群れで最大のオスだけあって顔も大きいし厳つい。さっきまで触れていたシノノメに比べれば体長で1.5倍もあるのだからその迫力もなかなかのものだ。しかし、その目は穏やかで理知的な光を宿しており、明らかに俺たちとの平和な共存を望み、親しくなりたいと願っていることが分かるから、この巨体に触れていてももう恐れは感じない。それどころか嬉しそうに喉を鳴らしている姿は正直可愛いとさえ思えてきた。
「ノア、お前って本当に純粋で可愛い奴だな」
「クルゥ」
言葉の意味が通じているわけではないだろうが、まるで相づちを打つかのようなタイミングで短く鳴くノア。
それにしても、これだけ近くで観察してみると、ノアはやはり長く生きているだけあって頭や身体にはフジツボや藻がずいぶんと付着しているな。邪魔だろうしおそらく痒いだろうから近いうちに綺麗に掃除してやるとしよう。
「ちょ、ちょとっ! あんたたちに同時にじゃれつかれるのはキツいんだけどっ!」
美岬の悲鳴にそちらに目をやれば、シノノメとゴマフによる愛情表現を一身に受けてもみくちゃにされている美岬の様子が見える。
「あー……」
やっぱりこうなるか。
さっきの俺みたいにシノノメが首で美岬を抱き寄せて頬擦りしており、加えて後肢と尻尾の三点保持で器用に立ち上がったゴマフが美岬の後ろから太ももに抱きついているので完全に動きを封じられてしまっている。
「ちょっと目を離した隙に完全に捕まってるじゃないか」
「うー、一瞬で巻き付かれて捕まったぁ。やめれー。にゃにをしゅるー」
ハグされたままシノノメに顔に頬擦りされて変顔になって抗議している美岬。脱け出そうにもゴマフが足に抱きついているので逃げられない。意図してではないと思うが、甘ったれアカツキ一家の拘束溺愛プレイ(仮)は絵面も含めていろいろヤバいな。俺は捕まらないように気を付けよう。
「ガクちゃん、たしゅけてー」
やれやれ仕方ないな。ノアの頭を軽くポンポン叩いてから彼から離れ、ゴマフに近づく。
「ゴマフ! 『待て!』」「キュッ!」
夢中で美岬に甘えていたゴマフがビクッと我に返って、抱きついていた美岬の太ももから離れる。その隙に美岬がスッとしゃがんでシノノメのハグから脱け出して俺のところに退避してくる。
「ありがとー。はー、えらいめに遭ったよ。ゴマフは分かってたけど、シノノメも甘ったれモードに入るとブレーキ効かなくなるところあるね」
「まだ若いからな。愛情に飢えてるのかもしれんな」
「シノノメにも『待て』はちゃんと教えておかなきゃだね」
好奇心の塊で、なにか面白そうなものを見つけるととりあえず近づいていってしまうゴマフはかなり危なっかしく、これまで何度も危ういシーンがあったから『待て』だけはちゃんと覚え込ませてある。
ちょっと成長した今は危険な場所やモノを覚えて自分で避けるようにもなってきているのでそこまで頻繁に『待て』の発令はなくなったが、それでもちゃんと身体は覚えている。
「そうだな。じゃあ今この場でゴマフと実演してみせるとしようか。それが一番手っ取り早いだろ」
「なるほど、そうだね。じゃあ、あたしがゴマフを呼ぶのと待てを何回か繰り返して、それをシノノメたちに見せて、その後でシノノメに対してもやってみるって形でどうかな?」
「ああ。それでいいと思う。さっそくやってみてくれ」
「あいあい」
美岬が小走りで少し離れて、砂に両膝をついて膝立ちの体勢で両手を広げてゴマフを呼ぶ。
「ゴマフー、おいでー」「キュイッ!」
大喜びで砂浜をヒョコヒョコと美岬に向かって駆け寄って抱きつくゴマフ。
「おー、よしよし。ゴマフは可愛いね」
ゴマフを撫でてから立ち上がり、歩き出す美岬。当然ついてこようとするゴマフに美岬が手のひらを向けて止める。
「待て!」「キュッ」
ピタッと止まったゴマフをそのままに俺のところまで戻ってきて、ゴマフの方に振り向き、さっきと同じように膝立ちになってゴマフを呼ぶ。
「ゴマフー、おいでー」「キュイーッ!」
再び駆け寄ってくるゴマフを美岬が抱き止める。
「ゴマフ、あんたちゃんと待てできてえらいね! イイコイイコ」
「キュイ! キュイキュイッ!」
美岬に誉められて撫でてもらってご満悦のゴマフ。
同じことをもう2回繰り返し、その間ノアとシノノメは黙って見ていたので、勘が良ければそろそろいけるかな、と今度は俺がノアとシノノメに呼びかけてみる。
「ノア、おいで。シノノメ、待て」
ノアが近づいてくるが、シノノメはその場から動かない。
「ノア、待て。シノノメ、おいで」
ノアがその場で止まり、シノノメがいそいそと近づいてくる。その様子に美岬が驚く。
「う、嘘っ? いきなりできちゃってる!」
ゴマフは待てをちゃんと覚えるまでそれなりに時間がかかったから驚くのも当然だが、俺はやっぱりという納得しかなかった。ノアとシノノメは真剣に美岬とゴマフのやり取りを見ていたし、俺たちがノアたちのことを理解しようとしているのと同じく、ノアたちも俺たちのことを理解しようと努めていると感じたからだ。
「ゴマフというお手本があるからな。それにしてもやっぱり賢いな」
しゃべっているうちに俺のところまで来て首をこちらに伸ばしてきたシノノメの顔を両手で挟むようにして撫でてやる。
「シノノメ、お前すごいなー! 賢いじゃないか」「クワアァ!」「待て!」
また興奮してハグしようとしてきたので制止するとピタリと動きを止める。よし。本当にちゃんと理解してるな。
次いで再びノアに向き直る。
「ノア、おいで」「クア」
声をかけるまでちゃんと待っていたノアがのそのそと近づいて来たところで、もう一度制止する。
「待て。……うん。お前もちゃんと理解してるな。さすがだな」
再び立ち止まったノアにこちらから近づき、俺の顔の高さに合わせてきたその頭を抱きかかえて撫でて誉めてやる。ノアが嬉しそうに喉を鳴らす。
これは、本当に小さな一歩だが、大切な一歩だ。俺たちとノアズアークとの間で『言葉の意味』を正しく共有して意思の疎通ができたのだから。
これまではお互いにフィーリング頼りでたぶんこうかな? と探りながらコンタクトを取ってきたが、今回、相手を呼ぶ『おいで』と制止する『待て』をノアもシノノメも正しく理解していたし、名前を加えることでどちらにその指示が出ているかも正しく理解していた。つまり、2つの単語を繋げた簡単な文章を理解できているということだ。
プレシオサウルスたちが俺たちの言葉をどこまで理解できるかはまだ分からないが、もしかしたら俺が想定しているよりもずっと複雑な意思の疎通が可能なのかもしれないな。俺の想定はあくまでゴマフを基準にしているが、考えてみればゴマフはまだ赤ん坊だからまだ知能面での成長の余地がかなりあるんだろう。成長したプレシオサウルスの知能レベルはすでに俺の想定を超えている。実際のところどこまで対応できるのか、これからの付き合いが楽しみだ。
【作者コメント】
ちょっとメタな話をします。読み飛ばしてもらっても大丈夫です。
ここのところ物語の展開がゆっくりなので物足りなさを感じてしまっている読者様もおられたかもしれません。でも、物語全体の構成を考えると今書いているこのあたりの内容ってすごく重要なので丁寧に掘り下げて心情の変化をきちんと書かないと、と思いまして、こんな感じになりました。
プレシオサウルスたちに対する岳人の意識改革、距離を取るのではなく共に支えあって生きるという覚悟、言葉が通じない相手とのコミュニケーション手段の確立、お互いへのリスペクト。これらを説明不十分で話を進めると説明不足感やご都合主義感が強くなってしまうかな、と。
楽しんでいただけましたら、引き続き応援お願いします。
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ファンタジー
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主人公マルクは神聖の儀で何にも反応しないスキルを貰い、絶望の淵へと叩き込まれる。
その役に立たないスキルで冒険者になるが、役立たずと言われダンジョンで殺されかけるが、そのスキルは唯一無二の万能スキルだった。
そのスキルで成り上がり、ダンジョンで裏切った人間は落ちぶれざまあ展開。
主人公マルクは、そのスキルで色んなことを解決し幸せになる。
ハーレム要素はしばらくありません。
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