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ノアズアーク編
第212話 51日目⑫秋の実りとブラックユーモア
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美岬の指示に従い、ガガイモの人工受粉を終わらせた。上手く実が出来て、綿入りの防寒着を作れるぐらい綿が採れるといいんだけどな。……と思っていたら美岬がこれまでの苦労が色々と台無しになることを言い出す。
「……あ、そうだガクちゃん、ガガイモの若い実って美味しいらしいよ? ちょっと食べてみたいなって」
さすがにちょっと引きながらやんわりと却下する。
「……えー、これは数が少ないからなるべく残して育てた方がいいんじゃないか?」
「そ、そうなんだけど! 人工受粉が成功すればいっぱい採れるし、一回だけ! お願い!」
なんかやけに食べたがるじゃないか。美岬がこんな風に我を通すのは珍しいな。まあ、確かに人工受粉が成功すればたくさん収穫できるし、失敗したらそもそも必要量には届かないんだからそこまで強く拒む必要もないかと思い直す。
「んー、まあいいけどさ。で、食べるならどういうのを選んだらいいんだ?」
「やった! ある程度大きくなると中で綿毛ができ始めて食感が悪くなるらしいから、せいぜい5㌢ぐらいまでの小さな実がいいんだって」
「分かった。じゃあそれぐらいに小さな実をちょっと集めていくか。見たところスズメウリ、ムベ、エビヅルなんかも食べ頃のやつがそこらじゅうにあるからその辺も適当に採っていこう」
ガガイモの花の匂いを頼りにたどり着いたこの辺りは俺たちがまだ足を踏み入れたことのない未踏破エリアだったこともあり、手付かずの秋の実りがそこかしこになっている。
美岬がサークル活動で個人的に研究しているというお気に入り植物のスズメウリはちょうど今が花と若い実ができ始めている時期だ。育った実はメロンに似た味になるそうだが、若い実はそのまま丸ごと食べれて味はキュウリによく似ている。すでに何度か俺たちの食卓にもサラダの具材として登場している。
ムベはアケビの仲間だがアケビと違って熟しても皮が割れない。身の表面が紫色に色づいたら食べ頃だ。これも何度か食べているがぶっちゃけアケビとほぼ変わらない。
エビヅルは野生種のブドウの一種。栽培種に比べると実は小さく種が大きく、甘味よりも酸味と渋みが強めだが、干し葡萄にしたり、なんなら搾ってワインにするという手もある。今後のことを考えて干し葡萄を試してみるつもりだ。
ガガイモの蔓を調べ、食べ頃の小さい実を探す。すでにそこそこ育っている実も多く、5㌢以下ぐらいの小さい実はなかなか見つからない。
「ちなみにガガイモの実はどういう味なんだ? ……お、いいサイズ」
「あ、いいね。……粘りけのないオクラとか癖のないサヤインゲンぽいって去年食べた先輩たちは言ってたよ。あたしにはまだ早いって食べさせてくれなかったけど。っと、あたしも見っけ」
「まだ早い? 大人の味ってことか。そっち系なら塩茹でにして刻んで出汁で和えるぐらいでよさそうだな」
「おぉ、それシンプルだけど絶対美味しいやつー!」
話しながらガガイモの蔓のチェックを続け、良さげなサイズのものを見つけたら蔓を傷つけないように実の付け根を折って採取する。折ったところから出た白い汁でたちまち手がベトベトになる。この汁、思った以上にネバネバしていて触った感触はゴムの樹液とよく似ている。上手く集めることができたら天然ゴムの代用品にならないかな、と美岬に言ってみる。
「ほぇー、確かに言われてみればゴムの木の樹液っぽいね。ただ、ガガイモは一年草の蔓植物だから、大きく育ったゴムの木の幹から樹液を集める従来の方法は無理だよね。…………汁を集める別の方法としては……あ、そうだ、ケシから阿片を採る方法の応用で若い実の表面を刃物で薄く傷つけて、滲み出て固まった汁を剥がして集めるというやり方がいけるかも?」
「うわー、うちのヨメがなんか物騒な知識を披露してるんだが」
「心外な。こんなのちょっと調べれば分かる程度の知識だし。それに、ゴムの代用品云々は別にしても、ガガイモの汁に薬効成分が含まれているのは確かだから、その汁を効率よく集める方法を模索すること自体はかなり有益な研究であると思うよ」
「ほぉ。意外とちゃんとしたところに着地したな。ならちょっと試しに、食べるには育ちすぎてる実の表面に傷を付けて実験してみようか?」
「賛成。実に傷を付けたその後の経過も気になるから、それも自分の目で確認したいし。傷を付けた実がその後もちゃんと成熟するのか、それとも駄目になっちゃうのか」
「なるほど。継続性の観点からも大事だな」
そんなわけでいくつかの未熟な実を選んでその表面にナイフの刃を滑らせて浅い傷を網の目状に刻んでいく。たちまち傷から白い汁が滲んでくるがそのまま経過観察することにする。
ガガイモの若い実の他にも周辺に生っていたスズメウリ、ムベ、エビヅル、ヤマイモのムカゴなどの秋の実りを収穫してから俺たちはその場所を後にして仮拠点に戻った。
砂浜から引き上げたのは12時頃だったが、いろいろやっているうちにもう午後2時近くなっている。とりあえずすぐに食べられるもので軽めの食事をするとしようか。
朝の海鮮つみれ鍋の残りは大コッヘルに移してあるが……具は朝食でほとんど食べてしまったので残っているのはスープばかりだ。それなら残ったスープを沸騰させ、そこに昨日の夜に捌いたカレイの身を一口サイズに切り分けて表面に葛粉をまぶしたものを投入してサッと火を通して吉野汁にしてしまおう。
ガガイモの実は塩茹でにして刻み、ヤマイモのムカゴは生のままで刻んでとろろにして、その二つを和えて、仕上げに謹製の旨味出汁をかければきっと旨いはず。ガガイモの味がオクラやサヤインゲンに似ているという美岬の証言が正しければだが。
「……と、昼はこんな感じで軽く済ますつもりだがどうだ?」
「異論なーし。でもなんで吉野汁っていうの?」
「奈良の吉野が葛の名産地だからだな。表面に葛粉をまぶした具を入れた吸い物を吉野汁とか吉野風って呼ぶんだ」
「ほほぅ。和食のネーミングってなんというか趣があるというか洒落てるよね。霜造りとか土佐造りとか」
「牡丹とか紅葉なんかもあるぞ。ちなみに牡丹がイノシシ肉で紅葉がシカ肉な」
「ほえー。お肉に花の名前をつけるなんて雅だね」
「生肉の色が牡丹の花や紅葉の葉の色に似てるっていう割と実も蓋もない由来だけどな。あと言葉遊びだと、フグ料理はテッポウっていうんだがなんでか分かるか?」
「鉄砲? 物騒な名前だね。口からぴゅーって水鉄砲飛ばすから?」
「鉄砲と同じで当たると死ぬから」
「うわぁ、本当に物騒な由来だった! 完全にブラックユーモアじゃん」
「今でこそフグの種類ごとの毒の部位も分かってるけど、昔は命懸けだったからな。それでも食べるんだから日本人の食への執念はすごいよな。フグにまつわるこんな小噺がある。江戸の若い衆たちがフグ鍋を作ったはいいが毒が怖いから誰も最初に食べようとしなかった。でも旨いから食べるのを諦めるという選択肢はない。それで、近くにいた物乞いに差し入れと称して毒見させてしばらく様子を見ることにした。物乞いが毒に当たって死んだら諦めるってことだ」
「酷い! なんてことするの! 殺人未遂じゃん」
いい反応だな。続きを聞いたらどんな反応をするかな?
「フグ鍋を丼一杯分、物乞いに差し入れてから、しばらくしてからこっそり様子を伺ってみれば、物乞いはピンピンしていた。これなら大丈夫だと安心して、若い衆たちは先を争ってフグ鍋を食べて舌鼓を打ち、腹一杯になって満足した。そして腹ごなしに散歩に出て、さっき毒見をさせた物乞いを見かけた。結果だけみれば旨い食事をご馳走してやったわけだから、若い衆たちは物乞いの前で恩着せがましく『フグ鍋旨かったなぁ』とか『あんな旨い物を恵んでもらえるなんて幸せだなぁ』などと話し始めた」
「うわぁ……やな奴ら。自分たちが安心して食べれたのはこの人に毒見役を押し付けたからなのに」
「すると物乞いが若い衆たちに話しかけた。『先ほどはありがとうございました。旦那方はもうフグ鍋を召し上がったんですか?』若い衆はこう答える。『おう。やはりフグは最高だった。何度もおかわりして腹一杯よ』それに対して物乞いはなおも訊ねる『旦那方、体調の方は大丈夫なんですか?』若い衆はニヤニヤと笑いながら答える。『この通りピンピンしておるわ。お前だって食ったのに平然としておるではないか』それに対して物乞いは『いやあ、あっしも命は惜しいんで。でも、それを聞いて安心しました。これで心置きなくいただけます』そう言うなり隠してあった手付かずのフグ鍋の丼を取り出して旨そうに食べ始めたそうな。というお話」
話し終えて美岬の顔を見ればポカーンとした顔をしていた。いいね! その顔が見たかった。
「……あまりの急展開にビックリだよ。え、なに? つまり物乞いは毒見をさせられたと見せかけて逆に若い衆たちに毒見をさせた、と。なにこの高度な騙し合い」
「まあそれだけ、若い衆たちも物乞いも毒があるからってフグをやすやすと諦める気はなかったってことだ。これが俺たち日本人のルーツ。食べることへの執念は昔からってことだな」
「領海侵犯されてもそんなに怒らないけど、好きな食べ物を禁止されたらぶちギレる日本人」
「それな。何しろ鰻が絶滅危惧種になったら、食べないんじゃなくて本気で不可能と言われていた完全養殖に取り組んで成功させてしまうぐらいだからな」
「……鰻かぁ。食べたいなぁ」
「今夜はアナゴを料理してあげるからそれで我慢しなさい」
「はぁい」
「さて、色々脱線したけど、とりあえず昼食をささっと作ってしまおう。ヤマイモのムカゴをすり鉢で皮剥き頼む」
「あいあい。おまかせられ」
ヤマイモのムカゴは大きくてもせいぜい500円玉サイズの、見た目は小さなジャガイモだ。当然、薄いが皮があり、一応食べれるが食感はあまり良くない。かといってナイフで皮剥きすると元が小さすぎて効率が悪い。それで編み出したのが、すり鉢の中で転がして表面の皮を剥く方法だ。
美岬がすり鉢にざらざらっと皮付きのムカゴを入れ、手のひらで上から軽く押さえながらゴロゴロと転がしていく。そうすればすり鉢の櫛目がやすりのようにムカゴの表面を削るので皮剥きができるというわけだ。
美岬がムカゴの皮剥きをしてくれている間に俺もかまどの火を起こし、ガガイモの実を茹でるためのお湯を沸かし始め、朝の残りのスープを温めつつ、カレイの身を切り分けて葛粉をまぶし、昼食の準備を進めていくのだった。
【作者コメント】
ガガイモの汁がゴムの木の樹液に似ているというのは作者の個人的な感想なので本当にゴムの代用品になるかは不明です。ですが虫刺されの薬としては確かに効果はありました。
ガガイモ以外の植物──スズメウリ、ムベ、エビヅルについては9日目⑤を参照のこと。
今回のお話を楽しんでいただけましたら、引き続き応援よろしくお願いします。
「……あ、そうだガクちゃん、ガガイモの若い実って美味しいらしいよ? ちょっと食べてみたいなって」
さすがにちょっと引きながらやんわりと却下する。
「……えー、これは数が少ないからなるべく残して育てた方がいいんじゃないか?」
「そ、そうなんだけど! 人工受粉が成功すればいっぱい採れるし、一回だけ! お願い!」
なんかやけに食べたがるじゃないか。美岬がこんな風に我を通すのは珍しいな。まあ、確かに人工受粉が成功すればたくさん収穫できるし、失敗したらそもそも必要量には届かないんだからそこまで強く拒む必要もないかと思い直す。
「んー、まあいいけどさ。で、食べるならどういうのを選んだらいいんだ?」
「やった! ある程度大きくなると中で綿毛ができ始めて食感が悪くなるらしいから、せいぜい5㌢ぐらいまでの小さな実がいいんだって」
「分かった。じゃあそれぐらいに小さな実をちょっと集めていくか。見たところスズメウリ、ムベ、エビヅルなんかも食べ頃のやつがそこらじゅうにあるからその辺も適当に採っていこう」
ガガイモの花の匂いを頼りにたどり着いたこの辺りは俺たちがまだ足を踏み入れたことのない未踏破エリアだったこともあり、手付かずの秋の実りがそこかしこになっている。
美岬がサークル活動で個人的に研究しているというお気に入り植物のスズメウリはちょうど今が花と若い実ができ始めている時期だ。育った実はメロンに似た味になるそうだが、若い実はそのまま丸ごと食べれて味はキュウリによく似ている。すでに何度か俺たちの食卓にもサラダの具材として登場している。
ムベはアケビの仲間だがアケビと違って熟しても皮が割れない。身の表面が紫色に色づいたら食べ頃だ。これも何度か食べているがぶっちゃけアケビとほぼ変わらない。
エビヅルは野生種のブドウの一種。栽培種に比べると実は小さく種が大きく、甘味よりも酸味と渋みが強めだが、干し葡萄にしたり、なんなら搾ってワインにするという手もある。今後のことを考えて干し葡萄を試してみるつもりだ。
ガガイモの蔓を調べ、食べ頃の小さい実を探す。すでにそこそこ育っている実も多く、5㌢以下ぐらいの小さい実はなかなか見つからない。
「ちなみにガガイモの実はどういう味なんだ? ……お、いいサイズ」
「あ、いいね。……粘りけのないオクラとか癖のないサヤインゲンぽいって去年食べた先輩たちは言ってたよ。あたしにはまだ早いって食べさせてくれなかったけど。っと、あたしも見っけ」
「まだ早い? 大人の味ってことか。そっち系なら塩茹でにして刻んで出汁で和えるぐらいでよさそうだな」
「おぉ、それシンプルだけど絶対美味しいやつー!」
話しながらガガイモの蔓のチェックを続け、良さげなサイズのものを見つけたら蔓を傷つけないように実の付け根を折って採取する。折ったところから出た白い汁でたちまち手がベトベトになる。この汁、思った以上にネバネバしていて触った感触はゴムの樹液とよく似ている。上手く集めることができたら天然ゴムの代用品にならないかな、と美岬に言ってみる。
「ほぇー、確かに言われてみればゴムの木の樹液っぽいね。ただ、ガガイモは一年草の蔓植物だから、大きく育ったゴムの木の幹から樹液を集める従来の方法は無理だよね。…………汁を集める別の方法としては……あ、そうだ、ケシから阿片を採る方法の応用で若い実の表面を刃物で薄く傷つけて、滲み出て固まった汁を剥がして集めるというやり方がいけるかも?」
「うわー、うちのヨメがなんか物騒な知識を披露してるんだが」
「心外な。こんなのちょっと調べれば分かる程度の知識だし。それに、ゴムの代用品云々は別にしても、ガガイモの汁に薬効成分が含まれているのは確かだから、その汁を効率よく集める方法を模索すること自体はかなり有益な研究であると思うよ」
「ほぉ。意外とちゃんとしたところに着地したな。ならちょっと試しに、食べるには育ちすぎてる実の表面に傷を付けて実験してみようか?」
「賛成。実に傷を付けたその後の経過も気になるから、それも自分の目で確認したいし。傷を付けた実がその後もちゃんと成熟するのか、それとも駄目になっちゃうのか」
「なるほど。継続性の観点からも大事だな」
そんなわけでいくつかの未熟な実を選んでその表面にナイフの刃を滑らせて浅い傷を網の目状に刻んでいく。たちまち傷から白い汁が滲んでくるがそのまま経過観察することにする。
ガガイモの若い実の他にも周辺に生っていたスズメウリ、ムベ、エビヅル、ヤマイモのムカゴなどの秋の実りを収穫してから俺たちはその場所を後にして仮拠点に戻った。
砂浜から引き上げたのは12時頃だったが、いろいろやっているうちにもう午後2時近くなっている。とりあえずすぐに食べられるもので軽めの食事をするとしようか。
朝の海鮮つみれ鍋の残りは大コッヘルに移してあるが……具は朝食でほとんど食べてしまったので残っているのはスープばかりだ。それなら残ったスープを沸騰させ、そこに昨日の夜に捌いたカレイの身を一口サイズに切り分けて表面に葛粉をまぶしたものを投入してサッと火を通して吉野汁にしてしまおう。
ガガイモの実は塩茹でにして刻み、ヤマイモのムカゴは生のままで刻んでとろろにして、その二つを和えて、仕上げに謹製の旨味出汁をかければきっと旨いはず。ガガイモの味がオクラやサヤインゲンに似ているという美岬の証言が正しければだが。
「……と、昼はこんな感じで軽く済ますつもりだがどうだ?」
「異論なーし。でもなんで吉野汁っていうの?」
「奈良の吉野が葛の名産地だからだな。表面に葛粉をまぶした具を入れた吸い物を吉野汁とか吉野風って呼ぶんだ」
「ほほぅ。和食のネーミングってなんというか趣があるというか洒落てるよね。霜造りとか土佐造りとか」
「牡丹とか紅葉なんかもあるぞ。ちなみに牡丹がイノシシ肉で紅葉がシカ肉な」
「ほえー。お肉に花の名前をつけるなんて雅だね」
「生肉の色が牡丹の花や紅葉の葉の色に似てるっていう割と実も蓋もない由来だけどな。あと言葉遊びだと、フグ料理はテッポウっていうんだがなんでか分かるか?」
「鉄砲? 物騒な名前だね。口からぴゅーって水鉄砲飛ばすから?」
「鉄砲と同じで当たると死ぬから」
「うわぁ、本当に物騒な由来だった! 完全にブラックユーモアじゃん」
「今でこそフグの種類ごとの毒の部位も分かってるけど、昔は命懸けだったからな。それでも食べるんだから日本人の食への執念はすごいよな。フグにまつわるこんな小噺がある。江戸の若い衆たちがフグ鍋を作ったはいいが毒が怖いから誰も最初に食べようとしなかった。でも旨いから食べるのを諦めるという選択肢はない。それで、近くにいた物乞いに差し入れと称して毒見させてしばらく様子を見ることにした。物乞いが毒に当たって死んだら諦めるってことだ」
「酷い! なんてことするの! 殺人未遂じゃん」
いい反応だな。続きを聞いたらどんな反応をするかな?
「フグ鍋を丼一杯分、物乞いに差し入れてから、しばらくしてからこっそり様子を伺ってみれば、物乞いはピンピンしていた。これなら大丈夫だと安心して、若い衆たちは先を争ってフグ鍋を食べて舌鼓を打ち、腹一杯になって満足した。そして腹ごなしに散歩に出て、さっき毒見をさせた物乞いを見かけた。結果だけみれば旨い食事をご馳走してやったわけだから、若い衆たちは物乞いの前で恩着せがましく『フグ鍋旨かったなぁ』とか『あんな旨い物を恵んでもらえるなんて幸せだなぁ』などと話し始めた」
「うわぁ……やな奴ら。自分たちが安心して食べれたのはこの人に毒見役を押し付けたからなのに」
「すると物乞いが若い衆たちに話しかけた。『先ほどはありがとうございました。旦那方はもうフグ鍋を召し上がったんですか?』若い衆はこう答える。『おう。やはりフグは最高だった。何度もおかわりして腹一杯よ』それに対して物乞いはなおも訊ねる『旦那方、体調の方は大丈夫なんですか?』若い衆はニヤニヤと笑いながら答える。『この通りピンピンしておるわ。お前だって食ったのに平然としておるではないか』それに対して物乞いは『いやあ、あっしも命は惜しいんで。でも、それを聞いて安心しました。これで心置きなくいただけます』そう言うなり隠してあった手付かずのフグ鍋の丼を取り出して旨そうに食べ始めたそうな。というお話」
話し終えて美岬の顔を見ればポカーンとした顔をしていた。いいね! その顔が見たかった。
「……あまりの急展開にビックリだよ。え、なに? つまり物乞いは毒見をさせられたと見せかけて逆に若い衆たちに毒見をさせた、と。なにこの高度な騙し合い」
「まあそれだけ、若い衆たちも物乞いも毒があるからってフグをやすやすと諦める気はなかったってことだ。これが俺たち日本人のルーツ。食べることへの執念は昔からってことだな」
「領海侵犯されてもそんなに怒らないけど、好きな食べ物を禁止されたらぶちギレる日本人」
「それな。何しろ鰻が絶滅危惧種になったら、食べないんじゃなくて本気で不可能と言われていた完全養殖に取り組んで成功させてしまうぐらいだからな」
「……鰻かぁ。食べたいなぁ」
「今夜はアナゴを料理してあげるからそれで我慢しなさい」
「はぁい」
「さて、色々脱線したけど、とりあえず昼食をささっと作ってしまおう。ヤマイモのムカゴをすり鉢で皮剥き頼む」
「あいあい。おまかせられ」
ヤマイモのムカゴは大きくてもせいぜい500円玉サイズの、見た目は小さなジャガイモだ。当然、薄いが皮があり、一応食べれるが食感はあまり良くない。かといってナイフで皮剥きすると元が小さすぎて効率が悪い。それで編み出したのが、すり鉢の中で転がして表面の皮を剥く方法だ。
美岬がすり鉢にざらざらっと皮付きのムカゴを入れ、手のひらで上から軽く押さえながらゴロゴロと転がしていく。そうすればすり鉢の櫛目がやすりのようにムカゴの表面を削るので皮剥きができるというわけだ。
美岬がムカゴの皮剥きをしてくれている間に俺もかまどの火を起こし、ガガイモの実を茹でるためのお湯を沸かし始め、朝の残りのスープを温めつつ、カレイの身を切り分けて葛粉をまぶし、昼食の準備を進めていくのだった。
【作者コメント】
ガガイモの汁がゴムの木の樹液に似ているというのは作者の個人的な感想なので本当にゴムの代用品になるかは不明です。ですが虫刺されの薬としては確かに効果はありました。
ガガイモ以外の植物──スズメウリ、ムベ、エビヅルについては9日目⑤を参照のこと。
今回のお話を楽しんでいただけましたら、引き続き応援よろしくお願いします。
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