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箱庭スローライフ編
第45話 6日目①おっさんは葛を見つける
しおりを挟む目が覚めた時、まず目に入ったのはごつごつとした岩肌の低い天井だった。外はすでに明るくなっているようで、拠点内は外からの淡い光により、薄暗くはあるが物の判別は出来る。
首を巡らして隣を見れば、俺の方に体の正面を向け、軽く体を丸めて安心しきった寝顔で眠り続けている美岬。その姿を見てほっとしてしまうのは、二日前の夢の中で美岬を死なせてしまったあのトラウマが自分の中にまだ残っているからだろう。
今回の寝床は、砂を寄せてクッションにして、その上に断熱シートを被せたものだ。上掛けは無かったが肌寒さも特に感じずに朝までしっかり熟睡してしまった。
断熱シートは体を少し動かす度にガサガサと音がするし、汗ばんだむき出しの腕に張り付いたりして微妙に寝具としては不快ではあるが、それでも砂の上に直接寝て、服の中に砂が入るよりはいくぶんかましだ。
ただ、これからこの島でしばらく生活することになる以上、より寝心地の良い寝床の追求も進めていきたい、と自分の頭の中のToDoリストに書き込んでおく。
そうこうしているうちに美岬も意識が浮上してきたようで身動ぎし始め、ゆっくりと目を開く。
「……んぁ」
まだ寝ぼけているようで、ぼーっと焦点の合わない目でぱちり、ぱちりと何度か瞬きを繰り返す。
「……ふわぁ。……ん。……あ、ガクさん、おはよ……す。……ふああぁぁ」
大きなあくびをしてようやく目が覚めたようだ。
「おはよう、美岬。よく寝れたか?」
何気なくつい、寝そべったまま手を伸ばして美岬の頭を撫でる。と、美岬はまるで猫のように目を細めて嬉しそうに俺の手に頭を擦り付けてきた。
「……うへへ、寝てる間に海に落ちたり波を被ったりってのを心配しなくていいって幸せっすね。久しぶりにちゃんと寝た感じっす」
「そうだな。筏だとどうしても気が張ってて眠りは浅くなるからな。まだ時間は早いけどどうする?」
「……んー、このなでなでをもう少し堪能したいのは山々っすけど、目が冴えちゃったのと、おトイレもしたいから起きるっす。今、何時っすか?」
「6時前だな」
「了解っす。……よっ! んん~~~ふぅ」
寝床から起き上がり、大きく伸びをした美岬が目を擦りながら言う。
「せっかく陸に上がれたんだから顔も洗いたいっすねぇ。昨日ガクさんが見つけた小川って顔洗える感じっすか?」
「うーん。見た感じは綺麗そうだったが……とりあえず飲み水としての利用は一旦保留だが、顔を洗ったり洗濯になら使えるだろう。今から行ってみるか?」
「あ、そっすね。じゃあついでに洗濯も先に済ませちゃうのはどうっすかね? 昨日作ってた石鹸ってどんな感じっすか?」
昨夜、浜で拾ってきた赤貝の殻二枚それぞれに詰めた石鹸の素をそのままクーラーボックスの上に置いて固めていたのだが……。
「……うーん、表面は固まっているが中はまだ軟らかそうだな。でも別にこのままでも石鹸としては使えるぞ。ボディーソープみたいな液体石鹸と思えば」
「おお、なるほどっす。じゃあとりあえず外に出ましょっか」
「そうだな」
洗濯物、それを干すためのパラコード、水を掬うバケツがわりのコッヘル、折り畳みスコップとサバイバルナイフ、石鹸を持って美岬と一緒に拠点から外に出る。雨上がりの朝ならではの湿気を含んだ涼しい空気が心地好く、思わず深呼吸してしまった。土や草や花、そして潮の匂いが感じ取れる。
そして、改めて俺たちの周囲を見回し、そのあまりにも現実離れした幻想的な美しさに二人揃って息を呑み、思わず歓声を上げる。
「……っ! これは、すごいな」
「…………ふわぁ! ここってこんなに綺麗な場所だったんすね」
昨日は曇っていたし、雨のせいで視界が遮られてじっくりと見ることができなかったが、今は台風一過で空は雲ひとつなく晴れ上がり、視界を遮るものもなく、この谷あいの盆地のすべてを一望できる。
きらきらと輝く粒子の細かい真っ白な砂浜とそこに混じる海浜植物、特にちょうど花の時期を迎えているハマナスの赤い花とのコントラストが美しい。
海面に落ちる雨粒による波紋の揺らぎのなくなった内湾の水は信じられないほど透明に澄み切っていて、小さなさざ波程度の波しかない凪いだ海面はまるで鏡のように、垂直にそそりたつ崖とその上の蒼穹を写し出している。
昔、三重県の熊野を旅した時に銚子川の透明度に感動したものだが、この内湾の透明度は多分それ以上だ。おそらく葦の群生地で伏流水となった小川の水が、葦によって濾過され綺麗になって湾内に涌き出しているからだろう。
昨日は見なかったが、湾内にはちらほらとカモメのような水鳥の姿もある。水面から飛び立った一羽を目で追えば、どうやら崖の途中の岩棚に営巣しているようだ。
そのまま崖を見上げれば、元は滑らかであったであろう岩肌も永年の浸食によってひび割れや穴が穿たれ、そこに松や蔓性の植物や鳥たちがたくましく棲息している様子が見てとれる。崖の最上部からは植物がまるですだれのように垂れ下がり、しかもそれがずっと続いているから、さながらテーブルの縁から垂れ下がるレースのテーブルクロスを下から見上げているかのようだ。
そんな人の手によらない自然の造形美に見とれていた俺たちだったが、美岬がはっと何かに気づく。
「あ、ガクさん、あれ葛じゃないっすか?」
「おっ、どれ……ああ、間違いないな。ってことはその下も……あるな」
美岬が指差したのは、俺たちの拠点のある崖とは反対側の崖の上だ。そこから崖に垂れ下がっている蔓植物は確かに本土でもお馴染みの葛だ。そして、その真下にあたる、俺たちから見れば砂浜と葦の群生地を挟んだその先の岩場にも葛が繁茂しているのが見える。おそらく崖上の葛の豆が落ちてそこで芽吹いたのだろう。ここからは背の高い葦に隠れてよく分からないが、おそらく葦の群生地の向こうにはかなりの規模で葛が繁茂していると思われる。
「あっさり見つかったっすね。昨日拾った葛豆の莢はあのへんから台風の風で飛ばされてきた感じっすかね」
「まああいつらは自己主張が強すぎてそもそも隠れる気もないからな。あるならすぐ見つかるとは思ってたけどな」
「あはは、まあそうっすよね。でも早々に見つかってよかったっす。あ、ちなみに小川ってどこっすか?」
「葦の群生地の奥の林の中だ。というかその小川が灌漑用水の役割をしてるから、小川の水が届く範囲でだけ木が成長して林になってるって感じだな」
「なるほどー。じゃあ、林が奥に行くにつれて木の密度が増えてるってことは、それだけまとまった水が奥の方に供給されてるってことっすよね」
「……そうなるな。どこから……ってあれか!」
「おぉ! あんなところから水が……」
海側から葦の群生地で林、その奥の森へと順に視線を巡らしていく。
森の奥の方が霞んで見えたので霧が出ているのかと思ったが違う。森の最奥部の崖の上から滝が流れ落ちていて、高さがあるので滝の水が空中でばらばらに飛散して、水煙になって周囲の森に降り注いでいた。
常に霧雨のような水で潤っているその森の木々はここからでも分かるぐらいに立派に成長し、さながら熱帯雨林の様相を呈している。
「滝が霧雨状になって森を潤しているのか」
昨日、この盆地に入ってきた時は、雨で視界も悪かったのでここは奥行き1㎞ぐらいの扇形をしていると思っていたが、実際には扇状に広がった後だんだん狭くなる奥行き2㎞ぐらいのトランプのダイヤのような菱形であるようだ。
俺たちが今いる砂浜辺りは崖と崖の間の幅が300㍍ぐらいだが、奥に行くにつれて更に拡がり、最も広くなっている場所で幅が1㎞ほどになる。そしてその辺りがちょうど平原と森の境界線になっているようで、その先は木が増えながら崖の幅がだんだん狭くなっていき、最終的に最狭となった最奥部の滝に突き当たるようだ。盆地の最奥部はかなり大きな木々によって隠されているので滝の下がいったいどうなっているのかここからは分からない。
「……ガクさん、屋久島って行ったことあります?」
唐突にそんなことを言い出した美岬だが、とりあえずうなづく。
「おう。あるぞ」
「いいなぁ。……じゃなくて、屋久島って一つの島の中に亜熱帯から亜寒帯までの気候帯があって、ものすごく豊かな生態系があるっていうのは知ってるっすか?」
「ああ。確か標高差がかなりあるんだよな」
「そうなんす。だから自然界の動植物の研究者たちにとっては一度は行ってみたい憧れの島なんすよね。あたしも行ってみたいっす」
「ふむ。俺はそういう研究とは関係ないが、すごくいい場所だったからおすすめだぞ。いつか一緒に行きたいな」
「いいっすね。……いや、まあそれはともかくとして、この島もたぶんそういう意味ですごい価値のある島だと思うんすよ。この盆地の中だけでさえここまで多様性があるなんて普通じゃ考えられないっす! 屋久島みたいに標高差はないっすけど、それでも海があって湿地があって川があって滝があって、砂浜があって平原があって林があって森があって、普通なら少なくとも数千から数万㌶分に相当する生態系がたった数㌶のここに閉じ込められて調和して組み合わされているんすよ! これは規模は大きいけど箱庭とかテラリウムみたいな感じっす」
「ふむ。なんとなく言いたいことは分かった。まあつまりここの環境は自然が造り出した絶妙のバランスで成り立っている奇跡。言うなれば“神様の箱庭”ってわけだな」
「おお、その表現しっくりくるっすね。じゃあこれからこの盆地は“箱庭”って呼ぶのはどうっすか?」
「ん。まあいいんじゃないか」
こうして、奥行き約2㎞、最大幅約1㎞の菱形をしたこの谷に囲まれた盆地の地名が“箱庭”と決まったのだった。
【作者コメント】
ということで新章のタイトルを出オチで回収してしまいましたが、第二部の箱庭スローライフ編スタートです。
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