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沈没漂流編
第6話 2日目③おっさんはJKにブッ飛んだフランス人について語る
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美岬の荷物に意外なものが入っていて思わず聞き返す。
「野菜の種と苗?」
「あー、これは父ちゃんに頼まれた奴っす。あと乾燥麹も。島の畑で試験的に育てるために色んな種類の野菜の種と苗を買ってきたんすよ。麹は実家の麹と混ぜて実験したいらしいっす」
「ほー、種と苗はどんなのがあるんだ?」
「けっこう豆類が多いっすよ。豆類は空気中の窒素を地中に取り込んで土を肥やす性質があるんで輪作に向いてますし。とりあえず豆類は、大豆、緑豆、いんげん豆、小豆、ひよこ豆と各種取り揃えてるっす。あとは丈夫で育てやすいさつま芋の種芋とナス科のトマト、トウガラシ。あとはアブラナと胡麻の種とトウモロコシの苗とバラフの苗ってとこっすね。あーでもトウモロコシの苗は海水に漬かって駄目かもっす。バラフは全然大丈夫っすけど」
「バラフってなんだ?」
「ああ、これっす。ツルナ科メセンブリアンテムム属の多肉植物で……アイスプラントって言った方が分かりやすいっすかね。南アフリカ原産の塩生植物なんで島の浜辺で育てられないか試してみようと思ってたんす。うまくいけば島の特産品になるかもしれないっすし」
そう言いながら美岬が小さな植物が生えているビニールポットを取り出す。
「なるほどな。塩生植物ってことはマングローブみたいに海水で育つってことか?」
「そっす。アイスプラントの表面のプチプチが塩分を隔離する細胞なんすよ。発芽させてちょっと育つまでは真水が必要っすけど、それ以降は海水での水耕栽培もできるタフな植物っす。だいたいこれぐらいまで育ってればあとは海水でも大丈夫っすね」
「つまり、この筏の上で野菜を育てられるってことだな?」
「……っ!? おお!? 全然、気づかなかったっすけど確かにそうっすね。あー……でも育つのに時間がかかるんで食べれる量まで育てるのは厳しいっすよ?」
「もちろん今すぐ食べたいとは言わんさ。でも、一つの選択肢として残しておきたいから、そのアイスプラントは枯らさないように気を付けてやってくれ」
「なるほど。そっすねー、もし、水にかなり余裕が出来そうなら、緑豆で豆苗とかモヤシも作れるっすよ。毎日水換えが必要なんで今は無理っすけどね」
「そうか。その手もあったな。確かに今はモヤシより水の方が大事だから保留だな」
「……ただ、アイスプラントはこの状態からだと1ヶ月ぐらい育つのにかかっちゃうっすよ。食べられる頃にはあたしらは飢え死にしてるっすよね。食糧だって7日分しか無いっすし」
「まぁそうなんだけどな。ただ、それはなんとかなるかもしれない」
「え? どういうことっすか?」
「そもそも、今ある水と食糧は確かに1週間分で間違いないんだが、それが尽きた後も生き延びる当てが無いとは言ってないぞ」
「ええ!? そんな当てがあるんすか?」
「おう、実際にそういう状況で生き延びた人間の記録はけっこうあるからな。そういう過去の事例から生き延びるための重要なヒントは得られるんだ。特に1953年にアラン・ボンバールというフランス人の医者が、やってのけた漂流実験はすごいぞ」
「ほー、その人はどんなことやったんすか?」
「食糧も水も持たずに小さなゴムボートでアフリカ西海岸からカリブ海のバルバドス島まで65日間かけて大西洋を単独横断してみせたんだ」
「はぁ? そんなの、どうやって生き延びたんすか?」
「まず、ボンバールは漂流時に海水を飲んではいけないという定説に疑問を呈した。多くの漂流した船乗りは脱水が危険なレベルになってついに我慢出来ずに海水をガブ飲みして、結果的に血液中の塩分濃度が一気に上昇して腎不全で命を落とすが、その飲み方に問題があると考えた。
ボンバールは人体はそもそも塩分を必要としているわけだから、漂流の最初から人体が一日に必要とする塩分を越えない程度に少しずつ海水を摂取すれば急激に体内の塩分濃度が上がることもなく、生き長らえられると考えたんだ」
「なかなか斬新っすけど、説得力はあるっすね。でも確かにめっちゃ濃い味が好きで料理に塩とか醤油とかドバドバかけてる人ってたまに見かけるっすけど、ああいう人って普段からあの食生活なんすよね」
「そういうことだ。ただ、塩分取りすぎにならない程度の海水だけだと量が足りないから、ボンバールは手製のもりで魚を捕まえてその身から絞った水分で海水を薄めて飲んでいたそうだ。……正直、生魚の絞り汁なんて飲みたいとは思わんが、ボンバールがそれで長期漂流を生き延びた以上、一考には値する。それに加えて雨水も海上で真水を得る手段になる」
「あ、そっか。雨水も集めれば飲めるっすよね」
「そういうことだ。だから俺たちもどこかで雨に遭遇する機会があれば真水を補給できるわけだ。雨を効率よく集めるのにこの断熱シートや美岬ちゃんの折り畳み傘はきっと役に立つし、集めた水の保管にはコッヘル、水筒、ペットボトル、ビニール袋が使えるから、一度雨が降るだけでだいぶ助かるな」
「なるほど。嵐は困るっすけど、雨が降ってくれて水を余分に確保できるならモヤシや豆苗も育てられるかもっすね」
「野菜が育てられればビタミンの不足問題が一気に解決するからな。……といっても今でも手っ取り早い解決策はあるけどな」
「あるんすか?」
「そこはやはりさすがはボンバールの御大ってとこだな。海洋生物学者でもあったボンバールはプランクトンを主食とする鯨が壊血病にならないことに注目して、プランクトンには十分なビタミンCが含まれているはずだと想定して、目の細かい網でプランクトンを掬って毎日ティースプーン2杯分ぐらいそのまま食べてたそうだ。実際それで本当に壊血病にならなかったってんだから大したもんだよな」
「ボンバール先生マジぱないっすね。ちゃんと理論的に考えて誰でも実践できる方法でやってるってのがすごいっす」
「そうなんだよな。とりあえずこのプランクトンを採って食べるのは即採用しようと思う」
「賛成っす。掬う網はどうするんすか?」
「俺の替えの靴下を使おう。これの口を針金で広げて、麻紐で結んで、海中に吹き流しみたいにして漂わせておけば勝手にプランクトンが貯まるだろう」
「なるほどっす。何に使うのかと思ってたっすけど、こういう時に麻紐が役に立つんすね」
「麻紐はアウトドアで便利だぞ。ちょっとした物を結んだり、物を作る時とかに気楽に必要なだけ使えるし、それなりに丈夫だし、天然素材だから使い終わったらそのまま捨てても燃やしてもいいし。なにより百均で買える1玉で100㍍あるからコスパは最高だ。たった30㍍で千円以上するパラコードは勿体なくてこういう使い方は出来んからな」
「確かにそうっすね」
「さて、とりあえず持ち物のチェックはこんなところだな。一旦この荷物は片付けていいぞ」
「了解っす。しかし、改めて持ち物チェックしてみると、あたしの荷物ってこういう緊急時の備えが全然出来てなかったんだなーって反省っすね。どうせ実家にあるからってギリギリまで荷物減らしたのが裏目に出たっす。生理中だったからショーツだけ多目に持ってたのがせめてもの救いっすけど」
並べてあるものをショルダーバッグに戻しながらぶつぶつとつぶやく美岬。
「まぁそうだが、今回のこれは想定外としても酷すぎるからな。俺もさすがにこうなることは考えてなかったから持ち物も山向けのままで失敗したと思ってる。あとバイクに積んでた荷物──テントと寝袋はまあ今はいいけど、ハンマーとヘッドライトと釣具とキッチンバサミをロストしたのが特に辛いなー」
バイクが海に沈んだのも凹むが、フェリーごと沈んだ以上そこはまだ諦めがつく。でも、もし俺が船が沈む可能性を少しでも考えていたら、その4アイテムは絶対にリュックに入れておいたのに悔やまれる。
「無事に戻れたら、今回の経験を糧にある程度の漂流への備えは常にしておこうと思うっす。あたしの場合、島と本土を定期的に行き来してるからこういうことがまた起きないとも言えないわけっすし」
「そうだな。いい心がけだ。ただ、このリストを見る限り、かなり有用な物もあるぞ。折り畳み傘、はさみ、コンパクトミラー、エチケット袋はよくぞ持ち込んだと誉めたいレベルだ」
「え? そっすか?」
「折り畳み傘は日除けになるからこの真夏の漂流では頼もしい存在だ。はさみはとにかく有用な道具だし、コンパクトミラーは光を反射させて船や飛行機に合図を送るのに使える。黒のエチケット袋は熱を吸収するから太陽熱で海水を蒸留して真水を作る簡易蒸留器の材料になるぞ」
「ほへー。蒸留器も作れちゃうんすか」
「ただ、今の手持ちの材料とこの狭いスペースでやるのはちょっと厳しいな。やれないことはないんだが、けっこう時間もかかるしコッヘルやペットボトルが他の用途に使えなくなるのは困るから一旦保留だな。漂流が長引きそうだったらやってみようか」
「あー、了解っす。本土じゃペットボトルなんてゴミなのにこの状況だと宝っすよね」
「まったくもってその通りだな。今は切実に空きペットボトルが欲しいな。流れてきてくれると助かるんだがな。沈没したフェリーからもある程度は流出してるだろうからそれに期待だな」
「とりあえず、何かいいものが流れてこないか要チェックっすね」
「そうだな。……ああ、そうだ。そろそろ暑くなってくるから、その頭に巻いてるセームタオルを一旦海水で冷やしておこうか。体内の水分は頭から失われる分が多いから定期的に冷やすのは大事だ。太陽の位置が高くなって上からの日差しになったら折り畳み傘を日傘に使おう」
「了解っす。……あ、どうせ裸足っすし、足湯みたいに海水に足突っ込むのはありっすか?」
と、頭からほどいたセームタオルをさっそく海水に浸けていた美岬が思い付いたように訊いてくる。
「おう、考えてなかったがそれはいいアイディアだ。俺も後でやろう。ただ、鮫が寄ってくると困るからばた足はしないようにな」
「わーい。誉めてもらえたっす。じゃあさっそく」
絞ったセームタオルを頭に巻き直した美岬がいそいそと膝丈のレギンスから伸びる裸足の足を海に沈めて至福の表情を浮かべる。
「ほわぁ。これはこれでいいもんっすね」
「俺はプランクトン採取用に靴下を工作してるから美岬ちゃんは見張りを頼むな?」
「了解っす。特に注意することってあるっすか?」
「そうだな……飛行機、船、島、と漂流物。あとは海上に動かない雲は見つけたら教えてほしい」
「動かない雲?」
「ああ。空の雲は風に流されて常に動いているが、島に掛かっている雲はその場所から動かないんだ。だから水平線上に動かない雲があったらその下には島がある可能性が高い。そもそも、この水面上1㍍以下の目線だとせいぜい数㎞先までしか見えんからな」
「なるほどー。了解っす」
【作者コメント】
そもそもこの話を書こうと思ったきっかけがアラン・ボンバールの漂流実験なのです。ボンバールが文字通り命懸けで実証した実験結果は、それ以後の彼に共感して自らを実験台にした勇者たちによって正しいことが確かめられています。漂流した時に海水は飲んでいいんです。ボンバールは43日間魚の絞り汁だけを飲み、14日間は海水だけを飲んで見事生還しました。
どのサバイバル指南書を読んでも海上漂流時に海水は絶対飲むなと書いてありますが、これは実は昔からそう言い伝えられてきた結果、常識になっただけで、科学的な根拠はなく、実験と観察によって証明されたものでもありません。むしろ、海上での長期漂流を生き延びた人間はほぼ間違いなく早い段階から海水を飲んでいます。
「野菜の種と苗?」
「あー、これは父ちゃんに頼まれた奴っす。あと乾燥麹も。島の畑で試験的に育てるために色んな種類の野菜の種と苗を買ってきたんすよ。麹は実家の麹と混ぜて実験したいらしいっす」
「ほー、種と苗はどんなのがあるんだ?」
「けっこう豆類が多いっすよ。豆類は空気中の窒素を地中に取り込んで土を肥やす性質があるんで輪作に向いてますし。とりあえず豆類は、大豆、緑豆、いんげん豆、小豆、ひよこ豆と各種取り揃えてるっす。あとは丈夫で育てやすいさつま芋の種芋とナス科のトマト、トウガラシ。あとはアブラナと胡麻の種とトウモロコシの苗とバラフの苗ってとこっすね。あーでもトウモロコシの苗は海水に漬かって駄目かもっす。バラフは全然大丈夫っすけど」
「バラフってなんだ?」
「ああ、これっす。ツルナ科メセンブリアンテムム属の多肉植物で……アイスプラントって言った方が分かりやすいっすかね。南アフリカ原産の塩生植物なんで島の浜辺で育てられないか試してみようと思ってたんす。うまくいけば島の特産品になるかもしれないっすし」
そう言いながら美岬が小さな植物が生えているビニールポットを取り出す。
「なるほどな。塩生植物ってことはマングローブみたいに海水で育つってことか?」
「そっす。アイスプラントの表面のプチプチが塩分を隔離する細胞なんすよ。発芽させてちょっと育つまでは真水が必要っすけど、それ以降は海水での水耕栽培もできるタフな植物っす。だいたいこれぐらいまで育ってればあとは海水でも大丈夫っすね」
「つまり、この筏の上で野菜を育てられるってことだな?」
「……っ!? おお!? 全然、気づかなかったっすけど確かにそうっすね。あー……でも育つのに時間がかかるんで食べれる量まで育てるのは厳しいっすよ?」
「もちろん今すぐ食べたいとは言わんさ。でも、一つの選択肢として残しておきたいから、そのアイスプラントは枯らさないように気を付けてやってくれ」
「なるほど。そっすねー、もし、水にかなり余裕が出来そうなら、緑豆で豆苗とかモヤシも作れるっすよ。毎日水換えが必要なんで今は無理っすけどね」
「そうか。その手もあったな。確かに今はモヤシより水の方が大事だから保留だな」
「……ただ、アイスプラントはこの状態からだと1ヶ月ぐらい育つのにかかっちゃうっすよ。食べられる頃にはあたしらは飢え死にしてるっすよね。食糧だって7日分しか無いっすし」
「まぁそうなんだけどな。ただ、それはなんとかなるかもしれない」
「え? どういうことっすか?」
「そもそも、今ある水と食糧は確かに1週間分で間違いないんだが、それが尽きた後も生き延びる当てが無いとは言ってないぞ」
「ええ!? そんな当てがあるんすか?」
「おう、実際にそういう状況で生き延びた人間の記録はけっこうあるからな。そういう過去の事例から生き延びるための重要なヒントは得られるんだ。特に1953年にアラン・ボンバールというフランス人の医者が、やってのけた漂流実験はすごいぞ」
「ほー、その人はどんなことやったんすか?」
「食糧も水も持たずに小さなゴムボートでアフリカ西海岸からカリブ海のバルバドス島まで65日間かけて大西洋を単独横断してみせたんだ」
「はぁ? そんなの、どうやって生き延びたんすか?」
「まず、ボンバールは漂流時に海水を飲んではいけないという定説に疑問を呈した。多くの漂流した船乗りは脱水が危険なレベルになってついに我慢出来ずに海水をガブ飲みして、結果的に血液中の塩分濃度が一気に上昇して腎不全で命を落とすが、その飲み方に問題があると考えた。
ボンバールは人体はそもそも塩分を必要としているわけだから、漂流の最初から人体が一日に必要とする塩分を越えない程度に少しずつ海水を摂取すれば急激に体内の塩分濃度が上がることもなく、生き長らえられると考えたんだ」
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「あ、そっか。雨水も集めれば飲めるっすよね」
「そういうことだ。だから俺たちもどこかで雨に遭遇する機会があれば真水を補給できるわけだ。雨を効率よく集めるのにこの断熱シートや美岬ちゃんの折り畳み傘はきっと役に立つし、集めた水の保管にはコッヘル、水筒、ペットボトル、ビニール袋が使えるから、一度雨が降るだけでだいぶ助かるな」
「なるほど。嵐は困るっすけど、雨が降ってくれて水を余分に確保できるならモヤシや豆苗も育てられるかもっすね」
「野菜が育てられればビタミンの不足問題が一気に解決するからな。……といっても今でも手っ取り早い解決策はあるけどな」
「あるんすか?」
「そこはやはりさすがはボンバールの御大ってとこだな。海洋生物学者でもあったボンバールはプランクトンを主食とする鯨が壊血病にならないことに注目して、プランクトンには十分なビタミンCが含まれているはずだと想定して、目の細かい網でプランクトンを掬って毎日ティースプーン2杯分ぐらいそのまま食べてたそうだ。実際それで本当に壊血病にならなかったってんだから大したもんだよな」
「ボンバール先生マジぱないっすね。ちゃんと理論的に考えて誰でも実践できる方法でやってるってのがすごいっす」
「そうなんだよな。とりあえずこのプランクトンを採って食べるのは即採用しようと思う」
「賛成っす。掬う網はどうするんすか?」
「俺の替えの靴下を使おう。これの口を針金で広げて、麻紐で結んで、海中に吹き流しみたいにして漂わせておけば勝手にプランクトンが貯まるだろう」
「なるほどっす。何に使うのかと思ってたっすけど、こういう時に麻紐が役に立つんすね」
「麻紐はアウトドアで便利だぞ。ちょっとした物を結んだり、物を作る時とかに気楽に必要なだけ使えるし、それなりに丈夫だし、天然素材だから使い終わったらそのまま捨てても燃やしてもいいし。なにより百均で買える1玉で100㍍あるからコスパは最高だ。たった30㍍で千円以上するパラコードは勿体なくてこういう使い方は出来んからな」
「確かにそうっすね」
「さて、とりあえず持ち物のチェックはこんなところだな。一旦この荷物は片付けていいぞ」
「了解っす。しかし、改めて持ち物チェックしてみると、あたしの荷物ってこういう緊急時の備えが全然出来てなかったんだなーって反省っすね。どうせ実家にあるからってギリギリまで荷物減らしたのが裏目に出たっす。生理中だったからショーツだけ多目に持ってたのがせめてもの救いっすけど」
並べてあるものをショルダーバッグに戻しながらぶつぶつとつぶやく美岬。
「まぁそうだが、今回のこれは想定外としても酷すぎるからな。俺もさすがにこうなることは考えてなかったから持ち物も山向けのままで失敗したと思ってる。あとバイクに積んでた荷物──テントと寝袋はまあ今はいいけど、ハンマーとヘッドライトと釣具とキッチンバサミをロストしたのが特に辛いなー」
バイクが海に沈んだのも凹むが、フェリーごと沈んだ以上そこはまだ諦めがつく。でも、もし俺が船が沈む可能性を少しでも考えていたら、その4アイテムは絶対にリュックに入れておいたのに悔やまれる。
「無事に戻れたら、今回の経験を糧にある程度の漂流への備えは常にしておこうと思うっす。あたしの場合、島と本土を定期的に行き来してるからこういうことがまた起きないとも言えないわけっすし」
「そうだな。いい心がけだ。ただ、このリストを見る限り、かなり有用な物もあるぞ。折り畳み傘、はさみ、コンパクトミラー、エチケット袋はよくぞ持ち込んだと誉めたいレベルだ」
「え? そっすか?」
「折り畳み傘は日除けになるからこの真夏の漂流では頼もしい存在だ。はさみはとにかく有用な道具だし、コンパクトミラーは光を反射させて船や飛行機に合図を送るのに使える。黒のエチケット袋は熱を吸収するから太陽熱で海水を蒸留して真水を作る簡易蒸留器の材料になるぞ」
「ほへー。蒸留器も作れちゃうんすか」
「ただ、今の手持ちの材料とこの狭いスペースでやるのはちょっと厳しいな。やれないことはないんだが、けっこう時間もかかるしコッヘルやペットボトルが他の用途に使えなくなるのは困るから一旦保留だな。漂流が長引きそうだったらやってみようか」
「あー、了解っす。本土じゃペットボトルなんてゴミなのにこの状況だと宝っすよね」
「まったくもってその通りだな。今は切実に空きペットボトルが欲しいな。流れてきてくれると助かるんだがな。沈没したフェリーからもある程度は流出してるだろうからそれに期待だな」
「とりあえず、何かいいものが流れてこないか要チェックっすね」
「そうだな。……ああ、そうだ。そろそろ暑くなってくるから、その頭に巻いてるセームタオルを一旦海水で冷やしておこうか。体内の水分は頭から失われる分が多いから定期的に冷やすのは大事だ。太陽の位置が高くなって上からの日差しになったら折り畳み傘を日傘に使おう」
「了解っす。……あ、どうせ裸足っすし、足湯みたいに海水に足突っ込むのはありっすか?」
と、頭からほどいたセームタオルをさっそく海水に浸けていた美岬が思い付いたように訊いてくる。
「おう、考えてなかったがそれはいいアイディアだ。俺も後でやろう。ただ、鮫が寄ってくると困るからばた足はしないようにな」
「わーい。誉めてもらえたっす。じゃあさっそく」
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「ほわぁ。これはこれでいいもんっすね」
「俺はプランクトン採取用に靴下を工作してるから美岬ちゃんは見張りを頼むな?」
「了解っす。特に注意することってあるっすか?」
「そうだな……飛行機、船、島、と漂流物。あとは海上に動かない雲は見つけたら教えてほしい」
「動かない雲?」
「ああ。空の雲は風に流されて常に動いているが、島に掛かっている雲はその場所から動かないんだ。だから水平線上に動かない雲があったらその下には島がある可能性が高い。そもそも、この水面上1㍍以下の目線だとせいぜい数㎞先までしか見えんからな」
「なるほどー。了解っす」
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そもそもこの話を書こうと思ったきっかけがアラン・ボンバールの漂流実験なのです。ボンバールが文字通り命懸けで実証した実験結果は、それ以後の彼に共感して自らを実験台にした勇者たちによって正しいことが確かめられています。漂流した時に海水は飲んでいいんです。ボンバールは43日間魚の絞り汁だけを飲み、14日間は海水だけを飲んで見事生還しました。
どのサバイバル指南書を読んでも海上漂流時に海水は絶対飲むなと書いてありますが、これは実は昔からそう言い伝えられてきた結果、常識になっただけで、科学的な根拠はなく、実験と観察によって証明されたものでもありません。むしろ、海上での長期漂流を生き延びた人間はほぼ間違いなく早い段階から海水を飲んでいます。
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