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五十円玉二十枚の秘密
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黒髪の男がポーチに手を掛けながら言う。
「いつも通り五十円玉二十枚を千円札と両替してくれ」
陽菜もすかさずうなずく。
「はい」
「助かるよ。いつもありがとう」
この男が礼を言ってきたのは初めてだ……初めて?
バサッ。
陽菜は布団から身を起こした。なんだ今の夢は。遠い昔のような……。
そこでハッと思い出す。あれは大学生でバイトしていた頃。今から10年くらい前か。謎の男が毎週五十円玉の両替を要求してきたんだ。
懐かしさに浸りつつ、今度は好奇心がくすぐられた。あれは何だったのか。知りたい。
陽菜の小学校からの幼馴染に、俵積田徹という男がいる。今は山奥で絵を描いて生活しているそうだ。
絵やら音楽やら文学やら石集めやら。色んなものに手を出してはとことん突き詰めて、いつのまにかパタッとやめている。いつも何を考えているのかよく測れない人間だ。
徹にアポを取りつけて約束の場所に向かうと、彼は倉庫の中でキャンパスに向かっていた。
陽菜のほうから声をかける。
「久しぶり。元気にしてた?」
「ああ、おかげさまでな」
陽菜は彼が描いている絵を見て、首をかしげた。
「……何それ?」
「見て分かるだろう。絵だ」
「いやそれは分かるけど。その絵は何? サイ? いやゾウ?」
「……カバだ」
「……失敬」
気まずい沈黙が流れる。沈黙を破ったのは、徹のほうだった。
「で、俺に相談事とはどうした?」
「ああ、実はね……」
ここに来るまでの間に、10年前の出来事を必死に思い出して整理してきた。若い男との不思議なやりとり。相手の顔とかはもう思い出せない。会話を断片的に覚えている程度だ。
整理してきた内容を話すと、徹は絵筆を脇に置いた。
「最後までその男は理由を話さないまま消えてしまったと」
「うん、そうだったと思う」
「ふむ……。不確実な要素が多いからなんとも言えないが……。10年前か。うん、多分分かったぞ」
「え、もう!?」
陽菜は仰天した。あーでもないこーでもないと考えた時間は何だったのか。
「重要なのは時代だよ。今から10年前といえば、1960年頃。横溝正史や高木彬光が栄華を極め、鮎川哲也がデビューしたての“探偵小説”の全盛期だ」
「そうだね」
「あの頃の五十円玉はどんなだったか覚えているか?」
「うん。今と違って穴が開いてなかったと思う」
「そうだ。菊50円ニッケル貨といって、まだ穴が開いていなかった。で、ニッケルでできているということはどういうことか分かるか?」
「ニッケルって何だったっけ……」
陽菜は物理や化学が大の苦手なのだ。元素周期表か何かに載っていたようなおぼろげな記憶が……。
徹は特に嫌がる様子もなく教えてくれる。
「ニッケルや鉄、コバルトといった金属は磁石に引きつけられる性質があるんだよ」
「あの頃の五十円玉は磁石にくっつくの? 今のお金はつかないって聞いたことがあるけれど」
「その通りだ。磁石についてしまうと、困ったことが起こるからな」
「困ったこと?」
「賽銭箱から磁石で釣り上げることができてしまうんだ。1960年頃時点で磁石にくっつくのは五十円玉だけだから、その若い男が磁石で賽銭泥棒をしていたのなら、五十円玉ばかり貯まってくるだろう」
「でも、五十円玉なんてお賽銭にあまり入れなくない?」
「そうだな。だから一週間に一回しか来なかったのさ。寺という寺、神社という神社を巡りまくってかき集めていたんだろう。なんとも不謹慎な話だが」
「徹も不謹慎とか言うんだね。信心とかあんまりなさそうだけど」
「……聞かなかったことにしよう。話を戻す。五十円玉が大量にあっても使い勝手が悪いだろう。だから陽菜に両替させたわけだ」
陽菜も合点がいった。
「銀行に両替に行かなかったのも、後ろめたい理由だったからなのね。あと私が理由を聞いたら答えずに消えちゃったのも」
「そういうことだな。陽菜が知らない間に、互いに名前も知らない秘密の共犯関係が生まれていたというわけだ」
(了)
「いつも通り五十円玉二十枚を千円札と両替してくれ」
陽菜もすかさずうなずく。
「はい」
「助かるよ。いつもありがとう」
この男が礼を言ってきたのは初めてだ……初めて?
バサッ。
陽菜は布団から身を起こした。なんだ今の夢は。遠い昔のような……。
そこでハッと思い出す。あれは大学生でバイトしていた頃。今から10年くらい前か。謎の男が毎週五十円玉の両替を要求してきたんだ。
懐かしさに浸りつつ、今度は好奇心がくすぐられた。あれは何だったのか。知りたい。
陽菜の小学校からの幼馴染に、俵積田徹という男がいる。今は山奥で絵を描いて生活しているそうだ。
絵やら音楽やら文学やら石集めやら。色んなものに手を出してはとことん突き詰めて、いつのまにかパタッとやめている。いつも何を考えているのかよく測れない人間だ。
徹にアポを取りつけて約束の場所に向かうと、彼は倉庫の中でキャンパスに向かっていた。
陽菜のほうから声をかける。
「久しぶり。元気にしてた?」
「ああ、おかげさまでな」
陽菜は彼が描いている絵を見て、首をかしげた。
「……何それ?」
「見て分かるだろう。絵だ」
「いやそれは分かるけど。その絵は何? サイ? いやゾウ?」
「……カバだ」
「……失敬」
気まずい沈黙が流れる。沈黙を破ったのは、徹のほうだった。
「で、俺に相談事とはどうした?」
「ああ、実はね……」
ここに来るまでの間に、10年前の出来事を必死に思い出して整理してきた。若い男との不思議なやりとり。相手の顔とかはもう思い出せない。会話を断片的に覚えている程度だ。
整理してきた内容を話すと、徹は絵筆を脇に置いた。
「最後までその男は理由を話さないまま消えてしまったと」
「うん、そうだったと思う」
「ふむ……。不確実な要素が多いからなんとも言えないが……。10年前か。うん、多分分かったぞ」
「え、もう!?」
陽菜は仰天した。あーでもないこーでもないと考えた時間は何だったのか。
「重要なのは時代だよ。今から10年前といえば、1960年頃。横溝正史や高木彬光が栄華を極め、鮎川哲也がデビューしたての“探偵小説”の全盛期だ」
「そうだね」
「あの頃の五十円玉はどんなだったか覚えているか?」
「うん。今と違って穴が開いてなかったと思う」
「そうだ。菊50円ニッケル貨といって、まだ穴が開いていなかった。で、ニッケルでできているということはどういうことか分かるか?」
「ニッケルって何だったっけ……」
陽菜は物理や化学が大の苦手なのだ。元素周期表か何かに載っていたようなおぼろげな記憶が……。
徹は特に嫌がる様子もなく教えてくれる。
「ニッケルや鉄、コバルトといった金属は磁石に引きつけられる性質があるんだよ」
「あの頃の五十円玉は磁石にくっつくの? 今のお金はつかないって聞いたことがあるけれど」
「その通りだ。磁石についてしまうと、困ったことが起こるからな」
「困ったこと?」
「賽銭箱から磁石で釣り上げることができてしまうんだ。1960年頃時点で磁石にくっつくのは五十円玉だけだから、その若い男が磁石で賽銭泥棒をしていたのなら、五十円玉ばかり貯まってくるだろう」
「でも、五十円玉なんてお賽銭にあまり入れなくない?」
「そうだな。だから一週間に一回しか来なかったのさ。寺という寺、神社という神社を巡りまくってかき集めていたんだろう。なんとも不謹慎な話だが」
「徹も不謹慎とか言うんだね。信心とかあんまりなさそうだけど」
「……聞かなかったことにしよう。話を戻す。五十円玉が大量にあっても使い勝手が悪いだろう。だから陽菜に両替させたわけだ」
陽菜も合点がいった。
「銀行に両替に行かなかったのも、後ろめたい理由だったからなのね。あと私が理由を聞いたら答えずに消えちゃったのも」
「そういうことだな。陽菜が知らない間に、互いに名前も知らない秘密の共犯関係が生まれていたというわけだ」
(了)
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