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第五章
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五
「ところで、事実として」
倉持くんは言う。
「正志さんは、この文章の意味が分かっていない」
「そうね」
「だが少女は、正志さんは木下さんのことを知っているはずだ──と思っている。このすれ違いはなんだ」
確かにその点は不可解だ。
「忘れているんじゃないかしら」
思いつきで言ってみた。そもそも夢の中の話なのだから実在するかどうかも怪しいのだが──という考えも一瞬頭をよぎる。
「でも正志さんはまだ十代だわ。知人をこれほど完全に忘れることなんてありうるかしら」
「ないとは言えないが、どうかな……。また木下さんが実在するとすれば、この少女だって本当にいるかも知れない。だが他人の顔について『君とそっくりね』なんて言える親しい間柄だぜ。それなのにこれも完全に忘れてる」
「小学校以前の話かも知れないわ。少女も木下さんも、正志さんの幼少期の知り合いとか」
「そんなに前か。確かにそれなら忘れていても不思議じゃない」
「そもそも夢に出てくるのはそういう幼女だし」
「だが腑に落ちないぞ。木下さんという人は職業集団に属している可能性が高い。だからまあ、何かの店員だと考えてみよう。しかし小学校以前の年齢で、店員の名前を覚えるほど頻繁に通う店なんてあるか」
ここで私たちは、子供の頃に通っていた店を思いつくままに挙げてみた。だがどうも掴み所がない。
「話を変えましょう。気になっていたんだけど、子供の頃の私たちは大人をどう呼んでいたかしら」
「ん?」
「名前に、さん付けで呼ぶことはあまりないわよね」
「ああそういえば」彼は頷く。「子供は、大人を名前じゃなくて属性で呼ぶな。おじさんおばさん、おじいちゃんおばあちゃん、それに友だちの親は『○○ちゃんのお父さん』とか」
「他にも『花屋さん』とか『お巡りさん』とか」
「そう考えると変だな」首をかしげる彼。「木下さん、って呼び方はあり得なくないか?」
「いいえ。小さい子供が、大人をさん付けで呼ぶ場合がひとつだけあるわ」
「ひとつだけ?」
「親の真似をしているのよ」
「おお」倉持くんはかるく手を叩く。「親が○○さんと呼んでいるから、子供もそう呼ぶ……。それはあるな。じゃあ少女と正志さんは小学校以前に、親と一緒に木下さんの店によく通っていたのか。それで親の言い方を真似し始めた」
「そうね。それも店に行ったのは一度や二度じゃないと思う。何気なく、君は木下さんに似ている──なんて言うほどだから、相当身近な存在だわ」
「かと言って、少女と正志さんは家族じゃない」
そうだろう。それならさすがに忘れまい。
「じゃあ少女と正志さんは、それぞれの家族で木下さんの店に通っていたのか。それで、二人にとって木下さんという人は共通の話題になった、と」
「どうかしら。それだけでは弱い気がするわ。子供がここまで親近感を持って話題にするということは、具体的に二人一緒に木下さんと交流する機会があったんだと思う」
「うーん、保育士か? でもそれなら先生って呼ぶよな」
「考えられるのは、二人が家族同士で出かけるような近所同士か親戚同士というケースね。少女と正志さん、どちらかがどちらかの家族と出かけることもありうるような」
「すると木下さんはどういう店に勤めているんだ? 少なくとも、親戚ぐるみで年に一回の温泉旅行とか、そういうシチュエーションで行く店ではないな」
そうかも知れない。子供が店員の顔と名前を覚えるほどの頻繁さと、家族ぐるみで出かけることのイベント性は矛盾している。
「こう考えたらどう。木下さんはもっと身近な存在なのよ。近所のイベントにも必ず参加するような」
「イベント……。出店か? 屋台というか、露店みたいなやつだな。──だがこういうパターンもありうるぞ。親戚一同が揃っているところに、いつも出前を持ってきてくれる近所のラーメン屋」
山形県では、そういう場合にラーメンをご馳走として出前で取ることがある。
「どうかしら。雪の中で眩しい顔をするのは屋外の方がしっくり来るわ」
「それもそうか。すると木下さんの商売というのは、雪が降っていても屋外でできて、近所同士で売り買いがなされて、子供連れでも気軽に行けるような……」
「やっぱり祭りの露店ね」
屋台では、子供だけでは行かないだろう。フリーマーケットやバザーは、冬の山形県で実施するのは現実的ではない。
「だが、そういう露店は、いつも同じ場所にあるとは限らないし、年に数回の祭りでしか出くわさないものだぜ。子供にとって身近な存在になるかな」
もっともだ。私はしばらく考え込んでから、別の案を出した。
「朝市とか産直の販売所はどう。農家が採れたての農作物を持ち寄るような」
「おお。ありそうだ」彼は感心していた。「催事場とかスーパーの駐車場でやってるようなやつね。すると木下さんは農家か?」
「どうかしら。バイトの売り子かも知れない。あるいは主催者側の人かも。──そういうお店は、どういう団体が主催するものかしら」
「俺もよく知らないよ。場所を提供するスーパーってこともあるだろうし、商店街とか行政が主体ってこともあるだろう」
「そうね。あるいは……」
「あるいは?」
倉持くんは畳みかけてきたが、私は言葉を切った。
「思いつくのはそれくらいね。でもこれで、木下さんという人のイメージも大まかに見えてきたわ。年齢とか」
「年齢も分かるか?」
「手がかりはあるわよ。露店で売り子をやっていて、さん付けで呼ばれていて子供ということはないと思う。最低でも当時十八歳として」
「そうか。正志さんが小学校に入る前と考えれば、今から約十年前だな。すると現在の木下さんは最低でも二十八歳くらい」
「上限は決められないわね。もし、当時退職間際の年齢だったとすれば、今は七十。でも退職後の人が農業をやって売り子をしていた可能性もあるわ」
「そうだな」
「ところで、事実として」
倉持くんは言う。
「正志さんは、この文章の意味が分かっていない」
「そうね」
「だが少女は、正志さんは木下さんのことを知っているはずだ──と思っている。このすれ違いはなんだ」
確かにその点は不可解だ。
「忘れているんじゃないかしら」
思いつきで言ってみた。そもそも夢の中の話なのだから実在するかどうかも怪しいのだが──という考えも一瞬頭をよぎる。
「でも正志さんはまだ十代だわ。知人をこれほど完全に忘れることなんてありうるかしら」
「ないとは言えないが、どうかな……。また木下さんが実在するとすれば、この少女だって本当にいるかも知れない。だが他人の顔について『君とそっくりね』なんて言える親しい間柄だぜ。それなのにこれも完全に忘れてる」
「小学校以前の話かも知れないわ。少女も木下さんも、正志さんの幼少期の知り合いとか」
「そんなに前か。確かにそれなら忘れていても不思議じゃない」
「そもそも夢に出てくるのはそういう幼女だし」
「だが腑に落ちないぞ。木下さんという人は職業集団に属している可能性が高い。だからまあ、何かの店員だと考えてみよう。しかし小学校以前の年齢で、店員の名前を覚えるほど頻繁に通う店なんてあるか」
ここで私たちは、子供の頃に通っていた店を思いつくままに挙げてみた。だがどうも掴み所がない。
「話を変えましょう。気になっていたんだけど、子供の頃の私たちは大人をどう呼んでいたかしら」
「ん?」
「名前に、さん付けで呼ぶことはあまりないわよね」
「ああそういえば」彼は頷く。「子供は、大人を名前じゃなくて属性で呼ぶな。おじさんおばさん、おじいちゃんおばあちゃん、それに友だちの親は『○○ちゃんのお父さん』とか」
「他にも『花屋さん』とか『お巡りさん』とか」
「そう考えると変だな」首をかしげる彼。「木下さん、って呼び方はあり得なくないか?」
「いいえ。小さい子供が、大人をさん付けで呼ぶ場合がひとつだけあるわ」
「ひとつだけ?」
「親の真似をしているのよ」
「おお」倉持くんはかるく手を叩く。「親が○○さんと呼んでいるから、子供もそう呼ぶ……。それはあるな。じゃあ少女と正志さんは小学校以前に、親と一緒に木下さんの店によく通っていたのか。それで親の言い方を真似し始めた」
「そうね。それも店に行ったのは一度や二度じゃないと思う。何気なく、君は木下さんに似ている──なんて言うほどだから、相当身近な存在だわ」
「かと言って、少女と正志さんは家族じゃない」
そうだろう。それならさすがに忘れまい。
「じゃあ少女と正志さんは、それぞれの家族で木下さんの店に通っていたのか。それで、二人にとって木下さんという人は共通の話題になった、と」
「どうかしら。それだけでは弱い気がするわ。子供がここまで親近感を持って話題にするということは、具体的に二人一緒に木下さんと交流する機会があったんだと思う」
「うーん、保育士か? でもそれなら先生って呼ぶよな」
「考えられるのは、二人が家族同士で出かけるような近所同士か親戚同士というケースね。少女と正志さん、どちらかがどちらかの家族と出かけることもありうるような」
「すると木下さんはどういう店に勤めているんだ? 少なくとも、親戚ぐるみで年に一回の温泉旅行とか、そういうシチュエーションで行く店ではないな」
そうかも知れない。子供が店員の顔と名前を覚えるほどの頻繁さと、家族ぐるみで出かけることのイベント性は矛盾している。
「こう考えたらどう。木下さんはもっと身近な存在なのよ。近所のイベントにも必ず参加するような」
「イベント……。出店か? 屋台というか、露店みたいなやつだな。──だがこういうパターンもありうるぞ。親戚一同が揃っているところに、いつも出前を持ってきてくれる近所のラーメン屋」
山形県では、そういう場合にラーメンをご馳走として出前で取ることがある。
「どうかしら。雪の中で眩しい顔をするのは屋外の方がしっくり来るわ」
「それもそうか。すると木下さんの商売というのは、雪が降っていても屋外でできて、近所同士で売り買いがなされて、子供連れでも気軽に行けるような……」
「やっぱり祭りの露店ね」
屋台では、子供だけでは行かないだろう。フリーマーケットやバザーは、冬の山形県で実施するのは現実的ではない。
「だが、そういう露店は、いつも同じ場所にあるとは限らないし、年に数回の祭りでしか出くわさないものだぜ。子供にとって身近な存在になるかな」
もっともだ。私はしばらく考え込んでから、別の案を出した。
「朝市とか産直の販売所はどう。農家が採れたての農作物を持ち寄るような」
「おお。ありそうだ」彼は感心していた。「催事場とかスーパーの駐車場でやってるようなやつね。すると木下さんは農家か?」
「どうかしら。バイトの売り子かも知れない。あるいは主催者側の人かも。──そういうお店は、どういう団体が主催するものかしら」
「俺もよく知らないよ。場所を提供するスーパーってこともあるだろうし、商店街とか行政が主体ってこともあるだろう」
「そうね。あるいは……」
「あるいは?」
倉持くんは畳みかけてきたが、私は言葉を切った。
「思いつくのはそれくらいね。でもこれで、木下さんという人のイメージも大まかに見えてきたわ。年齢とか」
「年齢も分かるか?」
「手がかりはあるわよ。露店で売り子をやっていて、さん付けで呼ばれていて子供ということはないと思う。最低でも当時十八歳として」
「そうか。正志さんが小学校に入る前と考えれば、今から約十年前だな。すると現在の木下さんは最低でも二十八歳くらい」
「上限は決められないわね。もし、当時退職間際の年齢だったとすれば、今は七十。でも退職後の人が農業をやって売り子をしていた可能性もあるわ」
「そうだな」
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