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第三章
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三
倉持くんは私の向かいに座り、暗号を書きつけたメモを机に置く。
「この文章から読み取れることを列挙してみよう」
「分かったわ」
「夢の中に出てくる女の子は、仮に少女、と呼ぶ」彼は前置きして、「まず、正志さんが木下さんという人に似ている、という指摘はこれが初めてだと思う。正志さんは今まで言われたことがない」
「どうして分かるの」
「ハとガの違いだよ。『君が』ではなく『君は』と言ってる。──例えば優実ちゃん、今年の直木賞候補作が何作かあるとする。そこから受賞作品が選ばれれば、○○という作品が受賞したと言うだろう。ガだ」
「そうね」
「次はハの例。怪しい業者から身に覚えのない当選通知ハガキが届いたとする。そこにはこう書いてある。『おめでとうございます。あなたは当選しました』。これはハだ」
後者の例はガでも通じそうだが、あくまでも使用例ということだろう。
「つまりハとガの違いはこうだ。その場でテーマになっているものを話題にする場合はガで、ハは思いがけない話題の時に使う」
「『君は』と言っているからには、思いがけない指摘ということね」
「少なくとも、口にしている少女はそう思っている」
待てよ、と私は一瞬考えた。別のケースもあるのではないか。例えば『何度も言うけど、君はつくづく木下さんに似ているね』というニュアンスの場合だ。
だがこれでは言い方が全然違う。少女のハの使い方は、やはり倉持くんが挙げた使用例に該当するものだろう。
「木下さんというのは何者かしら。前々からの知り合いなのか初対面なのか。……少女は間違いなく、正志さんが木下さんを知っているという前提で話しているわよね」
「そうかな。はっきり言えるか」
「例えば私は、貴方に対して『貴方は佐藤さんに似ている』とは言わないわ」
「分からないな」苦笑する彼。「佐藤さんって誰だよ」
「つまりそれよ。佐藤という共通の知人がいないから通じない。この場合私は、『貴方は、私のクラスメイトの佐藤さんに似ている』と付け加えて言うべきだわ」
「おおなるほど。でも少女は、木下さんの名前をいきなり出している」
そう。だから少女にとって、正志さんは木下さんを知っていて当然ということだ。
「木下さんは、少女と正志さんの共通の知り合いか。きっと三人は何度か会っているな。でなきゃ『いつも』なんて言葉はつけない」
「でも変よ。以前からの知人なのに、二人が似ていることに今さら気付くなんて」
「それを言えば、『いつも』似ているのなら、今さらそれを言うのかって感じもするな」
だがそれはこの場合問題ではない気もする。二人が似ていることに少女が前々から気付いていたかどうかはともかく、とにかく指摘自体は少女と正志さんの間では初めてのはずだ。
「こう考えたらどうかしら。この木下さんという人は目立つタイプではない。だから今まで、似ていることに気付かなかった」
「今まで気付かなかったけどよく見たら……ってパターンか。ありそうだ」
「だからおそらく、木下さんは何かの集団に属しているわね」
「ん? 急にとぶな。どうして」
「単純な話よ。一人の人間が目立たなくなるのは、複数人の中に埋没している場合だわ」
「単に地味な人なのかも知れないぜ」
「地味であろうがなかろうが、顔見知りなら、顔が似ていることにはすぐ気付くわよ」
普段よく会い、見知っている人だが、顔が似ていることに気付く程には印象が残っていないわけだ。また、やや屁理屈じみてくるが、地味かどうかも結局は他人との比較で決まるものだ。もっと地味な人が大勢いれば木下さんは逆に目立つかも知れない。
「なるほどな。複数人に埋没する場合か……。デモ行進とか、コンサートの聴衆とか?」
「そういう一過性の団体ではなさそうね。それだと、今まで似ていることに気付かなかった理由が分からないわ。想像になるけど、木下さんが属しているのは職業集団じゃないかしら。全員が同じような仕事や動作をしていて、仮に顔見知りがいても埋没してしまうような……。そう考えれば、貴方が指摘した助詞ハが使われた意味も分かるわ。特定の集団の中から、似ている人を挙げる場合はハを使うもの」
「ええと、例えば」
「私が貴方よりもいい男を見つけたとする」
「おおっそりゃ悔しい。どこのどいつだ」
「名前は知らないけど、とにかく貴方よりもずっといい男よ。すると貴方は次にどう質問するかしら」
「なるほど。そいつは芸能人に例えれば誰に似てる? と聞く」
「そして私はこう答える──その人はタレントの○○と似ている。ハを使うわ」
「いろいろと結びついてきたな」納得した様子で彼は頷く。「すると次に気になるのは、それはどんな集団なのか、ということだが」
「それもヒントはあると思う。純粋な暗号の解析にはならないけど、この言葉が正志さんに向けられたものだという前提で考えれば」
「ふん。どういう意味だい」
「彼はまだ十代よ。この年齢で関わりを持つ集団なんてそう多くないわ」
しかも成員の名前が分かるほど親しいとなれば尚更だ。条件はさらに狭まる。
「それもそうか。──それに、正志さんは木下さんのことを忘れてる。木下さんって人は、特異集団の目立つポジションの人では、決してないな。町内会とか?」
「学校の先生もありうるわね。小学校時代なら、忘れている先生もいるわ」
「ふん。あるいは職業集団にこだわらなければ、同年代の人の集団かもな。部活動とか」
これでは幅が広すぎる。私たちはいっとき黙った。
倉持くんは私の向かいに座り、暗号を書きつけたメモを机に置く。
「この文章から読み取れることを列挙してみよう」
「分かったわ」
「夢の中に出てくる女の子は、仮に少女、と呼ぶ」彼は前置きして、「まず、正志さんが木下さんという人に似ている、という指摘はこれが初めてだと思う。正志さんは今まで言われたことがない」
「どうして分かるの」
「ハとガの違いだよ。『君が』ではなく『君は』と言ってる。──例えば優実ちゃん、今年の直木賞候補作が何作かあるとする。そこから受賞作品が選ばれれば、○○という作品が受賞したと言うだろう。ガだ」
「そうね」
「次はハの例。怪しい業者から身に覚えのない当選通知ハガキが届いたとする。そこにはこう書いてある。『おめでとうございます。あなたは当選しました』。これはハだ」
後者の例はガでも通じそうだが、あくまでも使用例ということだろう。
「つまりハとガの違いはこうだ。その場でテーマになっているものを話題にする場合はガで、ハは思いがけない話題の時に使う」
「『君は』と言っているからには、思いがけない指摘ということね」
「少なくとも、口にしている少女はそう思っている」
待てよ、と私は一瞬考えた。別のケースもあるのではないか。例えば『何度も言うけど、君はつくづく木下さんに似ているね』というニュアンスの場合だ。
だがこれでは言い方が全然違う。少女のハの使い方は、やはり倉持くんが挙げた使用例に該当するものだろう。
「木下さんというのは何者かしら。前々からの知り合いなのか初対面なのか。……少女は間違いなく、正志さんが木下さんを知っているという前提で話しているわよね」
「そうかな。はっきり言えるか」
「例えば私は、貴方に対して『貴方は佐藤さんに似ている』とは言わないわ」
「分からないな」苦笑する彼。「佐藤さんって誰だよ」
「つまりそれよ。佐藤という共通の知人がいないから通じない。この場合私は、『貴方は、私のクラスメイトの佐藤さんに似ている』と付け加えて言うべきだわ」
「おおなるほど。でも少女は、木下さんの名前をいきなり出している」
そう。だから少女にとって、正志さんは木下さんを知っていて当然ということだ。
「木下さんは、少女と正志さんの共通の知り合いか。きっと三人は何度か会っているな。でなきゃ『いつも』なんて言葉はつけない」
「でも変よ。以前からの知人なのに、二人が似ていることに今さら気付くなんて」
「それを言えば、『いつも』似ているのなら、今さらそれを言うのかって感じもするな」
だがそれはこの場合問題ではない気もする。二人が似ていることに少女が前々から気付いていたかどうかはともかく、とにかく指摘自体は少女と正志さんの間では初めてのはずだ。
「こう考えたらどうかしら。この木下さんという人は目立つタイプではない。だから今まで、似ていることに気付かなかった」
「今まで気付かなかったけどよく見たら……ってパターンか。ありそうだ」
「だからおそらく、木下さんは何かの集団に属しているわね」
「ん? 急にとぶな。どうして」
「単純な話よ。一人の人間が目立たなくなるのは、複数人の中に埋没している場合だわ」
「単に地味な人なのかも知れないぜ」
「地味であろうがなかろうが、顔見知りなら、顔が似ていることにはすぐ気付くわよ」
普段よく会い、見知っている人だが、顔が似ていることに気付く程には印象が残っていないわけだ。また、やや屁理屈じみてくるが、地味かどうかも結局は他人との比較で決まるものだ。もっと地味な人が大勢いれば木下さんは逆に目立つかも知れない。
「なるほどな。複数人に埋没する場合か……。デモ行進とか、コンサートの聴衆とか?」
「そういう一過性の団体ではなさそうね。それだと、今まで似ていることに気付かなかった理由が分からないわ。想像になるけど、木下さんが属しているのは職業集団じゃないかしら。全員が同じような仕事や動作をしていて、仮に顔見知りがいても埋没してしまうような……。そう考えれば、貴方が指摘した助詞ハが使われた意味も分かるわ。特定の集団の中から、似ている人を挙げる場合はハを使うもの」
「ええと、例えば」
「私が貴方よりもいい男を見つけたとする」
「おおっそりゃ悔しい。どこのどいつだ」
「名前は知らないけど、とにかく貴方よりもずっといい男よ。すると貴方は次にどう質問するかしら」
「なるほど。そいつは芸能人に例えれば誰に似てる? と聞く」
「そして私はこう答える──その人はタレントの○○と似ている。ハを使うわ」
「いろいろと結びついてきたな」納得した様子で彼は頷く。「すると次に気になるのは、それはどんな集団なのか、ということだが」
「それもヒントはあると思う。純粋な暗号の解析にはならないけど、この言葉が正志さんに向けられたものだという前提で考えれば」
「ふん。どういう意味だい」
「彼はまだ十代よ。この年齢で関わりを持つ集団なんてそう多くないわ」
しかも成員の名前が分かるほど親しいとなれば尚更だ。条件はさらに狭まる。
「それもそうか。──それに、正志さんは木下さんのことを忘れてる。木下さんって人は、特異集団の目立つポジションの人では、決してないな。町内会とか?」
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