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第二話「策謀」①
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同じく三月十四日午後のことである。この時、孫呉の軍事を統括する大司馬・諸葛靚は、建業の王宮である太初宮内にある中書省まで出張っていた。
「中書令殿、今朝にも牛渚が無抵抗にて賊軍に落ちたと聞きましたが、誠にございますか?」
中書令の胡沖は、直ぐには答えなかった。それどころか、問い詰める諸葛靚を直視する事も能わなかった。
一呼吸の後、そっと目を閉じ、そして、黙って頷いた。
言葉は何も出てこない。
牛渚の陥落は、それ程までに首都防衛にとっては致命的であった。
暫くの静寂の後に、諸葛靚が続けた。
「事、此処に至っては、既に降伏以外の選択肢は、ありませんな。」
胡沖は、なおも黙っている。蕭散とした中書省内に諸葛靚の声だけが鳴り響く。
「牛渚からだと建業までだと、半日もあれば十分到着しましょう。よもや今日中に此処まで、攻め込んでくるとまでは思えぬが、体勢が整わぬうちに賊どもに殺到されると厄介でございます。陛下はこの事態をいかにお考えか? 詔書をしたためる中書令殿が知らぬとは言わせませぬぞ。」
胡沖が、重い口を開いた。
「既にお覚悟は決めておられる。主上は、我らが来たる世においても、生きぬくことをお望みじゃ。誠に御聖断にございまする。大司馬殿、これを見られよ。」
そういって、胡沖は、孫皓自筆の書を見せた。そこには亡国を目前にするに至った慚愧の思いが綴られ、孫呉の遺臣が、晋で出仕することも不忠ではない、との内容が書かれていた。暴虐で知られる皇帝・孫皓が、最後の最後に見せた僅かばかりの良心と言って良いだろう。
「なんと、陛下は既にそこまでお考えか。なるほど、覆水盆に返らず、か。誠にその通りやもしれぬな。今更であるが、陛下は、内側に敵を作り、そして強硬にそれを排除し過ぎましたな。全てが決まってからこの様に気弱になるとは、先見の明もない。元より一国を背負って立つ器ではなかったと言うことか。」
胡沖は、何も言わなかった。
「また、ダンマリにございまするか。我にとって司馬家は父の仇でもあり、また先の戦場でお見送りした張丞相と沈将軍、同じくして散っていった多数の兵卒の手前もある。こればかりはどうやっても曲げることは出来ぬ。ただ、貴公には確かな文才がある。新朝に仕えるのも宜しかろう。」
これより数週前、孫呉最後の丞相の張悌は、副将の諸葛靚、将軍の沈瑩と共に中軍を引き連れて長江を渡り、王渾の揚州軍に決戦を挑んだが敗れ、張悌と沈瑩は既に戦死していた(この戦いを「版橋の戦い」という)。そして現在、大司馬として呉の軍事を統括している諸葛靚の個人としても、司馬一族および西晋重鎮は、まさしく不倶戴天の敵であった。
彼は、甘露二年(257年)、司馬氏による曹魏皇室の迫害に反旗を翻した諸葛誕の息子である。反乱の折、父、諸葛誕によって、孫呉に対して救援を求める人質として建業に派遣されて以来、そのまま建業に留まっていたのである。父の反乱軍は、結局のところ司馬氏に敢えなく敗北し、族滅を蒙った。現在の西晋の重鎮であり、征呉の総指揮官である賈充こそは、陰険にも父を反乱に追い詰めた当時の司馬氏側近、その張本人であった。
胡沖は、まだ黙って目を閉じている。
「いい加減になされよ。貴卿が動かないことには、事態は収拾できませんぞ。建業は既に三方を数えきれぬ敵兵に囲まれておるのです。このままでは如何なる厄災が、この建業の人士と民草に降り掛かるのかも知れたものではありません!」
「大司馬殿、それは良く弁えておる。陛下も秩序ある降伏をお望みじゃ。蜀の安楽公・劉禅の例もある。孫家の祖廟を絶やさぬようにすることが、呉臣として最後に為すべき忠であると心得ておる。」
蜀の安楽公とは、蜀漢の後主・劉禅のことで、今から15年前に魏朝に降伏し、その一族は安楽公として、のうのうと晋の俸禄を喰んでいた。
「なるほど、陛下のことは今となっては言う所はござらんが、貴卿が茫然自失と言うわけではないことには、安堵したわ。して、如何に考える?」
「肝要なところは、今、建業が三方から敵軍に囲まれている点じゃ。もっとも恐るべきは、南から押し寄せる王濬軍だな、それから大司馬殿も陸戦で苦杯を舐めさせられた王渾軍、そして動きの比較的緩慢な司馬伷軍の三軍じゃ。陸の王渾軍と水の王濬軍は、功を競っておろうから油断ならん。特に王濬軍は遥々巴蜀からの遠征じゃて、引き返そうにも退路がござらん。無秩序に城下に殺到されることだけは避けねばならん。」
「そうだ、して、如何にする?」
「我は、三軍全てに降伏の文書を送りたいと思う。」
「な、何を、そんなバカな、そんなことをすれば、火に油、功を競って三方から攻め寄せてくるぞ。瞬く間に三軍に蹂躙され、建業は火の海となるわ」
諸葛靚は慌てて反論した。
「待て、三方に同時に降伏するとは言っていない。そんなことすれば、確かに三軍が競って殺到し、誰も手がつけられなくなる。それに、玉璽は一つ、三軍に送ることはできん。だから文書を送る順番を前後させることで、三軍が建業に到着する時間を操作するのじゃよ。」
「ん?どういうことだ? 何やら、それは面白そうだな。」
「まず、もっとも功を焦っているのが、南の王濬、ついで西の王渾じゃ。このままの勢いならまず王濬が最初に殺到して来ようが、そのまま王濬が全てを手にすれば、焦った王渾が何を企むか見当がつかん。王渾は名門太原王氏の出身で、なおかつ我が孫呉の中軍を破った自負もある。王濬が全てを独占すれば、只では済まん、必ず動乱になる。特に王濬は、巴蜀の兵を良く手懐けておるから、建業を落とせば、兵権と大功を共に手にすることになる。これは洛陽朝廷から見ても危険極まりない。蜀を落とした鄧艾の例もある。そこに王渾の付け入る隙ができる。」
「なるほど、その通りだ。」
ここで、胡沖がいう「鄧艾の例」というのは、曹魏末期で屈指の名将で蜀漢を陥落させた鄧艾が、蜀を攻略後に、中央の意向を無視して成都にて兵権を保持して独断専行を試み、亡国の主である劉禅を手元に置いた上で、曹魏内の藩国王である扶風王に任命しようとしたり、そのまま船団を作って孫呉を落とそうと試みたりと、中央の意向に逆らって素直に復命せずに、遂には殺害されたことを言っている。
「では、王渾に降伏するのはどうか? これでは逆に王濬が黙っておらん。今、王渾に玉璽を送っても、慎重な性格ゆえ、明日は依然として先に王濬がこの建業を落とすであろう。こうなれば話はより難しくなる。玉璽を握った王渾と主上の身柄を押さえた王濬では、対立することは火を見るより明らかじゃ。つまり陸の王渾軍と水の王濬軍ともに、我々が降伏の証の玉璽をおくる相手としては不適切ということじゃ。」
「ということは、司馬伷軍こそが我々が降伏するべき相手か?」
「その通りじゃ。王濬、王渾には、玉璽は送らず、降伏の文書のみを送るんじゃ。そうすれば、玉璽が別にあることは、何れか気づくであろう。功を競う王濬、王渾の両軍に、最大の手柄を司馬伷軍に譲らせるのじゃ、これで無用な争いは避けられるであろう。」
「さすが、胡沖殿、中書省で全ての機密を握るだけ御座いますな。敬服致しまする。それにしても王濬は今もっとも勢いがある、すぐにでも使者を出さねば間に合わん。」
諸葛靚は、策謀に同意した。胡沖が更に詳細に続ける。
「その通りじゃ、今、先に王濬軍に玉璽をつけずに降伏文書を送っておけば、王濬軍は焦って建業に乗り込まざるを得ない。そうすれば、少なくとも建業を下した功績は、王濬のものだ。実務家の王濬にはそれだけの功績で十分満足できるじゃろう。あとは、司馬伷軍に送った玉璽を元手に、司馬伷に主上の身柄確保を主張させ、引き取らせれば良い。こうすれば、王渾も手出しのしようが無く、余計な争いは起こらんはずじゃ。」
ここまでいうと、胡沖はじっと諸葛靚を直視した。
「それと大司馬殿、折り入って頼みがある。貴公に司馬伷軍への降伏の使者をお願いしたい。司馬伷殿の正室は貴公の実姉だろう。その縁を使わせて頂きたい。貴公は今や孫呉の軍権を一手に握る身。貴公であれば、司馬伷殿を説得して、王濬軍と王両軍の無用な争いを避けるように仕向ける事ができるはずじゃ。」
「これはどうあっても、断ることは難しそうですな」
「そうじゃ、司馬伷殿に繋がる事ができるのは貴公のみ。玉璽を証拠として、司馬伷殿をして、最終的に主上の身柄を確保させるのじゃ。司馬伷殿は、司馬炎の大叔父であり、如何に王濬、王渾と言えども、そこから手柄を奪おうと言うのは無理筋というものじゃ。この建業を戦火から守り通すにはこの策しかない。ここは、私怨は全て抜きにして、司馬伷殿の采配に縋ってくだされ。くれぐれもお頼み申したぞ。」
(まさか司馬氏への降伏を吾にさせるとはな、これは上手く図られたか。それにしても機密を預かる中書省の描く策略は見事なものよ。)
諸葛靚には、ただ頷く以外にはなかった。
こうして、胡沖による三方への降伏の方針が定められた。降伏文書はそれぞれ、王濬の巴蜀軍には、まず、この日(三月十四日)の夕刻に太常の張夔が玉璽を持たず単身で投降し、そして翌日に改めて王渾の揚州軍、および、司馬伷の徐州軍に投降する運びとなった。
一しきりの差配を終えた後、中書令・胡沖は独言した。
「あとは、主上らの降伏準備じゃな。明日は、せめて大国の終わりに相応しい儀礼としたいものじゃ。」
***後半に続く
「中書令殿、今朝にも牛渚が無抵抗にて賊軍に落ちたと聞きましたが、誠にございますか?」
中書令の胡沖は、直ぐには答えなかった。それどころか、問い詰める諸葛靚を直視する事も能わなかった。
一呼吸の後、そっと目を閉じ、そして、黙って頷いた。
言葉は何も出てこない。
牛渚の陥落は、それ程までに首都防衛にとっては致命的であった。
暫くの静寂の後に、諸葛靚が続けた。
「事、此処に至っては、既に降伏以外の選択肢は、ありませんな。」
胡沖は、なおも黙っている。蕭散とした中書省内に諸葛靚の声だけが鳴り響く。
「牛渚からだと建業までだと、半日もあれば十分到着しましょう。よもや今日中に此処まで、攻め込んでくるとまでは思えぬが、体勢が整わぬうちに賊どもに殺到されると厄介でございます。陛下はこの事態をいかにお考えか? 詔書をしたためる中書令殿が知らぬとは言わせませぬぞ。」
胡沖が、重い口を開いた。
「既にお覚悟は決めておられる。主上は、我らが来たる世においても、生きぬくことをお望みじゃ。誠に御聖断にございまする。大司馬殿、これを見られよ。」
そういって、胡沖は、孫皓自筆の書を見せた。そこには亡国を目前にするに至った慚愧の思いが綴られ、孫呉の遺臣が、晋で出仕することも不忠ではない、との内容が書かれていた。暴虐で知られる皇帝・孫皓が、最後の最後に見せた僅かばかりの良心と言って良いだろう。
「なんと、陛下は既にそこまでお考えか。なるほど、覆水盆に返らず、か。誠にその通りやもしれぬな。今更であるが、陛下は、内側に敵を作り、そして強硬にそれを排除し過ぎましたな。全てが決まってからこの様に気弱になるとは、先見の明もない。元より一国を背負って立つ器ではなかったと言うことか。」
胡沖は、何も言わなかった。
「また、ダンマリにございまするか。我にとって司馬家は父の仇でもあり、また先の戦場でお見送りした張丞相と沈将軍、同じくして散っていった多数の兵卒の手前もある。こればかりはどうやっても曲げることは出来ぬ。ただ、貴公には確かな文才がある。新朝に仕えるのも宜しかろう。」
これより数週前、孫呉最後の丞相の張悌は、副将の諸葛靚、将軍の沈瑩と共に中軍を引き連れて長江を渡り、王渾の揚州軍に決戦を挑んだが敗れ、張悌と沈瑩は既に戦死していた(この戦いを「版橋の戦い」という)。そして現在、大司馬として呉の軍事を統括している諸葛靚の個人としても、司馬一族および西晋重鎮は、まさしく不倶戴天の敵であった。
彼は、甘露二年(257年)、司馬氏による曹魏皇室の迫害に反旗を翻した諸葛誕の息子である。反乱の折、父、諸葛誕によって、孫呉に対して救援を求める人質として建業に派遣されて以来、そのまま建業に留まっていたのである。父の反乱軍は、結局のところ司馬氏に敢えなく敗北し、族滅を蒙った。現在の西晋の重鎮であり、征呉の総指揮官である賈充こそは、陰険にも父を反乱に追い詰めた当時の司馬氏側近、その張本人であった。
胡沖は、まだ黙って目を閉じている。
「いい加減になされよ。貴卿が動かないことには、事態は収拾できませんぞ。建業は既に三方を数えきれぬ敵兵に囲まれておるのです。このままでは如何なる厄災が、この建業の人士と民草に降り掛かるのかも知れたものではありません!」
「大司馬殿、それは良く弁えておる。陛下も秩序ある降伏をお望みじゃ。蜀の安楽公・劉禅の例もある。孫家の祖廟を絶やさぬようにすることが、呉臣として最後に為すべき忠であると心得ておる。」
蜀の安楽公とは、蜀漢の後主・劉禅のことで、今から15年前に魏朝に降伏し、その一族は安楽公として、のうのうと晋の俸禄を喰んでいた。
「なるほど、陛下のことは今となっては言う所はござらんが、貴卿が茫然自失と言うわけではないことには、安堵したわ。して、如何に考える?」
「肝要なところは、今、建業が三方から敵軍に囲まれている点じゃ。もっとも恐るべきは、南から押し寄せる王濬軍だな、それから大司馬殿も陸戦で苦杯を舐めさせられた王渾軍、そして動きの比較的緩慢な司馬伷軍の三軍じゃ。陸の王渾軍と水の王濬軍は、功を競っておろうから油断ならん。特に王濬軍は遥々巴蜀からの遠征じゃて、引き返そうにも退路がござらん。無秩序に城下に殺到されることだけは避けねばならん。」
「そうだ、して、如何にする?」
「我は、三軍全てに降伏の文書を送りたいと思う。」
「な、何を、そんなバカな、そんなことをすれば、火に油、功を競って三方から攻め寄せてくるぞ。瞬く間に三軍に蹂躙され、建業は火の海となるわ」
諸葛靚は慌てて反論した。
「待て、三方に同時に降伏するとは言っていない。そんなことすれば、確かに三軍が競って殺到し、誰も手がつけられなくなる。それに、玉璽は一つ、三軍に送ることはできん。だから文書を送る順番を前後させることで、三軍が建業に到着する時間を操作するのじゃよ。」
「ん?どういうことだ? 何やら、それは面白そうだな。」
「まず、もっとも功を焦っているのが、南の王濬、ついで西の王渾じゃ。このままの勢いならまず王濬が最初に殺到して来ようが、そのまま王濬が全てを手にすれば、焦った王渾が何を企むか見当がつかん。王渾は名門太原王氏の出身で、なおかつ我が孫呉の中軍を破った自負もある。王濬が全てを独占すれば、只では済まん、必ず動乱になる。特に王濬は、巴蜀の兵を良く手懐けておるから、建業を落とせば、兵権と大功を共に手にすることになる。これは洛陽朝廷から見ても危険極まりない。蜀を落とした鄧艾の例もある。そこに王渾の付け入る隙ができる。」
「なるほど、その通りだ。」
ここで、胡沖がいう「鄧艾の例」というのは、曹魏末期で屈指の名将で蜀漢を陥落させた鄧艾が、蜀を攻略後に、中央の意向を無視して成都にて兵権を保持して独断専行を試み、亡国の主である劉禅を手元に置いた上で、曹魏内の藩国王である扶風王に任命しようとしたり、そのまま船団を作って孫呉を落とそうと試みたりと、中央の意向に逆らって素直に復命せずに、遂には殺害されたことを言っている。
「では、王渾に降伏するのはどうか? これでは逆に王濬が黙っておらん。今、王渾に玉璽を送っても、慎重な性格ゆえ、明日は依然として先に王濬がこの建業を落とすであろう。こうなれば話はより難しくなる。玉璽を握った王渾と主上の身柄を押さえた王濬では、対立することは火を見るより明らかじゃ。つまり陸の王渾軍と水の王濬軍ともに、我々が降伏の証の玉璽をおくる相手としては不適切ということじゃ。」
「ということは、司馬伷軍こそが我々が降伏するべき相手か?」
「その通りじゃ。王濬、王渾には、玉璽は送らず、降伏の文書のみを送るんじゃ。そうすれば、玉璽が別にあることは、何れか気づくであろう。功を競う王濬、王渾の両軍に、最大の手柄を司馬伷軍に譲らせるのじゃ、これで無用な争いは避けられるであろう。」
「さすが、胡沖殿、中書省で全ての機密を握るだけ御座いますな。敬服致しまする。それにしても王濬は今もっとも勢いがある、すぐにでも使者を出さねば間に合わん。」
諸葛靚は、策謀に同意した。胡沖が更に詳細に続ける。
「その通りじゃ、今、先に王濬軍に玉璽をつけずに降伏文書を送っておけば、王濬軍は焦って建業に乗り込まざるを得ない。そうすれば、少なくとも建業を下した功績は、王濬のものだ。実務家の王濬にはそれだけの功績で十分満足できるじゃろう。あとは、司馬伷軍に送った玉璽を元手に、司馬伷に主上の身柄確保を主張させ、引き取らせれば良い。こうすれば、王渾も手出しのしようが無く、余計な争いは起こらんはずじゃ。」
ここまでいうと、胡沖はじっと諸葛靚を直視した。
「それと大司馬殿、折り入って頼みがある。貴公に司馬伷軍への降伏の使者をお願いしたい。司馬伷殿の正室は貴公の実姉だろう。その縁を使わせて頂きたい。貴公は今や孫呉の軍権を一手に握る身。貴公であれば、司馬伷殿を説得して、王濬軍と王両軍の無用な争いを避けるように仕向ける事ができるはずじゃ。」
「これはどうあっても、断ることは難しそうですな」
「そうじゃ、司馬伷殿に繋がる事ができるのは貴公のみ。玉璽を証拠として、司馬伷殿をして、最終的に主上の身柄を確保させるのじゃ。司馬伷殿は、司馬炎の大叔父であり、如何に王濬、王渾と言えども、そこから手柄を奪おうと言うのは無理筋というものじゃ。この建業を戦火から守り通すにはこの策しかない。ここは、私怨は全て抜きにして、司馬伷殿の采配に縋ってくだされ。くれぐれもお頼み申したぞ。」
(まさか司馬氏への降伏を吾にさせるとはな、これは上手く図られたか。それにしても機密を預かる中書省の描く策略は見事なものよ。)
諸葛靚には、ただ頷く以外にはなかった。
こうして、胡沖による三方への降伏の方針が定められた。降伏文書はそれぞれ、王濬の巴蜀軍には、まず、この日(三月十四日)の夕刻に太常の張夔が玉璽を持たず単身で投降し、そして翌日に改めて王渾の揚州軍、および、司馬伷の徐州軍に投降する運びとなった。
一しきりの差配を終えた後、中書令・胡沖は独言した。
「あとは、主上らの降伏準備じゃな。明日は、せめて大国の終わりに相応しい儀礼としたいものじゃ。」
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