93 / 101
死の霧が待つ道
しおりを挟む
龍《りゅう》は礼を言いながら、コートの内ポケットにそれを入れた。スルニからもらった石も、そこに入っている。もしかしたらこれも、魔石かもしれない。
それを引っ張り出しておこうかと思ったが、心のどこかが嫌がっているのを感じた。龍は素早く手を出す。
大事な贈り物なのだ。セトの言うことが正しいなら、使えばなくなってしまう。できれば使いたくはなかった。
「少し食べなさい。満腹にする必要はないが、空腹過ぎると動けなくなるよ」
セトは横に座ると、悠然と小麦粉を固めたような携帯食で食事をはじめた。龍もそれに付き合わせてもらう。久しぶりに食べたクッキー状の携帯食は、味は美味しくはないが、お腹が鳴るのを止めてくれた。
「お水はいかがですか」
「ありがとう」
「ドラゴンは全てを見通すと言っておられましたね」
「そうだ。途方も無い距離に視線が及ぶ。昔にあったという姿隠しの魔法があるなら事情は違うだろうが、遥かに小さい人間であろうが見逃すことはない。そして奴らには長い寿命と経験から得た知恵がある」
龍はそれを聞いてぎょっとした。
「そんな相手と戦おうなんて……無茶です」
「無茶をしたがる物好きというのは、昔からいくらでもいるよ」
「あなたもそういう物好きなのですか?」
「詮索は不要だよ、お嬢さん」
いくら言葉を交わしても、老人は仕事や素性など、それ以上のことをを話しそうになかった。龍は仕方無く、話題を変える。
「一体何人が、無事にここを抜けられるでしょう」
「それこそ、神のみぞ知るというやつだ」
セトは仲間の背中に目を向けながら、小声で言った。
「夜も更けたな、眠っておきなさい。生きるには体力が必要だ」
釈然としない思いを抱えつつも、龍はうなずいた。
セトと間近で寝起きを共にし、話を聞きながら龍は先へ進んだ。この人の側を離れない方がいい、と龍の勘が告げている。幸いセトは気負いなくゆっくりと歩いていて、ごく当たり前のように龍を受け入れてくれた。
そっけない岩と焦げた樹木の残骸がそこここで見られる、中腹にさしかかる。もう少しで林も終わりだろう。ぐるっと山を回るようにしてついている細い道を上りながら、龍はつぶやいた。
「さっきから、虫の音が聞こえない……」
飛んで逃げられる鳥たちはとっくに島を後にしていたが、虫たちはまだ居残っていた。それでも本能に従って、ドラゴンの逆へ、安全な島の端へ端へと移動する羽音はひっきりなしに聞こえていたはず。その移動がこの場所では見られない。
今日はさっきまで大きな苦労がなかった分、嫌な予感がした。いい気になった冒険者たちは、空ばかり見て足元には全然注意を払っていない。
少し後方を歩いていたセトが戻ってきた。
「お嬢さんも気づいたか。この先に、何かある。虫たちが避けて通るような何かが」
「エルンストには……」
あの男のことはどうでもいいが、黙っていたら皆が困る。
「一応手紙を渡してきたが、命令が出ないところをみると意味はなかったようだ。私たちで注意しよう」
「おい、そこ! 遅いぞ!」
面と向かって言うよりはましだろうが、それでもエルンストは機嫌を損ねたらしい。対立の根は、すでに深く張られている。龍は思わずため息をついていた。
やがて一行は岩場にさしかかる。水が涸れた川だったのか、河原にあるような角の取れた小石がずらずら並ぶところを進んでいった。
見かけ上、平和だったのはそこまでだった。
まず、獣たちが咆哮をあげる。次にその場にへたりこみ、いくら引いても身をよじるだけで一向に進もうとしなくなった。普段のおとなしさをかなぐり捨てて絶叫するその様子には、主人たちですら唖然としている。
セトと龍は顔を見合わせた。
「おい、どうした。進め!」
獣使いが鞭で騎獣を叩こうとするので、龍はあわてて止めた。
「やめてください。何か理由があるのかもしれません」
「ああ!?」
怒鳴られても引かない龍の側に、そっとセトが寄ってきた。その次の瞬間、異変が起きる。
いきなり前を歩いていた一団が、喉をかきむしって次々と倒れていった。仲間が目を丸くして対応に困っている間に、どんどん人が死んでいく。
「どうしたんだ!?」
「もしかして、あれが原因か……」
よく見ると、道の前方が薄青い霧のようなもので覆われている。仰天した後続は立ち往生し、エルンストの指示を待つ。
「毒霧だ! 石を使え!!」
遠くをにらんだエルンストが、すぐに叫んだ。
振り返った冒険者が、はっとした顔で懐に手を入れた。とっさに投げたものだから、石がばらばらと懐からこぼれ落ちる。その石から風が巻き起こり、毒を一行から遠ざける。
土埃もあがり、日光が陰るほどの勢いになった。目を守ろうと体を低くした龍のところにまで、鼻をつく匂いが伝わってくる。
逃げなければいけない、それは分かる。しかし、情けないがどちらへ行けばいいのか分からない。
「霧で見通しが……」
妹に指示をあおぐ前に、必死の声でセトが叫んだ。
「右手の高所へ上がれ。毒も、そこまでは追ってこない!」
それを引っ張り出しておこうかと思ったが、心のどこかが嫌がっているのを感じた。龍は素早く手を出す。
大事な贈り物なのだ。セトの言うことが正しいなら、使えばなくなってしまう。できれば使いたくはなかった。
「少し食べなさい。満腹にする必要はないが、空腹過ぎると動けなくなるよ」
セトは横に座ると、悠然と小麦粉を固めたような携帯食で食事をはじめた。龍もそれに付き合わせてもらう。久しぶりに食べたクッキー状の携帯食は、味は美味しくはないが、お腹が鳴るのを止めてくれた。
「お水はいかがですか」
「ありがとう」
「ドラゴンは全てを見通すと言っておられましたね」
「そうだ。途方も無い距離に視線が及ぶ。昔にあったという姿隠しの魔法があるなら事情は違うだろうが、遥かに小さい人間であろうが見逃すことはない。そして奴らには長い寿命と経験から得た知恵がある」
龍はそれを聞いてぎょっとした。
「そんな相手と戦おうなんて……無茶です」
「無茶をしたがる物好きというのは、昔からいくらでもいるよ」
「あなたもそういう物好きなのですか?」
「詮索は不要だよ、お嬢さん」
いくら言葉を交わしても、老人は仕事や素性など、それ以上のことをを話しそうになかった。龍は仕方無く、話題を変える。
「一体何人が、無事にここを抜けられるでしょう」
「それこそ、神のみぞ知るというやつだ」
セトは仲間の背中に目を向けながら、小声で言った。
「夜も更けたな、眠っておきなさい。生きるには体力が必要だ」
釈然としない思いを抱えつつも、龍はうなずいた。
セトと間近で寝起きを共にし、話を聞きながら龍は先へ進んだ。この人の側を離れない方がいい、と龍の勘が告げている。幸いセトは気負いなくゆっくりと歩いていて、ごく当たり前のように龍を受け入れてくれた。
そっけない岩と焦げた樹木の残骸がそこここで見られる、中腹にさしかかる。もう少しで林も終わりだろう。ぐるっと山を回るようにしてついている細い道を上りながら、龍はつぶやいた。
「さっきから、虫の音が聞こえない……」
飛んで逃げられる鳥たちはとっくに島を後にしていたが、虫たちはまだ居残っていた。それでも本能に従って、ドラゴンの逆へ、安全な島の端へ端へと移動する羽音はひっきりなしに聞こえていたはず。その移動がこの場所では見られない。
今日はさっきまで大きな苦労がなかった分、嫌な予感がした。いい気になった冒険者たちは、空ばかり見て足元には全然注意を払っていない。
少し後方を歩いていたセトが戻ってきた。
「お嬢さんも気づいたか。この先に、何かある。虫たちが避けて通るような何かが」
「エルンストには……」
あの男のことはどうでもいいが、黙っていたら皆が困る。
「一応手紙を渡してきたが、命令が出ないところをみると意味はなかったようだ。私たちで注意しよう」
「おい、そこ! 遅いぞ!」
面と向かって言うよりはましだろうが、それでもエルンストは機嫌を損ねたらしい。対立の根は、すでに深く張られている。龍は思わずため息をついていた。
やがて一行は岩場にさしかかる。水が涸れた川だったのか、河原にあるような角の取れた小石がずらずら並ぶところを進んでいった。
見かけ上、平和だったのはそこまでだった。
まず、獣たちが咆哮をあげる。次にその場にへたりこみ、いくら引いても身をよじるだけで一向に進もうとしなくなった。普段のおとなしさをかなぐり捨てて絶叫するその様子には、主人たちですら唖然としている。
セトと龍は顔を見合わせた。
「おい、どうした。進め!」
獣使いが鞭で騎獣を叩こうとするので、龍はあわてて止めた。
「やめてください。何か理由があるのかもしれません」
「ああ!?」
怒鳴られても引かない龍の側に、そっとセトが寄ってきた。その次の瞬間、異変が起きる。
いきなり前を歩いていた一団が、喉をかきむしって次々と倒れていった。仲間が目を丸くして対応に困っている間に、どんどん人が死んでいく。
「どうしたんだ!?」
「もしかして、あれが原因か……」
よく見ると、道の前方が薄青い霧のようなもので覆われている。仰天した後続は立ち往生し、エルンストの指示を待つ。
「毒霧だ! 石を使え!!」
遠くをにらんだエルンストが、すぐに叫んだ。
振り返った冒険者が、はっとした顔で懐に手を入れた。とっさに投げたものだから、石がばらばらと懐からこぼれ落ちる。その石から風が巻き起こり、毒を一行から遠ざける。
土埃もあがり、日光が陰るほどの勢いになった。目を守ろうと体を低くした龍のところにまで、鼻をつく匂いが伝わってくる。
逃げなければいけない、それは分かる。しかし、情けないがどちらへ行けばいいのか分からない。
「霧で見通しが……」
妹に指示をあおぐ前に、必死の声でセトが叫んだ。
「右手の高所へ上がれ。毒も、そこまでは追ってこない!」
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
ARIA(アリア)
残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ゆうべには白骨となる
戸村井 美夜
キャラ文芸
誰も知らない「お葬式の裏側」と「日常の謎」を題材とした推理小説の二本立て。
どちらからお読み頂いても大丈夫です。
【ゆうべには白骨となる】(長編)
宮田誠人が血相を変えて事務所に飛び込んできたのは、暖かい春の陽射しが眠気を誘う昼下がりの午後のことであった(本文より)――とある葬儀社の新入社員が霊安室で目撃した衝撃の光景とは?
【陽だまりを抱いて眠る】(短編)
ある日突然、私のもとに掛かってきた一本の電話――その「報せ」は、代わり映えのない私の日常を、一変させるものだった。
誰にでも起こりうるのに、それでいて、人生で何度と経験しない稀有な出来事。戸惑う私の胸中には、母への複雑な想いと、とある思惑が絶え間なく渦巻いていた――
ご感想などお聞かせ頂ければ幸いです。
どうぞお気軽にお声かけくださいませ。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる