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恩返しと約束
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「……ごめんなさい、怖い思いをさせるつもりではなかったんですが」
「これ。返しに来たの」
申し訳なげにスルニが差し出した手には、光る物がのっていた。龍《りゅう》がつけていたイヤリング、その片方だった。確かになくて、雑用か山登りの途中でなくしたものだと思っていたのに。
龍は言葉を失い、天を仰いだ。それだけのために、わざわざ足を運んだというのか。ひどい目にあう可能性もあるし、そもそも飢えていて行き来もしたくないだろうに。
「あ、ありがとうございます」
礼を言うと、少女の目に喜びが浮かんだ。軽く微笑んだようにも見える。そうしていると、可愛らしいというより本当に綺麗だった。
あんな環境でも、この子は本当に、純粋に育っている。さわやかな風が吹き抜けたように、龍の心は弾んだ。
龍は微笑みながら手を伸ばし、イヤリングを受け取った。
「ひとりですか? お姉さんは?」
「今日はおつとめがあるの」
スルニは言葉少なに言った。どこに行っているのか、龍はそれ以上聞くのをやめる。
「遠くまで歩いたから、お腹がすいたんじゃありませんか」
「……それは、そう」
「待っててください。何かないか見てきます」
少女を人目につかない柱の陰に座らせ、フェムトをいじってサンドイッチを作った。頑張って急いでみたが、やっぱり愛生に比べると下手くそだ。
「これしかないのだけれど」
龍は少しためらいながら言ったが、スルニは目を見開き、次いで控えめながら歓声をあげた。
「もらっていいの?」
「どうぞ。恩返しということで」
「こんなもの、どうやって手に入れてくるの?」
心底不思議そうに言うので、龍は口を濁すしかなかった。
「まあ、色々あるんですよ。呪いもきかない人間ですので」
怪しいと知りつつこれで押し通す。スルニは無言で龍を見上げて、サンドイッチの入った籠を小脇に抱えた。
「でも、必要じゃない時に来てはいけませんよ。今日はたまたま、運が良かったから誰にも見られなかったけれど」
いきなり龍に連れがいれば、怪しまれるだろう。町中がぴりぴりしている今は、近付かない方がいい。
「ちゃんと長やみんなに断ってきてもダメ?」
「ダメですよ。またこちらから伺いますので、何かあればその時にお願いします」
スルニはそれを聞いてうなずき、茂みの中に潜っていった。その頃にはもう日が傾いていて、遠く天に向かってそびえる山の先が、赤く染まっている。
「足元に気をつけてくださいね」
龍はスルニに声をかけた。まさかその後、悲劇が起こるなど考えもせず、本当に軽く。そのことを、龍はしばらく後悔することになる。
その夜、龍は夜中に目が覚めてしまった。秒針の音がやけに大きく聞こえ、寝返りをうつ。
「眠れない……」
完全に目が冴えてしまっている。どうしてか、嫌な予感がしていた。スルニがちゃんと帰れたか、気にかかっているからだろうか。別に何か、不安になる根拠があるわけではないのに。
龍が起き上がると、宿の庭先で飼っていた犬がけたたましく吠え始めた。大人の腰ほどまである大きな犬のため、吠え声も低くて野太い。にわかに騒がしくなった外に、龍はとっさに目をやった。
主人が飛び起きてきて、犬になにやら命令しているのが見えた。そして隣の家へ向かって駆けていく。
間もなく、隣の家からも人が出てきた。こちらは、九官鳥ほどの大きさの鳥を肩に乗せている。二人ははじめは普通に会話をしていたが、最後の方は怒鳴り合うような声になっていた。──大事のようである。
二人に、行き合わせた人々が寄ってきた。何があったのだと皆が事情を知りたがっているが、自警団はそれに構わず戦いの準備をして、山の方へ駆けていく。
「不安の解消よりも、優先すべき事態があるということ……?」
龍はそうつぶやいて、身支度をした。宿の玄関には誰もおらず、黙って外に出る。外はすでに混乱状態で、龍はまじまじとそれを見つめた。どこかで馬を調達しようにも、どの厩も混み合っている。
「龍さん、馬を借りてきました!」
ベルトランだった。顔見知りの親父が、便宜を図ってくれたという。
「助かりました」
龍はベルトランと連れだって、自警団の後を追った。五人単位で形成された班がまず十、そしてその後にさらに十続く。彼らは時折近付いてきた獣を斬り倒しながら、山の方へと進んでいった。
「彼らは山を恐れているのでは?」
「申し訳ない。私が先日描いた地図が見つかってしまったんです。道が分かるなら賊をあぶり出そうということになってしまって……」
ベルトランはため息をつく。龍は顔から笑みを消し、馬に鞭をくれた。みるみるベルトランを引き離し、ひとり走る。
「待って、一人じゃ危険ですよ!!」
「あなたはゆっくり来てください!」
後ろに叫んで、龍は手綱を握り治した。
「虎子《とらこ》、先回りします。先に知らせないと」
めったなことはないと思うが、自警団側が里に気づくと厄介だ。
山へと続く夜の道は、霜が降りていた。それを踏みしめるように馬が駆ける。最短距離を走っているのに、なかなか里に着かない。龍は唇を噛んで、先を急いだ。
「間に合って!」
「これ。返しに来たの」
申し訳なげにスルニが差し出した手には、光る物がのっていた。龍《りゅう》がつけていたイヤリング、その片方だった。確かになくて、雑用か山登りの途中でなくしたものだと思っていたのに。
龍は言葉を失い、天を仰いだ。それだけのために、わざわざ足を運んだというのか。ひどい目にあう可能性もあるし、そもそも飢えていて行き来もしたくないだろうに。
「あ、ありがとうございます」
礼を言うと、少女の目に喜びが浮かんだ。軽く微笑んだようにも見える。そうしていると、可愛らしいというより本当に綺麗だった。
あんな環境でも、この子は本当に、純粋に育っている。さわやかな風が吹き抜けたように、龍の心は弾んだ。
龍は微笑みながら手を伸ばし、イヤリングを受け取った。
「ひとりですか? お姉さんは?」
「今日はおつとめがあるの」
スルニは言葉少なに言った。どこに行っているのか、龍はそれ以上聞くのをやめる。
「遠くまで歩いたから、お腹がすいたんじゃありませんか」
「……それは、そう」
「待っててください。何かないか見てきます」
少女を人目につかない柱の陰に座らせ、フェムトをいじってサンドイッチを作った。頑張って急いでみたが、やっぱり愛生に比べると下手くそだ。
「これしかないのだけれど」
龍は少しためらいながら言ったが、スルニは目を見開き、次いで控えめながら歓声をあげた。
「もらっていいの?」
「どうぞ。恩返しということで」
「こんなもの、どうやって手に入れてくるの?」
心底不思議そうに言うので、龍は口を濁すしかなかった。
「まあ、色々あるんですよ。呪いもきかない人間ですので」
怪しいと知りつつこれで押し通す。スルニは無言で龍を見上げて、サンドイッチの入った籠を小脇に抱えた。
「でも、必要じゃない時に来てはいけませんよ。今日はたまたま、運が良かったから誰にも見られなかったけれど」
いきなり龍に連れがいれば、怪しまれるだろう。町中がぴりぴりしている今は、近付かない方がいい。
「ちゃんと長やみんなに断ってきてもダメ?」
「ダメですよ。またこちらから伺いますので、何かあればその時にお願いします」
スルニはそれを聞いてうなずき、茂みの中に潜っていった。その頃にはもう日が傾いていて、遠く天に向かってそびえる山の先が、赤く染まっている。
「足元に気をつけてくださいね」
龍はスルニに声をかけた。まさかその後、悲劇が起こるなど考えもせず、本当に軽く。そのことを、龍はしばらく後悔することになる。
その夜、龍は夜中に目が覚めてしまった。秒針の音がやけに大きく聞こえ、寝返りをうつ。
「眠れない……」
完全に目が冴えてしまっている。どうしてか、嫌な予感がしていた。スルニがちゃんと帰れたか、気にかかっているからだろうか。別に何か、不安になる根拠があるわけではないのに。
龍が起き上がると、宿の庭先で飼っていた犬がけたたましく吠え始めた。大人の腰ほどまである大きな犬のため、吠え声も低くて野太い。にわかに騒がしくなった外に、龍はとっさに目をやった。
主人が飛び起きてきて、犬になにやら命令しているのが見えた。そして隣の家へ向かって駆けていく。
間もなく、隣の家からも人が出てきた。こちらは、九官鳥ほどの大きさの鳥を肩に乗せている。二人ははじめは普通に会話をしていたが、最後の方は怒鳴り合うような声になっていた。──大事のようである。
二人に、行き合わせた人々が寄ってきた。何があったのだと皆が事情を知りたがっているが、自警団はそれに構わず戦いの準備をして、山の方へ駆けていく。
「不安の解消よりも、優先すべき事態があるということ……?」
龍はそうつぶやいて、身支度をした。宿の玄関には誰もおらず、黙って外に出る。外はすでに混乱状態で、龍はまじまじとそれを見つめた。どこかで馬を調達しようにも、どの厩も混み合っている。
「龍さん、馬を借りてきました!」
ベルトランだった。顔見知りの親父が、便宜を図ってくれたという。
「助かりました」
龍はベルトランと連れだって、自警団の後を追った。五人単位で形成された班がまず十、そしてその後にさらに十続く。彼らは時折近付いてきた獣を斬り倒しながら、山の方へと進んでいった。
「彼らは山を恐れているのでは?」
「申し訳ない。私が先日描いた地図が見つかってしまったんです。道が分かるなら賊をあぶり出そうということになってしまって……」
ベルトランはため息をつく。龍は顔から笑みを消し、馬に鞭をくれた。みるみるベルトランを引き離し、ひとり走る。
「待って、一人じゃ危険ですよ!!」
「あなたはゆっくり来てください!」
後ろに叫んで、龍は手綱を握り治した。
「虎子《とらこ》、先回りします。先に知らせないと」
めったなことはないと思うが、自警団側が里に気づくと厄介だ。
山へと続く夜の道は、霜が降りていた。それを踏みしめるように馬が駆ける。最短距離を走っているのに、なかなか里に着かない。龍は唇を噛んで、先を急いだ。
「間に合って!」
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