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現れた狂気の化身
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使い手が体のバランスを崩して転ぶのを、愛生《あい》は冷ややかに見る。残った四人に向かって、愛生は転んだ大男を蹴り飛ばす。飛んできた巨体の下敷きになった四人はあっけなく倒れた。だいぶ痛い目をみたろうが、知ったことか。
「ほう」
腕を垂らし、ぼんやりと立っていた小さな影だけが難を逃れていた。炎で、ようやくその男の姿がはっきり見える。
「役に立たん護衛どもだ。そいつらも一緒に燃やしてしまえ」
老人が大きな目を見開いた。低く、それでもしっかりとした声が彼の喉から漏れる。その声を聞いて、新たに武者たちが集まっていた。
老人はひどく背が低い。体をかがめていれば、猿と見まがうほどの体格だ。そしてちゃんと髷を結っておらず、浪人のようにざんばらな白髪を肩に垂らしていた。さすがに体にまとう着物はきちんとした上下を着ていたものの、落ち武者のような荒んだ感じが漂っていた。
「驚いた。亡霊のお出ましか」
「頭が高いぞ、若造」
黙っていれば大人しそうに見えていた顔が、愛生の言葉を聞いて般若の面のように様変わりする。口元は不気味につり上がり、人間ではないようなほど血走った目が愛生の顔をとらえた。
愛生はぞっとした。間違いない、こいつが乱心によって押し込められたという前領主──光政《みつまさ》だ。とうとう味方をかき集めて、外に出てきたのだ。
「亡霊がイヤならボス猿とでも呼んでやろうか」
愛生が平伏もせずに相対したのが珍しかったのか、光政は無言で歩み寄ってきた。
そしてばきりと音をたてて、右手にぶら下げていた誰かの腕──肘から先のところ──を二つに折った。そしてまだ血がしたたる肉を、むしゃむしゃと食べ始めた。
それはとても、人間がする所行とは思えない。ホラー映画さながらの光景だった。相手の本性に気づいていなければ、愛生も泡を食って逃げ出していたかもしれない。
ちらりと横に目をやる。
傍らには、片腕のない幼い女の子の死体が転がっている。弥助《やすけ》の子供では、と驚いた愛生だったが、顔立ちが違うことに気づいた。……しかし、だからといって許せるものではない。
「おい、この子に何をした」
怒りに燃える愛生は、少女の腕に噛みついている光政に問いかけた。
「儂の周りをうろついて、邪魔だったからの」
ただ取り巻いたというだけで、この仕打ち。この男は、いったいいくつの罪を犯したら気が済むのだろうか。愛生は怒りで眉をつり上げた。
「ここに転がっている者たちは、皆、血が詰まった肉袋に過ぎぬ。なにを怒っておるのだ」
「……おい、今どうなってる」
愛生はそれには反応せず、小さく京《けい》に呼びかけてみたが、歯がカチカチ鳴る音がするだけだ。──完全にこの爺さんの覇気に、飲まれてしまっている。しょうがない奴だ。
鳥はなかなか戻ってこない。帚木《ははきぎ》の姿も見えなかった。そして、光政の護衛たちは愛生が逃げないように円陣を整えている。なんとか増援がくるまで、一人でこの脅威の爺さんを食い止めなくてはならない。
愛生が一瞬息を吸った隙に、光政がすさまじい勢いでつっこんできた。
彼の刀の切っ先は愛生の喉笛を狙っていた。身長は高く見積もっても一メートル二十センチほど、小柄なのに驚くほどリーチの違いを感じさせない。素の素早さと筋力が高いのだ。
それでも愛生はなんとか相手の襟首をつかんで放り投げる。しかしつかんだのは鎧、本体に達する前に防具が砕けた。光政が落ちた先は土の上、どこが潰れた様子もなかった。
「ちっ!」
普段はコントロールするのに、キレていたからそれを忘れていた。
とても今まで幽閉されていたとは思えない動きで、光政は愛生の前に立った。そしてじろじろと、愛生を見つめる。隙があれば、再び腕を伸ばして飛びかかってきそうだった。
こちらを取り囲む人垣は崩れない。愛生は焦れて、自分の周囲にいる侍に向かって叫んだ。
「……お前らは、なんでこんな奴に黙って使われてる。おかしいとは思わないのか!?」
何人かでも引きはがせれば。そう思っていたのだが、侍たちは意に介した様子もなく、愛生と光政をただ眺めるだけだった。今までで最高の不快感が、愛生の全身を貫く。
光政はその様子を見て取ると、面白そうに笑った。
「思ってはおるじゃろうな。最低限の頭はある。道に反すると考えるところまでは行き着くだろうよ。憎んでさえおるかもしれぬ。──だがな、こいつらはそこどまりなのよ」
どういうことだ、と言いかけて、愛生は息をのんだ。
「お前にも思い当たる節があるようじゃな。正義感はあっても、自分の生活の安泰のためならばそれを飲みこむことができる奴、汚い仕事をやっても翌日には飯が食える奴、儂が目障りと言えば、その判断に従っておくほうを選ぶ奴……儂が選んでいるのは、そういう何もできない連中ばかりなのよ」
愛生は拳を握った。確かに、現実世界でもその怠惰のせいで、色々な事件が起こっている。
「ほう」
腕を垂らし、ぼんやりと立っていた小さな影だけが難を逃れていた。炎で、ようやくその男の姿がはっきり見える。
「役に立たん護衛どもだ。そいつらも一緒に燃やしてしまえ」
老人が大きな目を見開いた。低く、それでもしっかりとした声が彼の喉から漏れる。その声を聞いて、新たに武者たちが集まっていた。
老人はひどく背が低い。体をかがめていれば、猿と見まがうほどの体格だ。そしてちゃんと髷を結っておらず、浪人のようにざんばらな白髪を肩に垂らしていた。さすがに体にまとう着物はきちんとした上下を着ていたものの、落ち武者のような荒んだ感じが漂っていた。
「驚いた。亡霊のお出ましか」
「頭が高いぞ、若造」
黙っていれば大人しそうに見えていた顔が、愛生の言葉を聞いて般若の面のように様変わりする。口元は不気味につり上がり、人間ではないようなほど血走った目が愛生の顔をとらえた。
愛生はぞっとした。間違いない、こいつが乱心によって押し込められたという前領主──光政《みつまさ》だ。とうとう味方をかき集めて、外に出てきたのだ。
「亡霊がイヤならボス猿とでも呼んでやろうか」
愛生が平伏もせずに相対したのが珍しかったのか、光政は無言で歩み寄ってきた。
そしてばきりと音をたてて、右手にぶら下げていた誰かの腕──肘から先のところ──を二つに折った。そしてまだ血がしたたる肉を、むしゃむしゃと食べ始めた。
それはとても、人間がする所行とは思えない。ホラー映画さながらの光景だった。相手の本性に気づいていなければ、愛生も泡を食って逃げ出していたかもしれない。
ちらりと横に目をやる。
傍らには、片腕のない幼い女の子の死体が転がっている。弥助《やすけ》の子供では、と驚いた愛生だったが、顔立ちが違うことに気づいた。……しかし、だからといって許せるものではない。
「おい、この子に何をした」
怒りに燃える愛生は、少女の腕に噛みついている光政に問いかけた。
「儂の周りをうろついて、邪魔だったからの」
ただ取り巻いたというだけで、この仕打ち。この男は、いったいいくつの罪を犯したら気が済むのだろうか。愛生は怒りで眉をつり上げた。
「ここに転がっている者たちは、皆、血が詰まった肉袋に過ぎぬ。なにを怒っておるのだ」
「……おい、今どうなってる」
愛生はそれには反応せず、小さく京《けい》に呼びかけてみたが、歯がカチカチ鳴る音がするだけだ。──完全にこの爺さんの覇気に、飲まれてしまっている。しょうがない奴だ。
鳥はなかなか戻ってこない。帚木《ははきぎ》の姿も見えなかった。そして、光政の護衛たちは愛生が逃げないように円陣を整えている。なんとか増援がくるまで、一人でこの脅威の爺さんを食い止めなくてはならない。
愛生が一瞬息を吸った隙に、光政がすさまじい勢いでつっこんできた。
彼の刀の切っ先は愛生の喉笛を狙っていた。身長は高く見積もっても一メートル二十センチほど、小柄なのに驚くほどリーチの違いを感じさせない。素の素早さと筋力が高いのだ。
それでも愛生はなんとか相手の襟首をつかんで放り投げる。しかしつかんだのは鎧、本体に達する前に防具が砕けた。光政が落ちた先は土の上、どこが潰れた様子もなかった。
「ちっ!」
普段はコントロールするのに、キレていたからそれを忘れていた。
とても今まで幽閉されていたとは思えない動きで、光政は愛生の前に立った。そしてじろじろと、愛生を見つめる。隙があれば、再び腕を伸ばして飛びかかってきそうだった。
こちらを取り囲む人垣は崩れない。愛生は焦れて、自分の周囲にいる侍に向かって叫んだ。
「……お前らは、なんでこんな奴に黙って使われてる。おかしいとは思わないのか!?」
何人かでも引きはがせれば。そう思っていたのだが、侍たちは意に介した様子もなく、愛生と光政をただ眺めるだけだった。今までで最高の不快感が、愛生の全身を貫く。
光政はその様子を見て取ると、面白そうに笑った。
「思ってはおるじゃろうな。最低限の頭はある。道に反すると考えるところまでは行き着くだろうよ。憎んでさえおるかもしれぬ。──だがな、こいつらはそこどまりなのよ」
どういうことだ、と言いかけて、愛生は息をのんだ。
「お前にも思い当たる節があるようじゃな。正義感はあっても、自分の生活の安泰のためならばそれを飲みこむことができる奴、汚い仕事をやっても翌日には飯が食える奴、儂が目障りと言えば、その判断に従っておくほうを選ぶ奴……儂が選んでいるのは、そういう何もできない連中ばかりなのよ」
愛生は拳を握った。確かに、現実世界でもその怠惰のせいで、色々な事件が起こっている。
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