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死者の復讐

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「子供とハーフエルフで何をしている。正直に答えろ」
「なんのことだか分からんな。妙な噂を真に受けちゃ困る」

 ジャックは視線をそらし、しらばっくれた。本当に性格が悪い。愛生はさらに挑発を続けることにした。

「噂? お前が卿の差し金を受けて、ガバガバ酒をもらってるのは事実だろうが。この部屋の匂いをどう説明する気だ。換気したって追い出せないぞ。あと、床の酒瓶くらい捨てておくんだな」

 ジャックは愛生の言葉を聞いて、慌てて口をふさいだ。

「ああ、大きな声で言っちゃまずかったか。この街にはあるんだったな、『禁酒法』が」

 愛生は笑いながら、扉によりかかった。

 禁酒法と言えばアメリカが特に有名だが、実はイギリスでも禁酒運動は実行されていた。埋まらない貧富の差と長時間労働のストレスから、人々は気軽に手に取れる酒に飛びつく。

 これが社会問題となり、「酒のかわりにお茶を飲もう」という運動が広まった。十九世紀前半には、子供の飲酒を禁じる法律も成立している。現在でもイギリスは紅茶好きの国家として有名だが、それにはこういった歴史も関係しているのだ。

「目撃者の子どもたちが言ってたよ。卿の周りから匂いがした、とな。あれは酒を造るときの匂いだろ?」

 酵母の増殖が遅れたり細菌の繁殖が異常に多いと、つわり香という匂いが発生することがある。これは日本酒の話だが、卿の作っている酒がなんであれ、菌を介在させているならその時の匂いが鍋から漂っていてもおかしくない。

「貴様、どこまで知ってる」

 ジャックが愛生の腕をつかむ。愛生は笑いながら、それを振りほどいた。

「今はこの程度にしといてやるよ。証拠がないからな。だが、見つかったら──」

 愛生が言いかけた時、ジャックの後ろから、厳しい顔をした龍が現れた。その顔は激怒を示すのだと、付き合いの長い愛生には分かる。

「ここには証拠だらけです……奥から、縄や棍棒、ナイフの類が大量に見つかりました。いずれも、血がついています」

 龍が愛生に、縄の一本を見せてくれた。どす黒く変色した血がこびりついていて、愛生の胸の中がざわざわと落ち着かなくなる。

「ろくな真似はしてないみたいだな。これでも知らないと言い張るつもりか?」

 ジャックは無言だ。しかし愛生は、それを肯定ととった。それを見た龍は、愛生に縄を渡すとまた奥へ駆けていく。

「お前が自分で犯罪計画を立てる頭があるとは思ってない。子供に恨みもないだろうしな。卿に指図されたんだろ。証拠は後でまとめて処分してやるとでも言われてたのか?」
「なに──これは、俺が自分で」

 依頼されたことを頑なに認めようとしないジャックを見て、愛生はため息をついた。

「お前は自分で思ってるほど頭がよくないぞ。あのトリックだって、効果をなしてなかったしな」
「トリック?」
「ハーフエルフを犯人に仕立てようとした、あの夜の事件だ」

 愛生を撃ってきた犯人が逃走し、その先にいたジャックが捕まえた。一見自然な流れだが、これにはもう一つの解釈ができる。ジャックこそが襲撃犯で、中間地点を歩いていた男に罪を着せて差し出した、というパターンだ。

「ミステリーで言う、『曲がり角でぶつかった人間が犯人』ってやつだな。自分で俺たちを殺そうとしておいて、よくも善人面してくれたもんだ。警察で保護してなきゃ、あのハーフエルフも殺すつもりだったんだろ?」

 ジャックは唸った。

「……それに気づいたなら、お前たちも殺さねばならない」

 愛生は彼に冷たい一瞥をくれる。それで愛生が戦意喪失し震え上がると思っているなら、とんだ間違いだ。

「尻に火がついてるのも気づかんか、哀れだな。とうとう脳にまで酒の毒が回ったか。今引き返さないと、本当に死ぬぞ」

 ジャックの顔色は土気色で、健康な人間とは明らかに違う。前に会ったのはいずれも夜で、しかも相手が暗いところに立っていたからよく分からなかったが、今見ると肝臓が限界なのは明らかだ。

 なんでも、禁断症状から抜けるのは大変だ。一旦立ち直ろうとしても、ひどい離脱症状があることも、愛生は理解している。それでもなんとか、理性を取り戻せないか。愛生は最後の望みをかけて説得していた。

 しかしその前に、龍が無言のまま部屋に入ってきた。

「どうした」
「……血の跡をたどって、さらに見つけました。ミイラ化していますが、子供の死体です」

 眉間に皺を寄せたまま、龍は包みをそっと下ろした。布を解いてみると、中からひからびた遺体が出てくる。その口は何か言いたげに、虚ろに開かれている。逃げようとしたのか、手のひらに大きな傷がついていた。

 愛生は固唾を呑んで見守っていたが、ジャックは、その遺体を見ようとすらしない。

「これでもまだ、噂だ言いがかりだと逃げるつもりですか?」

 一気に不穏な空気が流れた。後少しで、ジャックにとどめがさせそうだ。それを感じ取った龍が愛生を見つめる。

「まだ出てくるかもしれない。探索に戻ってくれ」

 龍の足音が完全に消えたのを確認してから、愛生はローガンに詰め寄った。

「見て見ぬ振りしやがって。なんとも思わないのか。あの子にも親がいて、家族がいた。ハーフエルフにだってそれぞれの人生があったんだ」
「それがどうした。ここの親は何人も子供を産むし、ハーフエルフを引き受けようなんて物好きな奴はいない。俺自身、たいした痛痒は感じない」
「……お前、とっくに人間やめてたんだな」

 ひどい発言を恥じる様子もない。卿に怯えているわけではなく、煽られているわけでもなく、この男はもうどっぷりと罪に浸かっていた。

 それが一番、愛生には怖い。

「こんな酒のためにな」

 愛生は酒瓶を持ち上げた。他はみな空だが、一本だけ中身が残っている。

「……飲めないのなら、死んだ方がましだ。それをよこせ」

 一瞬、ジャックの目に強い意思が宿った。しかしそれはあくまで欲によるもので、何かを決意したわけではない。プライドを思い切り傷つけられるよりも、この液体がないことの方が辛い。この男は、もうそこまで衰えてしまっているのだ。

「お前に我慢とか、人生の意義を説いても無駄だろうなあ」

 愛生は説得を諦めた。酒瓶を、壁に向かって思い切り放り投げる。冷たい飛沫が飛んで、愛生の靴を濡らした。

 床に落ちた液体を見て、ジャックの体が急に跳ねた。

「よくも!!」

 何も考えていない様子でまっすぐに愛生に向かってくる。握られた拳を見て、愛生は笑った。

「さすが、単細胞はありがたい」

 ジャックの腕が振り下ろされる。しかし愛生はそれをぎりぎりでかわし、部屋の隅へ向かって転がった。

 次の瞬間、ごきっ、と嫌な音がする。愛生がいたところの棚に拳を打ち付けた男の悲鳴があがった。巨体が地面にくずおれる。

「悪いな。ちょっと、棚の一部を金属に変えさせてもらったぞ」

 衝撃で積んであった紙箱が雪崩のように落ちる。愛生はその直撃を受けて、たたらを踏んだ。ジャックが激しくそれを踏み荒らしながら、愛生に向かってくる。

 愛生は手近にあった紙を蹴り上げた。視界が一瞬白く染まり、ジャックの拳が空を叩く。

 その隙に、今度は立ち直った愛生が拳をふりかぶる。殴った確かな感触があった。

 ジャックが倒れそうになるのをこらえた。体勢を整えてカウンターを放とうとした次の瞬間、何かにつまずく。床に転がる、酒瓶だった。

 足をとられたジャックは、驚きの声と共に前のめりに倒れる。突こうとした手は一瞬間に合わず、したたかに腹を打ち付けた。体重が重い彼は、速やかに起き上がって防御行動がとれない。

「──なあ、お前。どっちの手で殺した。あの子を」

 愛生は足元に横たわるジャックに聞いた。ジャックは視線を愛生に固定したまま、答えない。完全に意地になっていた。

「そうか。じゃあ、どっちだっていいや」

 愛生は足で男の右掌を踏みつぶした。その勢いのまま顔を蹴り飛ばし、仰向けに変える。形勢は明らかに愛生に有利だった。

「おい、逃げるなよ。あと半分残ってるぞ。これくらい我慢しろよ」

 愛生が言うと、ジャックは怒りを露わにした。そして迷う様子なく、胸にかかっていた大きなペンダントに手をやる。

「くらえ、この──」
「よせ、このバカ!」

 愛生はとっさに叫びながら飛び退いた。ジャックの胸元で、青い炎があがり、次の瞬間、耳をつんざくような爆発音とともに煙が上がる。

 あのペンダントは、小型爆弾だったのだ。愛生が近付くと、ジャックの胸が大きく裂けて、焦げた内臓が見えている。そこに、ひしゃげたペンダントの外枠がめりこんでいた。

 ジャックはまだわずかにうめいている。胴体に大穴があいているから、そのうち死ぬだろう。痛い思いもそこまでだ。

「……武器だとでも、聞かされていたのか?」

 ペンダントの元の持ち主は、一人しか思い浮かばない。卿は保護者面していたのだろうが、この男を守る気はやはりなかったのだ。極悪人であったが、人がそんな風に扱われるのを見るのは少し辛い。

 それでも愛生はジャックに、厳しい視線を投げた。

「皮肉だなあ。結局最後の最後まで、こいつはお前を救わなかった」

 それを言い終わる頃には、険しい顔のままジャックは死んでいた。蘇ってくるはずのない相手につぶやいて、愛生は振り返る。

 今度は膝をついて、小さな死体を見やる。髪が長かったから、かろうじて女の子だろうということは分かった。この子の腹には、明らかに刺し傷のような跡があった。

「……いや、違うか。殺された子供の、意地かもな」

 死体はミイラ化していた。このような状態になると、靱帯が乾燥し収縮することで、生きているように動くことがある。その腕の動きが、落ちていた瓶を押し出したのだ。──単なる生理現象といえばそれまでだが、積み重なった恨みの感情が、今のこの結果を招いたようにも愛生には思えた。
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